shin-1さんの日記

○内子町大瀬へ行きました

 私の町はあの全国的に有名な内子町と境を接しています。ゆえに私たちの町へは内子町出身の方が海見たさに?沢山嫁いで来ているのです。また石畳は昔下灘村の一部分だったこともあり、歴史文化においてかなり深い関係にあるのです。内子町から見ると双海町は裏側ですが、私たちの町から見ると内子町は裏側に位置する町なのです。今日は内子町社会福祉協議会大瀬分会の招きで作家大江健三郎さんの故郷大瀬まで行きました。

(会場いっぱいの参加者の皆さん)

 第29回老人大学での講演には大勢の高齢者が参加して賑やかな集会となりました。この会合には今期限りで勇退を決めている河内町長さんとかつて助役を務めていた小川社協会長さん、それに顔なじみの安川自治センター館長さんも出席してそれぞれ祝辞を述べられました。特に河内町長さんとは久しぶりにお会いし懐かしい会話を交わしました。

(今期でご勇退される河内町長さんのあいさつ)

 さて私の話は「心豊かに生きる」という演題でした。内子町へはもう何度も講演に来ているし、私の顔もお馴染なのですが、それでも役目がら楽しい話に終始して無事終わりました。

 大瀬への道は久万の大宝寺や岩屋寺へと続く遍路道なので、そこここで歩き遍路の人を何人も見かけました。さしずめ今晩の宿は久万高原町辺りでしょうが木々の葉っぱも紅葉し始め、柿の実の色付きが山里の秋の風情を醸していました。

 大瀬といえば民宿を営む森長さんご夫妻や元公民館長だった大森さん、道の駅からりに勤めていた森本さんご夫妻、お寺の奥さん仙井さん、一緒にコープえひめ理事をしている稲本のことを思い出します。また大野ヶ原モゥーモゥー塾で知り合い私との交友が「恵ちゃん15歳の夏」という全国放送にもなった恵ちゃんの故郷でもあって思い出多い土地なのです。そんなこんなの人たちの顔を浮かべながら大瀬でした。

 途中休憩のために立ち寄った道の駅からりでは偶然にも野田文子さんとばったり、そして沖野さんにも出会って再会を喜びました。行く先々多くの知り人ができて、その人たちと交友を温めることができて本当に幸せ者だと思いました。

 今日は月曜日のため大学で講義の日です。大瀬や道の駅を後にした私は、双海へは帰らず、中山町を通って直接愛媛大学へ向かいました。昔は山のの中の遠い土地だと思っていた大瀬から1時間半も走れば大学です。大学に近い平和通りの銀杏並木も少し色づき始め山から里へ紅葉前線もやっと移動しつつあるようです。大学の構内にあるケヤキも少しづつは尾を落とし始めていていました。

 今日はこの秋始めての北西の季節風が軽めに吹きましたが、いよいよ寒い晩秋から冬の季節がやってきます。風邪などひかぬよう元気で忙しい11月を乗り切りたいと思っています。

 今日は家に帰る前私の携帯電話に妻から連絡が入りました。傷んだ洗濯機が無事治ったとのことです。電気屋さんを通じて保証期間の修理ということで、技術者がわが家までわざわざ直しに来てくれたのだそうです。しかも無料で直してくれるのですからこんなうれしいことはないと、久しぶりに弾んだ声でした。覚悟していた洗濯機の買い替えのための費用はさてどこへ消えるのでしょうか。

  「西東 あちらこちらと 今日もまた 出歩き話す 遊び感覚」

  「お父さん 洗濯機故障 治ったと 弾んだ声で 妻は喜ぶ」

  「山里の 柿の実熟れて 秋深く モズの鳴き声 遠く近くで」

  「あの人は 今はどうして おわすやら 見覚えのある 家並み過して」  

 

 

