shin-1さんの日記

○セイタカアワダチソウのほろ苦い思い出

 私が公民館主事をしていた頃ですからもう30年も前の出来事です。ある日私は松山へ向かう車の中から、空地に咲いている黄色い花を見つけました。この顔ながら私は若い頃から花に興味を持っていたので、その花の群生する姿を早春に咲く菜の花畑とダブらせていました。秋の頃にこんなに奇麗な黄色い花が群生するとは珍しいと、写真に撮って持ち帰りました。そして公民館の仲間にこの花のことを話し、できれば文化祭のメイン会場にあの花を貰ってきて4m×4mの、制定されて間もない町章モニュメントを造ろうと計画したのです。

 花の咲いている畑の近所の人にその畑の持ち主を聞き出し、「全部刈り取ってもいい」との了解を得てトラックにいっぱい取って帰りました。金網に枠を作ったその中に、これまたミカン畑の防風林から取った杉葉を差し込み、町章を黄色い花で、バックを杉葉で埋め尽くして刈りこみ、自信作のモニュメントを3日間をかけて造り上げました。文化祭の会場となった上灘中学校の校庭は、このモニュメントでいつになく華やいだ雰囲気となり大きな話題となりました。やがて文化祭が終わり杉葉も黄色い花も上灘中学校の校庭の隅にある簡易焼却炉で燃やして処分をしたのです。

 その年も明けた頃、中央公民館に一枚のポスターが送られてきました。そのポスターには「セイタカアワダチソウ撲滅運動」と書かれていて、写真は紛れもなく文化祭の会場を華やかに飾ったあの黄色い花だったのです。知らぬこととはいえ私は、帰化植物である公害雑草を刈りとって大衆の目の前へ展示したのですから、無知もいいところです。とっさに思いました。地主の所に菓子箱を持って行き「花をください」といった時、「何に使うのですか。珍しい人もいるものですね。どうぞどうぞ」笑顔で対応していただきました。今になって思うのですが、あの時地主さんはあの黄色い花がセイタカアワダチソウだということを知っていてくれたのかも知れないのです。

 あれ以来帰化植物であるセイタカアワダチソウやブタグサは全国に生えて広がり、喘息などの病気に悪いと撲滅作戦が展開されたにもかかわらず、一向に減る様子もなく、またあれほど撲滅運動までせよと騒いだのに、今はあの頃の騒動が一体何だったのかと思わせるほど、誰も見向きもしなくなっているのです。

 セイタカアワダチそうが咲く秋のころになりました。国道沿いの空き地には可憐な黄色いセイタカアワダチソウの花が咲き始めていますが、道行く人も車もその花など目もくれず全く無視して通り過ぎて行くのです。

 最近は帰化植物といわれる植物が雑草の中にもあって、タンポポも日本古来の在来種より洋花タンポポの方が多い感じがします。海岸や河川敷きには春になるとキンケイソウもたくさん見られるようになって、草の世界も国際化真っただ中というところです。

 先日人間牧場で見たこともないような草花を見つけました。多分酪農家から貰って畑に入れた牛糞の中に混じった種が発芽したのではないかと思うのです。聞けば乳牛の餌は殆ど外国からの輸入飼料に頼っているようなのです。池は外来種のブラックバスに占拠され、野の花も草も外国産と国産が、また人間の世界や情報の世界でも国際化の波は留まることはないようです。アメリカのサブプライムローンによってはじまった世界同時株安や円高は、これまた国境のない厄介な国際問題に発展しようとしています。アメリカがくしゃみをすると日本が風邪を引くというのは昔の出来事だと思っていましたが、まだまだ日本は本当の力がないのかも知れません。

  「花を見て 昔の無知を 恥ずかしむ セイタカアワダチ 公害花とは」

  「花・人も 情報までも 国際化 外国生まれの 日本育ち」

  「メイドイン ジャパン自負する 私でも 帽子はチャイナ 音笛チャイナ」

  「そういえば チンゲンサイを 播いたっけ これもチャイナだ 中華料理も」

 

