shin-1さんの日記

○お茶と水と油

 最近何処へ行っても集会には必ずペットボトル入りのお茶が出てきます。350mlか500mlの2種類があるのですが、飲む人も飲めない人も同じように机の上に冷えたお茶が出るのです。私のような戦後の物のない時代に育った人間にとってみればこのお茶のサービスは何とも勿体無い使い捨てだといつも思います。だってこれ程環境問題がとやかく言われる時代になってもなおこうした使い捨て文化が流行っているのです。先日もある二つの会議でこのことを指摘したら、主催者が変な顔をしていました。

 一つ目の会合は環境セミナーです。環境をどうするかがテーマのセミナーなのに机の上にペットボトルを無造作に置くようでは環境を語る資格がないと指摘したのです。会場は幕開けから本題に入る前にペットボトル論争となりましたが、私は昨日も今日も魔法瓶にお茶を入れて遠出をしました。お茶を買う150円のお金がないからではなく、少しでも環境にやさしい実践を行いたかったからなのです。確かにお茶のペットボトルは便利ですが、高齢の人に500mlは飲めないし、ペットボトルの始末はこれまた厄介なのです。

 二つ目の会合は特産品開発の会合でした。愛媛の特産品を開発するにはどうしたらよいか、みんなが雁首そろえて話をする農協の席上にペットボトルのお茶が置かれていました。私はこのお茶を愛媛のまじめなジュースに変えたらどんなに消費が拡大するだろうと提案しました。僅か150mlでも愛媛県内の集会すべてにジュースが飲まれたら農家は勿論大助かりで農協も農民の味方になること間違いなしなのです。無造作に何の疑いもなく業者の消費宣伝や消費行為に乗っている私たちがいることを少し立ち止まって考え直してみたかったのです。

 男女の性差をなくし女性の地位向上のために、助成がお茶を汲む従来の日本社会の在り方を変えようという提案から、女性がお茶を沸かしたり出すことに疑問を持たれ始めてからペットボトルが急速に普及し始めたようです。確かに男女同権の時代に女性だけがお茶を出すことはおかしな話です。最近は事務所を訪ねても男性がお茶を出す光景を良く見かけるようになったことは嬉しい変化です。でもお茶を買うこと、ペットボトルを出すことでこの問題が解決したとは思えないのです。

 私は小さな集落の自治会長をしていますが、毎月一回のペットボトル回収の日には大型トラックに積み込めないほどのペットボトルが出され、今更ながらペットボトルが私たちの暮しに深く浸透していることを実感するのです。

 今ガソリンは史上最高値を更新しています。それでも1リットル240円までなのです。ところがペットボトルに入れられたお茶や水は150円で500mlですからリッター換算すると2倍しなければならないので、何と300円なのです。私たちは知らず知らずのうちにガソリンより高いお茶や水を飲まされていることになるのです。

  「お茶や水 タダだと思うに 油より 高いお金を 払う愚かさ」

  「おーいお茶 宣伝するは 新之助 俺も進ちゃん 大分違うね」

  「わが妻は お茶を沸かして ポット詰め 車に積んで 行ってらっしゃい」

  「茶の話 しっちゃかめっちゃか 茶を濁す ちゃかす言葉も 茶目っ気ちゃらよ」

  

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