shin-1さんの日記

○自治会長視察団が行く

 私は現在伊予市広報区長という、いわば自治会長をしています。区長に就任したのは役所を退職した昨年の4月でした。長年お世話に成ってきた住まいのある地元にある程度のお返しをすることはそこに生きるものにとって当然の責務だと思ったし、先輩諸氏もそうしてきたことなので任期2年の約束を果すべく懸命に慣れぬ区長の仕事をこなしてきました。しかし私が任命を受けたのはあくまでも地元の地区民から推薦で地元の仕事をするためでした。しかし区長という仕事は行政と住民を結ぶ末端の仕事もこなしてゆかなければなりませんから、民意の集約と民意実現のために苦情や要望を丹念小まめに行政に要望してきました。地元の仕事をしながら行政からの上意下達的な仕事もこなしてゆく巾の広い煩雑な仕事は予想を上回る量と広範多岐さに慣れぬこととはいえ驚いたりもしました。でも一年が過ぎると区長の仕事の矛先もこなしモードから改革モードに変化し、様々な改革を試みました。緩やかな暮しの中にどっぷり漬かっている地域住民は急激な変革を望まず、随分と跳ね返されましたが順調に改革の歩を進めています。

 しかし合併という思わぬ行政の変革の波に呑み込まれ、広報委員と広報区長という役割が委嘱という形で一方的に制度化されてウムを言わせず了解させられてしまったのです。特にこれまでは行政がやっていたことを行政のスリム化と、旧伊予市にあわせる画一化いう美名のもとに押し付けられ、広報の配布などの様々な業務が抵抗や意見具申に耳を貸すことも説明責任も果さぬままうやむやに押し漬かられてきました。行政に身を置いていただけにやり切れぬ気持ちは今も心の中にくすぶり続けているのです。

 そんな矢先広報区長の研修旅行が計画され昨日までの一泊二日の日程で福岡県宗像市への視察となりました。一人3万円もかける旅行は50人だと150万円もかかるものですから3千円の自己負担とはいえ大変な出費だと思いつつも、昨年不義理をしていたこともあって参加しました。

 宗像市の人口は9万5千人余り、わが伊予市の倍もある大きな市です。コミュニティ行政の先進地として大きな成果を挙げていました。相互扶助と地方分権を自治行政の大きな柱として行政の役割と住民の役割を明確化し、対等な立場で協働していくいわば協働と参画のまちづくりのモデルのような街でした。その方針は行政の権限や財源の移譲という大胆な政策によって自己提案、自己決定、自己実現、自己責任というシナリオが出来ていました。コミュニティには地縁コミュニティ、知縁コミュニティ、テーマコミュニティなどがありますがこれらを網羅したコミュニティ行政は聞く限り合併後のまちづくりにとって大切な方向だと思いました。

 よくある視察パターンの1時間半の訪問でしたが吉武地区のコミュニティについて、特に予算と職務への関心が高く30分も時間オーバーしてしまいました。視察は同行した二人の担当者の受け止めと区長たる私たちの受け止め方とは随分違うはずですが、いいところを吸収していい街にしたいものです。

 私の目は視察もさることながら、二つのことが目に留まりました。一つはセンター入り口の分別収集のためのゴミ箱でした。このゴミ箱はかなり知恵が出されていました。ゴミの分別収集への住民の意識を垣間見るようでした。

 もう一つコミセンの入り口に銅像が建っていました。

 明治維新の志士「早川勇」の顕彰碑なのです。私たちは四国出身ですから特に高知へ行くとこの手の顕彰碑は坂本龍馬を筆頭に沢山目の当たりにするのですが、早川勇という人物の存在すら知らなかった私にとって大きな成果でした。詳しい碑文はこの3枚の写真でしか知るよしもありませんが、この写真を拡大解析してみたいと思っています。旅の途中に出会った早川勇との出会いは今回の旅の大きな収穫でした。

