人間牧場

〇標高634mの明神山に登る(その2)

 翠小学校から柆野の集落に至る道沿いには、上灘88ヶ所といわれるミニ四国の石仏が存在します。この数年公民館の赤石主事さんと宮栄館長さんが中心になって、その存在が突き止められ、あと一つの石仏所在が不明だけに漕ぎつけたようですが、近々にその遍路参りも計画したいと夢を赤石さんと語りながら、時折石仏に手を合わせながら登って行きました。
 土俵という明神山の入り口から薮のような登山道に分け入りました。最初の計画では明神山の北側からアタックするはずでしたが、不案内で道が分からないため、裏登山道である犬寄側からのチャレンジです。この道は何年か前、公民館の企画で子どもたちが赤石さんたちと登山しているため、道沿いの木々には、道しるべのために巻いたと思しきビニールテープが確認できました。しかし山道に不慣れな赤石さんも、一度通った道を覚えていなく、またあれから何年も経っているため、シダや雑草、小枝に行く手を阻まれました。

明神山の山頂にて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでも10日後の子どもたちの登山に支障がないようにどうにか道を確保し、杉林を抜けて、約6キロの山道を大汗をかきながら登り、翠小学校を出てから約3時間弱で、ついに念願の明神山の頂上に4人で立ちました。
 登山道からや頂上からの眺望を楽しみにしていたものの、時折樹間から眼下を走る四国縦貫自動車道辺りが見えるものの、残念ながら瀬戸内海の眺望は見えず終いでした。
頂上には神仏混合の祠があって、石碑を見ると建立は江戸時代のようでした。また祠の裏には南無妙法蓮華経の石碑も立っていて、少し違和感を感じました。
 山頂の祠の近くに腰を下ろし、4人で宮栄館長の奥さんが作ってくれた握り飯弁当を食べました。握り飯やペットボトルのお茶はとても美味しく、喉と胃袋を存分に満たしてくれました。

 かつて私は、双海町の背後に聳える971mの壷神山、730mの黒山、896mの牛の峰山、187mの本尊山、高さを思い出せない秋葉山に登っていて、残りは634mの明神山だけが未踏だったので、奇しくもスカイツリーのできた記念の年に、これでやっと念願の全山登山ができました。もう10年以上も前に双海町の海外派遣事業でニュージーランドやオーストラリアに同行した夏芽ちゃんや真理ちゃんと、町内の全山をアタックする計画を立て、黒山や牛の峰山にアタックしましたが、その後彼女たちが結婚したため、その計画は立ち消えになっていました。
 私は下山するに当たって、山頂から記念の通話をすることを思い立ちました。とりあえず市役所の松本宏さんに電話を入れ、運よくつながることができました。12月10日の登山予定日が天候に恵まれ、スカイツリーと同じ高さの明神山に子どもたちの歓声が聞こえることを祈っています。私はこの日残念ながら鳥取県伯耆町と大山町への講演が予定されていて留守となります。
 30分余りで土俵まで下山、し西岡さんと宮栄さんの車に同乗し無事下準備の登山を終えました。

  「念願の 明神山に 登山する これで全山 踏破しました」

  「記念にと 山頂辺りで 電話入れ 仲間と通話 よき思い出に」

  「十日後に 子どもの歓声 聞こえそう そのころ私 山陰辺り」

  「日ごろから 裏山散歩 お陰にて 足腰痛く ならずに済みて」

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人間牧場

〇標高634mの明神山に登る(その1)

 東京オリンピック以来、日本を象徴し続けてきた東京タワーは333メートルです。ところがつい最近はあれ程持て囃された東京タワーの影が薄くなりつつあるようです。それはスカイツリーというギネスブックで世界一と認証されたタワーが完成間近となって、当然話題がスカイツリーに集中しためなのです。スカイツリーの高さは東京タワーをはるかにしのぐ634mですから、脅威の高さとしか考えられず、改めて日本人の技術力の素晴らしさや技術進歩の速さに目を見張るのです。
 東京タワーも333と語呂合わせが良くて、物覚えの悪い私でも直ぐに覚えましたが、スカイツリーも東京が昔武蔵の国と呼ばれていたこともあって、語呂合わせで634(ムサシ)という覚えやすい高さになっているようです。

