shin-1さんの日記

○北栄町を訪ねる①

 中国山地の山間を抜け目指したのは北栄町でした。わが愛車に搭載装備されているカーナビは残念ながら時代遅れか、平成の大合併前のソフトなので北栄町なんて名前では目指す目的地は出ないのです。仕方がないので電話番号で検索すると旧大栄町の役場が目的地になって、ただひたすら走り始めました。瀬戸大橋を渡った高速道路米子道を湯原のインターチェンジで降り、国道313号線を走って大栄町を目指しました。この道は5月27日に倉吉で行われたまちづくり講演会出席のため妻同伴で通った道なので、通り過ぎる度に見覚えのある建物や看板が通り過ぎて行きました。

 平成の大合併が一応終わりそれぞれのまちが新しいまちづくりに取り組み始めたからでしょうか、最近はやたらとお声がかかり、特に島根や鳥取は知人友人の紹介ということもあって、頻繁に訪れているのです。でもやっぱり平成の大合併は地方にかなりのショックを与えたようで、訪ねたまちの限りなく100パーセントに近いまちで聞く話は、「こんなはずではなかった」という不満や不安の声が多く聞かれるのです。でもこの合併は今更元に戻すことは出来ないのですから、どうしたら新しいまちが素敵なまいに生まれ変わるか、いよいよ知恵の競争が始まったなという印象を強くしているのです。

 北栄町は北条町と大栄町が合併して誕生したまちです。北条の北、大栄の栄を取って名前を付けたことが一目瞭然分るシンプルな名前の町です。私は旧町の時代から道の駅の仕事で随分お邪魔をしていましたが、この度「コナンの里」という地元大栄出身の漫画家青山剛昌さんの人気漫画「名探偵コナン」をモチーフにまちづくりを手掛けるというので、その助っ人として招かれたのです。私の話は前述の5月の講演会で助役さんや課長さんが私の首実験をしての計画であり、断る理由もなく引き受けてしまいました。私のように自然にある地域資源を素材にしてまちづくりに取り組んできた者にとっては、地元出身の有名人の名前を借りたまちおこしはいささかの抵抗がありますが、地元が選んだことだから目いっぱいお手伝いをしようと勢い込んで乗り込みました

 町に入る前私の携帯電話に友人から電話が入りました。東伯農協の敏腕職員四門隆さんからでした。私は彼と随分古い付き合いで旧知の間柄です。でも私の来県をどうして知っているのだろうと不思議に思いましたが、役場に行ってみると彼はヘッドハンティングされて役場の椅子に座っているではありませんか。それも2~3日前に準備室長に就任したというから驚きです。彼は農協の合併を機に農協を退職し、やがて記念館が出来たらそこの館長になる予定だというのです。 地方自治体の職員の間に漂う閉塞感を肌で感じている時期だけに四門さんをこうした職責に登用した町長さんの英断に大きな拍手を送りたいと思いました。

 北栄町は日本海に面して海岸線が一直線に伸びる暴風松並木を持った素晴らしい海岸が魅力の町です。日本海から吹き付ける地元にとっては悪風のような風を受けて回る9基の風力発電風車がシンボルの町でもあります。また夏はスイカ、秋は長いも、春はラッキョウと、砂地の畑では農産物にも恵まれ、豊かな地域でもあるようです。海沿いといっても直ぐ海直ぐ山の急峻な地形に悩む私たちの町とは大違いの何とも羨ましい町なのです

 見覚えのある北条の道の駅で休憩し、その目と鼻の先にある大栄の道の駅で相次いで市場調査をしましたが、北条の道の駅付近には高規格道路のインターチェンジが出来るらしく、既に土盛りなどの工事が始まっていました。合併によって二つの道の駅を手に入れた北栄町ですが、今後はどうなるのか政争の具にされそうな雲行きを直感しました。

 大栄の道の駅から役場までの一直線の道は既にコナン通りと銘打って、名探偵コナンに登場する主人公の見覚えのあるブロンズ像がそこここに建っていました。道幅も広く突き当たりの役場まで田舎らしくないお洒落な道路が延びていて、レンガ造りの役場前には古い桜の大木が何本もあり、重厚な趣きを見せていました。

