shin-1さんの日記

○あちこちにセカンドハウス

 世の中の暮らしがリッチになったのでしょうか、町内のあちこちに立派なセカンドハウスがお目見えしています。「歳をとって定年退職したら、海の見える夕日の美しい場所にセカンドハウスを立て、社会の喧騒から逃れて自由気ままに生きてみたい」という夢は現代男性が描く老後のシナリオです。

 しかし田舎暮らしはそんなに甘くないことを肝に銘じておかないと、「こんなはずじゃあなかった」と後悔をするのが落ちです。心得を少し話しましょう。

①人生の生活設計

 自分の人生の生活設計なしにセカンドハウスの計画はありません。田舎暮らしは不便だから良いのであって、不便を便利にする必要はありません。電気だってランプにした方が楽しいのです。しかし都会暮らしに慣れた人はパソコンも瞬間湯沸かし器もウォッシュレットのトイレまでも持ち込みます。しかし肝心なのは「あなたはこのセカンドハウスを誰と何時までどう生かすのか」という生活設計がなければいけません。例えば60歳から田舎暮らしを始めたとします。車の免許を持って運転できるのはだいたい75歳までです。さらに定年後は仲間も限られてきます。また夫婦が長生きするという保障は何処にもありません。そう考えると自分の人生の生活設計なしにセカンドハウスを求めるのは、海図と羅針盤を持たずに航海に出るようなもので後で後悔します。

②土地を選ぶ条件

 土地を選ぶには、まず風景の良い所と土地が安い所を考えるものです。ところが風景の良い所は風が強く、水を引くのに不便、道が狭いなどの制約が必ずあります。また地価が安くても造成や許認可、道、上下水道などに思わぬ付帯工事費がかかります。土地は遠くから眺めて見るとよく分かりますが、前面の見晴らしもさることながら、背後の風景も面白いもので、クヌギやナラなど季節感が味わえるような落葉樹が茂る林は最高でしょう。要は丹念に足を運び理想の場所を幾つか選び、家族の了解を取り付け事を運ぶと上手くいきます。

③資金計画と夢の設計図

 夢は得てして大きいものです。「大草原の小さな家」のような映像を見、「セカンドハウス」のような本を読むと必ずといっていいくらいログハウスが欲しくなります。事実セカンドハウスはログハウスが圧倒的に多いようです。しかし高温多湿の日本の風土に必ずしも外国の建築物が合うかというと問題です。資金に物を言わせ馬鹿でかいものを建てると、維持管理に余計な費用がかかります。何処と何を不自由にするか、この不自由さが田舎暮らしのハラハラ・ドキドキ・ジーンなのです。

④地域のコミュニティとの接合

 突如として田舎の原風景の中に違和感のある施設を持ち込む愚かさを、地域の人は意外と冷たく感じるものです。その人だけならまだしもその人に繋がる人が、車と土足で踏み込むと地域のバランスが崩れるものです。地域の人とあいさつができたり仲良く付き合うにはそれ相当の覚悟が必要でしょう。人間関係の煩わしさを断ち切るために田舎暮らしをしたいのなら、考え直した方が賢明かも知れません。人間の行く所、人間の暮らしのある所必ずコミュニティはついて回るのです。

 かくいう私も田舎者でありながら田舎暮らしを人間牧場で始めようとしています。しかし先に述べた4つのことは注意をしているつもりです。田舎暮らしを楽しむためにも・・・・・・・。