 私たちが子どものころ、頭が悪く物覚えの悪い私たちのために社会化の先生は、年号や高さを語呂合わせで教えてくれました。双海町には幾つかの山がありますが、最高峰壷神山は971mを(クナイ)と覚え、黒山は730m(ナミオ)と覚えました。また牛の峰山は896m(ヤクロー)、明神山は(ムサシ)と覚えました。そんなこともあって、スカイツリーの話題が出てきた時、ムサシという語呂合わせにいち早く反応して気付いたのは私でした。早速子ども体験塾のメニューに、「双海のスカイツリー明神山に登ろう」という企画を織り込みました。最初は海抜ゼロmから歩いて出発しようと、海沿いの道を高野川側から昇る計画を立てましたが、調べてみたものの残念ながらそのルートは殆んど未踏破で道がなく、断念せざるを得ない状況でした。

出発地点の翠小学校前

 

 

 

 

 

 

 

 

三島~岡~日尾野~くい野への県道

 

 

 

 

 

 

 

 

くい野坂の入り口付近

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 登山計画は12月10日の予定で、だんだん日は迫るもののルートが決定せずみんな悶々の日々でした。そこで昨日はこの登山プログラムの責任者をお願いしている西岡さんと宮栄公民館長さん、それに担当の赤石公民館主事さん、それに実行委員長の私と4人で事前登山をすることになりました。私と赤石さんは二人で出発地に予定している翠小学校から柆野を経由して犬寄の土俵という場所まで歩いて時間を計測しました。登山道の入口となる土俵で先着車で到着した二人と合流し、登山道に分け入りました。
 宮栄さんも西岡さんも70歳を越しているというのに、さすが農家の出身だけあって、長い柄鎌で道を覆っているシダ類をバッサバッサと切り分けて進みました。歳の若い私も柄鎌で掃除をして進みましたが、赤石さんなどは非農家なのでなすすべもなくただ後をついて歩き、時間をメモしたり、休憩場所を確保したりする程度しかできませんでした。

  「十日後の 子どもの登山 下準備 柄鎌を持ちて 前へと進む」

  「里山は どこへ行っても 荒れ姿 心寂しく 獣道行く」

  「俺たちに 負けじと動く 人たちは 筋金入りで 真似もできぬわ」

  「毎日の 散歩のお陰 足腰も 疲れを見せず 山道歩く」 

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人間牧場

〇人間牧場で考えられるツーリズム

 先日翠小学校で開かれたサイコーダイガクの中間発表会に出席し、及ばずながらパネラーとしてステージに上がらせてもらいましたが、海・森・夕日などを組み合わせたツーリズムを3(サン)セットツーリズムと呼ぶ発想は面白いと、富田地域支援員の話を興味深く聞きました。昨日の夜それらの資料を片付けていると、当日時間が押していて議論のできない多少の苛立ちを隠しながら、いただいた封筒の裏側に走り書きをしたメモを見つけました。これは他のパネラー人の話を聞きながらよくやる私の癖で、後で見ると案外面白いヒントが隠されているのです。その走り書きには次のようなことが書かれていました。

 人間牧場でやってみたいツーリズムメニュー
  ・かまどご飯と味噌汁
  ・甘夏みかんと天草で手づくりスイーツ
  ・梅酒と梅干づくり
  ・フキの佃煮づくり
  ・野草薬草の天ぷら
  ・サツマイモ堀とサツマイモ料理
  ・コンニャク作り
  ・蜂蜜採集
  ・かぼちゃスープづくり
  ・四季トッピングピザ焼き体験
  ・魚のスモーク

 これらを毎月10組限定で受け入れる。会費毎回3千円くらい、かまどご飯を除いて毎回おにぎり3個を持参する。作業後2話の落伍ライブを行う。テキスト夕日徒然草2千円は別料金。
 これらのメニューの中には人間牧場で既に、研修会などで実証済みのものもあるので簡単にできそうです。仲間内とこれらのメニューを毎月楽しむこともできるのです。田舎暮らしは考えて行動すれば幾らでもアイディアが出てきます。妻もそろそろリタイアの時期になっているので、夫婦でせいぜい余生を楽しみたいと思います。

  「研修会 ステージ上がり 別のこと 考え封筒 裏にメモする」

  「サンセット ツーリズムとは 面白い 早速メニュー 考えました」

  「あれやこれ 思い巡らす 夢楽し 来年こそは 実践したい」

  「かまど小屋 ピザ釜加え 揃い踏み 感度は何を 考えちゃろか」

 

 

 

 

 

 

