人間牧場

〇中国の古書「大学」を読む

 古いことなので日時までは正確に覚えていませんが、出張に行った帰りに大阪梅田の古本屋で古い古いノジの抜いた一冊の「大学」という本を手に入れました。その本が手元にありながら、「一家仁一國興仁一家譲一國興譲一人貪戻一國作亂其機如比」という二宮金次郎の銅像が読んでいる一節しか、読めず意味も理解できない私ですが、いつかこの難しい本を読んでみたいと思いながら20年以上も時が経ってしまいました。ところが先日私の親友で大の読書家である年輪塾塾生第1号の浜田久男さんから、思いもかけず「大学・中庸」という一冊の文庫本をいただきました。いただいたころは忙しくてその本も無造作に私の書斎の隅に積んどいていましたが、先日机の周りを整理していて目に留まり、早速中を開いて少し読んでみました。中には大学の読み方と意味が解説されていました。直ぐに今は台所となっている私の書斎だった部屋に行き、あの古本屋で手に入れた古い「大学」という本を取り出して、浜田さんから貰った本と付け合せながら読み始めました。

大学の一節

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二宮金次郎が読んでいる本の一節の頭の部分に、「右傳之八章釋修身斉家」とあるので思わず、八章と九章を勘違いしてしまいました。つまり縦書きゆえ項目目次は右と書かれているのですから、之まで述べてきたことの総論で、「以上が伝の八章である。八項目のうちの身を脩と家を斉うとを解釈したのである」と読めばいいようです。
 最初から難解厄介です。でも少しずつ読み解こうと思っています。漢文はレ点や一、二など返して読まなければならず、中学や高校で習ったことはもうすっかり忘れていて、浜田さんからいただいた本が頼りのようです。

 さて「一家仁・・・・」で始まる二宮金次郎の読んでいる本の前文、「所謂治國必先斉其家者其家不可教而能教人者無之故君子不出家而成教於國孝者所以事君也弟者所以君也弟者所以事長也慈者所以使衆也」
 「康誥日如保赤子心誠求之雖不中不遠矣未有学養子而后嫁者也」

 謂わゆる国を治むるには必ず先ず其の家を斉(ととの)うとは、その家に教うべからずして能く人を教うる者はこれ無し。故に君子は家を出でずして、教えを国に成す。孝とは君に事(つか)うるゆえん(所以)なり。弟とは長に事(つか)うる所以(ゆえん)なり。慈とは衆を使う所以なり。康誥(こうこう)に曰わく、「赤子(せきし)を保(やす)んずるが如し」と。心誠にこれを求むれば、中(あた)らずと雖(いえど)も遠からず、未だ子を養うことを学んで而(しか)して后(のち)に嫁ぐものは有らざるなり。

 いやあ難しいことです。まず書かれている漢字をパソコンの部首索引で探して見つけるのに、こんな短文なのに一苦労でした。そして読み方の本を引用して読むのですが、これがまた難しく、結局は解説まで到達しないまま時間切れとなって、ブログの記事は中断と相成りました。この九章の続きは正月休みにでもと考えています。

  「漢文の 文字を探すに 一苦労 一画二画 部首を数えて」

  「八章と 思っていたが 九章で いきなりのっけ 勘違いする」

  「解読は 当分先と 腹くくる 急がず少し 慌てず少し」

  「大学に 行ってないのに 大学を 読むは無謀と 分かっているが」 

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