shin-1さんの日記

○暮らしのリズム

 いい時候になって、朝の目覚めが快適です。昨日のように畑仕事や人との出会いが多いと、自分の暮らしが充実しているのか食欲も充実していて夜はぐっすり朝までといった熟睡型の人間になっています。シーサイド公園を建設中や町名変更といった様々な、町を二分する葛藤に巻き込まれた若い頃の「夜も寝れない日々」のことを思うとまるで天国といったところなのです。私の生活リズムが充実していると妻のリズムもすこぶるよく、家族の歯車がいいように回っていると感じます。近所に住む叔父は入院や特老への入所を繰り返し、植物人間のようになっていますが、家族の新郎は見るからに頂点に達しているように思われますから、せめて今の暮らしのささやかな幸せをかみ締めておきたいものです。

 私の日課は殆ど毎日朝4時に起きると自分の書斎の電気をつけ、パソコンに電源を入れます。そして無心にブログを一本書いています。心や頭に浮かんだことを書くのですが、「書くことがよくあるねえ」と人が感心するほど沢山のことを雑学的に書きます。その場合広辞苑はよく開けます。小さな文字の判読も今はまだ出来ますがたまには虫眼鏡で見たりします。

 ブログを書き終わりメールの整理や返信をし終わった6時頃に妻から「お父さんご飯ですよ」と台所からお声がかかるのです。それからゴミ出しや髭剃りをして一日が始まります。~中略~

 夕食が済むと妻は散歩に出かけますが、散歩の必要のない私は書斎に入って本を読んだり調べものをしたりして過ごし、10時から11時に再び一本のブログを書いてメールを整理し、12時に床に付くのです。何気なく過ごす日々の生活リズムは、ブログによって自問自答を繰り返し、メリハリがちゃんとつくのもブログや講演による全国行脚のお陰かも知れません。

 最近は原稿の執筆依頼もそれなりにあって、この一年はまさに現職では味わえなかった暮らしのリズムの味わいをかみ締めています。ただ惜しむらくは日々g充実しているが故に少し忙しく、オーバーパワー気味なのが心配だと妻は言っています。でも当の本人は結構楽しんで暮らしているのですから「いいじゃあありませんか」と返しています。

  「妻が言う あんたそんなに 急がずも もっとゆっくり 私みたいに」

  「幸せは 幸せですと 思う時 分らぬけれど 不幸な日まで」

  「音も無き 静かな朝も 耳向けば 小鳥さえずり 木々少し揺れ」

  「『ご飯です』 妻の呼ぶ声 長閑なり 金はないけど それなり幸せ」 

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○ツリーハウスついに完成

 第三期工事と位置づけて作業を進めたいたツリ-ハウスがついに完成しました。今日は次男と二人でツリーハウスのペンキ塗りをしました。下地を塗って乾燥させその上に仕上げ用の防腐剤を塗るのですが、両方ともシンナーの匂いがきつく、今日はシンナーに酔ったのか、大変な出来事が起こりました。次男と私が手分けして二面ずつ塗るため足場に上がって作業を進めましたが、息子に「足場は高いから落ちたら大事故になるからくれぐれも気をつけて作業をするよう」にと注意を促していたのですが、こともあろう注意をした私が足場を踏み外し顔を屋根の波型トタンで切ってしまいました。幸い大事には至りませんでしたが、醜い顔が余計醜くなるほどの怪我です。血が噴出しましたが次男は準看の免許を持っているだけあって自分の車からリバテープを持って来て、これでもかという程顔半分にリバテープを貼り付けました。恐る恐るトイレの鏡で傷の具合を見たのですが幸い大事に至らず、応急手当がよかったのかそのうち血も止まって一安心です。これは明らかに私の不注意でもあるのですがシンナーの幻覚症状も一因ではないかと思っています。

 水平線の家と五右衛門風呂の外壁に使った塗料が残っていたのでそれを使い、建物全てに一体感を持たせました。お陰で化粧したツリーハウスは一段と見栄えがして見るからに山小屋風で楽しい雰囲気です。水平線の家からのアクセスも大工さんの工事による踏みつけ道が出来て簡単に行けるようになりました。

あとは明日大工さんが足場をのけ上がり階段を付ければ全て完成です。着工から約1ヶ月、忙しい仕事の合間を縫ってほぼ予定通りの期間で仕上がり、来週末に予定している逆手塾に何とか間に合いました。