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人間牧場

〇青い空を歩いてみたい

 昨日は前日までの荒れた寒い天気がまったく噓のような、青い空が晴れ渡った快晴の一日でした。昼過ぎ「一日三枚のハガキを書いたら幸せになれる」という言葉を信じて今でも実践したいる三枚のハガキを書き終わったので、孫たち二人を誘い郵便局までの500メートルの道を散歩がてら出かけました。交通量の少ない裏道を時には「ファイト・ファイト」と掛け声をかけながら走ってみたり、道端の木の実を拾ってみたりしながら楽しく歩き、郵便局前のポストへ希心君が2枚、奏心君が1枚それぞれ入れてくれました。帰りに親類へ立ち寄ったり、おばあちゃん(妻)の勤める歯科医院に立ち寄ったりしながら歩きました。保育園前まで帰ると息子嫁が「天気が良いのでシーサイド公園まで砂遊びに行こうと誘い、4人で出かけることにしました。

 久しぶりのシーサイド公園は昨日までの荒れた天気で砂浜にかなりのゴミが漂着していて、馴染みの人夫さんが一生懸命キャタピラー車で忙しそうに集めていました。息子嫁が車に砂遊びの道具を積んでいるのを降ろし、息子嫁と孫二人は砂浜で砂山を作ったり、遊び道具で砂を固めて色々なキャラクターを造りひと時を過ごしました。私が店に顔を出すと「みかんをお食べ」「タコをあげる」と色々なものをいただきました。私も急いで自宅へ引き返し家庭菜園から小松菜、大根、チンゲンサイ、コカブなどを引き抜き、野菜をプレゼントして大層喜んでもらいました。
 再び砂浜に下りて辺りを長閑に散歩しました。手持ちのデジカメで何枚か芸術写真?を撮りました。

題「青空を歩いた私」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
作品「月面の砂浜」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
作品「渚の足跡」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 デジカメは具象的に遊び半分に使うと面白い作品が沢山幾らでもできて、「私はひょっとしたらカメラマンになれるかも?」と思うほど、新しい発見があって遊び心は中々楽しいものです。今度はじっくり遊び心を楽しみたいと思っています。
 そうこうするうちに、孫たちが「おじいちゃん遊ぼう」t私の遊び心を現実の世界へ引き戻してくれました。
 
砂と戯れ遊ぶ親子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  「公園の 砂遊びする 親子連れ 晩秋日差し 影を落として」
 
  「デジカメを 使って遊び 心にて 色々写真 撮って楽しむ」
 
  「公園の ベンチに座り 海を見て 日がな半日 のんびり過ごす」
 
  「ああ今日も 幸せだなあと 感謝しつ 海空眺め 嫁孫眺め」 
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人間牧場

〇年輪塾二宮尊徳公開セミナー(その10)

 昨日の昼ころ、4~5日前からぎっくり腰をを患っている妻を、伊予市本郷の松本整体へ連れて行こうと思い、妻を乗り降りが比較的楽と思われる、軽四トラックの助手席に乗せ出発しました。本当は仕事も家事もささせずゆっくり家で養生させたいのですが、勤めている近所の歯科医院は零細で、妻が休めば病院が回らないとあって、昨日は夜の部の診察までの午後の休み時間を利用しての受診となりました。
 自宅から僅か100メートルほど走り県道に出ると、一台の車が追いかけて来ました。バックミラーで後ろの車をよく見ると、助手席に座っていた女性が何やら手を振っているのです。知り人かも知れないと、こちらも運転しながら後に向かって手を振りましたが、どうやら何か用があって車を止めるよう手を振っているようにも思えたので、200メートルほど走った所で車を路側に停止しました。中から親友岡崎直司さんが出てきました。西予市宇和町の岡崎さんとは、数日前開いた年輪塾の公開セミナーで出会ったばかりなので、何事だろうと思いきや、岡崎さんは白いコピー用紙を3枚私に手渡し、私が急いでいることもあって立ち話程度でご夫妻と別れました。

 整体医院に妻を連れて行き、診察や治療をしている約40分の間、私は駐車場に止めた軽四トラックの運転席で、岡崎さんからもらったコピー用紙をじっくり読ませてもらいましたが、11.11.19年輪塾・中桐万里子氏講演会「実話 子孫が語る尊徳の教え」というタイトルで、先日の公開セミナーの講演の内容がパソコン文字で詳しく記されていました。3枚にわたるメモは、まるでテープ起こしをしたような微細なもので、私が当日資料の裏表紙に真っ黒になるほどメモした以上に正確でした。岡崎さんは路上観察の達人で、また近代化遺産についても詳しく、性格が几帳面な方なのでメモもしっかりして、とても参考になるものでした。別れ際「いい講演を聞かせてもらってありがとうございました」とお礼を言ってくれましたが、岡崎さんも只者ではないと思いました。

