shin-1さんの日記

○色々な橋を渡って

 視察地の九州宗像市から山口県長門市にある湯本温泉へは高速道路を3時間、関門海峡に架かる海峡大橋を渡りました。休憩のために立ち寄った橋のたもとにある九州めかりサービスエリアから門司と下関を見ました。何隻もの大きな船が西に東に橋の下を行き交っていましたが、本州と九州を結ぶ橋の果たしてきた経済効果は相当なもののようです。かつては本州の方が政治的、経済的に優位に立った時代もありましたが、博多を含めた北九州の飛躍的な発展によって、今では山口県辺りは吸収の経済圏域に完全に呑み込まれているようです。

 レトロな門司の市街にも沢山のビル群が立ち並び海峡界隈は独特な文化圏を形成しつつあるようでした。そういえば昨年2月に下関21世紀協会の招きで合併記念の講演会でこの地を訪れ、また21世紀協会と西瀬戸交流でえひめ地域づくり研究会議が交流してから1年半ぶりの光景ですが、その時は対岸のホテルからこの光景を眺めながらの会議でした。

 宿泊先は白木屋ホテルという大きなホテルでした。観光シーズンでもないのでホテルは散閑として落ち着いた佇まいを見せ、下を流れる川には両岸に散策歩道や足湯場、かつての洗濯場が整備されて、ホテルの下駄を履いてカランコロンとひとり早朝散策を楽しみました。ミニ沈下橋を渡るとその橋には無数のカワニナがひっついて清流の趣きを一層引き立てカワニナ=ほたるを連想してしまいました。

 湯本温泉のシンボルのような銭湯は朝の光に映えて旅情をかき立ててくれました。

 明くる日の昨日は再び下関へ舞い戻り赤間神宮を見学しましたが、平家一門のお墓や小泉八雲の耳なし芳一の物語を見学しながら、海峡を眺めてもの思いにふけりました。

 橋は対岸から見たり山頂から見るとまた違った姿を見せてくれます。あいにく関門海峡は霧が立ち込め大橋や海峡の様子は霞んでしか見えませんでしたが、潮流が激しく流れる中を忙しげに行き交う船の姿は躍動感に溢れていました。

 山頂展望台で戦艦大和の砲弾を見つけました。折りしも北朝鮮のミサイル発射のニュースが世間を騒がしているだけに、多くの人が取り囲んで過去の戦争遺物を見学していました。何でもこの砲弾の射程距離は42キロだそうです。

 その後最後岩国錦帯橋を見学しました。平成の大架け替え工事も無事終わった日本一の木造橋は梅雨の雨を満々とたたえた川の水に映え美しい姿を水面に映していました。その姿はまるでめがねのようで係留している屋形船が旅情をさそっていました。夜は鵜飼のかがり火が幻想的な雰囲気を醸すのでしょう。

 この橋は近くで見る。橋を渡って見る、橋を下から見る、橋を反対側から見る楽しさがあり、つかの間の時間にすべてを経験し堪能しました。

 特に下から見た橋の姿は日本人の技術の高さと美的感覚をまざまざと見せてくれ日本人として誇りを感じました。鉄やコンクリートが主流の時代にあってせめてこの橋だけは後世に残して欲しい職人技であり芸術品なのです。

 帰りは柳井港からフェリーに乗り、周防大橋の下をくぐりました。長さ千メートルの橋もまた見事でした。この橋を渡ると私たちの街の沖に浮かぶ周防大島へ行くことができます。島も私たちの街から見る姿とは随分違って見えるようです。かつては山口県東和町だった島も今は名前が変わり瀬戸内の霧に煙っていました。また近いうちに宮本常一の足跡を訪ねる旅に出てこの地を訪ねたいと思っています。

