shin-1さんの日記

○学生が私の話を聞きにやって来る

 私の年齢は61歳、決して若くはありません。でも自分は若いつもりだし「今やれる青春」をテーマに様々な活動を展開しています。松下幸之助さんがPHPの創刊号に「青春とは心の若さである。心に望みを持って行動すれば青春は永遠にその人のものである。」と言ってるように、青春とは心の若さだと同感します。今時の若者は歳が若いからといって誰もが若いとは思いません。若いのに年寄りみたいな若者も結構いるのです。

 そんな考えの私に憧れてではないと思いますが、つい最近私の元へ若い人がよく遊びに来ます。変な関係ではなく、「就職に当って助言を求めたい」とか、「あなたの輝きの根源が知りたい」などと、泣かせるセリフを言ってやって来るのです。若者と出会えるなんて羨ましいでしょう。私もそんな若者には目を輝かせて楽しいおしゃべりをして帰すのです。

 今日も男ながら大学生が私の元へやって来ました。何でも来年の卒論に双海町のシーサイド公園やまちづくりをテーマに書きたいとのことでした。夕方人に会う約束があったので2時間足らずでしたが、彼は私の「昇る夕日でまちづくり」という本をしっかり読んで、質問事項もメモする事前学習も出来ていて、好感の持てる態度でした。私は今6人の学生の卒論のお手伝いをしています。6人ともまちづくりといいながらテーマや展開が微妙に違って中々面白く、反面教師でこちらが勉強になります。卒論には裏づけとなるデーターの収集と解析は欠かせません。彼や彼女らがどんなデーターを元に論文を書くのか、また楽しみが増えました。

 若者と私には如何ともし難い40歳もの年齢差があります。40年前といえば私が青年団に入って多くのことを学んだ時期でした。あの頃を思うと今でも胸がワクワクときめきます。今の若者にあのようなときめきを求めるのは無理かも知れませんが、がっぷり4つに組んで若者の心に少しでも温かい風を吹かせてやりたいものです。

  「上り坂登る若者やって来て下り坂行く人に道問う」

  「欲しいもの聞かれ若さと言いました気がつく私遅きに失し」

  「上げて寄せ無理して若く見せようと思ったけれど化けの皮剥げ」

  「卒論も変わったものよわが町がテーマになって調査研究」

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shin-1さんの日記

○お歳暮に切手の贈り物とは

 昨日妻が「これお歳暮」といって50円切手を100枚プレゼントしてくれました。普通の人だったら「何をふざけているのか」と叱られそうですが、実は私にとって50円の切手はたまらない嬉しいプレゼントなのです。一日に3枚は必ず葉書を書く習慣はもう18年間も続いています。一日3枚使うと100枚の切手も僅か1ヶ月で無くなってしまうのです。出張が続いて沢山書く日は10枚を超える日もあるのですから、切手の贈り物は妻だから出来る最高のプレゼントなのです。

 切手にも色々あって美術切手や記念切手などがありますが、メジロをあしらった普通サイズでないと、大きすぎるとハガキをはみ出したりするので、縦切手を横に貼らなければ収まらない時だってあるのです。

 買ってもらった切手は全て一枚一枚に切って小さな名刺入れの小箱に入れておくと、何かにつけて便利です。私の仲間にはハガキマニアが沢山いて、毎月必ずハガキが届く殊勝な人もいます。また私がハガキを書いていることを知った人からは、「古くなった切手ですがまだ使えますので使ってください」と200枚もの切手をプレゼントしてくれた時もありました。人それぞれ何気なく届くハガキに目を通し、さりげない気配りを相手に出来る人は素晴らしいと思います。

 私の書棚にはかつて趣味で集めていた切手が沢山保存されています。やがて値上がりするかも知れないこれらの切手は、記念切手が多いため使う気にはなれませんから、多分これからもずっと書棚の一箇所を占領し続けることでしょう。

 今日届いた一枚のハガキを紹介しましょう。私の水産高校の大先輩の玉井恭介さんという人は絵心が素晴らしく、昨日人間牧場に案内した時もスケッチブックのような手帳を持参し、鉛筆で何やらスケッチしていました。官製ハガキの一倍半もある和紙製ハガキに人間牧場の眺望を書いて送ってくれました。絵を書けない私などは羨ましい限りですが、その人その人特徴があるのですから諦めず自分サイズで頑張りたいと思います。

  「今日受けし人間牧場絵に書いたハガキ一枚お礼文書く

  「五十円たった一枚の切手張りゃ日本全国くまなく届く」

  「俺の字はイボ字キレ字で汚いが人の心を感動させる」

  「ある女恋文つもりでハガキ出す妻何食わぬ顔して平気」

 

