shin-1さんの日記

○梅雨の晴れ間のお客さん

 九州地方ではこの5日間の降り始めからの雨量は1200ミリに達したと、新聞やテレビが盛んに報道しています。それらの地方では水害が多く発生し、痛ましい死者まで出ているようです。わが家の裏山も過去3回も崩れその度に被災の体験をしてるだけに他人事とは思えず心が痛むのです。ふとそれが原因でチェンソーで切った右足の古傷を触るとあの悪夢が甦ってきて恐ろしくなりました。今年の梅雨は学校が夏休みになったというのに一向に明ける気配がないのです。

 昨日も予報では停滞する梅雨前線の影響で雨という予報が出ていて、夕方3時半に待ち合わせて人間牧場まで案内する予定を思いながら、「運の悪い人たちだなあ」と思ったものです。処がどうでしょう。曇がちだった午後の天気も少し薄日が差して何とか夕方まで持ちそうな雲行きとなりました。大河内結子さんと政策研究センターの清水さん率いるJA大西女性果樹同志会の9名と清水さんのファミリーや友人などが人間牧場へやって来ました。大西も田舎ですが人間牧場に通じるど田舎の道にはさすがに驚いた様子でした。

 

 清水さんのリードで私は150年の年輪を重ねた魚梁瀬杉の高座に分厚い座布団を敷いて座り、落語ならぬ落伍を約1時間余り思いつくままに話しました。穏やかな瀬戸内海の海を見ながら落伍が出来るのですからこれほど楽しいことはありません。観客もウッドデッキにや部屋の中に思い思いで陣取り、肩の凝らない私の話に熱心に耳を傾けてくれました。この落伍高座も清水さんの肝入りでいよいよ本格的な真打ならぬ進打目指した特訓が始まるようです。

 昨日の人間牧場水平線の家は無風で、藪蚊が沢山出てきました。蚊取り線香をたいて燻したのですが、何人かは藪蚊の餌食になったようで手足をボリボリかいていました。

 4時半から始まった研修会はその後同志会の皆さんが手作りした稲荷寿司やいぎす豆腐、黒豆ゼリーなど体に良い珍しい食べ物が並んで、それはヘルシーな食談会となりました。珍しくアルコールが一切出ないものですから、最初から最後まで素面の楽しい話し合いが出来ました。

 オブザーバーで出席した鎌田秋吉さんは自分の菜園で獲れたトマトとスイートコーンを差し入れし、博学な知識の数々を参加者に伝授していただきました。昨日はスイートコーンを茹でもせず生で食べることを始めて知りました。私は稲荷寿司が美味いので2個も食べたためスイートコーンは生で食べませんでしたが、私の分け前を貰って家へとって帰り妻に勧めましたが、結局は今夕の食卓に茹でて食べるそうです。

 今日のメンバーは夕日も楽しみの一つにしていたのですが、残念ながら少し顔を覗かせ、少し赤く染まった程度でした。まあ夕日鑑賞は次の機会にしておきましょう。

 今朝新聞を取り込んで食卓で食事をしていると、愛媛新聞の付録でついてきたアクリート(共生)という雑誌に大河内さんたちのグループが黒大豆で作った農産物とともに紹介されていました。昨日の交流会でも豆腐やゼリーなど、食べたこともないような健康食品を食べさせてもらいましたが、中々の味でした。

 ちなみに鴨池海岸からみる美しい夕日も双海町に負けじと紹介されていました。いいことです。オンリーワンだと思えば夕日は何処でも日本一になれるのですから・・・。

 昨日はこの研修会に先立って愛媛こまち編集部の清水春菜さんが取材に見えられました。この方は何と私の似顔絵を2度にわたって書いてもらった似顔絵の達人、長浜豊茂の清水さんの娘さんだと知ってびっくりしました。世の中は狭いものですねえ。

 梅雨の晴れ間の束の間の交流は、超多忙だった7月のスケジュールで少々お疲れモードだった私の心に元気を回復させてくれました。さあ今日も午後から往復250キロの高知県四万十への旅が再び始まります。

  「えっ生で 食えるの本当 嘘でしょう とうもろこしを 一本食いつく」

  「ハーモニカ 吹くは私で 皆さんは トウモロコシを まるで楽器に」

  「雨予報 大幅はずれ 得をした これも人徳 日ごろ行い」

  「酒なくも 交流盛んに 盛り上がり 心温め 山道下る」

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shin-1さんの日記

○沈下橋の向こうに・長生地区(20-6)

 玖木の橋めぐりを終えて夕闇迫る船宿舟母の下に架かる沈下橋を渡ろうとした時、異様な光景を目の当たりにしました。

 対岸の橋が川面に発生した霧に包まれ、何とも幻想的なシルエットを醸しているのです。絵になる心に残る光景でした。写真には残念ながらその全てを表現できませんでしたが、この光景は四万十川のもう一つの美かもしれないと改めてその魅力を再発見しました。

