shin-1さんの日記

○好きか嫌いか・損か得か・善か悪か

 この歳になると随分世の中や人々のものの考え方が見えてきて、損得勘定が先に立って、ましてや好きか嫌いか直情的に決めて二の足を踏んで行動するきらいがあります。若い頃は希望に燃えていたため、相手がどんな受け止め方をするかも考えずに、また自分の立場もわきまえず善か悪かで直情的に動いていました。歳をとって昔を懐かしむのは、若さゆえのエネルギーに満ちた行動が出来なくなった証拠なのかも知れません。

 禅問答のような話ですが、今日ある人と話しこんでいたらその人が「もし若松さんだったら」と前置きし、「悪で得と善で損な話の場合どちらを選びますか」と聞かれました。私は難しい質問だなあと前置きし、最近世間を騒がしている建築偽装問題を例にして話しました。姉歯建築士という人は一級建築士という職を得て建築という住の仕事に携わっていました。当然建築法を守り人々の住環境を安全快適にする責務を負っていたのです。ところが仕事を得るために、建築に関わる人々の儲けに加担し、「悪」とは知りつつ「得」を得る人になったのです。その時は「損」をしても「悪」に味方せず「善」を貫き通したら「損」はしたけどこんな結果にはならなかったのだろうと思うと、本人の「後悔は先に立たず」のはずです。

 社会が不景気になると一つの仕事に沢山の人が群がるし、薄利多売をしないと競争に負けて時には倒産もします。でも「悪で得するより善で損する」話の方がはるかに有益と考えます。一流企業はその辺の見極めが出来ているから一流なのであり、木村建設は二流以下だったのかも切れません。人間も一流の人と二流な人とはそこが違うのではないかと、思い浮かぶ周りの失敗した人や成功した人の顔を思い浮かべるのです。

 「若松さん、あなたは一流か」と自分自身に聞いてみました。私は日々貧乏な煩悩に悩まされている一人です。でも「喰えたらいいいわい」や、「お金はあの世へは持っていけぬ」と思えば、多少損をしても善の道を進む一流を目指す男であると少々の自負をして日々生きています。

 他人の足を引っ張ることのない、本物レベルを目指しましょう。

  「あなたなら悪得善損どちら取る突然言われドキリ考え」

  「痛みます息子も同じ建築士分かれ道来て損をしてでも」

  「一流を目指して今日まで生きてきた結果死ぬとき少し間がある」

  「命絶つ人が何と3万人悩み土産にこの世旅立つ」

 

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shin-1さんの日記

○様変わりの餅つき

 いよいよ正月が近くなってきました。昨日は藁の袴を取り除いて水で清め、しめ飾りを作りました。昔は囲炉裏の側で父親が器用にしめ飾りを作るのを見て、見よう見まねで縄を編んだものです。しかしどうしても上手く出来ませんでした。それでも父は男の3人の息子にしっかりと手ほどきをしました。お陰で私は中学生になった頃にはいっぱしのしめ縄が作れるようになっていました。あれから45年も歳月が流れましたが、遠洋航海で珊瑚海にマグロを追い正月不在だった高校3年生の時を除けば、毎年しめ飾りを作るのは長男たる自分の仕事と肝に銘じ、しっかりと受け継いできたのです。

 最近はしめ飾りもホームセンターなどに行けば裏白やだいだいが付いたものが売られて、田舎は別ですが殆どの家庭で買ったものを使っているようです。

 私は4種類のしめ飾りを作りました。まずおたまじゃくしといわれるおたまじゃくしに似たしめ縄を10個作りました。車や仏様、水神様用です。玄関は本宅と隠居にありますが、隠居の玄関はおたまじゃくしの大きいのを作りました。本宅は縄暖簾のような格好をしたそれは立派なもので、竹笹に結んで使います。神様は海老の形をしたものです。途中人が訪ねてきて中断しましたが、2時間ほどで仕上がりました。寒い頃なので隠居で父と談笑しながらの作業となりました。多分こうした奉り事をしっかりと受け継いでいる長男を頼もしく思ったに違いありません。