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suin-1さんの日記

○イかとタコ

 私の息子はサキイカが好きです。妻の買ってきたサキイカを食べながら先日妙な話をしました。「お父さんこのサキイカはどこの海で泳いでいたもんじゃろか」というのです。「そんなんお父さんにも分からん」といったら、「お父さんは水産高校の出身じゃないん」と偉そうに反論するのです。「じゃあお前は工業高校の機械科を出ているがこのハサミの原料である鉄は何処の国の鉄か知っとるか」と言ってやったら「そんな屁理屈知らん」と険悪になりました。まあ一事が万事次男の息子とはこんな他愛のないやり取りを繰り返す間柄なのです。

 しかし、息子の「イカの出身地」を聞いた質問を考えながら、サキイカの入った袋の裏を調べてみると、原材料は「マイカ」と書いているだけでイカの出身地は書いてないのです。袋詰めした業者の名前が家の近くの海産物屋であったので、ついでに立ち寄って聞いたのですが、店の主人も「私は袋に詰めただけです」とスルメより味もそっけもない答えが返って来ました。

 聞くところによるとこのイカは韓国から大量に入るのだそうですが、何処の海で泳いでいたのかは結局水産高校出身の私にも分からずじまいでした。

 昨日の夜食卓にタコの刺身がのりました。今度は先手必勝とばかりに息子に言ってやりました。「このタコ何処の海で泳いでいたか知っとるか」。息子曰く「双海の海じゃろう」。「何で知っとるん」。だって「下灘のおじさんが持ってきてくれたの見たもん」と小憎らしくいうのです。私の惨敗でした。しかし私も負けてはいません。タコの習性やタコの住処、タコの足の八本などなど様々なタコ知識を説明してやりました。息子曰く「さすが水産高校出身じゃねえ」の終わりに、「でもこのタコは泳ぐのだからどこの海か本籍は分からない」と一発かまされました。

 私たちが何気なく食べてるサキイカやタコの刺身も、実は突き詰めれば地球上で獲れているのですが具体的には何も分からず食べているのです。「これ何処で獲れたの」なんて、そんな疑問を持つと深みに入って行くので止めますが、地産地消やスローフードの時代です。少しだけでも考えて食べたいものです。

  このイカは何処で獲れたの息子聞く知らん分からん黙って食べよ」

  「タコは何故足が八本イカは十本俺が知ってる訳もないのに」

  「屁理屈を言った息子に負けまいとええ歳こいてムキになりつつ」

  「何故何故と聞くドラ息子孫似たり成長過程まだまだ知恵が」

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shin-1さんの日記

○道順は右か左か

 人生には色々な道順があって私たち人間は、何時も右か左か選ばなければ向こうへ進めない厳しい運命を持っています。その道順を間違えるととんでもない方向へ行ったり、時には「みんなで渡れば怖くない」の群集心理で撰ぶ事だってあるでしょう。例えば夜の寒い日に集会が計画されていたとします。風邪気味だったり、気が乗らないと「行こうか・行かまいか」悩むのは当然です。その場合「行こう」と決断したらプラス、「行かない」と決断したらマイナスを撰んだわけです。さあ会場へ着きました。早めに会場へ入れば席は余程のことがない限り自由席ですから、謙譲に美徳にあやかって後ろの席を選択するでしょう。多分その時の席選びの基準は「眠っても気付かれないような場所」とか、「仲間と隣り合わせの席」とかを単純に選びます。時には「あの人の近くは嫌だから」という人だっているでしょう。基本的に前の席を選んだ人はやる気のあるプラス、後ろは群集心理に弱いマイナスとしておきます。

 やがて集会が始まりました。普通の集会だと90分の講演があります。90分の講演の時間は大学の時間割が起源だといいますから、日ごろ聞きなれない大人にとって長い時間です。ましてや興が乗らないお義理参加や講師の話が面白くないとついつい眠りこけてしまいます。逆に進んで話を聞こうと思って参加した人は聞き逃してなるものかと思うでしょう。眠った人はマイナス、積極的にメモを取って聞いた人をプラスとします。このように僅かな時間でも右か左か心の持ち方の道順選びでプラスにもマイナスにも傾いて、一日の成果が積み重ねられて行く算段です。

 あるお寺さんで聞いた住職さんの説教ですが、世の中にはマムシ型の人間と乳牛型の人間がいるそうです。同じ水を飲んでもマムシは毒にして人を襲うし、乳牛は牛乳にして人様のお役に立つというのです。マムシ型は人の話を聞いても「私には関係ない」と思い、乳牛型は同じ話を聞いても自分に当てはめて考えます。大体世の中には乳牛型人間が9割、マムシ型のへそ曲がり人間が1割だそうです。あなたはひょっとしたら1割のマムシ型人間ではありませんか?。

 結局は人生左か右か、プラスかマイナスか道順の選び方ひとつで人生は変わって行くのです。ちなみに私は乳牛型、随分プラスの要因を積み重ねてきました。

  「どうしようそう思ったらプラスへと考え変えて進む肝要」

  「住職の話はためになるものと思う心が既にご利益」

  「ねえ後ろ席に座ろと誘う友余り付き合う価値のない人」

  「前の席詰めろと言う人後ろにて人の動向伺い詰める」

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