 せっかく玖木の橋めぐりがあって早朝より西土佐へ入るのだからと中脇さんに無理をいって夜の集会をセットしてもらいました。その地区へ入る前、中脇三のご好意で四万十川の名物であるうなぎをご馳走になりました。そういえばこの日は土用丑の日で昨日から今日にかけて日本列島がうなぎの蒲焼の匂いで埋め尽くされる日だったのです。細やかな女性の気配りに感謝しながら天然うなぎの食感を味わうことが出来ましたし、肝吸いもついて何ともはや贅沢な夕食でした。食後は寸暇を惜しんで藤倉さんと3人で四万十川本流の沈下橋を三つも見せてもらいました。

 朝早くから堪能するほど橋を見てきたものですから、どの橋が何処に架かっていたのか写真をブログにダウンロードしながら迷ってしまいました。車の中でその橋の説明を中脇さんから受け、橋のたもとに着く度に下車してとりあえず写真に収めてみましたが、未だに橋の名前と写真が一致しないのです。

 沈下橋の向こうに20戸に満たないという中脇さんのふるさと長生地区はありました。沈下橋を渡ると青草の匂いがプーンとしてきました。何でも今日は道普請の日とかで、道端の草はきれいに刈られ、私の来るのを掃除をして待っていてくれたような温かさを覚えました。数日前公民館に間抜けな泥棒がガラスを割って入ったとかで、大した被害も無くその話題が開会までの楽しい会話になりました。小さな地区だけあって時間どおり、しかも沢山の人がやって来て会は始まりました。中には私の話を何年か前に和田課長さんと双海町を訪れて聞いたとう人や、中脇さんのご主人、宇和島水産高校出身の息子がいる人などなど、熱心に耳を傾けていただきました。

 私たちはそこに暮らしていると、いつの間にか固定概念が出来上がってものの見方がついつい単調になりがちです。変えなくていいことを変え、変えた方がいいことを変えないでいます。また自分では四万十川のことを一番知っていると想っていることもあるだろうと思います。しかし本当はそれが妄想であることに気がつかなければならないのです。私がアメリカで世界地図の真ん中に日本が無いことを発見したり、南北逆さまの世界地図を見て気がついたり、また他町村から来た人に夕日の美しさを指摘されるまで気がつかなかった事例を元にお話をしました。発想の転換を話したつもりですが果たして人の心の扉を開いたかどうか・・・・。早いもので明日で三分の一が終わります。微調整を繰り返しながら、できるだけ分り易くこれからもいい話をするよう心がけて行きたいものです。明日は橘地区、役場を辞めた旧友の横山さんは果して来るでしょうか。

  「現代の 泥棒さんも 焼き回り 入った所が 公民館とは」

  「入口の 草を綺麗に 刈り分けて 俺を迎える 思えば嬉し」

  「そういえば この人見覚え ある顔と ついぞ昔の 思い出めくる」

  「あっ危ない ハラハラドキドキ 沈下橋 中脇女史は 平気スピード」 



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shin-1さんの日記

○玖木の一日橋めぐり・玖木地区(20-6)

 四万十市西土佐玖木は戸数20戸ほどの小さな集落です。今回の旧西土佐村集落講演会のシリーズもいよいよ本格化し始めましたが、20-1回目が玖木地区でした。一回目の感想や様子はブログで紹介していますので省略しますが、その集落講演会が縁で「玖木の一日橋めぐり」という小さなイベントが誕生したのです。そのイベントを実施出来たのは区長さん始め多くの地域住民の「何とかしなければ何にも始まらない」という熱い想いでした。そしてその活動をサポートしたのは産業課の中脇さんと藤倉さんの二人の女性でした。イベントを開くための準備会を開き、案内パンフも、玖木までの道筋に看板をかけるのも二人がお手伝いをしました。勿論地域住民が主役で食材を持ち寄り、柴もち作りの技、藁細工の技を持ち寄り、雨の日メニューまで用意する周到さです。この日は期待した梅雨明けもなくあいにくの雨模様でしたので、参加キャンセルが相次いで人数的には少なかったようですが、その分地域の人や参加者が主役になって和気藹々の集会となりました。

 「えっ、橋なんてグリーンツーリズムの地域資源になるの?」って疑問が返ってきそうですが、足元を見れば玖木地区には何と大小取り混ぜて20もあるのですから驚きですし、その橋も四万十周辺にしか見られない珍しいものがいっぱいあるのです。傘を差しながらマイナスイオンの中を橋に向かって歩きました。私も20年来旧西土佐村へはやって来ていますが、こんな小さな集落へ足を踏み入れるのは初めてだし、橋の存在さえも知りませんでした。聞くところによると玖木地区には紹介されていない小さな沈下橋が三つもあるのです。