  「九十分 僅かな話で 茶を濁す これでも視察と 胸を張るなり」

  「視察地で 思わぬものを 発見し デジカメ写す 嬉し出会いが」

  「さあ視察 終わったビール 開放感 バスは賑やか 宿へと進む」

  「同じ市に 住む者なのに 名も知らず 始めましてと 名前語りぬ」


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shin-1さんの日記

○合併後のまちづくり

 昨日は私が非常勤講師をしている愛媛大学法文学部総合政策学科のフィールドワークで、学生22人を引率して今治市を訪ねました。1市11町村が広域合併した全国でも希な市の誕生と合併後のまちづくりについて調査研究するための現地学習なのです。全国から集まった学生にとって、また車などの交通手段を持たない学生にとって愛媛県内の町や村を訪ねることはそんなに多い訳ではありません。私のゼミの殆どの学生が今治を訪ねるのは初めてという珍しい集団なのです。

 小遣いをアルバイトに頼る貧乏学生たちばかりですから、バスを借りることも出来ず公共交通機関を利用しての、しかも今時鈍行各駅停車の旅は長閑そのもので、松山から今治まで特急だと30分なのに一時間以上もかかってしまいました。でも学生たちは列車の中で聞く乗降客の話もまた貴重な学習なのです。

 松山駅発8時19分の列車は一両編成で学生が22人も乗り合わせると席は埋まり、車窓に浮かんでは消える造船所、かわら公園、太陽石油、瀬戸内海などの珍しい物を見つけては、「先生あれは何?」とその都度説明を求めてくるのです。今回の旅はリラックスできるカジュアルで、しかもナップサックを背負っての気楽さでしたので、カバンに忍ばせた「宮本常一」の本を一冊読破しようと思ったのですがとんだ誤算でした。

 市役所へは旧友地域振興課長の矢野さんを通じて企画課の森係長さんを窓口にして公文書や電話連絡をしていたので、市役所11階の立派な特別室を用意して待っていてくれました。元行政職員の顔を効かせての温かい対応に感謝しています。

 

 横山課長補佐も同席しての研修は、説明の後一問一答形式で2時間にも及びました。お二人ともさすが優秀なポジションにいるだけあって、学生のトンチンカンな広範囲な質問にもしっかりとお答え頂きました。その内容については詳しい報告書を作る計画ですので割愛します。

 この研修は全て学生の出番を作っており、開会のあいさつは1班の班長、お礼のあいさつは2班の班長と言うふうにし、発言も全員が行いました。中には鋭い質問も出ていい行政学習が出来たように思います。

 今回の研修を下支えしてくれたのはえひめ地域づくり研究会議の運営委員をしているNPO今治サポートセンター理事長の越智紀方さんで、私の頼みを快く引き受けてくれ、弁当の手配や彼自身が運転する無料バスの運行までしてくれる熱の入れようです。彼の勧めもあって午後の現地研修はミニFMバリバリを訪ねました。私も一度は訪ねたい場所だったので学生同様期待をしての訪問となりました。商店街の空き店舗2Fを利用した放送局はがっかりと驚きが同居するものでした。ガッカリは狭くお世辞にも美しいとはいえない部屋構えです。驚きは市民参加がしっかりと定着し防災での活躍や参加参画型の運営がなされていることでした。旧友の西川君や菊池さんも深く関わっていて、味のある局長さんの話に学生は目を白黒させていました。

 でも内容がミュージックや若者話題などに及ぶと活発な意見が飛び交いミニFMは若者に大好評でした。

続いて少し離れたNPOサポートセンターへ出かけましたが、女性事務局長さんと越智理事長さんのNPOや運営の話を聞いて、これまた県下に例を見ない素晴らしい医活動にカルチャーショックを受けました。官主導から民主導へまちづくりは大きく変化をしつつあります。行政の金がない言い訳やおかしなこだわりに疑問を持ちながらこうして草の根の市民運動を支えている彼女や彼らに大きな拍手を送りたいと思いました。学生たちは夜間主なので7次限目の授業があるので、今治駅の前で記念写真を撮って3時の鈍行列車に乗って再び松山へ帰ってきました。心配された雨にも会わず事故もなくホッとしています。

 来週は松前町です。白石町長さんの話も、合併しなかった町の喜びと苦悩も楽しみなテーマなのです。

  「学生を 引率訪ねる まちやむら 知らないことを 丹念学習」

  「学生に 生きた学びの 場を与え 大学教育 こうでなければ」

  「感想は 尋ねた学生 ぱちくりと お目々広げて かなりの衝撃」

  「無意識に 撮った写真に 写る街 まるで異国へ 旅した風景」

 