  「名探偵 コナンの里を 名乗る町 そこここ見える ブロンズ可愛い」

  「道の駅 二つもありて 競い合う 旧町今後 エゴがでるかも」

  「この町を 有名にした コナン君 青山剛昌 偉い人です」

  「風受けて 回る風車を 口開けて 見上げる吾は 知恵が回らず」 

    

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shin-1さんの日記

○日脚が長くなった四万十界隈

 先月末の予定が先方の都合で変更になったため、随分長い間のご無沙汰のような気がしつつ、県境を越えて四万十市西土佐へ入りました。抜けるような青くて高い空だった四万十川界隈の明るい夏のイメージはどこか遠のいて、観光客の姿も殆ど見られず何処か違った村へ来たような錯覚すら感ながら村の中心地にある役場を通り越して、西土佐大橋を渡りました。日脚が長く感じたのも束の間山里には早くも夕暮れが迫り、通り過ぎる人も車も急ぎ足のようでした。偶然にも旧友篠田幹彦さん親子に会って立ち話をしましたが、奥さんは高知へ出張とかで留守とのこと、共稼ぎの苦労を垣間見るようでした。

 役場で中脇裕美さんと藤倉育さんと出会い、夕食のためいつものように岩木食堂の暖簾をくぐりました。この食堂もすっかり顔なじみとなって、私の口に合う料理をいつも出してくれ嬉しい限りです。お客さんの多い料理屋はやはり味と真心があるのでしょうか、田舎の食堂ながらひっきりなしにお客さんが入っていました。

 その目と鼻の先に昨晩の集会所はありました。田舎に行けば行くほど人の集まりはよく、この集落も区長さんが熱心と人目で分るほどに20人もの人が集まりました。どの集会所に行っても思うのですが、やはり熱心なリーダーがいる所は人の集まりもよく、聞く態度もしっかりしているようです。

 区長さんが面白い道具を持っていました。どうやら公民館のカギのようですが、一枚の板にカギを布紐で結んで、誰が見ても分るようにしているのです。私が管理している灘町集会所のカギは20以上もカギがあり、その都度どれが何処のカギか何度も細かい字を暗闇で見ながらやらねばならず、慣れるのに随分苦労をしました。今は大体分るようになりましたがこれは妙案だと思い、早速写真に撮らせていただいた次第です。

 集会所へは公用車で出かけますが、道すがらその地域のネタを中脇係長から聞きながら車を走らせます。「この集落ではどんな特徴があり、どんな面白い話題があるか」聞くのです。そしてその仕込みネタでアドリブの話のストーリーを描くのですが、これが結構難しくて、その地域の特長を的確に話せなくて四苦八苦します。毎回同行する中脇さんや藤倉さん、それに石川さんなどは毎回同じような話に耳を塞ぎたくなるのでしょうが、不平も言わず黙って聞いていてくれるのです。

 昨晩は参加者全員に番茶とコーヒーのどちらかが振舞われました。コーヒーの飲めない私は番茶を選びましたが、感心なことに「私はブラック」などと英語で話しているのです。お茶の接待は何故か心が和みます。多分この地区のほのぼのとした雰囲気は、早めに来られた女性の方がお茶を沸かし、お茶を入れたからではないかと思いました。接待とはこのようなことを言うのでしょう。集会が終わり外に出ると外灯も殆どなく、人の数といい、明るさといい、昨日までいた東京新宿との余りにも大きい落差に驚きながら空を見上げました。明る過ぎる東京では決して見えない秋の夜空の無数の星が輝いて見えました。外灯はなくっても星が輝く街は素晴らしいと田舎のよさを再認識しました。

