shin-1さんの日記

○凡人のつぶやき

いくら勉強しても次から次へと分からないことがいっぱい現われて

頭ががこんがらがって分からなくなり

俺は頭が悪いんじゃあないかと私を生んだ親を恨み

途中で投げ出すことがある

いくら尽くしても理解してもらえず次から次へと難しいことをいうものだから 

心の中に暗雲が立ち込めて分からなくなり

俺はこれほどあんたのことを思っているのにと相手をののしり

途中であきらめてしまうことがる

いくら頑張っても結果が出ず次から次へマイナス要因がふりかかり

手と足が思うように動かなくなり

俺は限界だと自分自身の能力を疑い

途中で止めてしまうことがある


いくら直そうと努力しても次から次へ悪い所が見つかり

このまま死ぬかも知れないと思うようになり

俺は果たして何のために生まれてきたのかと自分を疑い

途中で努力をしなくなることがある

それでもひょっとしたらひょっとするかも知れないと

少しだけ差し込む光を求めて動き出す


俺は弱い人間と諦めていたのに

やればできるかもしれないと少し思うようになる


やればできるじゃないかと思うようになり

少し頑張る意欲が生まれる


出来た出来たと喜び

俺は強いと思うようになる

俺の人生こんなことの繰り返し

まあいいか俺は凡人だから・・・・・凡人だから・・・・

  「凡人も 平凡なこと 続ければ 非凡になると みんな言うけど」

  「殆どの 人は平凡 だからいい 転んで起きて 起きて転んで」

  「反省を するけど同じ 失敗を またした俺は なんて間抜けか」

  「俺凡人 俺凡人と 思いつつ ひょっとするかも 馬鹿な俺だな」

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shin-1さんの日記

○心の師

 何年か前、ある人と話していると「あなたにはお師匠さんはいますか」と尋ねられました。面と向かってそんなことを言われたのは初めてだったものですから、「感化を受けた人は多いのですが、残念ながら私には師匠という人はいません」と答えました。それ以来ずっとそのことが心の中に引っかかっていていたのです。その方は私に「師を持つよう」に勧められました。

 「春は花、夏ほととぎす秋は月、冬雪さえて涼しかりけり」で有名な道元禅師という偉いお坊さんは「正師を得ざれば学ばざるに如かず」といっています。道を進むにはお師匠さんを得ること、正しい方向へ教え導くお師匠さんと出会うことがなければ学んだことにわならないというのです。道元禅師はそのような師を求めて中国に渡り如浄禅師という生涯の師を出会っていますが、そんな運上人のような人をいくら真似ても、私のような凡人には自分を正しく導くような人には中々出合えないものです。

 自分の人生を振り返ってみてハッとするような出会いの人、つまり感化を受けた人は何人もいます。指折り数えてみると、①「ハガキを毎日3枚書いたら人生が楽しくなる」と言って私にハガキを書くことを勧めてくれた広島向島の半田正興さん(その後私は毎日3枚のハガキを22年間も続けている)。②「掃除もできないような人間はまちづくりを語る資格がない」と一蹴された松下幸之助さん(その後私は毎日朝5時から8時まで3時間、12年間もシーサイド公園の海岸を掃除した)。③「ぼうふらも人を刺すよな蚊になるまでは泥水すすり浮き沈み」という色紙を異動した時送ってきて、私の左遷意識を根本から変えた朝比奈博さん(そのことがきっかけで立ち直れ、新しい境地を開いた)。④「双海町の夕日は綺麗ですね」と何気なく言った、「明るい農村」取材のために訪れたNHK職員さん(そのことで潜在能力が顕在化し夕日の町づくりを始めた)。⑤「誕生日おめでとう。君の大好きな本を送ります」と言ってジョン万次郎の生涯という本を贈ってくれた武智信八州さん(この本が私を青年の船に乗って建国200年のアメリカへ行くきっかけとなった)などなど、いっぱいいるのです。

 しかし、その方たちは私に影響を与えたもののその後自分を導く師匠になることはありませんでした。人間は一生涯を通じて学ばなければなりませんが、「学ぶことは真似ること」だと思います。ハガキを毎日3枚書くことも、海岸を毎日清掃することもある意味でまねることでした。その結果毎日の心掛けが習慣になり、その習慣という修行が今まで外に向いていた目を自分という内なる目に変え、心が変容するのです。習ったことがないので分かりませんが、傍で見ていると茶道も華道も書道も「師を真似る」仕草を何回も何回を行って基本を学び、その基本が体に染みついてから自分の独創的な境地を切り開いていくのです。

 私には残念ながら何回も繰り返し真似る師匠はいません。故にどこまで高まったかが分からないのです。山のような高い教えを持った師と会えば、その山の高さを目指すでしょうし、海のような深い教えを持った師と会えば、海の深さを知ってその深さを目指すでしょうが、中々その人には会えないのです。まあそのような意味からいえば私は未だに「迷える子羊」といったところでしょう。

 心の師と仰ぐ人に早く会わないといけないと、残り少ない人生への焦りもあります。はてさて私の心の師は今頃どこにいるのでしょうか。

  「意味もなく やみくも生きた 半生を そろそろ終えて 新た気持で」

  「師を真似る 真似る人さえ ない私 故に迷いが 時々生じ」

  「目標と する人どこに いるのやら 師匠と呼ぶに ふさわし相手」

  「窓開け 庭に向かって 座禅する 心空には ならぬ凡人」 

 

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