○雨の人間牧場
普通は雨の日など余程のことがない限り、雨の日に人間牧場へ行くことはないのですが、今日は愛媛大学のフィールドワークの授業とあって、奥島観光の31人乗りのバスを借り切り人間牧場へ行きました。シーサイド公園で合流した学生たちは池久保の曲がりくねった山道をバスに揺られ、バスを降りてからは5分ほど舗装はしているものの緑陰の中を傘をさし、急な坂道を滑らないよう気をつけながら下って行きました。
あいにくの雨で自慢の眺望は見えず残念でしたが、学生たちは人間牧場のロケ風呂や水平線の家のロフトに上がったりして見学をしていました。人間牧場界隈にはもう秋の気配が漂い、知らない間にススキの穂が沢山出ていて季節の移ろいを感じさせてくれました。
学生たちに施設の概要や人間牧場への想いを語った後、夕日徒然草というテキスト本を配布し、約1時間半にわたって落伍ライブ形式の講義を行いました。捲りの演目が第5話「ハーモニカが吹けた」だったので、十八番を語り、学生たちにリクエストさせた第30話「病気で人生が変わる」を語りました。学生たちに落伍ライブをやるのは初めてでしたが、授業の一環とあって熱心に聞いてくれました。
私は家業である漁師をしていた若いころ青年団活動に熱中し、酒と夜更かしと疲労で体を壊しました。そのことがきっかけで役場に入りました。酒を飲み過ぎて体を壊し公務員になれたのですからいい加減な転職です。でも年功序列の役場に入ってからは35年間滅茶苦茶働き、悔いなき存分な働きをしました。しかしここでも働き過ぎの疲労蓄積とストレスで胆のうを患い胆のう摘出手術で13キロも痩せた体となり、平成の大合併を機にセミリタイアしたのです。自分の人生は病気によって大きく生き方を変えざるを得ませんでしたが、私はその都度腐ることなくポジティブに物事を考え、強く強く生きてきました。失敗体験の少ない若い学生たちにとって私のような古い生き方はモデルにはならないと思いますが、それでも何かのヒントにはなるものと思うのです。
また私が高座と呼んで座布団を敷き落伍をする高知県馬路村魚梁瀬産150年生の杉の切り株も、1年でわずか一つの年輪しか刻まない途方もない自然の営みをしっかりと学んで欲しいと思いました。
今年のフィールドワークのテーマは「合併後のまちづくり」です。やっと予定していた4つの旧町の調査も終わりました。いよいよ次の授業からそのまとめと本当に住みたい町、本当に訪ねたい町の条件を描いてゆく後半戦へと入ってゆく予定です。
人間牧場での研修を終えた私たちは、午後1時前にわが家へ帰ってきました。予め電話を入れていたため、妻の準備も万端整って少し遅めの昼食交流会となりました。親元を離れ日頃から食事を軽んじている学生たちにとって、わが妻手づくりの料理は感嘆に値するようだったようで、「美味しい」を連発しながらこちらが驚くほどのペースでむさぼり食べ飲んでいました。こうして大学生をもてなすのはもう6年も続いていますが、わが家わが妻にとっては初秋の恒例行事となってしまいました。
学生たちに人気だったメニューはいなり寿司、カンパチの刺身、南蛮漬け、鳥と魚のから揚げなどでしたが、いもたきやお好み焼きをよく売れていました。そろそろ大学の授業もお暇をせねばならない年齢になってきましたが、私が関わる授業くらいはこのような人間的でありたいものだと、学生たちの喜ぶ姿を見て妻と話しました。
帰り際学生たちは残ったいなり寿司やから揚げなどを、妻の用意したパックに詰め込んで雨の中を手を振りながら帰って行きました。
「雨の中 傘の行列 一列に 並び畑中 路を下りぬ」
「牧場に 吹く風秋の 気配して 揺れるススキの 少し寂しく」
「学生を 前に落伍の ライブやる 十八番(おはこ)熱弁 久し快感」
「あいにくの 雨にたたられ 部屋の中 若さムンムン 外が恋しい」