 診察と治療の終った妻を乗せ2時過ぎ自宅へ帰って来ましたが、私はこのペーパーを電子保存するためパソコンのスキャナーを使ってピクチャーに入力しました。こうしておけば必要な時取り出せるのです。紙類の資料は私の場合、どこへ置いたか忘れてしまい探すのに一苦労ですが、便利な世の中になったものです。

岡崎直司メモP1
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
岡崎直司メモP2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
岡崎直司メモP3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  公開セミナーの当日は、開会式のあいさつや鼎談のファシリテーターなどの取りまとめや運営全般の責任もあって、カメラで写真を写すのも移動するのもままならなかっただけに、とてもラッキーなメモなので、これからじっくりと読んで、今後の活動に生かして行きたいと思っています。岡崎さんありがとうございました。
 
  「詳細な メモをパソコン 文字にして 届けてくれた 友人嬉し」
  
  「世の中にゃ 耳正確な 人がいる まるでテープを 起こしたように」
 
  「当日は 他に仕事が 多過ぎて 私のメモ等 意味も分からず」
 
  「折角の ご好意ムダに せぬように スキャナー使い 保存しました」
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人間牧場

〇行かないと来てもらえないことは当たり前

 この一ヶ月間は毎週のようにシンポジウムや研修会、講演会が持たれ、その都度パネラーやファシリテーター、講師等の役目をもらい、その都度それらの役割に沿って役目を果たしてきましたが、それなりに充実はしていたと振り返るものの、いつも私の傍で私の顔色をうかがいながら暮らしている妻から見ると、少しお疲れモードのようだと注意を受けました。自分では気付かない自分の体調を予兆する洞察力は、さすが結婚生活40年を超えた連れ添いだと納得しながら、体調維持のために工夫して作ってくれる食事を食べたり、寸暇を惜しんで散歩や体操を心がけていますが、この数年、毎年年末から年始にかけて風邪やぎっくり腰で体調を崩すパターンが多いため、気をつけなければなるまいと、自分自身に言い聞かせている今日この頃です。

 さてさてそうこういいながら私の元には、毎週のように研修会や催しの案内が届くのです。都合のいい人たちは自分の催しにきてもらうことだけを狙って案内しますが、「行かないと来てもらえない」ことは鉄則で、いつも目と心を配りながら他の人の催しには少し無理をしてでも顔を出すようにしないと、深い人間関係は生まれないのです。そのため私たちのような地域づくり人は忙しく日々を過ごすのです。
 年輪塾の小番頭の松本さんも、高知県馬路村年輪塾の木下さんも、また大洲田処大杉年輪塾の亀本さんや西田和子さんも、少し無理をして少し背伸びをして感心するほど各地に出没をしているのです。それはただ参加だけではなく、次の何かを求めようとする行動なのです。木下さんは参加して気付いたことを最初は手の平に真っ黒になるほどボールペンでメモしていました。ヒントは得てして、酒を伴った交流会の席などで思いつくものです。手の平のメモも今では携帯電話という優れものに変わり、自分自身にメールしておくと、いながらにしてアイディアやヒントは自分の元へ届くという算段です。これは松本さんも同じ方法を取っているようです。

 一昨日の研修会でプログラムの時間が押して、結局は20分ほど終了の時間が遅れてしまいました。私はこれまで色々な研修会を主催してきましたが、極力というよりは絶対に始める時間と終る時間を守るようにしています。行政がらみの研修会は開会の時間も終る時間も意外とルーズで、参加者に何の断わりもなく平気で時間を延ばします。時間は参加者との約束事ですから、安易に破らないようにしなければならないのです。特に終る時間は主婦などにとって夕食の準備等もあるでしょうから守ってあげたいと思うのです。
 先日の年輪塾公開セミナーでは、そのルールを冒頭のあいさつで私が破ってしまいました。想いが強過ぎてあいさつを10分もしてしまいました。その分私がファシリテーターを務めた鼎談で取り返し、終る時間をばっちり時間通りに終えました。これからも時間だけは有効に使い、時間だけは厳守したいと思っています。