 中村誠之助ではありませんが、棟梁の日浅さんは仲間ながら「いい仕事してますね」と褒めてあげたいような仕上がりで、私も長男も満足しています。ツリーハウスの全容紹介は足場が取り外された段階で詳しく紹介したいと思っています。

 宮崎のメル友からツ自分たちで作ったリーハウスの写真が送られてきました。よく雑誌で紹介されている立派なものです。それに比べ私のツリーハウスは木の上ではなく木を取り込んだまったく違ったタイプです。これをツリーハウスと呼んでいいのかも分りませんが、私は高床式の立派なツリーハウスだと思ってい

ます。

 棟梁の話によると、長い間大工をやっているが家の中に生きた木があるのを手がけたのは始めてだそうで力を入れて造りましたと言っていました。さあこのツリーハウスでどんな夢を見ればいいのでしょうか。

  「顔に傷 まるでヤクザに 似てますよ 大事に至らず ひとまず安心」

  「シンナーの 匂い幻覚 踏み外し 波型トタン 顔に傷つけ」

  「また一つ 夢が実現 したわいな 次の目標 第二農場」

  「妻の手が 手荒く顔の リバテープ はがしてクスリ アイタタイタタ」 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○2006-0530-3の夕日

 今日のブログの見出しを見て「えっ、夕日に番号があるの?」と思われる方がいるかも知れません。今日たった今思いついたことなのですが、デジカメで写真を撮る機会が増えたのを機に、思い出の残しておきたい夕日に番号をつけておきたいと思い早速付けてみました。2006は西暦です。0530は5月30日と写真撮影の日です。ちなみに撮影の日と整理の日はズレが生じますが、まあアバウトながら自分で分りますので、-3を記しました。こうしておくと写真の整理も出来て直ぐに取り出せるという算段です。ちなみに漁協所女性部の皆さんが「まあ綺麗」と褒めてくれた5月30日の夕日を保存先から取り出して見ましょう。

 人間牧場から見える5月の夕日は如何でしょうか。綺麗な夕日でしょう。茜色の夕焼け空も綺麗ですが、まるで金色の道が夕日に向かって続いているような錯覚にとらわれました。私たちは日々の暮らしの雑事に追われてこんな美しいい夕景を鑑賞する事も無く、また感動する事も無く過ごしているのです。もう20年も夕日にこだわって夕日を売り続けた男が、この歳になってやっと夕日と向かい合えるようになったのも、やはり人間牧場を思いついた構想の素晴らしさと実行力、それに自由人になった心のゆとりなのでしょう。

 この日はジャコ天おばさんの議論が沸騰しその輪に巻き込まれて満天に輝いてたはずの星観察までは心も目も回りませんでしたが、そのうち発見するでしょう。帰り際おばさんたちが暗闇の向こうに見える松山の明かりを見て「まあ夜も綺麗」と言っていました。私を含めて25人がしみじみと鑑賞した5月30日の夕日は

残念ながら思い出を残して消えてしまいました。しかし文明の利器であるデジカメは偉いものです。こうして記録に残すのですから・・・・・・。

 あくる朝富岡さんからお礼の電話を貰いました。「楽しかった。嬉しかった。よかった。感動した。みんなが行ってよかったと言っている。また行きたい」なんて言葉が次々飛び出し、こちらが恐縮する程でした。昨日の夜大学の講義を終えて帰ってみると何やら大きな荷物が玄関先に届いていました。迎えに出た妻が「漁協女性部の福岡さんが先日はお世話になりました」と言いながらわざわざ届けてくれたというのです。開けていませんが見ると脱衣カゴのようなものです。五右衛門風呂へ置いて欲しいとのことでした。

  「写真見て 夕日に番号 つけてみた こうすりゃ思い出 直ぐに再現」

  「感動は 二十五人が それぞれに 分割見ても 減らず増幅」

  「幸せは そこに落ちてる ものですよ 気付かず拾わず 幸せなれず」

  「ねえ進ちゃん また呼んでねと せがまれて 嬉しい出会い 今度必ず」

  

