shin-1さんの日記

○忘れられたギター

 「私は音楽が苦手です」とハーモニカを吹く度に前置きして吹いています。そうすることで、「音楽が苦手な人でも練習すればあれくらいは吹けるのか」と安心して聞いてもらえるからです。しかし本当のことを話すと、確かに小学校頃の私は音楽の通知表は常時2だったのですが、中学校になると私の音楽は急成長を遂げたのです。多分そのきっかけは音楽担任に西岡圭造先生という新採先生が受け持ちになってからでした。先生は音楽を「音を楽しむ」と説明し、それまでと一変した音楽教育をしてくれたのです。学校のピアノなどは大切な備品なので先生以外は弾いてはいけないとばかりに鍵がかけられていました。西岡先生は弾きたくなったらいつでも弾くべきだと主張し鍵はかけませんでした。貧乏な家に育った私を含めた生徒たちは、それまで触ったこともないピアノをやたらと遊び道具にしました。その結果だろうと思うのですが音楽の授業が面白くなり、いつの間にか通知表は2の倍の4になっていました。私たちの時代は高校受験は9科目でした。英語や数学ができなくても、職業家庭や音楽で点数が取れれば十分頭のいい子に太刀打ちできたのです。私もその一人でした。

 やがて中学を卒業するとそれぞれの高校に進学したり家業を継いだりと進路は変わりましたが、水産高校にす進んだ私は同郷の5人とともに宇和島で下宿生活をしました。そこには知人友人先輩も沢山やって来て、恋の話は勿論のことギターなども持ち込まれ、下手糞ながら楽器に触れる生活は続いたのです。私もドレミファソラシドくらいから、「酒は涙か溜息か」くらいまでいつしか弾けるようになっていました。

 青年団に入団したころ、ギターは絶頂期で、多くの仲間がバンドを組んで田舎芝居にスター気取りで出演して課っしを浴びていましたから、いつしか私もなけなしの小遣いをはたいて安物のギターを購入し田商熱中した時代もありましたが、丸ではやり病のように冷めて、ギターは書斎の隅にお飾り程度の役割で埃まみれになって置かれているのです。まさに今では「忘れられたギター」という表現がぴったりなのです。

若松進一ブログ

 今朝ふとその忘れられたギターに目が移ったので、卸して布で埃を拭き取り、家族が留守であることをいいことにそっと弾いてみました。ドレミファソラシドを弾きながら少しだけ調律し直し、何曲か挑戦しましたがもう左の指と右の指がバラバラで動かず、断念してしまいました。

 しかしこのままだと勿体ないので、少し手入れをして少しだけ挑戦をしてみたいと思っています。ハーモニカのように木になるカバンに入れて持ち運びもできないので、人様の前で披露するなどという大それたことはできませんが、それでも自分の暮らしを豊かにする手立てとして使って行きたいと思っています。

 私たちの身の回りにはこのように、何気なく置かれているものの中には使えば十分役に立ったり、感性が磨かれるものが結構あるものです。放っておいたらゴミかインテリア、使えば心が豊かになります。ギターが再び弾けるようになりたいものです。

  「忘れられ 書棚の隅で ひっそりと 埃被りし ギターつま弾く」

  「青春の 思い出詰まる ギター抱き つま弾きながら 過ぎし日思う」

  「もう何年 触らぬギター 手と指が 下手くそながら 曲を奏でる」

  「ナツメロか 知らぬ私は もう古い 幸田未来など 顔や名前も」  

 

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shin-1さんの日記

○ブログが一冊の本になる

 「毎朝一本、毎夜一本」と聞けば何を連想するでしょう。お酒の好きな人はビールやお調子、愛煙家であればたばこを思い出すかも知れません。またドリンク剤や、糖尿病の人のインスリン注射だってあるのですが、私の場合は酒も煙草もドリンク剤も、ましてやすこぶる健康ですので注射の必要もないのです。私が勝手に決めている「毎朝一本、毎夜一本」というはブログを書く数量のことなのです。2005年9月8日から始めたブログは最初のころ一日一本の日もありましたが、その後朝夜2本となってパソコンの中に蓄積しています。

 元々の発端は娘婿が「パソコンで日記を書いてみたらどうか」と勧めてくれたことでした。てっきりお金がいると思っていた私は、合併でリタイアしていたこともあって、「そんなお金のいることはしない」と言いましたが、娘婿は「アメーバブログというサイトだったら無料だ」と聞き、興味本位もあってとりあえず書いてみることにしました。しかしブログの書き方も間違った文字を編集訂正する仕方も分からないまま始めたため、最初の頃は変換ミスや誤字脱字がやたらとあって、忙しい日々の合間に書かなければならない朝夜2本の記事は、むしろ面倒くさい時期もあり少し重荷になっていました。途中で止めるのもどうかと半信半疑の朝夜2本は、いつの間にか自分の日課に組み込まれ、ブログを読んだ方からの感想が返信で送られてくる度に、止めるに止められなくなってしまいました。とりあえず1年、とりあえず3年という当面の目標はあっという間に過ぎ去り、今は4年目の半分まで進んでいるのです。

 今はこのままとりあえず5年の目標に向かって肩肘を張らず、つとめて平常心を基本に書いています。元々記事を書くことは、役場の仕事で広報ふたみを10年間にわたり書いていたこともあって、そんなに嫌いではなかったの長続きになったのだろうと思っています。

 最近はデジカメで撮った写真を取り込む方法を教えてもらったため、随分カラフルになって読みやすくなりました。またアクセスも多くなり、誰がどんな目的でアクセスするのか、昨日は私のような人間のブログに一日だけで3000件もあるのですから驚きです。ブログは加入者のアクセス数が毎日ランクされる面白さもあるようですが、私の場合は内容が地味なためそんなに高くなく、総合は15000台、日記は4000台を上下しているようです。まあ自分の日記に順位などつけようがないと思っていますから、一応の目安くらいに思っています。

若松進一ブログ

 先日地域づくり団体交流研修全国大会の事務局を務めてくれた谷本さんから、耳寄りな話を聞きました。「どうやらブログを本にするソフトが出たようだ」というのです。「えっ、何のこと」と問い直しましたが、そのソフトに入力するとブログが加工されて製本さえすれば、目次までついた一冊の自著本になるという優れ物なのです。谷本さんはその方法を私に伝授してあげるととのことでしたが、私のパソコン技術が余りにも未熟なため、結局はその作業を忙しい合間を縫ってやってくれました。そしてPDFファイルにして昨日送信してくれました。またその見本本も二冊制作して送ってくれました。

 いやあ凄い、この世界はどこまで進化するのでしょう。谷本さんから送ってもらったものを製本さえすれば、世界に一冊しかないオンリーワンの本が出来上がるのです。

 昨日はそんな新しい発見に一日ルンルンでした。毎月一冊自分のプリンターでプリントアウトして作っていた片面プリントのファイルとは、一味もふた味も違ったブログの進化を見ながら、誤字脱字の訂正を早く終わらせ、本にしたいと思いました。この世の中はこのようなことを考える凄い進化をした人がいるものですね。驚きました。


  「うそ本当 私のブログが 本になる ソフトここまで 凄い進化だ」

  「駄目ですね ソフトあっても 使えない 友の手助け 分業作業」

  「入力を すれば目次や ページまで 記憶するとは 俺にゃ分らぬ」

  「これからは 見直し作業 書く度に 誤字と脱字は 致命傷なり」


  

 

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