 今日餅つきをしました、餅つきといっても昔のように臼と杵でつくのではなく、生活改善グループの人に頼んで特産品センターの加工場で私も加わってつきました。加工場には立派な餅つき機あって、ひと臼4升ものもち米が蒸気蒸し器から移されてペッタンペッタン自動でついてくれます。つき上がった餅は切取り機で大きさも同じ餅になって出てくるのです。この餅つき機は私が担当していた頃入れたので思いも一入です。

 一斗二升の餅つきは僅か1時間ほどで終了し美味しそうなお餅が出来上がりました。

 餅もしめ縄もおせち料理までも買う時代、正月の意味もあったものではありません。これでは神様や仏様も戸惑っているのではないでしょうか。あーあー、世も末です。

  「縁起など言わぬは良いこと違いないでも正月は目出度くもなし」

  「しめ飾り我は伝統受け継いだでもわが長男興味示さず」

  「もち米が餅になるのを知らない子雑煮食べつつ何と説明」

  「しめ縄を作るわが家の年の暮れみんな元気は神のお陰か」

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○本の売れ行き好調とか

 5年前の2000年3月31日(20世紀最後の夕日が沈んだ日)を期して出版した「昇る夕日でまちづくり」という本が、まだ売れていると聞いてびっくりしました。元々あの本は3000部を自費出版したのですが、何と1年で3000部全てが売り切れるという田舎ではベストセーラーになった本です。出版会社の勧めもあって2版目を2000部出しましたが、その後私と出版会社が注文を受け付け、その度に全国へ細々と送っていました。今日出版会社の社長さんが見えられ、名古屋の有名な本屋さんから70冊の注文が舞い込んだそうで、本を200冊取りにきました。

 普通自費出版の本は自分で販売すると1500円の本代は全て自分のものになるのですが、本屋さんや出版会社を通すと20パーセントずつの手数料が必要となり、実入りは半額の750円程度になるのです。しかし販売網を利用しないと本は自分で抱えなければなりませんから、自然と本の流通ルートを選ぶようになるのです。経済はこのような還流があってこそ活性化するのですからそれも致し方ないのです。

 それにしても、私の書いたつたない本が4000部を超えて多くの人に読まれ、また5年経た今も注文が来るロングセラーになるのは一体どうしたことでしょう。実はその裏には仕掛けがあって、私が講演に行くと必ず私のプロフィールが用意されます。その末尾には講師の著書として「昇る夕日でまちづくり」とか「今やれる青春」とかが期されるのです。勿論私の話が悪ければ本など読むような気分にはなりませんから、私の話を聞いた人が注文してくれる算段なのです。

 今回の名古屋の注文は2月に講演に出掛ける所が情報の発信源のようで、気を引き締めねばと新たな闘志が湧いてきました。

 多い時は一つの県だけで400冊の注文をいただいた時だってあったのですから驚きです。何気なく人に勧められて書いた「昇る夕日でまちづくり」の本も、「今書きなさい」と言われても書く力がありません。やはり物を成し遂げるには適期があるのかも知れません。ブログを書くのもひょっとしたら今が適期なのかも知れないと思うと、拙文ながら無性に書きたくなってしまう今日この頃です。

  「俺の本未だに注文来るという驚き桃の木山椒の木」

  「酒止めたお金を溜めて本作る努力が何と金を生む」

  「書いてると筆が進むは当たり前恥も掻かずば大くなるまい」

  「まだあった本屋の隅の本棚に捨てられもせず俺書く本が」

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○モーニングセミナー

 早起きの私は毎日朝4時に起床します。今日は倫理法人会の招きをいただいて6時30分からのセミナーに出席しました。元気の良い朝のあいさつや幾つかの心の戒めを唱和するのですが、澄んだ空気を腹いっぱい吸い込んでの言葉は、自分に「頑張って」と応援をしているようでした。

 今までにも倫理法人会だけでなく早朝勉強会に講和を頼まれて参加しましたが、今日は立見席も出来るほどの盛況で、話す私もしゃんと胸を張って45分間話をしました。話しながら会場を良く見渡すと知った顔が幾人もいて、懐かしくも面映く感じましたが、進化した私のこのごろをお話して、今は無事役目を果たせてホッとしています。

