shin-1さんの日記

○友の死

 今年67歳になる先輩であり友人でもある大森安幸さんが亡くなりました。大森さんは双海町役場の建設課長などを歴任した技術職の人でした。

 私がはじめて大森さんを意識したのは私より2年前に青年団長になった頃でした。彼は双海町の成人式に来賓として出席した折、振り袖で着飾った女性を前に、「もっと質素に」と祝辞の中でいらぬ説教を成人に向かってしたのです。そのことがきっかけとなって町では生活改善運動の一環として、長い間洋服での成人式が続き、県下でも有名になっていたのです。

 彼は小柄ながら若いころから白髪が目立ち、シルクハットと自慢するほどの総白髪でしたが、染めることもなくその髪をトレードマークにしていました。

 酒はそれほど強くはありませんでしたが酒の席は好きでよく一緒に飲んだものです。部類の愛煙家で「たばこを止めるくらいなら死んだ方がましだ」と、私や周りの人の忠告も聞かず、「たばこを止めれない人は可笑しい。私はもう8回も止めた」とまるで漫才のネタになるようなジョークを飛ばして豪語していましたが、皮肉にも愛煙家の最も良くかかる肺の病気で死んだそうなので、これも定めと思うのです。何せ多い時には一日に2箱も吸っていて、私は彼のことを「陸蒸気」とあだ名をつけていました。

 役場で四人が夜明けの会などという訳も分からぬ会をつくり、酒を飲んだりお祭りにはお互いが出かけたりの交流をしたし、家の新築にも招かれたり招いたりしましたがその交流ももうできなくなりました。

 彼とは役場を辞めてから同じ自治会長として仕事をしました。彼が自治会長会の会長で私が副会長でしたから、色々な会合でもご一緒しましたし、忘れられないのは旧双海町役場の改築提案書を依頼され作ったことですが、残念ながらその提案は日の目を見ることなく闇に消えたようです。

 彼が病気だと知ったのは2か月前でした。それまで役場などでたまに出会うと顔が随分ふっくらしていましたが、私たちにリウマチ治療の薬の副作用と説明していました。何度か通院するうちに肺に異常が見つかり市民病院に入院していました。1か月前に見舞いに行った時は抗がん剤の副作用で髪の毛が薄くなって、呼吸しずらいと訴えていましたがまだ元気で病室の入り口まで歩いて私を見送ってくれました。

 その後3度、松山へ行ったついでに病室を訪れ話し相手になりましたが、一週間前には個室に移って併発した肺炎の治療に専念して、基の病気の治療はひとまず止めていると説明してくれました。都合4回病院で生前に出会い、色々なおみで話をしたので私にとっては思い残すことはありませんが、それにしても今どきの67歳の死は若い旅立ちです。

 昨日の夜自宅で通夜があり友人2人とそろって出かけましたが、奥さんの嘆きはいかばかりかと声をかけてお暇しました。

 今日は11時30分から伊予市で葬儀が行われますが、私は今日下灘小学校で午後講演が予定されているので、少し早目のこれから式場に行き最後のお別れをするつもりです。

 21年後あの世で会うことを楽しみんしています。大森安幸さんのご冥福を心からお祈りします。合掌。

  「友逝きし 寂しき秋の 友まぐれ 坂を登りて 通夜人となる」

  「奥さんの 涙に新 涙出る 和尚枕辺 読経節々」

  「陸蒸気 そんなあだ名で 呼んでいた 友はあの世へ 帰らぬ旅に」

  「ああついに 俺の番かと 順番を 指折り数え 少し寂しく」  

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shin-1さんの日記

○生まれて初めて飲酒運転検知の風船を膨らませました

 「あら嫌だ。あると思っていた小豆が切れちゃっている。お父さん買ってきてくれない」と、今夜8時に妻が仕事から帰っての弁です。「なんだ、こんなに夜遅くになって」といいながら、夕食の準備のある妻を見かねてしぶしぶ買いに行くことにしました。田舎ゆえの不便さか、小豆を買いにわざわざ伊予市まで行かなければならないのです。車の免許証を持ち、行儀が悪いと思いつつもアンパンを食べながら重要さに乗り込みシートベルトをして出かけました。

 ものの500メートルも走ったでしょうか、信号の手前の伊予銀行上灘支店辺りで何やら車が止まっていました。見ると警察官が一台一台車を止めて検問しているのです。そのうち私の車の近くへやってきて、「すみません。飲酒運転の検問中ですがご協力ください。はい大きく息をしてみてください」でした。私はまだ口の中にあるアンパンを飲みこみ息を吹きかけたのです。「ご主人さん、ちょっと降りてください」とパトカーまで連れて行かれました。そして「お酒は飲んでいませんか?」と再び聞かれました。「私は酒を止めてもう10年近くになります。今日ももちろん飲んでいません」というと、「すみませんが風船を膨らませてみてください」としつこく言われました。私の言うことがそんなに信用できないのですか」と言おうとしましたが、この顔ですから嘘をついていると思われたくないので、「いいですよ」と素直に応じ、生まれて初めて飲酒運転検知用風船を膨らませました。その警官は「お酒を飲んでいない方は00が出ますから少々待って下さい」と検査を始めました。そのうち検査の結果が表示され私の数字的結果は00でした」相手の警察官はこれで成績を上げようと思ったのでしょうが、残念ながら私の疑いは機械によって晴れたのです。「お手間を撮らせて済みませんでした。これも仕事なのでご理解ください」と丁重なお詫びの言葉をいただきました。

 その間何台かの町内の車が止められては通り過ぎて行きましたが、その都度私が飲酒運転で捕まったと思ったのでしょうか、かわいそうにという目で見られてしまいました。中には顔見知りもいて「進ちゃん捕まったのか」と声をかけて通り過ぎる人もいました。多分今頃はどこかで、「伊予銀行の前で検問をしている」「若松の進ちゃんが捕まっていた」などと悪い噂が立ち、明日の朝には電話がかかるに違いないのです。田舎は良いにつけ悪しきにつけこのように噂が広まって行くのです。

 私はまだ夕食も食べていないのに、えらい手間取ってバリューで妻の注文の小豆を二袋買って帰りました。家に帰るなり「お父さん遅かったね」と少し不機嫌な会話です。私は飲酒運転の検問で長引いたことを話すと納得の手合いでしたが、お酒をやめていて良かったと今日はしみじみ思いました。

 元はといえば小豆のせいで風船を膨らませる貴重な体験をしました。それもこれもお大師様のおかげなのです。わが家の入口にはお大師様が祀られています。明日は21日、そのお大師様の縁日なのです。わが家ではもう30年以上にわたってお大師様の縁日にお赤飯を炊き近所にお接待をしているのです。最初は母がしていましたが、今はそれを妻が受け継ぎ一カ月に一度やっているのです。

 明日の朝は仕事に行く前に少し早く起きてお赤飯を炊くことでしょうが、ご利益十分ですっかり親父の役目となった幟立ても明日の朝はおこなわれるようです。

 お大師様のおかげでこうして健康でいられると妻も私も親父も少しだけ信心深いお接待をしているのです。

  「飲んでません それなら風船 膨らませ 警官俺を 疑り検査」

  「ゼロゼロと 数字並んだ 検査機を 警官覗き 詫びのひとこと」

  「縁日に 赤飯炊いて お接待 妻の手助け 小豆を買いに」

  「あら嫌だ 小豆がなくて 飯炊けぬ 夜に気づいて 俺の出番が」 

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