○台風に翻弄されて
「近頃お父さんが遠出する時、決まったように台風が来るね」と、出発の前夜妻が私に言いました。それもそのはず、先月の新潟行きは台風13号の影響で松山発の飛行機が欠航が予想され一日早い出発となりました。でも読みが的中し新潟行きの日程には支障も出ず、台風一過の好天に恵まれていい旅の思い出ができました。
今回も台風15号が台湾付近でUターンして台風13号と全く同じようなコースをたどり、本土上陸をうかがっていたため、昨日早朝の旅立ちは土砂降りの中でいやな予感がしたのです。午前4時に起床して身支度を整え、4時半に家を出ました。三津浜から5時30分発の防予汽船で山口県柳井へ向かったのです。その間雨は一向に止む気配もなく降り続いていました。船の中は台風接近の影響かお客さんは5人ほどで、後はトラックの運転手さんでした。その少ない人も椅子席ではなく桟敷のような船室に身を横たえ2時間半の船旅の間静かに仮眠をとっていました。
柳井の港は非常に便利で船着場からJR柳井港という駅まではほんの歩いて2~3分の所にありますがこの日は1時間に一本程度の列車本数なので、待ち時間が40分もありました。でも次の船便だと徳山から新幹線を乗り継いでも新山口に着くのは遅くなるので、のんびりゆっくりの旅が実現しました。列車は鈍行です。この列車も徳山や小野田へ講演に行く場合や益田へ行く場合よく使った勝手知ったる路線なので、海の景色を見るため先行方向に向かって左側の席に座りました。
あいにくの雨で瀬戸内海の海は泣いているような黒い雲に覆われていました。途中田布施から乗り込み私の前に座った素敵な女性が私のカバンを見て、「まあ珍しいカバンをお持ちですね」と話しかけてきました。私の好きそうなタイプだったので、蓋を開けて中まで見せるサービスぶりでした。すると向こうの席に座っていた女性も集まってきて、まあ賑やかな話に花が咲きました。その人たちは徳山で降りましたが、今もあの生きずり女性の笑顔が忘れられません。ちなみに話のついでに私の似顔絵の名刺を三人の女性に渡してしまいました。この女性は降り際に「必ずメールを入れます」といっていまいたが、帰ってメールを開いてみるとおっかなびっくり、メールが入っていたのです。しめしめです。
新山口駅には10時半に到着しました。指定された北口へ向かっい一番ホームへ下りると、そこにはSLやまぐち号が出発の準備をしていました。迎えに来てくれた中川さんの前を通り過ぎ、荷物を置いてカメラで記念撮影をさせてもらいました。最近ではSLも滅多に見れないためラッキーでした。
中川さんの車に乗せて貰い会場となる美祢市へ向かいました。車窓には秋吉台のカルストが広がり、久しぶりの光景を楽しみました。またセメント工場の煙突やベルトコンベアーなど、何年か前美祢市に文化講演会で招かれた時の思い出が蘇りました。
来福という規模の大きな団地の中にある立派な美祢来福センターが会場でした。この日は山口県社会教育委員連絡協議会地区別研修会の西部地区です。
中にはこれまでに私の話を聞いたという方が何人もいて、私の「今やれる青春」という本まで持参していました。冒頭私の紹介をするため清水研究員がプレゼントしてくれたDVDをプロフィール代りに上映してもらい、講演を始めました。90分の講演はかなり盛り上がって、帰り際には何人かの人と名刺の交換までさせてもらいました。
その夜の宿は湯田温泉にある公立学校共済組合山口宿泊所とな名のみの、すごくハイレベルなセントコム山口でした。夕方は社会教育・文化財課の職員さんと隣の菜の花という飲み屋さんで一献交わしました。私は酒が飲めないのですが、みなさんと様々な話に花を咲かせながら語り合いました。9時過ぎに終わって外へ出ると、いつしか雨も止んで、台風の行方が気になりながら風呂にゆっくりつかり、旅の疲れをいやしました。
料理屋さんを出たところに一本の柳の木があって、そこには文人を多く排出している土地だけあって、山頭火や中原中也の句碑が建つていました。薄暗くて判読もできないため早朝散歩でその句を読ませてもらいました。あいにくメモを持たなかったので忘れましたが、山頭火の句は「○○も○○もお湯のようなものが湧き出る」といった少し卑猥で滑稽な句で、思わず噴き出してしまいました。
それにしても思い出に残るいい一夜でした。
「酒のまず 酔ったふりして 話する 湯田の一夜は 楽しかりけり」
「山頭火 暗がり句碑が 読めなくて 朝の散歩で 顔赤くなり」
「台風を 迎えに本州 やって来た 恐れなしたか 私を敬遠」
「このカバン 珍しから見せてくれ 見知らぬ女性 俺にアタック」