shin-1さんの日記

○肥えるのは簡単だが痩せるのは難しい

 私はこれまでの人生で最も体重が増えた時は68キロありました。身長が168センチですから少し肥え過ぎていました。元はといえば60キロ前後の体重だったのに、第10回総理府派遣青年の船に乗って2ヶ月余り太平洋を横断したとき、船内や寄港地で肉を中心にした西洋料理を食べたからでした。帰国した私を見て妻は「別人かしら?」と思ったそうです。それでも元の生活に戻って日本食を食べ始めると元に戻りましたが、一度膨らんだ風船が中の空気を抜くとしわしわになるように、どこかたるんだような体になってしまったのです。これは危ないと一念発起して筋力アップに取り組んだお陰で逞しいほどではないにしてもそれなりの体系を維持するようになりました。ところが10年前健康診断で胆のうにポリープが見つかり、胆のう摘出手術を行いました。それから体重が減り続け、今では55キロから56キロの間を往復するほど体重が激減したのです。

 田舎のことゆえ口の悪い人は「若松さんは痩せてしまってどうやらガンらしい」という噂を立て始めたのです。特に田舎のおばちゃんの口に戸はたてられませんから、噂はまたたく間に町十に広がってしまいました。今でもそのことを信じて遠回しに「ガンには○○という薬が聞く」などと勧めてくれる人もいるほどです。

 私の友人には胃を摘出した人や肝臓が悪い人、糖尿病予備軍のが沢山います。でもその人たちはいつの間にか好きだったタバコを吸いお酒を飲んでいるのです。私は元々たばこは吸いませんが、お酒はビールを浴びるほど飲んでいました。胆のう手術を機にきっぱりとお酒を止めました。胆のう摘出手術後は肉や天ぷら、お菓子類が好きでなくなってそのことが原因かどうか分かりませんが、体重はこの10年近く微減微増を繰り返して今の体重を維持しているのです。

 私は風呂が大好きで、今は暇ができればリフレッシュするため温泉に出かけます。温泉は全員が裸で入浴するため皆さんの体型をよくよく観察してみると、以外とお腹の出た体型の人が多いことに驚くのです。私のようにリフレッシュするため温泉に来る人もいますが、概して痩せたいという願望を持った人が多いようです。サウナに入って汗を流しては体重計に乗って自己満足しているのに、早くも休憩室で缶ビールを自動販売機で買ってのでいる人をよく見かけるのです。それほどしなくてもと思うのは当然、でも酒のみだった昔を経験した私には風呂上りのビール一杯の味を知っているだけに理解もできるのです。

 あるお医者さんの話によると人間の体は風船のようなもので、最初膨らませるのにはかなりの力が必要ですが、ある程度大きくなると案外軽い息で風船は膨らむのです。また一度膨らませた風船は次に膨らませるとゴムが伸びて最初より簡単なのです。人間の体もまったく同じで、せっかく源流を試みて細くなってもリバウンドし易いのだそうです。温泉での会話は楽しいもので、政治やスポーツなど様々ですが、健康に関する会話も沢山聞くことができます。まるで医者のように詳しい人のほとんどは一度や二度重い病気にかかった人が多いようです。

 痩せたいが中々痩せないというのはオンネの話のようですが、痩せるためにはサウナや温泉もさることながら食生活の改善や運動をしなければならにのは当然のことです。私もただ今少し筋力アップを推進中です。

  「そういえば ふとった人が 増えてきた メタボほどでは ないとはいうが」

  「最近は 新聞折り込み 痩せ話 サプリくらいで 痩せるものかと」

  「痩せ薬 飲んで命が 縮まった よくある話 百害一利」

  「痩せたねと 言われて皮肉 思う人 嬉しい反面 辛い一言」

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○ああ定年

 リタイアして4年があっという間に過ぎました。普通の人であればこの4年間は本当の意味での社会人になるためのフライト訓練みたいな時期なのでしょうが、私の場合社会人としてフライトする訓練は50歳代の10年間をかけて訓練していたので、リタイアと同時に即独立フライトでした。それでも十分時間をかけて臨んだフライトも慣れないことがいっぱいあって、最初は戸惑うことばかりでした。給料が入らなくなった家庭の経済的組み立ては、妻の涙ぐましい努力によって乗り切りました。毎日出勤する生活リズムの狂いによる健康的生活習慣もサンデー毎日に多少の戸惑いもありましたが、すっかり板についてストレスがないだけむしろ以前より健康になったように思います。それまでおろそかにしてきた社会的付き合いは、一気に自治会長などの想い役職を持たされましたが、社会への恩返しと思い誠心誠意努力して、地域に深く溶け込むことができました。こうしてみるとこの4年間は私にとって、むしろ以前より充実した暮らしができるようになっているのです。ある意味誰もから羨ましがられる理想のリタイア生活をしているようです。

 数日前、この春定年退職する友人から相談を受け、リタイア生活のイロハを教えてくれと言われました。彼には多少の批判はあっても天下りという再就職の道が開かれているようですが、彼は常々「天下りだけはしたくない」と言っていました。しかし現実的に彼のような一般的な人間に、天下り以外の仕事が見つかるほど世の中は甘くないと話してやりました。奥さんもそのことを理解していて何とか年金が満額出る年齢まで、例え細々とでも働いてほしいと言っているようでした。

 退職後のイロハについて例をあげて話しました。

  ①地元の役職は進んで受ける。

  ②健康には特に注意して体力づくりをする。

  ③見栄や無駄を省いて経済的自立を図る。

  ④酒と賭けごとはほどほどにする。

  ⑤遊び心と趣味を持つ

  ⑥これからの生活設計を立てる。

  ⑦家族と向き合って生きる。

  ⑧情報手段を持つ。

  ⑨旅をする。

  ⑩これまでの人生をまとめる。


 もう一週間もすれば、彼の役職も名刺もなくなります。元の役職や名刺は前だとか元をつけないと使えないのです。しかし前や元などつけて過去の栄光を見せびらかせても何の役にも立たないことを、これからしばらくの間は身にしみて思うことでしょう。そして役職の重みですり寄っていた人たちは冷たく去って行くのです。

 私は退職後のイロハで書いていることを今も実践しています。地元の役職は学校の評議員や少年少女おもしろ教室の実行委員長に至るまで楽しくやっています。健康に留意して自分でできる体力づくりや、人間牧場の草刈り、家庭菜園などに汗を流しています。大学や講演などに出かけかろうじて経済的自立をしています。酒も賭けごとも一切していません。遊び心と趣味は旺盛で人間牧場を舞台に活発に活動しています。85歳まで生きる生活設計に基づいて生きています。リアイアしてこの4年、疎遠だった家族との関係は随分改善されました。インターネットも、毎日2本ずつ書いているブログも、また年輪塾ネットも情報の広がりを見せています。旅は言うに及ばず北海道から沖縄まで楽しい旅を続けています。これまでの人生は折にふれ自著本でまとめています。

 私の人生を彼に押し付ける気持ちは毛頭ありませんが、やはり自分がどう生きたいのかというポリシーが、自分の生きる支えにならねば生きている意味がないのです。


  「今年また 迷える羊 野に下る 生きる手だてを 考えないと」

  「四年過ぎ 五年目突入 ゆるぎない 決めた想いを 一つ二つと」

  「この三日 夜は地元の 集会に 俺やこれやと 楽し出会いが」

  「わが財布 そっと満タン なっている 妻の配慮が 嬉しこのごろ」

 

[ この記事をシェアする ]