  「セカンドといえるかどうか分からない犬小屋ハウスに夢を託して」

  「今やれる青春求めて建てた家ウトウト昼寝蜂が覗きに」

  「金持ちと言わんばかりの家が建つオール電化の都会持ち込み」

  「あいさつをしても返さぬ都会人車よけろと言わんばかりに」

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○土産に饅頭

 「自分が旅に出る」「人が視察に来る」、そんなやりとりの世界にいる私の元へは全国の手土産が買ったり届いたりで、年中無休ダイエット中の私の妻を悩ませています。手土産は大きく分けると砂糖に塩にアルコールの3種類でしたが、最近はわざわざ宅配便で送ってくれる自然食品までまちまちです。砂糖で圧倒的に多いのは饅頭や洋菓子、クッキーなどですが、本当はこれが一番舌触りがいいものですから、包み紙を開ける前からヨダレが出そうなものが沢山あります。早速渋いお茶を入れ、貰った人のことを話しながら口に運びます。甘さを抑えないと売れないから、そんなにカロリーも高くないと調子に乗れば、付けは必ず体重計や下腹が証明してくれるのです。

 塩は味噌、醤油、せんべい、漬物などですがこれがまた白いご飯に合うものですからつ、いついお変わりです。野菜だからと気を許すのですが塩分の取り過ぎは成人病の原因になります。これも要注意でしょう。

 地酒と称するアルコール類も豊富です。箱やビンにも凝ったものが多く、焼酎ブームにあやかって日本酒の苦戦を尻目に焼酎が店先を独り占めしそうな勢いです。

 近頃は視察に来ても議員さんなどは重い荷物を持つのが苦手なのか、先か後に宅配便というのもありますが、野菜や果物が一箱ドーンと送られてくる事だってあります。

 こうしてみると日本人は余程土産好き人種とお見受けします。私などはこれ程旅をしても余程のことがないと土産は買いませんが、出会いの数の多い私の所へは左様なことで土産物が集まってくるのです。しかし大家族だった私の家も気がつけば息子とおじいちゃんを加えた標準的な4人になって、消費はそれほど多くはなく、勿体無いものですからついつい近所へおすそ分け、ところがおすそ分けはおすそ分けの原理を生んで、また珍しいものが届くという珍現象は際限なく広がってしまうのです。

 賞味期限も気になります。昔だと賞味期限なんて気にする前になくなっていましたが、今は期限を見てから食べる習慣がついて、妻は包みを開けると箱にマジックで大きく○月○日と、賞味期限を書いているのも勿体無い生活の知恵でしょうか。

 先日八幡浜へ講演に行った折、校長室で饅頭談義に花が咲きました。PTA会長さんが和菓子屋のご主人だったものですから、お茶請けは日の丸みかんと饅頭でした。薄皮饅頭をいただきましたがほっぺが落ちるほど美味しかったです。なんでもご主人のおじいさんは百歳を超えているそうで、「百歳饅頭」をおじいちゃんに作ってもらって売り出したら売れる知れないと、大笑いをしました。でもひょっとしたらひょっとして売れるかも知れません。その時は私が宣伝部長を勤めましょうと言って分かれました。その学校は妻の母校なものですから、その時貰ったお菓子を昨晩いただきながら「百歳饅頭」を語りました。

  「これ喰えば百まで生きる饅頭を作れば売れる甘いお話」

  「百爺が私の仕事の道しるべ次は私が娘導く」

  「小学生相手に話難しい大人言葉を言ってもチンプン」

  「大切なものは何かと訪ねたら家族と言った笑顔忘れじ」

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○蚊がブーンと飛ぶから文化

 私の友人に福岡県柳川の広松伝さんという人がいました。「いました」と過去形で書きましたが広松さんは先年病に倒れ帰らぬ人となりました。まちづくり人なら誰でも知っている伝説の人ですが、掘割下りで有名な柳川の生命ともいわれる堀割を残す運動に携わった広松さんは、度々愛媛県にも来られました。

 佐多岬の青石文化を考えるシンポジウムで同じステージに上がりましたが、朴訥な語り口は燻し銀の風格を漂わせていました。夜なべ談義ではめっぽう酒が強くて、お互い夜中まで飲んでいました。酔うほどに文化論に熱がこもり面白い話をしたことを覚えています。