  「行かないと 来てもらえない このことを 肝に銘じて これから先も」

  「気付いたり 閃くヒント メモをする 携帯使い 自分に送る」

  「始めるも 終るも時間 守るべき 約束なので 当たり前です」

  「お父さん お疲れモード 気をつけて 妻の注意を 反芻しつつ」

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人間牧場

〇サイコーダイガク

 「最高」「再興」「再考」という文字を掛け合わせたサイコーダイガクの中間発表会が、昨日翠小学校体育館で開かれました。4日前の先週の土曜日にも翠小学校のオープンスペースを利用して、年輪塾の公開セミナーが開かれ二宮尊徳について語ったばかりで、会場となった翠小学校は、このところ学校施設ながら休みは、すっかり地域づくりの拠点になっているようです。
 数日前愛媛新聞の広告欄に、公開セミナーの予告記事と一緒にサイコーダイガクの予告広告が出ました。中小機構四国が出した広告が余りにも大きく扱われていたため、うっかり見落とすほどでした。二日前所用で地域事務所へ立ち寄ったところ、サイコーダイガクの担当者たちが準備に追われていました。ついでに「何人ぐらい来る予定?」と尋ねたら、「百人ぐらいは来て欲しい」と希望の人数を答えていました。ワークショップに参加している人数からして「それ程は来ないだろう?」と、半信半疑で聞き流していました。

数日前愛媛新聞朝刊広告欄に掲載されたサイコーダイガクの予告

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨日はあいにくの雨模様の一日だったので、参加人数が危ぶまれましたが、開会前の13時に会場へ足を運んでみると、翠小学校の運動場には車の整理のためにガードマンまで配置される物々しさです。加えて局長や市長といったお歴々まで足を運ばれ、私の予想をはるかに超える百人近い人数が集まって大盛況でした。
 プログラムは三分構成で、食総合プロデューサー金丸弘美さんの「地域活性化につながるビジネスについて」と題した講演、伊予市・双海プロジェクトの中間発表と討議、4人によるパネルディスカッション「双海発のビジネスを考える」でした。
 連日のように私のメールに入って来ている、金丸さんの活躍の様子を見聞きしているので、金丸さんの話を楽しみにしていました。全国の事例を沢山パワーポイントで紹介しながら、参加者に宝の存在とビジネスヒントを投げかけてくれました。

 

ステージから眺めたシンポジウム会場

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この半年ワークショップで話し合いながらまとめた、旅行プランを武智さん、上田さん、富田さんの三人がグループを代表して登壇し発表しました。関わった私としては内容的にかなり練られた、そして発表のテクニックも抜群だったように思いました。
 パネルディスカッションはジェイアール四国アーキテクッの東矢英二さん、愛媛大学の井口梓さん、それに地元代表として私が登壇し、邑都計画研究所の前田さんがコーディネーターを務めました。時間が押し気味で討論は僅か1時間弱なので、それぞれ深い話は出来ませんでしたが、まあそれなりに話せ、私たちのメッセージは伝わったのではないかと思いました。
 終了後はピザ釜工房に会場を写し交流会が持たれました。私はは家からの電話が直前になって入り、急遽帰る羽目になって交流に参加することは出来ませんでしたが、矢野憲子さんに手づくりの米煎餅までいただき、余韻を残してしまいました。
 今回の公開シンポジウムは中間発表なので、今後の発展が期待されますが、行き掛かり上最後まで仕上がりを見届けるため、忙しい寸暇を惜しんで今後もワークショップには参加したいと思っています。

 

今朝の愛媛新聞朝刊経済面に掲載された昨日の様子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「学校を 使って再三 会議する これもビジネス 学校開放」

  「三時間 三分割し それぞれに 時間足りなく 尻切れトンボ」

  「ピザ工房 連日満員 盛況で これもビジネス お金が落ちる」

  「サイコーを 最高・再興 再考と 語呂を合わせる さ・・あ・い・こ・うかな」

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人間牧場

〇交流会と朝飯会(その7)

 最近は殆んどのまちづくり研修会に、交流会と称する呑み会がついています。かつては湯水の如く酒を飲んでいた私ゆえ、むしろ研修会より交流会が楽しみでした。しかし胆のう摘出手術をして酒をきっぱり断った10年前の2001年からは、むしろ交流会が重荷のようになりつつあります。それでも交流会の参加費が惜しいのかと言われそうだし、研修会には殆んど役目役割が用意されているので、多少無理をしてでも参加をするようにしています。交流会はもっぱらウーロン茶で過ごしていますが、酷い時は二次会、三次会までウーロン茶で付き合わされることもあり、研修会では余り疲れないものの、さすがに後の会で疲れてしまうのです。

 