  「幾つもの 橋を渡って 旅つなぐ 人の想いと 技術に感心」

  「心せよ 祇園精舎の 言葉じり わが身に置き換え 戒めとせん」

  「この流れ 今も昔も 変わらねど 全てを呑み込み 西に東に」

  「もの悲し 耳なし芳一 物語 ハーンは何を 伝えたかったか」 


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shin-1さんの日記

○自治会長視察団が行く

 私は現在伊予市広報区長という、いわば自治会長をしています。区長に就任したのは役所を退職した昨年の4月でした。長年お世話に成ってきた住まいのある地元にある程度のお返しをすることはそこに生きるものにとって当然の責務だと思ったし、先輩諸氏もそうしてきたことなので任期2年の約束を果すべく懸命に慣れぬ区長の仕事をこなしてきました。しかし私が任命を受けたのはあくまでも地元の地区民から推薦で地元の仕事をするためでした。しかし区長という仕事は行政と住民を結ぶ末端の仕事もこなしてゆかなければなりませんから、民意の集約と民意実現のために苦情や要望を丹念小まめに行政に要望してきました。地元の仕事をしながら行政からの上意下達的な仕事もこなしてゆく巾の広い煩雑な仕事は予想を上回る量と広範多岐さに慣れぬこととはいえ驚いたりもしました。でも一年が過ぎると区長の仕事の矛先もこなしモードから改革モードに変化し、様々な改革を試みました。緩やかな暮しの中にどっぷり漬かっている地域住民は急激な変革を望まず、随分と跳ね返されましたが順調に改革の歩を進めています。

 しかし合併という思わぬ行政の変革の波に呑み込まれ、広報委員と広報区長という役割が委嘱という形で一方的に制度化されてウムを言わせず了解させられてしまったのです。特にこれまでは行政がやっていたことを行政のスリム化と、旧伊予市にあわせる画一化いう美名のもとに押し付けられ、広報の配布などの様々な業務が抵抗や意見具申に耳を貸すことも説明責任も果さぬままうやむやに押し漬かられてきました。行政に身を置いていただけにやり切れぬ気持ちは今も心の中にくすぶり続けているのです。

 そんな矢先広報区長の研修旅行が計画され昨日までの一泊二日の日程で福岡県宗像市への視察となりました。一人3万円もかける旅行は50人だと150万円もかかるものですから3千円の自己負担とはいえ大変な出費だと思いつつも、昨年不義理をしていたこともあって参加しました。

 宗像市の人口は9万5千人余り、わが伊予市の倍もある大きな市です。コミュニティ行政の先進地として大きな成果を挙げていました。相互扶助と地方分権を自治行政の大きな柱として行政の役割と住民の役割を明確化し、対等な立場で協働していくいわば協働と参画のまちづくりのモデルのような街でした。その方針は行政の権限や財源の移譲という大胆な政策によって自己提案、自己決定、自己実現、自己責任というシナリオが出来ていました。コミュニティには地縁コミュニティ、知縁コミュニティ、テーマコミュニティなどがありますがこれらを網羅したコミュニティ行政は聞く限り合併後のまちづくりにとって大切な方向だと思いました。

 よくある視察パターンの1時間半の訪問でしたが吉武地区のコミュニティについて、特に予算と職務への関心が高く30分も時間オーバーしてしまいました。視察は同行した二人の担当者の受け止めと区長たる私たちの受け止め方とは随分違うはずですが、いいところを吸収していい街にしたいものです。

 私の目は視察もさることながら、二つのことが目に留まりました。一つはセンター入り口の分別収集のためのゴミ箱でした。このゴミ箱はかなり知恵が出されていました。ゴミの分別収集への住民の意識を垣間見るようでした。

 もう一つコミセンの入り口に銅像が建っていました。

 明治維新の志士「早川勇」の顕彰碑なのです。私たちは四国出身ですから特に高知へ行くとこの手の顕彰碑は坂本龍馬を筆頭に沢山目の当たりにするのですが、早川勇という人物の存在すら知らなかった私にとって大きな成果でした。詳しい碑文はこの3枚の写真でしか知るよしもありませんが、この写真を拡大解析してみたいと思っています。旅の途中に出会った早川勇との出会いは今回の旅の大きな収穫でした。

  「九十分 僅かな話で 茶を濁す これでも視察と 胸を張るなり」

  「視察地で 思わぬものを 発見し デジカメ写す 嬉し出会いが」

  「さあ視察 終わったビール 開放感 バスは賑やか 宿へと進む」

  「同じ市に 住む者なのに 名も知らず 始めましてと 名前語りぬ」


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