 「若松さんおらの街は文化がある」というのです。「そりゃあそうでしょう柳川3万石んぽ城下町、北原白秋のふるさと、掘割下り、柳川鍋だってある有名なところですから」と私が知ったかぶりで柳川を評すると、彼が「違う違う、柳川には堀がたくさんあってこの堀に毎年夏になると蚊がブンブン飛部のです。だからブーン蚊なのです」と思わず吹き出してしまうようなジョークを返しました。その時は酒によって気付きませんでしたが、この言葉は今になって思えば「柳川の文化は掘割なしでは考えられない」と言ったのだと思いました。

 私たちの仲間もそろそろ仕上げの年齢、今年も何人かの仲間が天国へ召されたので遺族の方から「喪中につき年末年始のごあいさつは遠慮します」とはがきが届くようになりました。そのはがきを見ながら一人一人の顔やエピソードを思い出しています。天国でも私のことを思い出してくれてるかなと、思わず天井を見上げました。

 柳川の広割といえば水、水といえばメダカの学校の川口壽雄校長先生も天国行きの列車に乗って帰らぬ旅に出ました。昨年私がチエンソーで足を切ったとき偶然にも同じ病院に入院していた病院着の姿が今も頭から離れません。

 人は何処から来て何処へ行くのでしょう。広松さんや川口さんの分までもう少しこの世の中で働かせてください。あと25年したらそのうち参ります。

  「喪中につきそんなハガキが届く度思い出すのは楽し日々のみ」

  「死ぬ死ぬと言ってる人が長生きし元気売り物急に亡くなる」

  「無事退院兄嫁電話弾む声酒を飲むぞと大いに威張る」

  「腰曲がる頭白髪で歳なんぼ聞かれたけれど答えすべなし」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○高校の先生が児童買春

 新聞の3面記事には様々な事件や事故がニュースとして、毎日のように紙面を賑わせています。昨日まで東京出張で留守にしていたので、二日分をまとめて読みました。殆どの記事はホテルや駅の売店で買った新聞で読んでいるのですが、愛媛県内のニュースはローカル紙面しか扱っていないので、二日たったとはいえ目新しく感じました。

 一番驚いたのは事もあろうか県立高校の先生が児童買春をしたというショッキングなニュースでした。9月中旬から3回、松山市内のホテルで18歳未満の無職少女と知りながら、偽名を使いみだらな行為をしたというのです。お金を計6万8千円渡していました。学校では生徒に人気の真面目な先生だっただけに関係者の驚きや落胆は相当なもののようです。

 先生は昔から聖職といわれるような超自我の世界にいる人たちです。絶対悪いことはしないという信頼があるから、生徒も親も信じてついて行くのです。ところがこの先生は聖職ならぬ性殖でした。

 このような事件があった場合学校の校長先生の言葉は決まっており、「信頼していたのに残念、今後このようなことがないよう、職員一丸となって信頼回復に取り組みたい」と疲労の色を滲ませ深々と頭を下げるのです。

 教育長さんは「二度とこのようなことが起こらないよう再発防止に向けて通達を出しました」でしょう。

 子どもたちにとってこうした大人の行動や対処方法は心にどう響くでしょうか。信じていた先生の信じ難い行動が引き起こした残念な事件は、何故か当分の間鳴りを潜め、また一定の周期で繰り返されているのです。他校の校長先生は自分の学校でなくて良かったと胸をなでおろし、定年までは大過なくと祈るような気持ちで、教育委員会のお墨付きという通達を武器に、上から下へ厳しい指導を行なっているようです。

 先日の愛媛県小中校長会主催のシンポジウムにパネリストとして登壇した時も言わせてもらいましたが、

学校や教育委員会が常識だと思っていることは社会の非常識であるということを、もう一度考えて欲しいと思います。今回の事件は先生たちの心の中に潜む「日常の抑圧された意識」が生んだ出来事だと考え対処なければ次のステッアップは望めません。人は食欲と同じく性欲や睡眠欲、学習欲など様々な欲持っています。その欲をコントロールするのは学校という組織ではなく、自分であるということに気付くことが大切です。つまり自分というもう一人の自分と向かい合い、二人の自分を高めなければ解決しないのです。「自分は一人で二人などいるものか」と反論されそうですが、自分というもう一人の自分をコントロールする自分づくりが求められているのです。