 朝早起きをすることの効用は誰もが認めるところですが、今年の冬のように寒いとついつい布団の温かさが慢心を引き起こし、中々起きれないものです。でも諦めず早起きを繰り返すと今日のような良き出会いが生まれるのです。今朝は卓話が終わって名刺の交換が始まると40枚も持参した名刺があっという間に空になってしまいました。ここでもリニュアールした似顔絵入り人間牧場の名刺は人気度抜群で、会話が弾みました。中には「私は名刺を持っていませんがお名刺だけいただけないでしょうか」と頼みに来る女性もいるほどでした。

 今朝は会場が国際ホテルだったものですからセミナー後は朝食をご馳走になりました。 バイキング形式なので私は和食コースを選択し、ご飯、味噌汁、玉子焼き、焼き魚、海苔、納豆、梅干、豆腐、漬物を自分で選んで皿にとって食べましたが、会話しながらの食事は実に楽しく食べることが出来、食後は朝の光を受けてようやく動き出した職場へ三々五々散って行きました。

 今日の収穫は交換した名刺とお願いしていただいた倫理法人会の教科書ともいえる「万人幸福の栞」という一冊の本です。特に皆さんがこぞって朗読した49ページから始まる「子は親の心を実演する名優である」は感心して聞き入りました。親の生き方が子どもの行動を作るのですからうかうか出来ませんね。いい勉強をさせてもらいました。

  「人寝てる間に起きて学ばんと集まる人の意気込み凄し」

  「業績を上げてる会社の社長さんさすが陰徳見上げたものよ」

  「日本人何時の間にやら忘れてる倫理一から教え学ばせ」

  「世の中は利口と馬鹿が同居する考え一つで馬鹿が利口に」

 

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○病院のロビーは賑やか

 今朝9時過ぎ、私の元へ一本の電話がかかってきました。「お父さん大変、おじいちゃんが交通事故に遭った。直ぐに来て欲しい」と妻からの電話でした。場所は妻の勤めている歯医者さんの近くだというので、車を走らせて現場に駆けつけました。事故のショックでしょうか父はがっくりとした姿で道端に座っていました。

父の自転車に軽四輪をぶつけたおじさんも心配顔で「大変なことをしてしもうた」と動転しているのです。私は父の状態を確認しましたが肩や首筋、それに肘が痛いという以外意識もはっきりしていたので、とりあえず7キロ離れた診療所へ連れて行きましたが、診察したお医者さんから「紹介状を書くから伊予市の専門医院に連れてゆくよう」指示されました。車の中では父が少し血圧が上がって吐き気寒気がするというので、暖房を少し高めに設定し、病院へ行きましたが、何と病院のロビーは満員状態で座る席さえない有様です。

 ロビーを占領している人の殆どは高齢者で、耳も遠い人たちばかりですからつけてるテレビの音などかき消されるような、大きな声で話し合っているのです。受付順番を常とする病院なので、急患といえどもおやじの順番は中々回ってきません。10時に受付をしたのに診察が始まったのは12時近くで、おやじもへとへとのようでした。結局レントゲンの結果肩の骨にヒビが入っていて全治3週間と診断され、白い布で左手を吊り下げる痛々しい姿となりました。事故を起こしたおじさんも心配なのか病院まで駆けつけてくれましたが、「わしは悪くない」という父の不注意もあるだろうから、心配しないように言って帰ってもらいました。もし交通事故にすると大変でしょうからと気をつかったのですが、おじさんが帰って家族と話したのか、夕方警察から連絡が入り、事故処理のために自転車を持って現場へ来るよう、家にいた息子に伝言があり、息子が立会人で出掛けてくれていました。

 まあ、なんだかんだとありましたが、頭も打たず後遺症の心配もないようですからひとまず安心と言ったところでしょう。明日も病院へ連れてゆく予定です。

 それにしても病院は今や高齢者のサロンのようです。足や腰が痛いと注射や物療に、わが町から大勢の人が病院にやって来ていました。顔なじみの人が多く、なにやかにやと話しかけて、その度におやじが・・・・と同じような話をしなければなりませんので、私も多少疲れてしまいました。20年後私も確実に今日拝見した人たちのように年をとるのかと思うと何かしら寂しくも感じ、考えさされました。