ふれあいの館での交流会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし今回の二宮尊徳公開セミナーは、年輪塾にとって二年に一度の大事な研修会なので、潮風ふれあいの館で開いた交流会も、その後会場を移動して食堂で開いた2次会もしっかりと参加しました。何せ交流会の中心メンバーが潮風ふれあいの館に宿泊して、じっくり酒を飲める条件が整っているので、まあ皆さんは大いに盛り上がって、二日酔いになるほど飲んでいました。酒を飲んでいたころは「酒を飲まなくてまちづくりは語れない」などと豪語していたのに、今では「酒を飲まないと語れないようなまちづくりはするな」なんて都合のいい話をしながら、講師の酒豪と思しき中桐万里子さん、鷲山恭彦さんを囲んで、夜の更けるのも忘れて大いに呑み大いに語りました。公民館の赤石主事さんなどは酒に酔った勢いで、ちゃっかり絆プロジェクトの寄付を依頼して、中桐さんや鷲山先生の懐から財布を引き出たせていました。

 今回の公開セミナーにはもう一つおまけがついていて、明くる日の朝人間牧場でかまどで炊いたご飯を食べる、朝飯会が計画されていました。清水塾頭と松本小番頭たちの今回の公開セミナーの苦労を思えば、朝飯くらいはと気軽に引き受けたものの、前の晩から妻に四万十市西土佐の和田さんから、この日のために送られてきた山間米を研いでもらい、また味噌汁の出汁用煮干、豆腐、ワカメ、ネギ等の具材を切って用意してもらいました。田舎のオープンカーに満水した水タンクと具材を積み込み、朝6時に家を出発しました。浜田さんと稲葉さんが手伝ってくれるというので、余り期待せず期待していましたが、浜田さんは前夜の酒が残っていたのか、道に迷って人間牧場へ辿り着けず、再三再四携帯を入れて、忙しく振舞う私の邪魔を大いにしてくれました。稲葉さんは自分のPRの準備が忙しかったようで、これまた余り役に立ちませんでしたが、ハスイモの茎を味噌汁に入れたり、塩揉みお葉づけなどを作ってくれました。

かまどで炊いたご飯と味噌汁を食べるご一行様

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かまどに火を入れて飯を炊き、味噌汁ができた頃合いを見計らうよう、に一行10人が人間牧場へやって来ました。清水塾頭は中桐さんを空港へ送るため欠席しましたが、鷲山さんご夫妻と青少年交流の家の新山所長さんなど、宿泊組の主だった人はかまどご飯と味噌汁、それに漬物と梅干だけのシンプルなメニューながら朝飯を、はがまが全て空になるほど、存分に食べていただきました。
 私にとってかなりハードな二日間は、参加した殆んどの皆さんの心に満足感を与えて無事終ることができました。中桐さんの言ったハラハラ・ドキドキに、私の言うジーンを加えたような研修会でした。手づくりに徹し、もてなしに徹し、そして感動商法に徹した研修会は、私たち企画運営に携わった人間の心に、大きな新たな力を与えてくれました。皆さんありがとうございました。

  「研修じゃ 疲れないのに 交流会 何故か疲れる 俺も歳だな」

  「飲むほどに 酔うほど元気 人もいる 酒は心を 開いてくれる」

  「朝飯を 作る手伝い するはずの 人がかえって 手間を取らせる」

  「手づくりと もてなし徹し 研修会 感動商法 力を得たり」

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人間牧場

〇七代目の子孫中桐万里子さんの語る二宮金次郎(その5)

 中桐万里子さんの話を1時間30分にわたって聞きました。年輪塾公開セミナーの資料には残念ながらメモの用紙がなかったので一番後ろの年輪塾と書いた裏表紙の空欄に、聞いたことを真っ黒になるくらいメモしました。いつも人の話を聞いてもそんなにメモしない私としては珍しいことでした。そのメモをランダムに列挙してみます。

年輪塾公開セミナーの様子を伝える11月20日付け愛媛新聞朝刊11面地方版
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
・二宮金次郎は小田原に生まれました。粗末な和服を着て背中に薪を背負う姿は貧乏を  連想させますが、生まれた二宮家は村でも二番目の裕福な農家でした。
・16歳で相次いで父母をなくし、ゼロ貧乏となり親類に引き取られました。
・そのころの農村は天災や人災で貧乏になるような時代でした。天災は冷害による飢饉、人災は重い年貢でした。ゆえに農民たちは、幾ら頑張っても生活は一向によくならず、
疲弊し諦めの気持ちが強かったようです。
・二宮金次郎の物語は少年のころの勤勉な暮らしだけが強調され、「その後大きくなって偉い人になりました」で、その後の人生は語られていなかったのです。
・二宮金次郎はどうすれば幸せになれるか、どう生きたらよいかという理想を本に求め、親の影響もあって猛勉強をしました。20代で一生懸命働けば幸せになれるという答を見つけて働き、30代で村一番の大地主になって、30台の半ばで指導者になっていました。
 