 子どもを育てる場合もそうした自分づくりをすれば、心の強い子どもが育つはずです。

  「俺だって不倫のひとつもしたいけどしないできない自分の強さ」

  「ああまたか薄い頭の校長さん苦汁滲ませ深々詫びる」

  「センコウは言うことやること違うから好きじゃねえんだ文句があるか」

  「寂しいね教師という名の星一つ消えてなくなる心が痛む」

  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○書いたつもりのshin-1さんの日記

 昨日東京から帰って、眠い目をこすりながら書いたブログの記事が、朝起きて自分のブログを見てみると保存されておらず、朝から落胆しています。私の技術ではその記事を検索することも出来ず、同じ記事を二度書くほどの記憶力も無く、少し思い出しながら昨日にタイムスリップして書いておこうとキーボードに向かいました。

 昨日までの2日間私は東京へ出掛けておりました。段本幸男参議院議員先生からお声がかかり、政経セミナーの講師として全国から集まった方々にお話をしたのですが、その会場は国会の直ぐ側の憲政記念館という凄い所でした。しかも出席者はそうそうたる人ばかりで、小泉内閣にとって大きな影響力を持つといわれる青木参議院議員会長さんまでもが来られてあいさつされました。田舎者の私は失礼さえも省みずチャッカリ青木先生と名刺交換までしてしまいました。その一枚の名刺が手元にありますが、記念すべき一枚ですので大切に名刺フォルダーへ収蔵しました。

 段本先生とは今年の6月、広島県の山奥で開かれた逆手塾にゲスト出演した折知り合いました。農林水産省出身だけあって、全国各地の生の声を国政に反映しようと一生懸命行脚している世にも珍しい国会議員さんです。若松さんの元気と知恵をみんなに分けて欲しいと頼まれ東京での講演が実現しました。私のことですからセミナーでも十分に輝きその役割を果たしたつもりです。仕事を終えた夕食懇談会でも実力者が顔をそろえ、楽しい交流が出来ました。

 私は旅のついでに食べようと、みかんを3個カバンに入れていましたが、セミナーの席上変なアイディアを思いつき実行しました。段本先生、最も遠くから来ている人、一番若い女性の三人にそのみかんを渡し、「みかんを貰った人へ5キロのみかんを送ります」とやってしまったのです。今になって思えば少々やり過ぎかもしれませんが、まあ愛媛みかんの宣伝だと思って、3人に明日でもみかんを送ります。

 今回の旅で感じた東京での印象を5首にまとめてみました。

  「青木さん元はと言えば島根産田舎こやしに大樹となりぬ」

  「人人人人が溢れる東京で人のまばらな田舎思いつ」

  「東京へ来いというからやって来た都会の人へ田舎届けに」

  「都会では散る葉ゴミだが田舎では腐って土の素となるのに」

  「広島の山で出会った議員さん農を守ると気迫みなぎる」

 東京は世界の名だたる都市、そこへ行くことはそれなりの意味があります。流行も早いし本屋を覗けば田舎では見れないたくさんの本があります。少しの時間を割いて「立ち読みちゃっかり知恵盗み」もします。今度は何時行けるか楽しみです。

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○私のスケジュール帳

 殺人的と表現したいほど真っ黒に埋まっていた3月までのスケージュールも、さすがに5月ごろは白い部分が目立っていましたが、私が職場を辞めたという情報が口コミで全国に流れてからは、随分と埋まって元のスケジュール帳に近づきつつあるようで、午前・午後・夜と相変わらず忙しい日々が続いています。

 年末が近づくこの頃、毎年のことながら一番困るのは新しい年のスケジュール帳が届いていないため、予定が立てにくいことです。私はこれまで愛媛県貯蓄推進委員会が発行する大判のスケジュール帳を20数年にわたって利用してきました。ところが委員会が経費削減で印刷発行を取りやめたため、3年前から愛媛県商工会が発行しているものに変えました。巻末に記載された商工会必読必携の資料は殆ど利用しませんが、以前に使っていたものと体裁が一緒なので結構重宝しています。

