○夕日を語る
昨夕、「ふたみ合宿村」という地元小学生対象の事業に招かれ、夕日の話をしに潮風ふれあい公園へ出掛けました。日没が7時13分でしたので、子どもを思い切って外へ連れ出し野外講演会となりました。子どもたちはかつて私が電気工事会社から譲り受けて作った電柱ベンチに腰掛け、西瀬戸の海に向かって座り、私は時折移り変わり行く天体ショーを振り返りながら出来るだけ分り易い夕日の話をしましたが、子どもたちは私の話はさておいてふるさとの夕日をしっかりと目と心に焼きつけたことでしょう。
昨日は天気もよく折から出た薄い霧がまるで絹のベールのように水平線辺りに広がって幻想の世界を演出してくれました。
「あの島の名前はね、周防大島といって山口県ですよ。6月22日に一番北側のコースを通って夕日はあの辺りに沈むんですよ」「12月になるとあの夕日はだんだん西側のコースを通って大分、うーん丁度このあたりかな」「シーサイド公園にモアイ像があるだろう。あの真ん中のモアイ像が見ているのが春分秋分の日にしずむのが大分県姫島です」「あの島の黒曜石で造った石器が双海町東峰遺跡から出てきたんだよね。3万年前の古代人が黒曜石をどのようにして運んだか知りたくて、大きな木をくり抜いて丸木舟を造り、この海を140キロも航海したんだよ。シーサイド公園に展示している丸木舟は私たちが造りました」なんて話をすると、子どもたちの目は夕日に映えてキラキラと輝いて見えました。
やがて天体ショーは素敵なクライマックスを迎えました。どうですこの茜色の夕日や夕焼けは日本一と呼ぶに相応しいでしょう。実はこの写真は私の講演中旧友の中尾先生が私の持参したカメラで撮ってくれたのです。どおりで上手く撮れてると思ってください。「夕日は沈み始めてからしずみ終るまで2分1秒です。夕日が赤く見える訳は・・・・・・・」と夕日に関する博学ぶりを披露しましたが、双海町の子どもはこのくらいの知識は知っているけれど、あえて同じような話を大脳にインプットさせました。
私は木になるカバンの中からハーモニカを取り出し、この日の情景に最もよく似合う「赤トンボ」と「夕焼け小焼け」の2曲を吹きました。ハーモニカの音色は実に夕日に調和するのです。ハーモニーでしょうか。
ついでにもう一本の和音ハーモニカを取り出して沈んだ後の余韻を楽しむため、下弦の月が西空に見えたので「月の砂漠」を吹きました。今の子どもにこの曲は分るかどうか分りませんが、BCMとしての効果はあったように思いました。
かつて私は、永六輔さんと「夕日を見ない子どもたちへのメッセージ」というBS番組に出て、「夕日を見ようよ」と話したことがあります。そのお礼にいただいた永六輔さんからのハガキには「夕日はどこかの朝日」と書かれていました。直感した私は国立科学博物館にお願いし、双海の夕日が何処の国の朝日か調べ、夕日のミュージアムにライブカメラを取り付けインターネットでアクセス出来るようにして夕日と朝日の2元中継を試みたのです。この話題は大きな反響を呼んだことを夕日を見ながら思い出しました。
夕日に想いを寄せて20数年が経ちました。私は今も夕日の語り部として様々な場面と様々な人に夕日の魅力を伝えています。殺伐とした世の中になった現代ですが、夕日を親子で見るような穏やかで平和な世の中になって欲しいと願いつつ会場を後にしました。
「夕焼けに 顔染め見入る 子どもたち どんな明日が 待っているのか」
「夕空に 響け下手くそ ハーモニカ 少しは演出 足しになったか」
「凄いねえ 海に黄金の 道できた いつか二人で あの道歩く」
「詩に託す 顔に似合わず キザですね だからいいのだ 落差あるから」