人間牧場

 

〇人間牧場での餅つき

 人間牧場ですっかり年末恒例行事となった餅つきの噂を聞きつけ、日ごろ何かと私的に交流している、ほたるの里の西岡栄一さんから数日前、自分が作ったというもち米が紙袋に入れて2袋、何と60キログラム1俵も届きました。また一山越えた大洲市田処に住む年輪塾塾生の亀本耕三さんからもち米を洗ってかし、ヨモギも茹でたのを持って行くと連絡がありました。さらに西予市野村町山奥組のわが蜜蜂の師匠から、粟とキビを餅にできるように調合して参加する旨のメールが、年輪塾メールで小番頭松本さんに届いていました。内子町小田の商工会女性部長さんからは餡子の差し入れまでありました。いつもの事ながら多くの人の善意に助けられて、餅つきの準備は前日までに全て順調に進められました。
 妻は西岡さんからいただいたもち米を、前々日の夜洗ってポリバケツにかしてくれ、私もモロブタセイロと蒸し器、竹ザル、下敷き布巾、それに水用のポリタンクを2個全てを倉庫から取り出して、寒風吹く中で水洗いし用意万端整えていました。餅を入れるプラスチックパックと餅取り粉は妻が買って準備をしてくれました。

 

勇ましく腕まくりで手臼をする私

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前7時までにそれらを軽四トラックに積み込み、昨日の朝は冷え込んだので朝食を済ませて、少し厚手の服を着込み8時に自宅を出発しました。国道沿いでは市役所支所の職員さんがボランティア活動の一環としてゴミ拾いをしていました。顔見知りの職員さんを見る度に、短めのクラクションをあいさつ代わりに鳴らして通り過ぎました。
 人間牧場に到着すると、ピザ釜を製作してくれた戸田さんが、既にピザ釜に火を入れて準備が整ったので、手羽先を試験的に焼いているようでした。私はは釜を洗い持参したポリタンクの水をは釜一杯に入れ、かまど二つに杉葉を焚き付けにして火を焚き始めました。持参した竹ザルにポリバケツにかしていたもち米を移し、4つの蒸し器セイロに下敷き布巾を敷いて入れ、かまどにかけました。30分もすると蒸し器せいろのあちこちから蒸気が勢いよく噴出し、暇を見つけて洗った臼や杵も整って、人の来るのを待ちました。

臼と杵で餅つき

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのうち県内各地から子どもを含めると30人近くの人が集まり、賑やかな餅つきが始まりました。私が手臼を一人でしなければならないので、かまどの世話はもっぱら青木晴美さんに任せっきりになってしまいましたが、青木さんは要領を得ていて全てを一人でこなしてくれました。つき上がった餅は田処組にえひめ地域政策研究センター研究員河野さんの奥さんも加わって、テキパキと小餅に丸められました。それを45個のポリパックに白餅、粟餅、キビ餅、みかん餅、ヨモギ餅、餡子餅と色とりどりを50個近くも作りました。これは参加者のお土産用と禽獣へ配るためです。
 それぞれつまみ食いをしたり餅つきをしたりして、昼ころまでいい交流ができましたが、田処組が持参してくれた手づくりの豆腐とコンニャク、そして美味しい手づくりの漬物類を食べながら、来年4月に行なうことが決まっている田処大杉年輪塾の内容が、チラシで発表されました。一区切りついた2時半に中締めして流れ解散となりましたが、寒かったものの水平線の家も今年初めてストーブが焚かれ、中はポカポカでした。

餅とり風景

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青木さん、浜田さん、松本さんと私の4人で全てを片付け、日ごろお世話になっている
近所周りに餅を一パックずつ配り、お礼に紅まどんなという高級みかんまでいただいて自宅へ帰りました。使った道具類を水荒らして夕観所に干し、餅をあちこちに配って長くも短い一日の作業を日暮れと共に終えました。青木さんからお礼のメールが携帯に入り、また亀本さんからは一足早いメールが届いています。年輪塾も今年で4年が終りました。来年春早々には金子みすゞの故郷へ修学旅行をする予定だし、4月には田処大杉年輪塾、7月には宇和島藩年輪塾、そして9月には地域づくり全国大会と、ハードな計画が進められようとしています。「人でも仕事でも愛する所に集まってくる」は私の持論ですが、今年も充実した年輪塾であったと、後片付けをしながら一人思いました。

 

  「手臼した 手の平未だ 火照ってる 余韻残して 餅を食うなり」

  「夜遅く お裾分けした 餅御礼 独居老人 電話がかかる」

  「粟やキビ それにヨモギと みかん餅 まるで信号 彩り添えて」

  「「持参した 豆腐コンニャク 手づかみで 口に頬張る 野趣も豊かに」

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