 来年度のスケジュール帳は商工会にお願いしていますがまだ届かないため、メモ欄に書いて日程調整を続けていますが、どうも間違えそうで心配です。そのメモによると既に1月・2月は講演依頼や会議で忙しそうだし、4月には北海道への講演まで予定が入りました。「退職して暇を持て余したらどうしよう」なんて考えた私が浅知恵で馬鹿でした。

 この文章を書きながら懐かしくなって、書棚の引き出しから25年分のスケジュール帳を取り出し、感慨深げに目を通しました。「ああ、あの頃あんなことがあったなあ」と、あっという間に駆け抜けた25年の過ぎ越し人生を思い出しました。「まちづくり人は振り返らず前を見て進め」とよく言われましたが、振り返って懐かしむ私も歳なのかと、少しだけ弱気になってしまいました。

 スケジュール帳が黒いのは元気な証拠と思いつつ、可能な限り入れていますが、今月に入って3回も私のミスでスケジュールがバッティングし、相手に迷惑をかけてしまいました。自治会長関連で、役所は思いついたように急な会議を入れてきます。当然3ヶ月前に入っていた予約日と重なります。丁重にお断りをするのですが、人を集める算段をしている場合は相当文句を言われます。でも誤るしかありません。その時はついてよい嘘の理由をつけたりしたこともありました。「親父が急病」そういって断った研修会に再び呼ばれ、「若松さんお父さんの具合は如何ですか」と尋ねられ、恐縮した笑い話も今では時効になった話だから言えるのです。

  「秘書も居ず自分が立てたスケジュールダブって言い訳父急病」

  「あの年はあそこに行ったあの人は元気でいるやら便り途絶えて」

  「暇もなく元気で今日もカバン提げ日本の各地転々々と」

  「土産持ち明日はお上り東京へ三日前より多少ウキウキ」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○この寒海に泳ぐ人

 昨日のことです。シーサイド公園のベンチに座ってゆっくり海を見ていると、何やら海面をゆっくりと動くものを見つけました。もしや世間を騒がせているひげアザラシでは?と思ったのですが、それは紛れもなく人間でした。全身赤い水泳用のスーツに身をまとったその人は、急ぐでもなく400メートルの海面を波に漂うように泳いでいました。

 そのうち砂浜に上がったので様子を見に行ってみると、知人だったので二度びっくりしました。彼はトライアスロンの名手です。夏になると毎年中島で開かれるトライアスロン大会に出場して好成績を挙げていましたが、さすがに年を経た今では衰えたのか他の人のパワーがアップしたのか分かりませんが、好成績には至っていないようです。

 向こうは寒い海の中でも平気で泳ぐ達人ですが、こちらは寒風にブルブルの弱者、短い話に終わってしまいましたが、彼のひたむきな姿にある種の感動を覚えました。トライアスロンといえば鉄人レースの異名を取るほどの激しいスポーツです。泳ぎ、自転車に乗り、マラソンをする、しかも炎天下の過酷な条件ですから、自らの体力限界への挑戦なのです。見た目の格好よさとは裏腹なこんなスポーツを志す人の、ひたむきな鍛錬の姿は余り報道されることも見る機会もありませんが、寒い海で鍛える姿に心からなる大きな拍手を送りました。

 人は人知れず陰徳を積むものです。中には陰徳が報われない人もいますし、生まれた時から強運の人もいます。でも殆どの人は陰徳を積んでいるのです。、大相撲横砂朝青龍が7連覇を遂げ年間84勝の最多勝、年間6場所完全制覇など数々の大記録を打ち立てましたが、周りは外国人への偏見や日本人の弱さを論じて、朝青龍への賛辞を忘れがちです。言葉も通じない慣れない国へ来てひたむきに勝ち得た記録は賞賛に値します。行司さんの定年退職に対し、自分の相撲が終わっても花道裏で花束と懸賞金の一部を手渡すあたりの気配りは、並の人では出来ないことだと思いました。