 四万十川の写真に必ず出でてくる沈下橋は、橋の欄干も無い簡易な橋です。大雨で川の水量が増えると濁流が平気で端を乗り越え沈下するから沈下橋と名前がつけられているのですが、最後の清流という代名詞を持つ四万十川にはどんな立派な橋よりも沈下橋がよく似合うのです。下の写真は最初に訪ねた沈下橋です。

 

 橋のたもとには橋の戸籍とでもいうべき判読が難しくなった古い木板が》立っていました。中村から参加したという女性にお願いして、遊び心で芸術的な写真を一枚撮りました。どうです。雨の中の沈下橋の上で赤いパラソルを差し一人たたずむ女性の姿は何とも旅情を掻き立てます。この日は折りからの雨で四万十の支流黒尊川の水量も多く、川面は絹のような薄い霧に煙っていました。

 少し上流まで歩いていくと紅葉の新緑が目に入ってきました。秋の紅葉の頃はここが一番のスポットになるそうですが、紅葉の新緑も絵になる光景で瀬音ゆかしい姿を見せてくれました。この橋を渡って林道を進むと2時間ほどで宿毛市へ行くのだそうですが、秋には是非錦織なす美しい意紅葉を見たいものです。

 公民館へ帰ってから午前中の最初のプログラムである藁草履作りに挑戦しました。用意してもらった藁を木槌でドンドン音を立ててほぐし、地元のおじさんやおばさんの指導で藁草履を作るのです。地元の人でも藁草履を履いた経験や親から作ってもらった思い出はあっても、自分で作るのは初めてという人もかなりいて、ワイワイガヤガヤとにかく蜂の巣を突付いたような賑やかさでした。地区外から小さな子どもも参加していて久しぶりの子どもの歓声に地区の人は目を細めていました。想像していたよりは難しい草履を幾つか完成した頃には村内に昼を告げるチャイムが鳴っていました。

 さあお楽しみの食事です。今日のメニューは山菜の天ぷら、きゅうりと芋茎の酢の物、豚汁、アメノウオの塩焼き、それに白いご飯となかなかのご馳走です。その全てをパチリ写真に収めました。

 この日のために作ったという竹の食器はまるで「おひつ」かと思わせるような孟宗竹の丼鉢で重くて腕がダルほどでした。天ぷらの衣に味付けをする独特の調理法で全て美味しく召し上がりました。特にご飯は美味しくみんなお代わりをしたり返りにはお結びを土産にとって帰るひともいるほどでした。この手のイベントには

つきもののアルコールが出ないことも私には満足でした。その代わりにお茶の葉っぱを火であぶって煮立てる即席茶は本当に美味しい山村の現場でしか味わえない味でした。

 おばあちゃんが、石臼を持参しました。トウモロコシの乾燥した種を粉にするのです。私たちの子どもの頃はばあちゃんに頼まれて石臼を挽いた経験があり懐かしく思いました。2回回して何粒ずつか穴に入れる作業は気の遠くなるような作業ですが、それでも臼ですり潰したキビの粉が臼の回りに出ると嬉しくなって回したものでした。このキビ粉は午後の柴餅の中に交ぜて使うのです。おばちゃんの粉を挽く姿に死んだ母や祖母の姿が重なり、懐かしい思い出いっぱいになりました。

 お昼の時間を利用して篠田幹彦さんに誘われ奥屋内の炭窯づくりを見学に行きました。8人ほどがショベルカーを使って炭窯周辺の整備を行っていました。懐かしい顔ぶれに出会いここにも田舎でどっしり生きてる人々の活動を見せてもらいました。わが人間牧場と同じく屋根は節を抜いた竹を交互に組んで屋根に葺いたりしていましたが、切り時の良い竹を葺いた炭窯も中々味のある出来栄えのようでした。

 公民館に戻り出来たての温かい柴餅をいただき、再び橋めぐりに出掛けました。沈下橋に出た所でカヌーで激流下りを楽しむ松山から来たという一団に出会いました。彼らは雨の中でアウトドアスポーツを楽しんでおりみんな感心して見とれていました。

 橋めぐりの最後は橋が流されている場面で終わりました。何でもこの橋は増水時に引き上げられるという何とも奇妙な板橋ですが、このところの増水で橋が流されワイヤーでくくって川岸にあるのを見ました。いやあ、実に橋めぐりは楽しいイベントでした。

  「それぞれの 橋に名前が あるのです 向こうとこっち 想い結んで」

  「あいにくの 雨で橋上 昼寝する 夢は叶わず 次の機会に」

  「これ程の 橋を活かせば 必ずや 人は見に来る みんな頑張ろ」

  「雨だから 出来る仕事を 黙々と 炭窯造る 姿に感動」

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