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○人間牧場にジャコ天のおばさんたちがやって来た

 愛媛県内でも一番元気なと思われるジャコ天のおばさんたち24人がわざわざ人間牧場にやって来ました。シーサイド公園に行列の出来る店を開いていることもあって、その日は6時40分に下灘コミュニティセンター前で待ち合わせをしていたのですが、1分1秒も遅れることなく40分きっかりに待ち合わせ場所に6台の車に分乗してさっそうとやって来ました。顔見知りのおばさんだけですので別に気負うこともなく、私の車を先頭に7台の車がまるでムカデのようにゾロゾロついて来ました。乗用車は上へ置いて歩いてもらいましたが、軽四は人間牧場まで恐る恐るの運転です。その一台一台を私が運転を代わって回転させ、置くからきちんとつめて駐車しました。

 玄関から部屋の中に入り海辺に広がる景色を見て24人のおばさんたちは誰もが、その眺望に「わー凄い」と感嘆の声を上げておりました。海沿いに暮らす彼女たちにとって海は見慣れた光景です。でもこんな海抜130メートルの上から見る海と空は例えようのない景色だと絶賛しきりです。

 前日鳥取の旅先へ電話がかかり、「明日空いているかい」「空いている」「じゃあ明日みんなで押しかける」てな売り言葉に買い言葉で今日の集会となったのです。でも一人や二人なら分りますが、24人もの集団が一糸乱れぬ状態で出席する事に私も驚きましたし、話を聞いて参加した商工会の三井会長も驚きの色を隠せませんでした。この日の集会は人減牧場を見学することとジャコ天の店の運営についてみんなで話し合う大切な会です。一通り食事や雑談が済んだ後、生き残りをかけた真剣な話し合いが持たれましたが、私がジャコ天のお店を立ち上げた張本人だけに12年間もよくぞ右肩上がりで続いたものだと、この集団をリードしてきた富岡さんの手腕に大きな拍手を送りました。

 この日は梅雨の晴れ間のようで、期待や予期もしなかったのに自慢の美しい夕日が西の空に見られ、これまた心を赤く染めましたし、囲炉裏を囲んだ集会も盛況で、私は思わず自慢の下手糞なハーモニカを取り出して皆さんの好きそうなリバイバルソングを即興で吹くサービスをしました。

 まちづくりを志した私にとって、上灘漁協女性部の活動くらい成功して成果を挙げている団体はありません。花の会もそうですがしっかりと自立している姿は頼もしく、私の自慢の一つです。だから私は何処へ行ってもジャコ天と菜の花の話はするようにしているのです。

 これからも元気で頑張って欲しいものです。わが人間牧場に一番来て欲しいお客さんだったのかも知れません。

  「今でこそ こんな元気な おばちゃんも 最初は霧中 失敗ばかりで」

  「船頭の 妻たち多く 山登る とにかく元気 見習いたいね」

  「起業した あの頃みんな 若かった 二十引いたら 娘みたいで」

  「これからも 今まで以上に 頑張ろう 一人一言 これが秘訣だ」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○孫の入浴シーン

 人間牧場も季節のめぐりとともに急に忙しくなって、草刈や畑の草取りなど農作業に追われるようになりました。植えない草は元気がよいのに、植えた作物はどういう訳か草にやられてしまいます。これも自然の摂理なのでしょうか。でも伸びる草を恨まずせっせと農作業を楽しんでいます。草刈機を酷使して3枚刃をグラインダーで研いでは使っていましたが、最近になって昔杉垣の剪定に使っていたチップソーの刃が見つかって替えてみました。これが第二農場の開墾作業に凄い威力を発揮するようになって、少し作業が楽になっています。

 先日孫が「おもしろ教室」にやって来ました。娘が結婚式に出席するためお守りをしなければならなくなり、「おもしろ教室」と重なって急遽の参加となりました。参加といってもそこら辺をうろちょろするだけでしたが、小学生たちに大事にしてもらうものですから、悦に入って私の「会長」と書かれた名札を首につってやると嬉しそうにはしゃいでいました。みんなから「会長」と呼ばれて益々ご満悦の様子でした。

 みんなが帰った後、長男と次男が上がってきて、風呂を沸かしてくれました。孫が風呂に入りたいというのです。

次男に抱かれて風呂を楽しむ姿を長男がパチリと私のデジカメで撮影しました。いい感じに写っています。

孫はこの思い出が余程新鮮だったようで、あちらこちらで五右衛門風呂の意味も分らず、「山の五右衛門風呂に一生ちゃんと入った」とあちらこちらで宣伝をしているようです。昨晩も娘の夜勤の関係で泊まりに来た孫が、この写真を見せたりわが家の風呂に入ると、「今度はいつお風呂に入れるの」とせがんでいます。季節もよくなってきましたので、近いうちに今度は「おじいちゃんと入る」約束をしました。孫と私の只今の合言葉は「男どおし」です。