70歳で生涯を閉じるまでに600以上の村を復興した人で、遺言は名を残さず行いを残せという教えでした。二宮尊徳は復興の祖です。
・机上の空論を嫌う実行の人で、田畑の実り=自分の力×仲間の力、人間の力×自然の力という数式を考え、人間の力の素晴らしさを見つけていました。
・ふるさとの田畑が荒れるのは、「どうせ非力な人間の力で暮らしはよくならない」という農民が意欲や希望を失うからだと思いました。
・自然は荒地だけしか作り出せないが、人間の力は荒地を美しい田畑にすることができると説きました。
・川が水車を活かし、水車が川を生かすという水車理論によって、バーチャル理論をリアル理論とし、至誠、分度、推譲の三つを考えました。
・従う⇒知る、よく見る、受け入れる。逆らう⇒対策する、工夫する、実践実行する、敵を見方にする(相手を敵視すると疲れる)。
 
・無力と無知は違う。
・ヒントや手がかりは必ず目の前にある。
・農業くらいマニュアルが通じない職業はないようです。実践のエネルギーが生まれるのはまず知ることです。
・ドキドキ、ワクワク感が必要、(私はこれにジーンを加えたい)
・知っているとよく知っているは違う(10円玉は知って毎日使うが、10円玉の絵は書けといっても書けません)。
・あらゆるものが徳を持っているが、全てのドラマは見えない部分にあるようです。
ギブアンドテイクは持ちつ持たれつですが、見返りを求める思想、テイクアンドギブは持たれつ持つという恩返しの発想で、自分の幸せを知ることです。経営の神様といわれる松下幸之助もそれを実践した人です(新入社員を最後に決める言葉は、「あなたは運がいいですか」「はいいいです」でした)。
・二宮尊徳は幸せ探しの達人でした。(ネガティブではなくポジティブ人生だったようです)
・ありがとうの反対語は当たり前。
・実行=勤労(実践、実り)・分度(どれくらい助けられたか、割合)・推譲(分け前を分け合う、備蓄、他の人のために)。
 
 180センチの背丈で94キロの体重だったと聞く二宮尊徳を髣髴するような、174センチのスラリとした体形の中桐万里子さんはやはり二宮尊徳の、DNAを忠実に受け継いだ人でした。37歳ながら話芸も達者で、言葉一つ一つがとても洗練されて聞こえました。講演等をして日々を暮らしている私としては、いささかなりとも足元に及ぶよう努力したいものだと思いました。
 
  「尊徳の 子孫もやはり 達人で 人に納得 するよう話す」
 
  「実践の 伴う論理 夜話勉強 すれど言葉で 聞くは初めて」
 
  「裏表紙 メモで真っ黒 なるほどに 学び数々 心に染みる」
 
  「俺にしか 出来ぬ実践 コツコツ 凡事徹底 今日からはじめ」
 
 
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人間牧場

〇二宮尊徳公開セミナー(その3)

 二宮尊徳セミナーは塾長を務める私のあいさつでスタートしました。あいさつの内容は二宮金次郎像との出会いや大学という本との出会い、そして最近手に入れた二宮金次郎のブロンズ像などの話題を集め、概ね次の通りでした。

