〇来年は辰年
子・牛・寅・卯・辰・巳・午・羊・申・酉・戌・亥と12匹の動物が続く干支は、(子⇒鼠・丑⇒牛・寅⇒虎・卯⇒兎・辰⇒竜・巳⇒蛇・午⇒馬・未⇒羊・申⇒猿・酉⇒鳥・戌⇒犬・亥⇒猪)と、日ごろ使っている漢字とは違っていて、漢字の読み方や書き方が難しく、また干支と十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)を組み合わせ、奇数番同士、偶数番同士の組み合わせで合計60の組み合わせができる太陰暦は、凡人の私には余りにも難解な内容なのです。中国の戦国時代(紀元前5世紀頃)に発展した五行説では「万物を木・火・土・金・水に分類し、その相互の働きによって生成発展する」と考えられていました。十干については甲と乙を木、丙と丁を火、戊と己を土、庚と申金、壬と癸を水に分け、さらにそれを陽(兄(え))と陰(弟(と))に分類するのです。読み方は甲は「木(き)の陽(え)」で「きのえ」、乙は「木(き)の陰(と)で「きのと」となるのです。高校球児の憧れである甲子園は、1924年(大正13年に)できたので、その名前がつけられました。その60年後に暦が一巡したのが1984年(昭和59年)なので、次の甲子(きのえね)は2044年(平成56年)ですから33年後です。私の只今の年齢67歳に33年を加えると私は100歳です。とてもそんなに長生きは出来ないだろうと思う反面、よし100歳の甲子(きのえね)まで生きてやろうと思ったりするのです。
12支はどうやって決まったのか?、色々な逸話が残っています。昔猫を加えた13匹の動物が競争をしました。その結果一着は鼠でした。順次ゴールしましたが12着は猪だったため12支になったのだそうです。その原因は猫がレースの日を間違えて参加せず失格になったというのですが、こじつけのような話です。
私の友人の砥部町で車の修理工場を営む稲葉真光さんから、今年も砥部焼きの干支が届きました。稲葉さんは毎年年末になるとこのように、来年の干支の置物をプレゼントしてくれるのです。わが家にはあちらこちらから毎年いただく干支の置物がありますが、八瑞窯の白潟八洲彦さんの作品は作家さんの人となりを知っているだけに、どこか嬉しい贈り物として玄関先に飾るのです。白潟さんは私より5つ年上の1939年生まれです。私が青年団活動に入った駆け出しの頃、白潟さんは愛媛県青年団連合会の主要メンバーとして活躍していました。同じ伊予郡連合青年団に所属していたため時折研修会などで出会いましたが、私もその後愛媛県青年団連合会の会長や、四国四県青年団連絡協議会会長などを歴任して、いささかなりとも後継活動をやらせてもらいました。白潟さんは1968年に青年海外協力隊に参加してフィリッピン・ソルソゴンにて陶芸指導をしたり、様々な社会活動をしてこられました。
昨年いただいた兎の干支はお月様と二匹の兎がテーマでした。今年のテーマは空想の動物辰だけにどんなテーマだろうかとワクワクしながら中を開けて見ると、「雲中の辰」というメモが入っていて、白磁の見事な置物でした。早速孫たちと干支送りをしようと相談し、お月様と二匹の兎の置物を片付けて雲中の辰を置きました。雲の中を昇るが如く運が開けることは、この歳ですから望むべきもありませんが、せめてイーブンパーで退化しないようにだけはしないといけません。
わが家には一人辰年がいます。息子嫁のあゆみさんです。辰年の性格がどんなものかは分かりませんが、まあ穏やかな性格で、何の問題もなく過しています。同居を始めて早いもので8ヶ月が経ちました。今は2歳の息子の養育のため自宅にいますが、来年は二人の子どもが保育園に通えるので、実家の経営する喫茶店に復職して働きたいといっています。妻もそろそろ退職する意向なので、わが家の人間環境構図がかなりか変わるものと思われます。家族のいい人間関係を保ちつつ来年もいい年でありますように・・・・・・。
「干支送り 兎から竜 置物で 来年占う いい年頼む」
「来年は 私の年と 嫁は言う 何かにつけて 張り切り過ぎて」
「太陰の 暦いちいち ごもっとも 日本の季節 暦と合わず」
「辰だけが 架空動物 見たことも ないゆえ思う タツノオトシゴ」