○またもや金融広報アドバイザーに再任されました
記憶を遡れば思い出せないほど昔になった昭和51年に、一枚の辞令をいただきました。もうその辞令も探さないと何処へ行ったか定かでないのですが、当時は貯蓄推進委員会という組織が中央にあって、そこから「貯蓄推進委員」というお役目をいただいたのです。当時は公民館主事をしていたこともあって、貯蓄や家計簿記帳の必要性を県下各地の公民館へ出かけて熱っぽく語っていました。あれから30数年があっという間に過ぎ去りましたが、再び、三度、四度と回を重ねて12度目の辞令をいただいたのです。辞令をいただく前に再任の場合は簡単な説明とお誘いがあって、その都度「まだ若いのだから」と事務局である日銀松山支店長が会長を務める愛媛県金融広報委員会からの勧めるままに甘んじてきました。しかしそろそろと退任希望を出せば出すほど、強い引き止めに合い、今回もまた今期限りという約束で引き受けてしまいました。
役立ち感が薄れて行くことだけは避けようと、自分の得意な分野で活動していますが、金融をめぐる社会はこの10年で大きく様変わりをし、また金融のトラブルも絶えまなく大きな社会問題を引き起こしているのです。
(金融広報中央委員会長から金融広報アドバイザー委嘱状が届き、今日愛媛県金融広報委員会長である日本銀行松山支店長さんから委嘱状が伝達されました)
今日は大学の出勤日で、午前中大学での打ち合わせが2件ほどあったので、午前中の会議はやむなく欠席をさせてもらいました。しかし退任される山口章子さんを囲んで昼食会を行うという事務局からのお誘いもあって、打ち合わせを早めに切り上げ、やっとの思いで日銀松山支店に到着し昼食会に間に合いました。
山口さんとは12年来の付き合いで、現アドバイザーの中では一番古い付き合いです。彼女が始めて私たちの仲間になった12年前には、私より若い人でしっかりしていると実感し折に触れてご指導いただきました。現在は若い人が何人か入られましたが、山口さんのような出会いが中々なく、少し不安を感じていただけに寂しい退任となりました。ご主人の転勤でえひめを離れるそうなので益々寂しくなります。
(左が丹治日銀松山支店長さん、中央が退任された山口章子さん)
日本銀行といえばどんな仕事をしているところなのか、庶民の私たちには中々分からないベールに包まれたところです。その中に金融広報委員会というのがあって、その仕事のひとつとして金融広報や金銭教育などがあり、私たちアドバイザー10人余りが第一線で活動を行っているのです。
金銭に余り縁のない私がアドバイザーとは少々おかしな話ですが、私はこれまでの30年の貯蓄推進や金融広報活動を通じて自らの人生の生活設計などで大いに役立ち、充実した半生が送れているのもこの仕事をしたお陰であると、恩返しの意味も込めてこれから3年間一生懸命頑張ろうと心に誓いました。
「一口に 三十年と 言うけれど よくも関わり よくも出来たと」
「また一人 仲間が一人 去って行く 俺より先に 何でこうなる」
「若い方 思っていたが いつの間に 歳をとったの 自分にさえも」
「さあやるぞ 最後踏ん張り しなければ 恩は返せぬ そんな意気込み」