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shin-1さんの日記

○新聞スクラップ

 年に何回かは休刊日があるものの、殆ど毎日休むことなく送り届けられて来る新聞を見ながら、一定の法則に従って情報を集めているとはいえ、よく枯渇しないものだと感心します。まあ地球上に、世界中に、そして日本中にこれほどの人類が住んでいるのですから、古くなった情報もあれば新しく生まれる情報もあるので、当然といえば当然かも知れませんが私たちは新聞のお陰で共通の話題を共有できるのですから有難い話です。

 私は朝食を食べながら新聞を大広げに広げて読みますが、都会の人はあの狭い電車の中で新聞をきちんと折りたたみ、人の迷惑のかからないように読んでいるのを見て感心したことが何度かあります。先日東京へ行った折山手線の電車に乗りましたが、その方はまず新聞の真ん中にずれないように何かを差し込んでいるようでした。見ず知らずの人間ながら興味があったので声をかけ、見せてもらうとまるで胸ポケットに差し込むペンシルのような専用の小道後でした。早い話が割っていない未使用割り箸のようなものなのです。気が付いて辺りを見渡すと、何人か新聞の真ん中にその部をはさんでいる人がいました。こうすると新聞がずれずに読めるのだそうです。その人たちは新聞を縦長半分に折り○でページを開くようにして器用に読んでいるのです。ここにも都会ならではの工夫があるようでした、私も見習って持っていたボールペンを真ん中に突き刺して読んでみましたが、これもちょっとしたアイデアでした。私が声をかけたその方は電車から降りる折、私にその小道具を手渡し、「2本持っているので差し上げる」と言って電車を降りて行きました。余程私が田舎者の珍しがり屋に見えたのでしょう。

 私はもう30年間も新聞のスクラップをやっています。スクラップといっても、ただ双海町に関係する記事を丹念に切り抜いて大きな段ボール箱に入れる作業だけなのです。かつてはそれらをスクラップブックにノリで張ったり、フォルダーに入れたりしていましたが、忙しい日々の中でそんな時間的余裕もなく、ついついそのうち族になって段ボール入りになりました。

 私はいつの日かこれらのスクラップ記事にいくつかを、人間牧場の木の壁いっぱいに張り付けたいと思っています。というのもわが家を新築するにあたって古い家を取り壊した時、古い破れた襖を海岸に運び焼却する折、襖紙の裏張りに戦後間もない古い新聞が何枚も貼り合わせたて出てきたのを思い出したからなのです。襖には襖絵というのがありますが、襖にスクラップした新聞を張るのは面白いという発想がいつも頭を離れないのです。どうせこの話をすれば人間牧場の設計をしてくれた息子は「そんな汚いことをするな」と絶対反対するでしょう。せっかく木目を基調にした素敵な空間を設計しているのですから言われても仕方がないのです。

 息子が子どものころ私が古民家風の「煙会所」という茶室を作りました。淀屋壁という古風な壁をこだわって塗りましたが、気に入っていたその壁に息子は大胆にも割りばしでドラえもんの絵を書いてしまったのです。一番目につく場所だったので、私は激怒し息子を叱りました。上塗りせねばと思いつつ30年の時が過ぎました。今もその絵は描かれたままなのですが、恥の上塗りという言葉のとおりこの絵を消さなかったことを今は内心喜んでいます。同じようなことを考える親子だと今は苦笑しています。

 早いもので今年も後2ヶ月となりました。今年切り抜いた新聞や、掲載された雑誌の溜まり具合を見るにつけ、今年も沢山のスクラップをすたものだと感心しています。これらの行き場所が段ボールでは余りにも知恵がなさ過ぎます。何とか日の目を見せたいものです。例えば整理をして「新聞スクラップから見た双海町の盛衰なんて看板を掲げ、ロビー展でもしたら面白いかも知れないとふと思いました。「そうだ、やろう」。

  「また今年 新聞切り抜き 山のよう いつか日の目を 思うが箱に」

  「親子さえ こうも考え 違うのか 思いつ切った 新聞張る夢」

  「切り抜いた 記事読みながら 懐かしく 時の流れの 早さしみじみ」

  「懐かしむ 歳になったか 後ろ見りゃ 過ぎた日々方 前より長く」

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