 先日ブログで私の入浴シーンを配信したところ、一斉に笑いと感嘆のブーイングがメールで沢山寄せられました。孫が風呂釜の中で遊ぶシーンは「可愛いね」だったのに、私のシーンは痩せこけた体が醜いアヒルの親と感じられたのでしょう。でもこの風呂は一度入ると癖になりそうな予感のする五右衛門風呂です。

 「女性の私でも」と言われそうですが、はい木漏れ日の左右の窓は忍者屋敷のように閉まるし、前の上げ戸も鍵がかかりますのでどうぞご安心下さい。ただし節水につき体重制限があることをお忘れなく。ちなみに体重の基準はわが妻にしています。

  「植える苗 育たず植えぬ 雑草は スクスク伸びて 俺はかなわん」

  「思い出は 孫の体に インプット 蓄積されて 三つ子魂」

  「この風呂に 入る女性は 誰かしら 未だ入らぬ 女体を思う」

  「この風呂を 造る構想 設計士 今は牧場 名物なりぬ」

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○信濃川は日本一長い川ではないって本当ですか?

 日本は海の国・山の国・水の国・火の国だと旅をしてつくづく思います。四国や中国は周囲を日本海、瀬戸内海、太平洋のそれぞれの海に囲まれてるため海岸線が美しく、夕日や朝日を海とともに拝めるのです。山が急峻な山間地ではトンネルが沢山あって出たり入ったり、その度に別の世界が視界に飛び込んで、県境近くになると山の国という実感が湧いてきます。その都度幾つもの川を鉄橋で渡るのですが、最近の国道橋は背丈も高く下を見ると足がすくむようなノッポなコンクリート橋があります。川を左右に見ながら走ると水の国にイメージに早代わりするのです。そしてあちこちの国道沿いには「○○温泉」などと書かれた看板が所々にあって旅情を誘うのですが、温泉は地下のマグマ活動による贈りものですから、やはり火の国とでも言えるでしょう。余り外国を旅する機会がないので比較は出来ませんが、これ程海・山・水・火が織り成す自然豊かな国も珍しいのではと、日本の美しさについついうっとりします。

 私たちが子どもの頃、社会科で海・山・川・火山の名前を幾つも覚えました。先生がテストに出すというので富士山や阿蘇山の位置を地図帳で確認したりしたものですが、色地図を見ながらまだ見ぬ土地に思いを馳せたものでした。山の名前はたとえ県境をまたごうとも変わらないのですが、こと川の名前は県境をまたぐと名前が違っていて、先生の言う「日本で一番長い川は信濃川です」に子どもの私は質問したことを覚えています。「先生、信濃川は長野県では千曲川と書いてありますが、同じ川がどうして別の名前で呼ばれているのですか。信濃川の長さは千曲川を引いたら、日本一の長さではないのじゃあないですか」。先生は「若松君いい質問です。先生もそう思っていました。この次までに調べておきます」でチョン。結局は私の質問を忘れていたのか、私が再質問しなかったのが悪いのか今もその謎は分らず終いで闇の中です。このことが気になって、高校の受験に出たらどう書こうかと気がかりだったのも遠い少年時代の思い出です。

 ところが先日長野県を旅して千曲川のある長野県に行った時、ある雑誌にそのことが書かれているのを発見しました。埼玉・山梨・長野の県境にある甲部信ケ岳の源流から河口までは全長367キロで日本一の長さです。ところがこの川、新潟県では信濃川なのですがその長さは153キロにしか過ぎないのです。ところがところが驚いたことに長野県では千曲川の長さは214キロで親川よりはるかに長いのです。だとしたら「日本一長い川は」なんて愚問は答えようがないということなのです。千曲川が県境をまたぐと信濃川になるのですが、多分「信濃の国から流れてくる川」という意味なのでしょう。