  「何処悪いはいじいちゃんが怪我をして問われる度に同じこと言う」

  「病院は今や年寄り楽しみ場会話弾んで痛さやわらぐ」

  「あの薬飲めば満腹なるくらい貰って帰るばあじいちゃん」

  「病院は年寄りつかめば儲かると何処かの医者が豪語していた」

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shin-1さんの日記

○冬の花

 わが家の庭には様々な木が植えられています。松・マキ・クロガネモチ・ヒイラギ・金木犀・ツツジ・ツゲ・南天・モミジ・柏・アセビ・椿など様々ですが、よく観察してみると冬咲く花木がありました。山茶花と椿と梅です。椿は早春の花で少し先になりますが、それでももう早咲きの椿は一輪二論花を咲かせ寒さに震えながらも凛としています。梅は開花宣言が出ないと咲かないのですが、選定をした切れ端を水に差しておくと何と台所で花が咲いているのです。

 今は山茶花が沢山花を咲かせています。生垣のつもりで植えた山茶花は殆ど赤い単弁なのですが、親父の手入れが良いのか地の利を得たのか、幹回りも茶碗程度に太り中々見応えのある木に育っています。

 山茶花はその名の通り茶花なのでしょうが、葉っぱも幹も花までも椿にそっくりです。椿と違うのは椿の花のように首からそっくり落ちるのではなく、花弁が散って何とも風情があります。先日のように山茶花の幹に雪が積ると雪の白と花の赤、それに木の緑が見事にマッチして、思わず抹茶をいただきながら一句ひねりたい心境になります。木の下はこれから少しの間散り行く花の花弁が赤く地面を染めてくれるのも風情です。これまではただただ日々が忙しく、季節の移ろいを感じぬまま時が流れていましたが、「小さい冬見つけた」の心境は風流にもデジタルカメラに収めました。

 今日は人間牧場へ上がって畑の水仙を切ってきます。畑には野生化した水仙が早くも花を咲かせています。正月用に梅の枝も切ってきて欲しいと妻から頼まれました。いよいよ今日から正月の準備作業が始まります。勤めている妻が家を出るとき様々な仕事を頼んで行きます。サンデー毎日の私としてはこれも仕事と割り切って毎日遊んでいます。

  「花愛でる余裕が少しできたのか庭に咲く花綺麗と思いつ」

  「山茶花の宿という歌口ずさみ一輪切りて書斎飾りぬ」

  「花の赤雪の白さに際立って自然織り成す姿をパチリ」

  「末息子記念に貰いしモチの木が切らず育って背丈を越える」

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shin-1さんの日記

○合併で市町村名がグチャグチャ

 私のパソコンには筆王なる住所録ソフトが入っており、幾つかのジャンルに分けて知人友人、それにお世話になっている方々の住所や氏名が登録されていますが、この2~3年で氏名こそ変わらないものの、その人たちの住所は大きく様変わりをしました。特に愛媛県内は昭和30年前後の市町村合併以来半世紀、殆ど変わらず70市町村を数えていました。ところが今回の平成の大合併でその数は20市町となり、愛媛県内から村という自治体は姿を消しました。

 多分移行期間で郵便局では旧の市町村名でも届けてくれるでしょうが、そうもいかず住所録の変更と相成りました。しかし県内はそれなりに変更出来るのですが、県外の住所はいちいち覚えているわけでもなく、年間をかけて直さないと対応出来ないことに気づき、今年は旧市町村名で出すことに決定をしました。

 それにしてもまあ凄い変化です。約千名の住所録の変更がこんなにも時間がかかるものなのかと思うとつい手も進まず、結局昨日は夜遅くまでかかってしまいました。それでも住所録を変更しながらその人の顔を思い出し「ああ、あの人はついぞご無沙汰だが、元気なのだろうか」とか、様々な記憶の人と巡り会って良かったです。とりわけ今年亡くなった人の思い出は鮮明で、喪中のハガキを頼りにその人の名前を消してゆく作業は身につまされました。

 退職を機に年賀状の整理をしようと思って始めたものの、その人の名前は捨て難くついつい残す決断をすると、結局はそんなに減ることもなくその作業は来年に持ち越しとなりました。

 遅ればせながら今日は年賀状の印刷です。昨年までは馴染みの印刷屋さんに印刷を依頼しましたが、今年は自分で私恒例の10大ニュースを書いて印字しようと試みましたが、あいにく上手くいかず、結局は長男の所へ届けて印字をしてもいました。

