shin-1さんの日記

○加熱するお雛様競争

 最近はどこが火をつけたのか分かりませんがお雛様流行りで、どこもかしこもお雛様を飾るようになりました。確かにお雛様は日本固有の文化であるには違いないのですが、こうもあちこちに飾られるとはてさてお雛様も困惑しているのではないかと思われるのです。最近はまちづくりの一環としてお雛様の人気が急上昇して、やれ私の町が数で日本一だとか、雛飾りの長さが日本一だとか、抜きつ抜かれつの意味もない競争が激しさを増しているようで、かつて村おこしやまちづくりでナンバーワンやベストワン競い合った競争社会を垣間見ているようです。

 元々お雛様は鯉のぼりとともに生まれた子どもの成長を願って自宅の座敷に飾るものでした。娘を嫁がせた親にとって嫁ぎ先で子どもが生まれることは喜ばしいことなのですが、男の子が生まれると鯉のぼり、女の子が生まれるとお雛様を送る風習は貧乏な時代故に親の頭痛の種でした。そんな時代であっても親は無理をしなけなしの財布をはたいて鯉のぼりやお雛様を贈ったのです。そこには涙ぐましい秘話が隠されていることを見逃すことはできません。また貧乏ゆえに贈れなかった親と、貰わなかった子どものいいようのない寂しさもあったのです。

 私が子どものころ、わが家にも姉のお雛様が飾られていました。やんちゃな男の子故にお雛様などどうでもよく、生けていた桃の花の横に供えられた菱餅と雛豆、それに白甘酒が目当てでした。勿論その頃は菱餅も雛豆も白甘酒も全て母親の手作りでした。

 ひな祭りの時期が近づくと母親はお米の蒸して干した干飯を少し油を打ってホーロクという素焼の平鍋で炒るのです。パリパリと音を立てて干飯ははじけます。同じようにお餅を細かく切ったのをホーロクで炒るとふっくらとしたオカキができるのです。同じように大豆をはじかせます。それらを混ぜて鍋の中で溶かしたギョーセン飴と砂糖でまぶし、モロブタという木枠に流し込みます。冷めるのを待って包丁で小切りすると雛豆が完成するのです。これはとても美味しく、出来上がるまでの間じっと見ては母の目を盗んで干し飯、オカキも大豆も、また雛豆も味見をするのです。出来た雛豆は湿気が来ないようにイットウ缶に入れられ押し入れの隅に保管されるのですが、親の目を盗んで食べるのですが、怒られながらも何とも言えない味でした。そんなおふくろの味を作る家庭も殆どなくなりました。今は逆にこのころになると村おこしの特産品として作られ道の駅などで販売されているようです。


 私の妻の実家のある八幡浜では真穴地区に座敷雛という珍しいお雛様行事が今も連綿と受け継がれています。これは今様なお雛様と違い、座敷いっぱいに箱庭のような飾り付けが行われる大々的なもので、真似のしようがありません。お雛様を使って商魂たくましくやるのも結構ですが、真穴の座敷雛のようにもう少し心のこもったお雛さん行事にして欲しいと加熱するお雛様競争を見て思いました。

 そうそう、わが伊予市の商店街ではビニール平紐などを使って創作お雛様を造っているようです。これはまさに手作りで、作るプロセスそのものに意味があってどこかほのぼのとしています。かつて可愛い女の子だった彼女たちも今では立派な熟女になっていますが、少女のころを思い出しつつ造るお雛様を見ながら一体どんな夢を見ているのでしょうか。

  「加熱する お雛様見て 思うこと 勝った負けたと 一悠するな」

  「手造りの お雛様置く わが玄関 嫁ぎし娘 懐かし思う」

  「男の子 故に雛様 贈れない 女の孫が 待ち遠しいな」

  「荷造りの 紐で雛様 造る人 幼き日々を 思い出しつつ」

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shin-1さんの日記

○今年も確定申告の季節がやって来ました

 確定申告のシーズンになって、昨日立ち寄った市役所支所では何人かの人が紙袋を提げて役場の中に入ったり出たりしていました。「ああもうそんな時期か」と3月が年度末であることを実感しました。役場に勤めていたこの頃は年度末は補助金事務の処理に追われたり、新しい年度の計画作成と重なり、「忙しい日々を過ごしたなあ」と昔を懐かしみました。役場が市役所支所になってから当分の間は地元灘町の区長をしていたこともあって、何かにつけて足繁く通っていましたが、次第にその足も遠のいて今は視察研修にこれれる人のためにパンフレットをいただきに行ったり、少年少女おもしろ教室の実行委員長を務めていることもあって教育委員会へ行く程度に減ってしまいました。それでも顔見知りの職員さんからお茶でもどうぞと事務室内に招かれたりして、四方山話に花を栄えますが、それでもこちらが忙しいこともあって数えるほどしかなくなりました。他の市民と同じように私にとっても市役所の敷居は少し高いようです。

 一般の人なら誰でもそうかも知れませんが、私は確定申告などの手続きに関して勉強不足で中々自分で計算したりすることができません。ゆえに恥ずかしながら旧友の力を借りて毎年やってもらっています。先月その友人と会うと、「もうそろそろなので準備をしておいてください」といわれました。毎年のことながら1月は去る、2月は逃げると言われるように忙しく、1年間にどの程度の収入があったのか、一覧表を作るのが一苦労なのです。私のの収入は講演料や執筆料などが全てですから、殆どの場合はいただくときに源泉徴収という名目で課税され既に差し引かれているので、いただいたり送られてきた源泉徴収票を自分の日程表と付け合わせながら作成します。講演などの場合講演料に旅費を含んでいるため、源泉徴収票でその旨の確認をしながら旅費を割り出します。インターネットが使えない時は、旅の行程や旅費を小まめにノート記入していましたが、今は旅費計算はパソコンが瞬時にしてくれるためかなり楽になりました。しかしいつも思うのですが、旅費は確実に実費がいるのに旅費にも税金がかかるのです。多分確定申告では旅費で引かれた税金は必要経費で帰ってくるのだろうと思いつつ、旅費を調べて再掲をしているのです。

 「あんたは口で稼ぐからいい」と友人や周りの人は私のことを羨ましがります。またある人は「あんたは弁当箱も投資も何も要らん」といいます。確かにそんな羨ましがられる部分はあるかも知れません。しかし私だってかなりの部分で人に言えないような苦労や努力があることも事実なのです。私は漫談家綾小路さんではありませんが「呼ばれないと行けない」のです。呼ぶ側にも都合があって、私の持っている総合力を評価してフィーリングが合えば話がまとまるのです。問題はそこからです。ただ行くだけだったら簡単でしょうが、行った先々ではそれなりの仕事をしなければならないのです。それは肉体的には楽そうに見えますが神経的にはかなりの重労働です。時にはその重さが原因でストレスも溜り体調を崩すことだってあるのです。

 ポジティブに生きているように見える私を見て「ウソー、信じられない」と思うでしょうが、こう見えても以外と繊細な精神の持ち主なのです(ウソー)(笑い)

 2月末にやっとこさで一覧表をまとめ友人に源泉徴収票と一緒に渡しました。私にとってこの友人は1年に一度お世話になるだけながら、生きていくための頼りになる人なのです。今年も減税方よろしくお願いいたします。


  「お前楽 いつも言われる 言葉です 口先一つ 飯を喰うやつ」

  「旅費にまで 税金とるは 何事か いつも思うが 答え帰らず」

  「申告は 市民の義務と 言い聞かせ 今年もきっちり ぬかりなきよう」

  「早4年 時の流れに 竿差して 浪人暮し すっかり板に」 

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