 子どもの頃に地図帳でそのことを発見していた私は天才だと言わざるを得ませんね。

  「信濃川 日本一だと 威張るけど 千曲の方が 長いのですよ」

  「千曲川 信濃川より 長の県(長野県) そんな洒落でも 言って笑わせ」

  「先生は 俺の質問 答えれず 未だに答え 返しもせずに」

  「そんなこと ばかり考え 詰まるとこ 通知表には 社会3しか」


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○金毘羅さんの絵馬

 昨日鳥取への所用の帰り道妻と二人で金毘羅さんへお参りしました。金毘羅さんへは今年の正月に家族でお参りに行って以来の半年振りです。昨日は日曜日とあって大勢の参拝客で賑わっていましたが、午後3時過ぎということもあってお参りを済ませて下山する人は多かったのですが私たちのようにこれから登る人はさすがに少なかったようです。「江戸っ子だってねえ。神田の生まれよ。寿司食いねえ」なんてやり取りが、時代を超えて話題になる遠州森の石松の金毘羅代参で有名な香川県の金毘羅さんは長い石段が800段近くもある難所です。最近は金さえ出せば駕籠に乗って参拝も出来ますが、さすがにここだけはバリアフリーにはならないようです。駐車場で借りた竹の杖を使って登るのですが、中腹までの沿道には土産物屋が軒を連ね、売れるのか売れないのか分らない一刀彫の置物やお菓子類が沢山売られていました。

 中腹の山門をくぐるとさすがに土産物屋は姿を消して灯篭や寄付をした人の名前を大書して彫り込んだ石柱が無数に並び、信仰の厚さを物語っていました。

 汗をかいて山頂の本殿に登ると、讃岐平野に幾つものお椀を被せたような山が見え、折からの麦秋に映えて美しい風景が疲れを癒してくれました。一昨日訪ねた鳥取の蔵のある倉吉市も、昨日訪ねた鳥取智頭町の石谷家の古民家も味わいのあるものでしたが、信仰宗教の金毘羅さんもそれぞれに、世界に誇る日本のよき伝統文化だと感じました。

 本殿の側にはお守りを販売する社務所がありましたが、若い人たちはおみくじを引いて大吉だと大騒ぎしたり、中年の方々は絵馬を書いて奉納していました。おみくじはそこら辺の木の枝に結びつけていましたが、絵馬は絵馬を飾る所があって大切に保存されているようでした。絵馬のルーツは古く平安時代にはもうあったそうです。絵馬のそもそもの起源は武将たちが戦勝を祈願して本物馬を奉納したそうですが、馬の飼育が大変ということで絵で書いた馬になり、今は絵馬という風習だけが残っているようです。念入りの絵馬は五角形の板の上に屋根を表すように細い木が打ち付けてありますが、その木の組み方が「入」という字に読めるよう、つまり願い事が神様に入るようにとの願いもあるそうです。

 受験の合格願いから安産や孫の成長、結婚の相手が見つかるようになどと、人それぞれ何時の世にも神頼みは多いようですが、くれぐれも本人の努力なしでは成就するものでないことをお忘れなきようにと、思いました。

 さて、この絵馬の行方はどうなるのでしょう。ちなみに神主さんに聞いたところ、物にも賞味期限があるように願い事も賞味期限があって、一年経つとお札と同じく処分するそうです。願い事に賞味期限はありませんが、成就したらお礼参り、成就しなかったら再度の願いと、せめて一年に一度は神の前で自分の人生を振り返りながら新たな願いを心に念じて欲しいものです。

 お願いしたのに叶わなかったらあの神様は霊験がないと悪口をよく言いいますが、願い事は神様が成就するのではなく、神の前で自分自身と約束することなのです。

 妻は賽銭を入れて何やらお願いをしていました。私も退職して懐が寒くなっているので10円を入れて十分にと自分自身に言い聞かせました。

  「十円で 俺の願いを 聞いてくれ 今時神も 金の重さで」

  「石段を 一段一段 踏みしめて 登るお参り 心清けき」

  「願い事 賞味期限は 一年で 切れるそうです 次の準備を」

  「お土産屋 うとうと店番 よだれくり 帰りに見たが やっぱり同じ」 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○妻と同伴二人旅

 講演や研修などで一年中日本全国を気ままに旅をしている私の旅のスタイルは、たまに友人と一緒なんてものもありますが、その殆どは「一人旅」です。木になるカバンに読みたい本一冊とテープレコーダーにお気に入りの音楽テープを入れて出発し、イヤホーンで音楽を聴きながら本を読み、列車や船の窓から過ぎ行く景色を眺めながらぼんやりと過ごす旅は、心のリフレッシュに最高なのです。もう何年もそんな一人旅をしているとこれが普通で、近場である中・四国をマイカーで訪ねても新しい道を通ったりしながら楽しんでいます。

