shin-1さんの日記

○結婚しない人

 少子化が大きな社会問題となってきました。日本の人口状態は戦後ずっと人口ピラミッドといわれるように正三角形の形をしていました。しかしそれが釣鐘型となり、最近では逆三角形になろうとしているのです。私たちが若い頃、スウェーデンの社会福祉制度が進んでいることを学びましたが、北欧のそれとは比較にならない程のスピードで高齢化社会が到来し、今や日本は世界一の長寿国になったのです。長生きすることは医学の進歩もさることながら豊かさの証明ですから喜ぶべきでしょうが、働らいて社会を支える人が減り、福祉の恩恵を受ける人が増えるバランスの崩れは将来への大きな不安となっているのです。

 女性が子どもを生む出生率は1.3人を切ってしまう事が大きな要因に変わりは無いのですが、最近少子化の原因として結婚しない人が増えていることを指摘する人が増えつつあります。現代の結婚適齢期は男性が限りなく30歳に近い平均29歳、女性は平均27歳で10年前より1歳も晩婚化しているのです。更に結婚を恋愛か見合いか調べれば圧倒的に多かった昔に比べて見合いの比率が10パーセントで、恋愛が90パーセントとその比率は恋愛が殆どになりつつある勢いのようです。

 独身貴族は余程のことがない限り子どもを生みません。独身が増えるということはその分だけ子どもの出生率が減る計算になるのです。今若者の間では結婚したくない症候群なる病気が蔓延しているといわれています。テレビドラマに出てくる未婚の男性や女性はセレブと呼ぶに相応しいゴージャスな部屋に住んで暮らしています。全ての暮しが自由で、不自由な結婚生活をするよりははるかに煩わしさの無いものですから、誰もが憧れることは当然のことかも知れません。独身者は親元を離れ一人暮らしをするものですから、一人身に対する社会の目も届きにくく、その自由さがまた魅力なのでしょう。

 私たちの身の回りには昔に比べ未婚の女性や男性が沢山います。かつては地域に青年団のような若者の交流機会がたくさんあった時代に比べると、今はそんな男女出会いの場所も限られているのかも知れません。でも高学歴化社会になって長い学生時代が昔より増えたことを思えば、交流の機会は今も昔も変わらないはずなのです。

 離婚率が増えたことも気になります。結婚した人の40パーセントが離婚するという、信じ難い数字があるのです。そういえば理由はどうであれ私たちの身の回りには子どもさんを連れて親元へ帰って暮らしている親子を随分見かけるようになりました。私たちの町のように過疎化が進んでいる地域では、人口が増えることですからそれはそれとして喜ぶべきなのでしょうが、親の都合で離婚する、しかも離婚の原因が「性格の不一致」なんて訳の分らぬ出来事に子どもの一生を巻き込んで果たしていいものかと、深く考えてしまうのです。子どもにとって心の安定はやはり願わくば両親がいる方がいいことに変わりは無いのです。

 最近の青少年問題の深刻な原因も、案外そんな家庭の変化にあるのかも知れません。

 私は今まちづくりの仕事で日本全国の過疎地域を回っていますが、40歳を過ぎ若者とはいえない若者が親とひっそり暮らしている結婚しない人の多さに驚いています。ひと頃のように町や村が外国からでも嫁さんを探そうなんて積極的な嫁武装玖対策に乗り出すような所は皆無に等しくなりましたが、親の死んだ後の一人暮らしの息子の末路を考えると少し寂しい気がするのです。

 いずれにしても「結婚しない人」をなくすることが涵養です。「若者よ、結婚は素晴らしい」と私は胸を張って主張します。

  「結婚を しないで人生 終えるとは 勿体無いの 一言尽きる」

  「俺なんか 子ども四人も 産んでいる これが自然だ 社会に貢献」

  「性格が 合わぬと離婚 したがるが 他人同士だ 会わぬはずだよ」

  「気になるな 急速進む 少子化は 日本の未来 暗雲立ち込め」

 

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shin-1さんの日記

○寅さんの夢

 平成6年の夏にフーテンの寅さんが死んでから早くも12回目の夏を迎えました。国民的英雄になった寅さんに「やあー」と声を掛けてもらっただけの私ですが、私が撮った一枚の写真と第19作の映画ビデオは今も大切に手元にしまっています。寅さんの映画の楽しみは色々ありますが、欠かせないのは最初に見る「寅次郎の夢」でしょう。双海町下灘駅が舞台になったのはそんな夢から現実へ引き戻される場面だったのです。

 《勤皇の志士が相次いで集う京洛の地に忽然と現れた熱血の士鞍馬天狗。その天狗のもとに駆け寄る杉作。連れて来てくれた女性に礼を言って立ち去ろうとした時、「もしやあなたは江戸は葛飾柴又の生まれでは?」と尋ねられ、頭巾を脱いだ顔を見ると妹のさくらだった。しかしその時すでに敵の罠が迫っていた。》

 「お客さんのぼりの列車が来ますよ」とエキストラに扮した駅長がプラットホームのベンチで寝そべって夢を見ている寅さんを起こし、夢から覚めた寅さんは瀬戸内海に向かって大きなあくびをしてテーマ音楽が始まる筋書きは、ビデオを何回見ても思わず噴出してしまうシーンなのです。

