〇会社の浮き沈み
昨日突然自宅へ、「在宅なら是非お会いしたい!」と、昔町の広報を担当していた頃、広報を印刷する会社に勤めていたAさんから電話が入りました。子ども教室の閉講式が終って帰宅後、少し遅い食事をしていたところだったので、「在宅なのでどうぞどうぞ」とお話しました。1時間余りしてAさんはわが家へやって来ました。印刷会社の双海町役場広報担当や、その後会社の役員をしていた頃と比べると、歳をとったせいか少しスリムになっていましたが、相手が私を見ると同じように感じるだろうと思いつつ、昔話に花を咲かせました。聞けばAさんが勤めていた頃の会社は、松山市内でも一・二を争うような大きな印刷会社でしたが、その後社運が傾き社長や会長は、私財までも失う不運に見まわれたようでした。風の噂でその話は幾らか聞いてはいましたが、当時は飛ぶ鳥を落とす勢いだっただけに、社長や会長の末路が気になりました。
Aさんはその後その会社を退職して1~2別の会社を渡り歩き、今も印刷に関連のある別の会社で働いているようでした。いただいた名刺の肩書きには〇〇会社プロデューサーと書かれていました。私に是非目を通して欲しいと持参した、ある街の写真集を見て、Aさんが私に何を言いたいのか、おおよその検討はつきましたが、自由人になった私にはもう、Aさんの要望に応えるだけの地位も能力もないので、そのことだけはお話をしました。
Aさんは私より5つくらい年下ですが、少しやつれたように見えるその姿に、企業戦士として生きてきた苦悩の半生を垣間見る思いがしました。と同時に会社の経営の難しさを思うのです。私が広報を担当していた頃の印刷業界は、建設土木業界とともに最も華やいだ時代でした。週末には社員がゴルフコンペ旅行に海外まで行き、33ナンバーの県知事に匹敵するようなデラックスな車を乗り回し、わが者顔で走らせていました。また著名人の集まりにも上席が用意され、私などの下々は近付けないような雰囲気でした。
パソコンが普及するにつれて、ペーパー印刷業界は一気に構造不況業界へと転落し始めました。ペーパーレスの現代を思えば、今も将来も印刷業界が上向く気配は残念ながらないのです。この会社は多額の負債の85パーセントを債権放棄してもらい、経営陣が退陣し何とか生き残っていますが、天国と地獄は裏表だとしみじみ思うのです。
Aさんは私の書斎で1時間ばかりお話をして帰られましたが、羽振りの良かった社長さんや会長さんとは親しく声をかけてもらった間柄だっただけに、寂しい気もしました。社長さんや会長さんのように一花を咲かせた訳でもなく、無位無官の身で生きている自分の今を思うと、失うもののない自分の身軽さに多少なりとも拍手を送るのです。栄枯盛衰は人の世の習いといえど、会社を持続発展させることは容易なことではありません。わが家も人ごとではなく、しっかりと次の世代に受け継がさなければなりません。
「33の 車に乗って さっそうと 格好良かった 末路は寂し」
「気がついた 時には遅し 音しない 大きな落し 物の大きさ」
「私には 失う物など ないだけに 気を引き締めりゃ 奈落は回避」
「書棚から 当時の広報 引き出して 懐かしく読む あの日あの時」