 普通は許されることではないとこれまで心を戒めて行動していた講演に妻の同伴を、最近講演先の同意を得て少しずつ始めています。この二日間も講演先である鳥取県倉吉市で行われる鳥取県地域づくりセミナーに妻を同伴する事になりました。一ヶ月前から妻は職場に休暇予約をとり、準備を進めていたのですが、何を勘違いしたのか妻はそのことが余程嬉しかったのでしょう、出発前日までまるで子どもが遠足にでも出掛けるように、たった二日間の旅だのに様々な用意をするのです。主婦が二日間も家を空けるには、留守に残るおやじと息子の食事の準備が必要で、例によっておでんやカレーのような二日分の保存食を用意していました。さらに携行品として果物や魔法瓶のお茶を用意し、無駄な出費を出来るだけ少なくする作戦に沿い用意に余念がありません。

 かくして一昨日午前三時前に息子の車を勤務先の今治までついで用事で運ぶため、一台は妻が運転し別々の車で出発しました。早朝の国道は車も空いて僅か1時間半で目的地今治に到着、無事息子に車を渡してしまなみ海道経由で倉吉市へ8時過ぎに到着しました。

 私の拘束時間は午後2時から午後5時までの講演時間と午後5時半から午後7時までの交流懇親会ですから、その日の午前中と夜、それに明くる日の日曜日が全て二人の旧婚旅行に使えるという算段なのです。昨年妻を伴って新婚旅行の時に訪ねた島根県隠岐の島へ出かけ、妻へ講演ついでの大きな旅をプレゼントしたことが妻の予想以上の感激を生んだものですから、今回もその再来となったのです。

 九州地方は既に入梅し、今回の旅も雨を予想していましたが、運がよかったのか、訪れた三朝温泉、東郷温泉、鳥取砂丘、智頭町では雨にも合わず爽やかな初夏の旅を満喫しました。また帰りに立ち寄った香川県金毘羅さんの長い石段登りも、妻は最近始めたジョギングのお陰で苦にすることもなく私と同行二人のよろしきを得て完歩することが出来ました。

 マイカーですから多分私一人でもガソリン代も高速道路通行料も同じですから、随分安上がりな旅となりました。でも妻は折角この一ヶ月ダイエットしたにもかかわらず、行く先々での飲み食いがたたり、1キロ体重が増えたと要らぬお土産まで持って帰ってしまいました。二日間で600キロという驚異的な距離を駆け抜けた夫婦の旅は妻の感動の場面をデジカメに収めて終わりましたが、妻曰く「今度は何処へ連れて行ってくれるの」です。気疲れした私は「うんそのうち」とそっけない返事。少しほとぼりを冷ましてからぼちぼち考えましょうか。それにしても私「あー疲れた」の旅でした。

 この写真は鳥取県智頭町石谷家の縁側で庭の風情を楽しむ妻の奥ゆかしい姿です。

 少し残念なニュースです。この2日間妻をモデルに写真を撮りましたが、鳥取砂丘で若い男性に二人の写真を撮って貰ったのですが、それが不発で写っていなかったのです。優しい心を出したばかりにこんな失敗をしてしまいました。

  「一人なら 気ままな旅も 二人だと 何かにつけて 気疲れですよ」

  「一キロの 体重落とすに 一ヶ月 だのに二日で 元の木阿弥」 

  「お土産は 増えた体重 減る財布 それでも妻は 楽しかったと」

  「また行こね 妻は早速 次の旅 俺は勘弁 口に出さぬが」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○孫のお迎え

 病院に勤めている娘が今晩は職場集会があるとかで、私がたまたま松山で会議があって3時に終わる予定だったので、幼稚園へ孫のお迎えをする役割と相成りました。3時きっかりに幼稚園の玄関まで行くと、ももぐみの部屋では既に私の来るのを待っていたのか身支度を整えて手を振りながら嬉しそうに出てきました。孫の通う幼稚園は清閑な郊外の幼稚園とは違い街のど真ん中にあって、最初行った時は「えっこんな所に?」と思うほど飲み屋街の真ん中にあるのです。孫のために私の車の後部座席にはチャイルドシートが備え付けられているのですが、私の車に乗る時は何故か、「僕はお兄ちゃんだから」などと胸を張って助手席に座り、さっさとシートベルトを締めて「出発進行、発車オーライ」の掛け声をかけるのです。市内電車通りを走りながら孫の誘導で家まで帰るのですがさすがに都会の子供で、道順をちゃんと知っているようです。

