shin-1さんの日記

○橋のない川・橘地区(20-7)

 四万十市旧西土佐村へ入って今日で7回目になります。その間玖木の橋をめぐる会もそうでしたが、沢山の橋を見てきました。古くなった橋、現代的な橋、役目を終わった橋、これから架かろうとする橋など様々です。今晩は旧西土佐村の橘地区へ行く予定です。旅する巨人宮本常一はそのまちへ行くと決まったようにその地域の高台に登ってまち全体を見てから行動したのだそうです。最初から虫の目で調べるのではなく、鳥の目でまちを見てみることは大切だとふと思い出して、少しの時間橘の対岸から橘を見てみようと思い、村の中心部の大橋を渡ってカヌー館を越え走ってみました。突如として頭の上に未完成の大きな橋が霧の中から顔を出したのです。「えっ、これは何?」と思いました。

 聞くところによると合併して四万十市になった中村までは、四万十川に沿って国道とはいいながら離合も出来ない狭い道が走っていますが、最初の計画ではこの道に沿って改修する予定だったそうですが、それだと川までいらう結果となるので、トンネルと橋で別ルートを通るようになったのだそうです。勿論この工事は大手ゼネコンが手がけていることがわかるような看板が立っていました。

 ふと目をやると川の中には取り付け道路となるであろう対岸の方に向かってどでかい橋脚が既に何本も立っていて、この工事がいかに大きいか物語っていました。橋も道も村を発展するためにはとても重要な意味は誰しも分っていますが、橋のたもとで栄えていた食堂が立ち行かなくなったり、道が迂回したことで民宿が廃業に追い込まれた例は日本全国には枚挙に暇がないほど事例があるようです。

 昔作家住井すゑの「橋のない川」という人権問題を扱った小説があり、人権教育に携わる者の必読の書として読んだ記憶がありますが、ある意味からいえば橋はまさに富の象徴なのかも知れません。こんな立派な橋が出来るかと思えば、玖木の板橋のような古い橋も現在もなお残っているのです。

 西土佐には鶴が羽を広げたようなこんな素敵な橋もあります。廃校を利用した四万十学舎のすぐ近くに架かった斜張橋は素敵な現代橋で沈下橋とは趣きを異にしているようです。

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 ご案内の中脇裕美さんと四万十学舎を訪ねてスタッフと束の間の談笑を楽しみました。四万十川の魅力は何といっても夏です。事務所の黒板にはびっしりと夏休み中の予定が入っていました。社団法人となっている学舎の運営も、市からの委託費減額で中々大変なようでスタッフの皆さんは大変なご苦労をされているようでした。廃校利用のモデルケースだけにみんなで守って行きたいものです。

  「あの橋は いつになったら 結ぶのか 橋のない川 頭で想像」

  「この橋も ゼネコンさんしか 仕事ない ランク分けなど 誰がしたのか」

  「橋出来りゃ 人・もの・車 情報も 流れが変わり 大が吸い取る」

  「便利とは 都会の都合に 合わすこと 手放し喜ぶ みんな阿呆だ」 



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