  外灯も 人の数でも 負けるけど 田舎にゃ星が 燦然輝く」 
  「集会の 合間におばさん 携帯を 両手で大事に 確認するよに」

  「秋の次 冬冬の次 春という 暦は巡り 早冬近し」

  「田舎道 人気感じぬ 工事中 臨時信号 車を止めぬ」 

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shin-1さんの日記

○秋花の咲く頃

 春に比べると秋の花は少し少ない感じがしますが、それでも秋にはとっておきの秋桜という和名のコスモスがあちらこちらに咲いて、見る人の心を和ませてくれています。最近日本の中国路を旅しましたが、どこもコスモスが道端に咲いて秋風になびいていました。一番圧巻だったのは、トイレ休憩でふと立ち止まった場所に沢山のコスモスが咲いて、週末にはコスモス祭りが開かれるという直前の会場を見たことでした。

 「花作り花見る人は他所の人」といわれるように、この花を丹精込めて作った人は多分地元の有志の方々でしょう。種を蒔き、定植し、除草や防除をしながらの作業は大変だったに違いありません。またコスモス祭りの期間中も天気が心配になったり台風で茎が倒れないか心配の種は尽きないのです。でもこうして色とりどりのコスモスが立派に咲いた姿を見るのは花作りをした人でないと本当の美しさは分らないのかも知れませんね。私もこれまで20年間も花作りにかかわり、水仙や菜の花、アジサイや芙蓉の花を世に送り出してきましたが、まちづくりの中でも花作りは特に奥が深いものがあるようです。

 先日、国立大洲青少年交流の家へ会議に出席するため出かけましたが、時間があるので看板に誘われて直ぐ近くにあるフラワーパークに出かけてみました。5時を過ぎ夕闇迫っていたので人影は殆どなく若いカップルが二組いた程度で広い敷地内をゆっくりと散策しました。

 盛りを過ぎたマリゴールドの畑は少し寂しい気もしましたが、それでも夏の暑さを耐えて今日まで咲き続けたど根性は立派なものです。誰かの言葉のように「花の命は短くて」折角咲いても見る人が少ないのではと思いつつ、目いっぱい楽しみました。

 ここのコスモスは手入れが行き届かなかったのか雑草に覆われていましたが、それでも一つ一つの花は美しく咲いて、カメラを向けると恥らうような雰囲気でしたが、束の間の癒しを与えてくれました。フラワーパークという看板を守るためにはここでも多くの人が働いているに違いないと、改めて感謝の念を持ちました。

 最近はこうした生きた花を摘み取って押し花にする技術が開発されて、色も殆ど変わらない押し花作品の展示会があちらこちらで開かれています。多分こんな趣味は野暮な男性には不向きで、作品を作っている人の殆どは主婦だと聞きました。しかしその作品を作るために、あちらこちらに出かけて公園や人の畑に勝手に入り込み押し花用の花を摘み取る人もあるとか、花の咲くのを楽しみにしていた人にとっては断じて許しがたいことなので、あちらこちらでトラブルがあるのだとも聞きました。

 ふと私は、近所の花作りのおばちゃんの話を思い出しました。菜の花を丹精込めて作って、間もなく花が咲くだろうと心待ちにしていた矢先、菜の花の蕾がある日のことごっそり盗まれました。それは菜の花の漬物にするための盗難だったのです。許し難い光景に呆然としたおばちゃんは私に相談を持ちかけました。やれ見つけたら警察に突き出すとか、防犯カメラを取り付けてはなどの物騒な意見が出されましたが、私のアイディアで「消毒中に注意」という小さな看板を取り付けましたら、途端に取られなくなりました。これも知恵なのでしょうか。いずれにしても「花はそこに咲くから美しい」のであって、盗んだ花を使って幾らいい作品が出来てもそれは人の心を打たないはずなのです。私たち人間も同じだと思いました。

?追伸

 久しぶりにシーサイド公園へ行きました。国道沿いに植えられた酔芙蓉の花が今見ごろを迎えています。綺麗ですよ。ちなみにこの写真は酔芙蓉が白からピンクに変化しつつある3時30分頃の撮影です。

  「ここに咲く だから花たち 美しい そのこと知らず 平気で盗む」

  「偶然に 立ち寄る場所に コスモスが いっぱい咲いて 涼しかりけり」

  「花愛でる 余裕もなしに あくせくと 働き詰めの 日々は愚かし」

  「中秋を 今が盛りと 咲く花に 勢い貰い 少し元気に」 

 

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