○世界遺産を巡る旅(その3)
2m近い雪に埋もれた合掌造りの中でも荻町集落は世界遺産の名前に相応しい見応えのある集落です。私たちの一行は明るいうちに駐車場~であい橋~明善寺~和田家と荻町集落の中を、滑りこけないよう足元を気にしながらゆっくりと散策しました。重文の指定を受けている和田家の前に来た午後5時半頃、ライトアップが点灯し始め、白い雪の中にひとつ二つとオレンジ色の明かりが灯り、合掌造りの家々が白い雪の中に柔らかく浮かび上がりました。世界遺産を巡る旅を思い立った私たちが、2年がかりで見たいと思っていた思いがやっと叶った瞬間でした。雪の中をうごめく人の群れも、お目当てのライトアップされた合掌造りのそこそこの場所にに陣取って、しばし幽玄の世界を楽しんでいるようでした。
ライトアップした荻町の合掌造りは、先月訪ねた時とまた違った趣でした。前回昼食をご馳走になった岩本さんのお姉さんが経営している「ゆきんこ」というお店にあいさつに伺いましたが、お姉さんは私のことをちゃんと覚えていてくれて、一昨日そのことを岩本さんや知り合った村議会議長さんからも嬉しいメールとして届きました。
先月は十右エ門というかん町にある合掌造りの民宿に泊まりましたが、今回は愛媛新聞旅行のツアーということもあって、泊まる場所は遠く離れた飛騨高山のひだホテルプラザなので、私たちの一行は午後6時15分に後ろ髪引かれる思いでバスまで戻り、高速道路を乗り継いで高山市内まで戻りました。ホテルは高山でもいち二を争うような近代的なお宿でした。私たちフロンティアグループはひとり2千円ほど上積みして別部屋に別料理を用意してもらい、総会を兼ねた宴席を持ちました。フロンティアグループのメンバーももいつの間にか歳をとり、佐々木さんはあと一年、豊田さんはあと二年、國元さんはあと三年すれば定年だそうで、残りのメンバーは既にリタイアして元気に何とか暮らしているようです。
来年の事業安は千本桜の森づくり事業と世界遺産を巡る旅で屋久島、予算案は原案通り、役員改選は全員留任ということが全会一致承認されました。毎年のことながら昭和56年9月に21世紀えひめニューフロンティアグループを結成し、事務所を煙会所に置いて以来続いている出来事ですが、また新しいページに新しい出来事が加わりました。
「灯が点けば ほのぼのとした 風景に 変わりて村は 人を迎える」
「つり橋を 渡ればそこは 桃源郷 裸電球 ひとつ二つと」
「滑こける 人の姿は 滑稽で 笑っていたが 俺も転げた」
「日本の 行く先々で 目を見張る ような景色に 感嘆声を」
私は大野さん、田宮さん、佐々木さんと4人合い部屋でいびきのかきあいし、少々寝不足の一夜を過ごしました。朝起きて朝風呂に入り部屋に帰ったころ、ホテル12階の窓から雪に覆われた飛騨高山の街を見ました。その後飛騨の小京都といわれる上三之町の古い街中を散策散策したり、日本三大朝市といわれる朝市を見学して回りました。伝建地区の古い家並み、代官屋敷跡など思い出に残る風情でした。
代官屋敷跡の門前で若き日の山岡鉄舟の銅像を見ました。鉄舟といえば勝海舟、高橋泥舟と共に三舟といわれた傑物です。わが家にも「この槌は宝打ち出す槌でなし のらくら者の頭打つ槌」という鉄舟の掛け軸がありますが、予期せぬ鉄舟銅像との出会いに少し心がときめきました。
街歩きでちょっとしたハプニングがありました。町歩きの途中でみんなとはぐれ、北原さんと二人で縁起物の「さるぼぼ」を、民芸店で買い求めようと散策している途中、まだ開いていない蜂蜜を売る専門店の入り口で中を覗こうとした瞬間、硬く凍ったアイスバーンで足元を掬われ滑り転げてしまいました。持っていたカメラも無事、体も尻餅程度で事なきを得ましたが、笑うに笑えぬ失態でした。そういえば買ったばかりのアイゼンを使わず散策していました。大笑いです。