  「報われる当ても無いけど黙々とただひたすらに波間漂う」

  「ヒーローになりたいけれど練習は嫌という人なれないヒーロー」

  「君たちのなりたいものは何ですか殆ど子どもはサッカー選手」 

  「裏山にたった一つの木守柿秋を演出主演賞」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○私の息子も建築士だが・・・・・・

 「今日本で最も有名な建築士は誰でしょう?」なんて試験問題が出たら、殆どの学生は「姉歯建築士」という答えを書くでしょうね。姉歯設計事務所という名前はこの一ヶ月間、連日のようにマスコミに取り上げられ、流行語にまでノミネートされるほど有名になりました。普通であれば有名になることは極上の喜びとされ、誰もがこぞって知名度アップの作戦を立てるものですが、姉歯さんは悪名として脚光を浴びてしまいました。最初はふくよかそうに見えた姉歯さんも最近では疲労の色が表情に現れ、テレビに映し出される姿は痛々しくさえ感じられます。

 事の発端は建築物の構造計算を施主や建築会社から頼まれて偽証したというのです。構造計算は行政や民間検査機関が絡んでの共同作業なので、「そんなこと出来っこない」と誰もが思いました。しかし現実にはチェック機能が働かず、あるマンションなどは震度5以下の地震でも倒壊の恐れがあると診断される、ずさんな工事が行われていました。入居している人の驚きと不安は怒り以上であることは容易に察しがつくし同情します。

地震頻発の日本は「地震・雷・火事・親父」のナンバーワンに挙げられるほどの怖さですから、眠れないのは当然でしょう。

 最近では姉歯さんの建築士資格剥奪の聴聞会が持たれ、姉歯さんの暴露話によって建築会社が破産宣告したり、国会議員の名前も見え隠れするようになり、何処までこの波紋は広がって行くのだろうと思うほどです。

 私の息子も建築の仕事に携わっていますが、ぺーぺーの駆け出しゆえそんな不正に関われるはずがないと思うのは親の欲目でしょうか。

 人の判断は大きく分けて三つのようです。「損か得か」「好きか嫌いか」「善か悪か」です。飯を喰ってこの世の中を生きていくためには何処かでこの3つの判断を迫られます。姉歯さんは「善か悪か」という判断より「損か得か」を選んだため、自分はおろか多くの人の生命や財産を危険の淵に連れて行ってしまいました。

 今の世の中は連鎖社会です。マスコミは関連する様々な情報を手に入れて国民に知らせます。一つの出来事が国中を騒動に巻き込む大きなうねりへと広がって行くのです。その過程では嘘やでっち上げもあるでしょうが、人がそういうからそうだと決め付けるのではなく、絶えず「真実は何か」を考えなければなりません。

  「芋づるを引っ張り抜くと向こうにも大きな芋がゴロリゴロゴロ」

  「建築士聞いただけでも何かしら悪い人では疑う心が」

  「息子さんどんな職業?問われたらウーン飲み込み建築関係」

  「その時は儲けたつもりの嘘がばれ裸王様今年の寒さ」

  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○運のいい人と悪い人

 今年は冬の訪れが例年より遅く、わが家から見える本尊山の紅葉はまさに今が見ごろです。ハゼの赤に加え今になってクヌギの黄色が目立つようになり借景は見事な一服の絵のようです。もう3日で師走だというのに何か季節感が変わって、便りに書く季節の話題も一瞬考えてしまうことがあります。そういえば田植えは6月なのに今は5月の皐月と一緒ですし、西日本では師走と紅葉が一緒とは、松尾芭蕉や正岡子規が生きていたらどう俳句を詠むのでしょうか。