 私は自分の優柔不断さから、毎年このように年末押し迫らないと年賀状が出来ません。住所録を作った時の「来年こそは」の意思も腰砕けでした。でも来年こそは郵便局に迷惑がかからないようにしたいと思います。

  「あの人のまちの地名は何だっけ慣れぬ名前は辞書にも載らず」

  「俺の町郡を市にするだけでよい合併騒ぎ昨日のようだ」

  「合併し9ヶ月程経ったけど俺の暮らしは殆ど変わらず」

  「えーとえーとと首をかしげて思い出す思い出せない新し地名は」

  

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○表彰状をいただきました

 役場の職員という職業は表彰など殆ど無縁なものなのですが、私は何故か表彰とよくよく縁があるようです。青年の船の班長として建国200年のアメリカへ行った経験を、総理府30周年記念論文に応募したところ、何と総務庁長官賞を東京赤坂プリンスホテルで受賞しました。その後まちづくりでは町や団体が総務庁長官賞2回、自治大臣賞、愛媛地域づくり創造賞、愛媛アメニティ賞、テレビ愛媛賞など名だたる賞を総なめにしましたし、自身もPTA功労者全国表彰や知事表彰を受けています。でもそれは過去のことで退職した私には関係ない世界だと思っていましたら、先日県庁から金融広報功績者として表彰すると通知がありました。耳を疑ったのですが、30年も続けている金融広報委員として、今までは公務員だったので表彰できなかったそうで、思わぬ表彰通知にびっくりしました。

 今日はその表彰日で県議会の立派な会場でうやうやしく表彰状をいただきました。県知事さんの代理ながら県の部長さんが祝辞を読み、日本銀行松山支店長さん自らも出席して祝辞を述べられました。そして謝辞や記念撮影まであり、格式のある表彰を実感しました。記念品は桐の箱に入った砥部焼の立派な花瓶でした。謝辞など聞いていなかったので即興で感想を述べました。

 「昭和51年に当時は日本で一番若い貯蓄推進員に任命されました。以来31年間生活設計と金銭教育という自分の得意の分野で県下各地を回って指導をしてきました。今年は雪が沢山降って寒いですが、この仕事のお陰で心も財布も温かく感じます。表彰は終わりではなく出発点、恩に報いるために更なる精進を誓います」と本音を述べました。帰りに日本銀行に立ち寄り来春で切れる任期後も言葉に甘えて続ける旨の返事を言って銀行を出ました。

 私が金融教育に携わってきたこの30年、日本の金融をめぐる社会環境は大きく様変わりしました。高度成長は低経済成長へ、ペイオフや金融業会の再編、低金利時代、振り込め詐欺など県民の暮らしにかかわる出来事が次々と起こっています。金銭教育元年と定めてスタートした背景も社会の乱れの原因が金銭であることを物語っているようです。小さな草の根のような私たちの活動は、取るに足らないことかも知れませんが、今こそ次なる世代へしっかりとした金銭教育や生活設計の重要性を教えてゆくべきであると思うのです。

  「表彰状知事の名前が書いてある成果も挙げぬ自分恥ずかし」

  「表彰状貰うは辞めよのシグナルか妻の警告有難く聞く」

  「副賞に貰った花瓶高そうね値踏みの妻は早速花活け」

  「日銀はわれら庶民に縁遠いなのに私は30年も」

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shin-1さんの日記

○このゴミ誰が出すの

 毎日毎日とどめなく出るゴミの量を見て「このゴミほど金が貯まったら大金持ちになるのになあ」と、ため息をついていらっしゃる方も多いことでしょう。ゴミの量は普通の場合家族の数と比例しますから、家族の多い家はゴミの量も多いようで、私の家もご多分に漏れず毎ゴミの日には両手で抱えきれないほどのゴミを近くのゴミ置き場まで持って行きます。特に年末のこの頃は多かれ少なかれお歳暮が届き、その包装類や掃除で出たゴミでいっぱいになっています。

 何年か前私の町ではごみ減量作戦としてコンポストと燃えるゴミは自家焼却処分にしていました。ところが最近になってダイオキシンによる大気汚染が問題になってから自家焼却処分は自粛されたものですから、明らかに自然ゴミと分かる落ち葉などもビニール袋に入れて出さなければならず、当然ゴミの量も増えています。わが家のように敷地内に畑があり、落ち葉を埋めて堆肥にしたり出来る家は良いのですが、市街では殆どの人がゴミにしているのです。