 私と二宮金次郎銅像との出会いは、下灘小学校2年生の時でした。校庭の隅に建つ二宮金次郎像を朝な夕な見ていた若松進一少年の疑問は、「二宮金次郎は一体何の本を読んでいるのだろう」という素朴なものだったのです。思い余ってある日のこと、その疑問を確かめようと進一少年は銅像の台座によじ登りました。そこへ運悪く校長先生が通りかかり、「危ないから降りて来い」と怒鳴られ、有無を言わさず校長室へ連れて行かれました。校長室で正座を一時間もさせられた後校長先生は、私に「お前は何であんな所に上がったのか」と問いただしました。「先生、僕は二宮金次郎が何の本を読んでいるか知りたかった」と答えると、「馬鹿たれ、あそこにはいろはにほへととしか書いてない」と言われ、「二度と台座には上がるな。もういいから帰れ」と許されました。
 その後時を経て、愛媛県内の校長先生の研修会に講師として招かれていた女優左幸子さんが急逝したため、私は急遽代役として指名を受け、講師を務めることになりました。その数日前仕事で行った翠小学校の校庭で、小学校二年生の時の金次郎事件を思い出し、再び「金次郎は何の本を読んでいるのだろう」という疑問に駆られ、校長先生の許しを得て台座に上ったのです。金次郎の持っている本には26文字の漢字が掘り込んでありました。浅学菲才で読めない私はこの本を拓本にとり、早速町内小中学校の校長にファックスで送り、読み方と意味を問うたのです。残念ながら五人の校長先生から明快な読み方と内容説明は帰って来ませんでした。友人の教員を通じて県教育委員会の国語の指導主事さんにその答を求めたところ、これが中国の古書「大学」の一節であることが判明したのです。小学校二年生の時校長先生が、「いろはにほへと」だと言ったことは真っ赤な噓だったのです。もしあの時「大学」の一説であることを説明してもらっていたら、私の人生はもっと変わっていたのかも知れないと思うと、悔やまれて仕方がないのです。

金次郎を考えるきっかけとなった今はなき下灘小学校の二宮金次郎像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日私は大阪へ講演に行きました。子育て真っ最中で安月給の貧乏な私は松山~大阪間を、深夜バスで往復しました。講演が終わってバスの時間を待つため大阪梅田の古書通りをうろついていると、ある古書店の入り口付近に陳列してある本の中に、ノジの抜いた古ぼけた一冊の「大学」という本を見つけました。衝動に駆られ手にとって立ち読みしようとしましたが、残念ながら漢字ばかりの本ゆえ読むことはできませんでしたが、ページをめくると二宮金次郎の読んでいる本の一説、「一家仁一国仁興・・・」というくだりが書かれていました。早速店番の若い女性に「一万円の値札がついているが、幾らに負けてくれるか」と問いました。書いたそうな私の足元を見たのかその店員は、「2千円引いて8千円でどうでしょう」というのです。私は「これと同じような本を三軒向こうの店では2千円で売っていましたよ。三千円でどうでしょう」と吹っかけました。素人のようなその店員は私が相当本に詳しいと思ったのでしょうか、「旦那さんが今留守で店番をしていますが、そんなに安く売ったら叱られます。でもお急ぎのようなので言われるとおり三千年に負けときましょう」と、驚くなかれ三千円で商談が成立したのです。新聞がみに包んでもらって受け取った「大学」を私は夜行バスの棚にも乗せず、懐に抱きかかえるようにして大事小事持ち帰ったことを今もはっきり覚えています。あれから自分の宝物として、ほらこのように大事に持っているのです。

 先日私の友人である愛媛大学名誉教授の讃岐幸治先生と、公友会の席でお会いしました。先生とは公民館主事をしていた時代からご厚誼やご指導をいただいていますが、先生はその時紙袋に新聞紙で包んだものを入れ、「これをあなたに差し上げる」といただきました。許しを得てその場で開けて見ると、何と何と小さな二宮金次郎のブロンズ像でした。「あんたが年輪塾で二宮金次郎の勉強会をしているし、近く子孫を呼んで公開セミナーをするようなので、少しでもお役に立てれば」と言われました。涙が出るほど嬉しいプレゼントでした。ひょっとしたらこのブロンズ像は県内183体目の金次郎像になるかも知れないと思ったのです。
 この像は精神修養の場所として自費で整備した人間牧場に置いて、多くの来牧者に見てもらおうと心密かに策を練っています。息子の同居のためにリフォームした折外し、使われなくなって人間牧場に仮置きしている大きな柱を、台座にしたらどうだろうかと頭をかすめています。

 あいさつは思い入れもあって多少長めの約10分話ました。格式ばったあいさつではなく、何も考えず、原稿も書かず、ただアドリブで雑談めいた話をするいつもの癖は直らず、皆さんに迷惑をかけましたが、客席から届く反応は概ね良好で、若松ワールドへのいざないは成功したようでした。

  「あいさつは いつものように 雑談で 若松ワールド 引き込みました」

  「そういえば 台座に上がり 叱られて 正座させられ あれが始まり」

  「古本の 大学見つけ 三千円 値切り値切りて 懐かしきかな」

  「金次郎 ブロンズ像を いただきぬ 百八十三体目 台座作りて」

 

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