 「おじいちゃん今日は何をして遊ぶの」と言いつつ、部屋の鍵を開けて部屋に入るなり、自分のおもちゃ箱から自慢の飛行機を取り出して私に見せながら遊ぶ工面をしたまではよかったのですが、幼稚園での遊びで疲れたのか、我が家に帰った安堵感か、はたまた久しぶりのおじいちゃんとの対面に嬉しかったのか、知る由もなくソファーで深い眠りについてしまいました。

 さて私も孫に添い寝と思ったのですが、それも大人気ないと娘が食卓で使っているパソコンを開けてブログを一本書こうと思い立った次第です。孫の心地よい寝息を聞きながら慣れない娘宅のテーブルで、しかも娘のパソコンで勝手にブログを書いてますが、わが家わが部屋とは随分趣も頭に浮かぶ出来事も違って感じられるのです。

 寝ている孫は3歳半ですが、この孫が生まれた11月23日のその時間には新潟へ行く上越新幹線の中でした。妻から携帯が入り「孫が生まれた。母子ともに健康」の妻の弾んだ声に小躍りをしたいような喜びに浸ったものでした。あれから3年半が矢のように過ぎて、孫も日に日に成長しています。もう一人ぐらいは子供を産んでくれたらと親としては思うのですが、こればかりはどうにも願いかなわずといったところでしょう。孫の成長に比べて私は進化はしていると自負しているものの体力や仕事上は時間が止まったような日々だと実感しています。

 浅い眠りから孫が起きて来ました。孫「おじいちゃん。何しているの」。私「パソコンでお仕事しているのよ」。孫「そのパソコンお母さんのよ」。私「おばあちゃんの家に手紙を書いているの」。孫「ふーん、どれ見せて」。

字も読めない孫は画面を見て「黒と青と赤で綺麗ねえ」でした。

  「孫横に 昼寝のいびき 聞きながら ブログ一本 書き終えました」

  「外は雨 どこ行く当ても ないままに 孫と二人で 童心帰り」

  「会いたいが 会ったら疲れる 孫の守 それでも役目 一応果たせて」

  「パソコンは 母のものだと 主張する 誰が教えた 訳でもないに」


 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○五徳が出来ました

 水平線の家の少し上がりかまち寄りに畳一畳敷きの囲炉裏を切りました。普段はその上に蓋をしているので余程注意をしていないと囲炉裏の存在に気付きませが、その蓋を取ると真っ白い木灰が敷き詰められて、いかにも初々しい感じがします。我が家の横の煙会所の囲炉裏は畳半畳ですから倍の広さで、相当ゆっくりした造りになっています。設計担当の息子はこの囲炉裏にお茶室用の五徳を3個もインターネットウォークションで買い求め持って来ましたが、これは全て茶室用で大衆の酒飲み用には通用しませんので、息子の友だちの鉄工所社長に私がお粗末な絵を書いて渡し造ってもらいました。その五徳がこの程出来上がって地元の人を呼んだ火入れの会に初披露しました。普通囲炉裏には自在カギが吊るされてその下に丸い五徳が置かれるのですが、畳一畳もの広い囲炉裏なので丸と長四角の二つを用意しました。

 五徳は広辞苑によると「炭火などの上に置き鉄瓶などをかける三脚または四脚の輪型器具」と紹介されていますが、中には陶磁器の五徳もあるそうです。昔は火鉢がどの家にもあって、小さいな五徳の上で鉄瓶から湯気が出ている姿を見たものでした。五徳が輪型と書いてあるので、水平線の家の五徳は長方形なので変わっている形で五徳とはいわないのでしょうが、それでも設計では5本の鉄筋で作られており、まるで音楽の楽譜に出てくる五線譜のような感じがしてこれも五徳といえそうです。

 しかし五徳の意味は以外と奥が深く、儒教では温・良・恭・倹・譲の5つの徳目を言うのだそうです。また兵家では知・信・仁・勇・厳の5つの教えを五徳とよんでいるようです。儒教も兵家の教えも今はただ遠い昔の教えになってしまいましたが、五徳を見ながら酒を酌み交わし五徳の意味について語ることも水平線の家の大切な教えだと思っています。

 温-心の温もり

 良-良い考えと行い

 恭-素直な心

 倹-倹約

 譲-譲る

[ この記事をシェアする ]