shin-1さんの日記

○原風景が素晴らしい寄居町

 深谷での講演が終わり、あくる日の会場である寄居町中央公民館を下見した後、黒瀬さんにその夜の宿であるかんぽの宿へ送ってもらいました。夜の帳が下り雨模様や土地に不案内なこともあってその日は余り気付きませんでしたが、ふと昔のことを思い出しました。私が初めてこの寄居町を意識したのはこの町の役場に勤めていたSさんがきっかけでした。Sさんはその後県公連に転出しましたが、何かにつけて出会いを深め何かにつけて議論をしたものでした。もう一つは私の町が双海町から伊予灘町に町名変更をしようとした折り、荒川の上流である長瀞町の町名変更の顛末を調査に、秩父鉄道を乗りついで一人やってきたことがあるからです。Sさんのその後のことも町名変更騒動も過去のことなので、余り触れたくはないのですが、それでも私にとってはつい昨日のことのように蘇ってくるのです。

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 旅の疲れがそうするのか、金山温泉という埼玉県では珍しい温泉の湯が温めてくれたのか、はたまたきのこ三昧という美味しい料理のせいなのか、早めに床についたため、早い目覚めとなりました。早朝読書をしたり、朝風呂に入ったりしながら外の風景を眺めていると、周布と言う地名そのままに白い霧が山の中腹をゆっくりと流れ幻想的な風情を醸してくれました。

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 昨日は午後からの講演会だったので、かんぽの宿で11時まで、久しぶりにゆっくりとくつろぎました。やがて黒瀬さんが迎えに来られいよいよスタンバイです。驚いたことに私の似顔絵が掲示板や至る所に張り出され、また会場の玄関には私のな目入りの看板がこれでもかと言わんばかりに立てられて恐縮してしまいました。やがて少し早目の昼食となりました。地元では有名なかつ丼を楽屋で食べさせてもらいましたが、これがまたとてつもなく大盛で、美味しさに下包みを打ちました。

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 さてこの日の会場は中央公民館のホールでしたが、500席の会場はかなり埋まっていました。残念ながら楽屋から直接ステージにあがったため、会場の写真を撮ることができませんでしたが、舞台の設営も見事でしたし、皆さん方の役割分担のしっかりと打ち合わせができていて一糸乱れれぬ運営はさすがプロだと思いました。

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 90分の講演はあっという間に終わりました。私がステージから見る限りでは、13時30分からの講演にもかかわらず眠る人はまずいないようでしたし、私の話の最中も大きな笑うの渦ができてかなりの手ごたえがあったようです。その反響は講演が終わって帰途に就くので玄関先へ出ると、沢山の参加者が待ち構えていて、色々な感想を言いながら私を最大限に持ち上げてくれました。

 後ろ髪惹かれるほのぼのとした思いで寄居の駅から、東武東上線に乗って小川町を経由して池袋へ出て、埼京線で新宿へと向かいました。

  「ああそうか ここが寄居か 昔来た 思い出すのに 時間かかりて」

  「会場の 入り口辺り ウォンテッド 私似顔絵 沢山張られ」

  「実物も さることながら 似顔絵も 男前だと 自画自賛し」

  「聞く人の よき反応に 助けられ どうにか役目 終わりて帰る」
   

 

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○深谷での大里地区公民館研修会での講演

 9月30日に予定されていた松山工業高校の創立100周年記念大運動会が雨で順延になり、10月1日になりました。運動会だけであれば所用があればキャンセルできるのですが、この日は運動会終了後学校評議員会があるので外すことができず、評議委員会に参加してからと結局飛行機便を最終まで遅らせましたが、運動会の閉会がこれまた遅れ、評議員会へは出席したものの途中で会議を退席し、埼玉県での講演を二日間受けていたため東京へ旅立ちました。


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(県立松山工業高校の百周年記念大運動会)
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 東京で一泊したこともあって明くる日はスムーズに埼玉入りすることができたものの朝から雨に遭い、予定いしていた新幹線ではなく思い切って、新宿駅から高崎線で熊谷まで行くことにしました。到着してから今回の企画の中心的役割を果たしてくれた埼玉県寄居町の黒瀬仙一に熊谷駅まで迎えに来ていただきました。黒瀬さんとは4年前に出会って以来何かにつけて手紙のやり取りがあって気になる人なのです。


 今回の埼玉行きは、寄居町中央公民館の黒瀬仙一主任さんが津久井寄居町長さんの発想した親学講演会の6人の講師陣の中に私を加えてくれたからでした。講師の中には国連開発計画親善大使の女優紺野美沙子さんなどもいて、私を除けばそうそうたるメンバーなのです。第一回目は紺野美沙子さん、第二回目は中央大学教授の広岡さん、第三回目は私、第四回目は精神科医の香山リカさん、第五回目は京都造形芸術大学教授の寺脇研さんなどその道を極めた人ばかりなのです。

 私が何故選ばれたかは定かでありませんが、聞くところによると東京で開かれた講演会で私の話を町長さんが聞いていたので、黒瀬さんの提案がスンナに決まったようです。他の人は知名度もあるので公民館ホールの積は満席になるのでしょうが、まったく知名度のない私は、主催者に、とりわけ私を選んでくれた町長さに恥をかかせることのないよう、多少の不安はあっても、ましてや参加した人の数が多少少なくても来た人重視で臨みたいと思いました。私は若いころから埼玉県とは殊の外縁が深く、昔教友社という出版会社に勤めていた北本市に住む工藤さんと知り合ったことが縁で、とりわけ社会教育関係者に地縁人縁が今も深いのです。

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(文通をしている龍前宏さん)
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(大洲市出身の永田隆さん)
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(大里地区公連の研修会風景)

 黒瀬さんはそのため前日に寄居の矢部伸昭中央公民館長さんが会長を務めている大里地区公民館連合会の研修会を抱き合わせて開催して私は前日の講師も務めることになったのです。「これからの公民館活動・社会教育活動に求められるもの」と題した講演会には100人を超える関係者が集まり、事例発表屁の助言などもさせてもらい、さらにさらに出会いを深めることができました。

 会場となった深谷市幡羅公民館には文通をしている熊谷市の龍前宏さんや、双海町在住の西田利子さんのお兄さんである永田隆さんも駆けつけていただき、お土産まで届けてくれて恐縮してしまいました。


  「遠隔の 土地だというに 知り人が 次々訪ね 深いお出会い」

  「その昔 あんたの話し 聞きました 町長さんも 楽屋訪ねて」

  「痒いとこ 手が届くよに 気配りを 私は言うまま 壇上あがり」

  「公民館 離れて月日 経つけれど 思い変わらず 熱めに話す」

  

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