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shin-1さんの日記

○サインしてください

 昨日突然わが家に来客が見えられました。聞けば高松の人らしく、以前伊予銀行の雑誌で夕日に関する私の記事を読んだ記憶があって、町を通過する時シーサイド公園でそのことを思い出し、特産品センター受付で聞いたそうです。受付の人は私のことを微細に説明したそうですで、「若松さんなら今日は家におられるようなので連絡してみましょう」と電話の第一報、たまたま電話に出た私は道が不案内ということもあってシーサイド公園へ迎えに行きました。中年3人の品の良いおばさんたちで、わが家へ来るなり私設公民館煙会所や海の資料館海舟館などを見学し、伊予銀行の雑誌で紹介されていた人間牧場も見てみたいというのです。

 中年の品の良いおばさんには目がない私ですが、「もう直ぐ来客が来るので」と断ると、「せっかくなのでそのお客さんが帰るまで待ちます」と食い下がるのです。仕方がなく引き受けてしまいました。やがて来客は予定通りやって来て、予定通り公園の打ち合わせをして帰って行きました。その間畑の方をうろちょろしていた3人の品のよいおばさんたちは、秋ナスやピーマン、シシトウ、それに間引きした大根葉を目敏く見つけ、欲しいというのです。品が良いと思っていたおばさんたちがオバタリアンになり下がってしまいましたが、ナイロン袋を3つ用意してお目当ての野菜を入れてあげました。その作業をしながら、「はてさてこのおばさんたちは何の目的で来たのか」と疑いたくなりましたが、約束したので内心仕方なく私の乗用車に乗せて人間牧場へ行きました。

 人間牧場ではやれ「足湯がしたい」だの、カラスウリが欲しいだの「畑の隅にあるシキビを分けてください」とわがまま放題です。もっとわがままは私の落伍を聞きたいというのです。「落伍の演技は有料で木戸銭が要ります」と断る理由を話すと、「あなたの出版している本を人数分全て買いますので」と開き直られました。そこまで言われ、「上げ膳食わぬは男の恥」とばかりに、裂織の羽織を着て切り株高座に座布団を敷き、落伍を演じきりました。何せこのおばさんたちは今晩松山へ泊る予定なので、時間はたっぷりあるのです。そんな奔放なおばさんに甘い顔を見せのこのこお相手をしてしまった私を、自分ながら深く反省しましたが、乗りかかった船ゆえに誠心誠意お相手をさせてもらいました。

 お陰さまで「昇る夕日でまちづくり」1500円、「今やれる青春」(1200円)、「夕日徒然草」(500円)の3冊に、竹で作った赤トンボ(500円)の3700円×3人分=11,100円が私の懐に入りました。その方たちは2万円を差出しましたが、「お釣りがないので1万円でいい」というと、「野菜も含め、足湯代も含め、落伍出演料も含め2万円で」と、断る私をさえぎるように私のポケットへねじ込みました。

 そして「厚かましいお願いですが、この本すべてに全部違った言葉をサインして欲しい」と、これまた無理難題をいいました。これまでにも25冊全部違った言葉を書いた記憶があるので、その場でサインペンを使いスラスラ目の前で書いてあげましたが見ていた3人は目を丸くして感心していました。お金をいただくと私はまるで別人のような念の入れようで、名前の下に友人が作ってくれたてん刻の印まで押してあげました。最初は品のあるおばさんがいつの間にか図々しいオバタリアンになり、再び品のある奥さんに変身した瞬間でした。お陰で私はぼろ儲けしましたが、そのお金は人間牧場の新たな投資に回すため、夕日徒然草貯金に回しました。

 時としてこんなハプニングに会うのも人間牧場あっての物だねと、人間牧場の効果を喜びましたが、このおばさんたちは、「今度はあなたの話を高松で友人に聞かせるため講演会を開きたい」と日程まで決め、願わくば来春その人たちをこの人間牧場へ連れてくるツアーまで計画したいと意気込んでいました。

 あっけにとられた私を尻目に彼女たちは夕闇せまる双海町から次の目的地松山へ消えて行きました。何ともはやい1日でした(笑う)

  「サインして 思わず迫る おばさんに たじろきもせず まるでスターだ」

  「九冊の 本それぞれに 違う文字 書いて手渡す 感心しきり」

  「世の中は 色々な人 いるものだ ポンと二万を ポケット入れて」

  「おばさんが いつの間にやら オバタリアン 帰り際には 品よい奥さん」

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