 今日鳥取の仲間が旅のついでに双海町の夕日を見に立ち寄りました。彼が双海町を訪れるのはもう3~4回目なのですが、未だ自慢するような夕日に巡り会っていません。故に夜来の雷雨から予知して今日も半分諦めてやって来ましたが、案の定夕方西の空が真っ黒になって見ることは適いませんでした。

 「折角来たのに残念です。でも又来る楽しみが出来たと思えばいいじゃあないですか」と、持ち前のジョークで反対に返されてしまい、かえってこちらが恐縮してしまいました。

 さしずめ彼は運の悪い人でしょうね。昨日みたいに運のよい人は素敵な夕日を見て帰るのですから、運が悪いとしか言いようがありません。かくいう私も宍道湖に落ちる小泉八雲の愛した美しい夕日は、何度訪ねてもまだ見れないのですからお互い様でしょうか。しかし私の場合は「日本一の夕日を見に宍道湖に行きました。しかし全然綺麗ではありませんでした。雨の日でしたから。双海の方が勝ったと思いました」なんて人を笑わせる知恵を身に付けています。

 ともあれ彼は仲間と後ろ髪を引かれる思いで暗闇の中を去って行きました。でもこれで人生が決まるわけではありませんからご心配なく。またお越しください。

  「宝くじ当れば運のいい人と誰もが言うが買わぬ当らず」

  「わが人生運が良いのか悪いのか分からぬままにやがて幕引き」

  「うどん食べいつも親父が言っていた運鈍根ありゃ必ず成功」

  「人生は食うて糞して寝て起きてこれ一休の教えと知りつつ」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○えっ、「愛媛県若松進一」だけでハガキ届くの

 昨日私の元に一通のハガキが届きました。埼玉に住む知り人なのですが、裏の本文を読んでから表書きを見て驚きました。何と「愛媛県若松進一様」だけで正式な「愛媛県伊予市双海町上灘甲5391-2」などどこにも書いていないのです。「おっ、わしも有名人になったものじゃわい。愛媛県若松進一で来るんだから」と喜ぶのは早すぎます。今は郵便番号がはっきり書かれているとその住所まではすんなり届くのです。しかし私へのハガキには〒799-33と下2ケタさえ書いていないのですから、多分33の下灘郵便局へ送られ番号違いの烙印を押されて32まで転送されたのだろうと思いきや、そうした形跡はまったくありませんでした。役場に勤めていた頃ならいざ知らず、役場も辞めて一介の自由人になっているのに不思議でなりませんでした。まあこれが田舎のいいところと解釈し、嬉しいハガキに感謝しました。

 ハガキの効能を自他共に認め、はがきの実践を各地で吹聴している私には、何ともあやふやな宛名ではがきが時々届きます。特に高齢者大学などに行った後はそうしたうろ覚えの住所や名前で沢山の便りが届きます。まず住所ですが、双海町はよく二見町や双美町と間違われます。特に多いのはご存知三重県二見町に間違われることが多いようです。三重県二見町は夫婦岩に昇る朝日で有名ですが、ご当地愛媛県双海町は夕日の町なのです。

 氏名は若松を「若林」「岩松」「赤松」などと書く人がいます。「あなたは演題の横に書いた私の名前を覚えてないのか」といってやりたいものが数多くあります。でもイメージ的にはあっているのですから良しとしなければなりません。郵便番号にいたっては書いてなかったり様々、まさに私へのハガキは郵便局員泣かせといわざるを得ません。

 でもハガキ一枚でも感謝の気持ちを書きたいと思う心は涙が出るほど嬉しいものです。ハガキを貰うと返事を書かなければならない苦痛もありますが、それこそ無上の喜びとするところにハガキの醍醐味があるのです。これからも一生懸命ハガキに挑戦します。

  「近頃は切手無くなるスピードが早いと妻の独り言聞く」

  「ハガキ書く人がいるからハガキ来るたった五十円これまた楽し」

  「赤松と間違い書かれたハガキ来るその人の顔想像しつつも」

  「辞めてみてはじめて分かる音信の嬉しき手書き今日も受け取る」

 

[ この記事をシェアする ]