 コンポストも当時は鳴り物入りで補助金を出し、多くの人がコンポストに生ゴミを入れてEM菌の籾殻をふりまき、堆肥にして再利用していました。しかし今は合併の影響もあるのでしょうが、そうした取り組みを指導してくれる人もいませんのでなし崩し、打つ手なしの状態です。

 ゴミは住民自らが持てる力を発揮しないと減らないし、マナーも資源再利用の意識も向上しませんが、行政の流行り病のような指導ではこれまた長続きしないのも実情です。

 「このゴミ誰が出すの」という言葉には四つの意味が込められています。一つはこのゴミを出すのは家族の中の誰でしょう。家の中ではみんながゴミを出すのです。二つ目は、さて出したゴミは誰が出すのでしょう。家から出たゴミをゴミ置き場まで運ぶのは妻ですか、私ですかと出す人を問うています。三つ目は出し方のマナーを守るべきゴミ置き場周辺の群衆です。そして最後はみんなの税金を使ってゴミ処理を担当する行政と出す住民の関係になるのです。

 ゴミ問題は結局は私ひとりから始まり自分の所へ帰ってくるのです。いい市民でありましょう。

  「持てぬほど提げてゴミ出すお父さん今は見慣れた朝の風景」

  「弾みますゴミ端会議の延々とパジャマ姿のおばちゃんもおり」

  「透明の袋でゴミの中身見え賞味期限の過ぎた手付かずお肉」

  「誰もまだ出してないけどゴミ置きて走り去り行く見知らぬ女性」

 

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○面の収集

 私は面の収集をしています。面といえば能面を思い出しますが、日本全国には沢山の面があってその表情が中々面白いので、若い頃から旅のついでになけなしの財布をはたいて小遣い銭で買い求めてきました。面はお土産屋と骨董屋に行けば色々な面を見ることが出来ます。特に骨董屋には掘り出し物の面があって、ご主人を相手にした値切りの駆け引きが実に面白いのです。ある時など旅先で2万円もする面を購入して旅行の途中ずっと持ち歩いていましたし、自宅に持って帰って面を見た子どもが泣きじゃくったり、妻と「こんな面を買うなんて呆れて物が言えない」と夫婦喧嘩のネタになったりしたこともありました。

 しかし今では妻も面収集のよき理解者で、旅行に行くと珍しい面をお土産に買ってきて「高かったのよ」と恩を着せるのです。

 中国出雲地方には伝統的神楽が沢山残っていて、珍しい神楽面を見ることが出来ますし、魔除けとして売られています。島根県へは軒並みの市町村へ講演に出掛けていますので、神楽面に出会うのも楽しみの一つです。先日も島根県益田市の面々が双海町へ大勢で視察に来られた時、神楽面をお土産にいただきました。

 面は我が家の海の資料館「海舟館」の壁に吊るして保存していますが、今ではその数ざっと40面近くあり中々の風情です。

 面は魔除けといわれるだけあって般若や天狗など想像架空の世界が多いようですが、般若や天狗の面も地方によって随分表情が違うようで比べて見ると面白いものです。

 私が一番気に入っているのは天狗の面で、昔から「天狗にならぬように」と戒めの言葉があるように、自分の戒めとして面と向かい合ってきました。天狗の面を骨董屋で買い求めた時、鼻の折れた天狗面を見つけました。ご主人が「これは天狗の象徴といえる鼻が折れていますので売り物になりません」と引っ込めましたが、私はそれをタダ同然で譲り受けました。ご主人は「面白いお客もいるものです」と不思議がりました。私は帰ってから父にその修理を頼みました。見事に復元して鼻が折れたことなど感じませんが、私はこれを自分の戒めとしています。

 面はこれからも凝ってみようと思っています。昨年地元の銀行がロビー展で私の面を飾りたいと申し出がありました。結果は好評でした。

  「面汚しそんな言葉を思い出す面の表情見れば見るほど」

  「鼻折れた面を譲れという私主傾げてタダも同然」

  「お土産に面を提げ来る視察人俺の喜ぶ顔が見たいと」

  「面を取れそういわれてもこれ真顔怒るに怒れぬジョーク聞きつつ」

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