 私は当時町の広報マンをしていました。寅さんのロケが下灘駅であることを知って現場に駆けつけると、山田洋次監督はカメラの後ろで細かい指示を出していました。私は山田監督に許しを得てその風景をカメラで連写しました。その一枚は様々な場面でよく使われました。特に下灘郵便局が夕焼けプラットホームコンサートの度に作ったたとうには何度も登場したのです。記憶ではその日は昭和52年8月1日の出来事でした。

 その後夕焼けプラットホームコンサートを始めて開催したのは昭和61年6月30日ですから10年後にこの駅に再び脚光を浴びさせたのです。あれから20年余りの歳月が流れました。寅さんの夢が私の夢になり、その夢が現実となって夕日を世に出したのです。日本一海に近い駅と言われた下灘駅もその後海側にバイパスが通って、今は日本一海に近い駅という名前を返上していますが、時の流れの早さに驚く今日この頃です。

 寅さんの寝像を造りたいという夢もそろそろ実現しなければならないと思いつつ、未だ一歩を踏み出せないもどかしさを感じつつ、今年もまた暑い夏がやって来ました。先日関西汽船の浜田さんがサライという雑誌を届けてくれました。「寅さんを旅する」という特集号なのですが、寅さんは何時になっても歳をとることもなく、カバンを提げて旅を続けているような錯覚を覚える今日この頃です。

  「田舎駅 ひょいと寅さん 降りそうな そんな気がする ホームに立ちて」

  「寅さんの 寝像造ると 意気込んで 松竹掛け合う 昔懐かし」

  「やあとだけ 言葉を交わした あの時の 寅さん今も 脳裏に焼きつき」

  「どの辺り 旅を続けて いるのやら 寅さん旅先 ひょいと会うかも」

  


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○変なおじさん

 私の元へは毎日沢山の人がやって来ます。相変わらず役所の人も多いのですが、その人間模様は実に多士済々で飽きることはありません。中には生活に困って金を貸してくれとせがむ人もいれば人生の悩みを抱え相談に来る人もいます。金に困った人にはお金を貸し与えるのが一番でしょうがお金を貸すと縁の切れ目が多いので、私の取り決めは5千円以上は貸さないようにしています。そして前の金を払わない人には貸さないようにしているので、たとえ踏み倒されても5千円以上の損害をこうむることはないのです。しかし人の悩み事はこれまた人それぞれで、広くて深いことを実感します。農薬を飲んで自殺経験のある人や事業に失敗し死にたいと漏らす人、子どもの悩み、夫婦の別れ話などなど相談の種は尽きません。

 妻が「あなたは人生相談請負人なの?」というほどに沢山の方々が私の元へ来るのです。中にはええ加減の人もいて甘い顔をするとどんどんやって来ます。今朝も寝巻き姿でパソコンを打っていると、玄関でチャイムが鳴りました。妻が取り次ぎ出て見ると顔見知りの町外の変なおじさんです。この方は有名人の色紙や書を持ち歩いては小遣いを稼いでいる人です。明らかに贋作と分かる品々ですが、現職の頃からやって来ては四方山話をして帰ってゆくのですが、その都度騙されまいと思うのですが、ついつい可愛そうになって財布の紐を緩めて小遣い銭をせしめられるのです。

 今朝は自分の書いた色紙を買ってくれというのです。良寛さんの言った言葉を書いた色紙はよくある公民館の講座生が書く程度のものなのでしょうが、言葉が気に入ってまた3千円を出してしまいました。その色紙には「ぼける時はぼけるが善し 死ぬ時は死ぬが善し 良寛」と書かれていました。意の向くままの良寛和尚らしいボケや死を恐れない生き方に感心して小遣いを減らしてしまいましたが、この言葉に出会ったし、いわば良寛さんの化身に出会ったと思えば安いものなのでしょう。

 人を見る目は一朝一夕に出来るものではありません。第一印象とその後付き合ってからの落差の大きい人は誰もが経験しているし、騙す様な人ではないのに騙されてトラブルに巻き込まれることはもう日常茶飯のことなのです。オレオレ詐欺や振り込め詐欺、押し売りなどはその典型で、人の弱みをまるで心理学者のようについてきます。最近はゼロ金利を背景に利殖話による被害者が多いようです。誰だって2パーセントよりは5パーセントの利回りの方が得だとは思いますが、美味しい話には必ず裏やリスクが付きまとう危険性も立ち止まって考えなければ、せっかく長年かかって貯めたお金を全て持っていかれるのを防ぐのは、欲の皮をなくすこと以外に無いのです。

 妻が仕事に出て間もなくまたチャイムが鳴りました。学生風の女性が胸元に身分証明書をぶら下げて、「会福祉のために手作りクッキーを販売しているので買って下さい」やって来ました。私がいちいち訪ねると化けの皮が剥がれたのかすごすごと帰って行きました。素敵な若い女性が訪ねて来ると私のような実年スケベ親父ならイチコロ騙されるのでしょうが、チャイムを鳴らし訪れた家が悪かったようです。

  「いい人に 見えるが実は 魂胆が 騙し騙され 世の中愉快」

  「身分書く 名札怪しい 化けの皮 はがれてなおも 次の家行く」

  「良寛は ボケも死ぬのも 善しという 俺はまだまだ そこまで悟れず」

  「日銀の 総裁儲け 次は俺 儲け話に 乗ると危ない」

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shin-1さんの日記

○広島は近いようで遠い

 連鎖反応とでもいうのでしょうか、最近広島への旅が多くなってきました。集会に招かれ講演をすると時には名刺入れが空になるほどの人気ぶりで、その名刺が一人歩きしてまた核分裂を起すのです。ねずみ講のようなまるで信じられないような方法で講演の依頼があるのです。私が別に「講演に呼んでください」と頼んだわけではないので詐欺商法(笑い)にはひっかからないと思うのですが、まあそんな感じで名刺への2万円の投資はかなり成果を挙げているようです。

 昨日の朝の松山地方はどしゃ降りの雨でした。駐車場から船着場まで僅か数百メートルなのに傘を差してもズボンの裾はびしょ濡れになってしまった程でした。広島へは便利なスーパージェットという高速船を使いますが、これが新幹線並みの速さと表現してもよいようなスピードで海の上を走ります。松山から広島まで直線距離にして70キロ弱ですが途中の呉港に寄港しても僅か1時間17分ですから相当の早さです。しかしその料金も新幹線並みで6300円もするのです。往復12600円は貧乏人の私にとってはかなりの負担です。したがって時間に余裕がある場合は早起きをして同じ距離だのに何故か安いフェリーを片道だけでも使うのです。いつも不思議に思うのですがスーパージェットに比べるとフェリーは倍の2時間40分も乗っているのに料金は2700円なのです。したがって昨日は6300円と2700円の差額3600円の経費節減ができた計算になり少し得をしました。でも帰りは夜の集会に間に合うように格好よく帰りたいとついついスーパージェットの人となりました。 

 広島は近いようで遠いです。我が家から松山観光港へは約1時間余り、スーパージェットを使っても宇品からタクシーや電車を使って海上へも約1時間弱かかります。飛行機を使って東京へ行くのと同じくらいの時間がかかるのですから遠い実感は否めないのです。でもその分旅に出たって感じを受けるのですから良しとしておきましょう。

 先日島根県益田市種へ出かけた時、この航路筋についてカメラ散歩をブログで紹介しましたが、この航路筋はその気になって見れば幾らでも見所があります。音戸の瀬戸だって平清盛がしずむ夕日を扇で止めた伝説などの由緒ある土地柄だけにフェリーからでも史跡を見学することができるのです。狭い海峡ながらデッキに出るとほら、手が届く程の近くにこんな史跡がゴロゴロです。

 昔はここは交通の難所であり要所でした。対岸へは渡し舟しかなかったのです。今もその名残の小さな渡し船が両岸の間を忙しげに行き来して人々の暮しに息づいています。一度乗ったことがありますが何とも風情のある音戸の渡しでした。

 今はその難所もループ橋によってあっという間に対岸へ車で行くことが出来るのです。まるで何処かのショッピングセンターの駐車場のような雰囲気ですが、やはり遠望は素晴らしい音戸の橋の風景なのです。

 瀬戸内海は交通の難所が多く、霧も出て船の衝突事故も度々で船舶関係者を悩ませます。海上にも道路交通法と同じ海上衝突予防法なる法律があって、その法律に基づいて操船が行われるのですが、海の上で信号の変わりをしているのが灯台や浮標です。海の上をご存知ない方には馴染みのない話ですが、灯台や浮標は昼は色の識別、夜は光の識別が出来るようになっていて、海図にはちゃんとそのことが載っているのです。

 これは音戸の瀬戸の広島側浮標です。

 これも広島側の島の灯台です。まるで絵に描いたような小さな島が瀬戸内海にはこのように無数にあって、夜ともなると等間隔の光を放って自分の島の存在を誇示しているのです。

 その右にはかつて海軍兵学校のあった江田島が見えました。かつては古鷹山を臨むこの島から多くの若者が戦地へ赴いたことでしょうが、平和な今はただひっそりと瀬戸内海に映えていました。

 昨日は広島の自治総合研修センターで行われた地域づくり支援研修に招かれました。各自治体から選ばれた中堅職員が20名ほど参加していましたが、前もって質問事項が用意されるなど、やる気満々のセミナーで午後1時からの研修にもかかわらず、居眠りなど一人もいなくて凄い迫力を感じました。3時間というこれまた長いようで短い研修は私の話に終始しましたが、帰ってからの担当者からのメールによると大きな反響があったと書き記していただきました。特に今回の研修会には女性の参加も目立ちましたが、「男性よしっかりしなさい」と言いたい感じでした。

 四国を経つときはどしゃ降りの雨も、広島では時折太陽も覗くまずまずの天気で、持参した傘をうっかり忘れるほどでした。

 近くて遠いまち広島は行く度に発展を遂げているような活力を感じます。こちらも負けないように日々進化を続けたいものです。

 

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