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shin-1さんの日記

○お茶と水と油

 最近何処へ行っても集会には必ずペットボトル入りのお茶が出てきます。350mlか500mlの2種類があるのですが、飲む人も飲めない人も同じように机の上に冷えたお茶が出るのです。私のような戦後の物のない時代に育った人間にとってみればこのお茶のサービスは何とも勿体無い使い捨てだといつも思います。だってこれ程環境問題がとやかく言われる時代になってもなおこうした使い捨て文化が流行っているのです。先日もある二つの会議でこのことを指摘したら、主催者が変な顔をしていました。

 一つ目の会合は環境セミナーです。環境をどうするかがテーマのセミナーなのに机の上にペットボトルを無造作に置くようでは環境を語る資格がないと指摘したのです。会場は幕開けから本題に入る前にペットボトル論争となりましたが、私は昨日も今日も魔法瓶にお茶を入れて遠出をしました。お茶を買う150円のお金がないからではなく、少しでも環境にやさしい実践を行いたかったからなのです。確かにお茶のペットボトルは便利ですが、高齢の人に500mlは飲めないし、ペットボトルの始末はこれまた厄介なのです。

 二つ目の会合は特産品開発の会合でした。愛媛の特産品を開発するにはどうしたらよいか、みんなが雁首そろえて話をする農協の席上にペットボトルのお茶が置かれていました。私はこのお茶を愛媛のまじめなジュースに変えたらどんなに消費が拡大するだろうと提案しました。僅か150mlでも愛媛県内の集会すべてにジュースが飲まれたら農家は勿論大助かりで農協も農民の味方になること間違いなしなのです。無造作に何の疑いもなく業者の消費宣伝や消費行為に乗っている私たちがいることを少し立ち止まって考え直してみたかったのです。

 男女の性差をなくし女性の地位向上のために、助成がお茶を汲む従来の日本社会の在り方を変えようという提案から、女性がお茶を沸かしたり出すことに疑問を持たれ始めてからペットボトルが急速に普及し始めたようです。確かに男女同権の時代に女性だけがお茶を出すことはおかしな話です。最近は事務所を訪ねても男性がお茶を出す光景を良く見かけるようになったことは嬉しい変化です。でもお茶を買うこと、ペットボトルを出すことでこの問題が解決したとは思えないのです。

 私は小さな集落の自治会長をしていますが、毎月一回のペットボトル回収の日には大型トラックに積み込めないほどのペットボトルが出され、今更ながらペットボトルが私たちの暮しに深く浸透していることを実感するのです。

 今ガソリンは史上最高値を更新しています。それでも1リットル240円までなのです。ところがペットボトルに入れられたお茶や水は150円で500mlですからリッター換算すると2倍しなければならないので、何と300円なのです。私たちは知らず知らずのうちにガソリンより高いお茶や水を飲まされていることになるのです。

  「お茶や水 タダだと思うに 油より 高いお金を 払う愚かさ」

  「おーいお茶 宣伝するは 新之助 俺も進ちゃん 大分違うね」

  「わが妻は お茶を沸かして ポット詰め 車に積んで 行ってらっしゃい」

  「茶の話 しっちゃかめっちゃか 茶を濁す ちゃかす言葉も 茶目っ気ちゃらよ」

  

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○県境の旅

 昨晩は愛媛県と高知県の県境に位置する四万十市、今日は愛媛県と徳島県の県境に位置する徳島県三好市と目の回るような大きな旅です。しかも三好市は高知県にも香川県にも接する超一級の県境の街なのです。旧池田町で開かれた社会福祉ボランティア協議会の総会の記念講演に出かけました。高速道路だけでも味気ないと途中の四国中央市伊予三島川之江インターで降りてのんびりゆっくり峠越えをしました。沿線には今が盛りと合歓の花が淡いピンクの花を咲かせていました。旧池田町はかつて四国のへそを自認してまちづくりを進めてきた先進地でした。しかし近隣の貞光町道の駅や吉野川ハイウェーオアシスの成功にお株を奪われ、少し疲弊しているようにも見えましたが、合併によって3万人余りの三好市が誕生しその中心地として少し活気が取り戻せたような雰囲気が感じられました。でも駅前の商店街もご多分に漏れず人通りが少なく昼時に訪ねましたがご覧のような状態でした。

 かつて旧池田町は土佐街道、伊予街道讃岐街道を結ぶ交通の要所として栄えてきました。池田駅もそうした物資人の中継基地となっていましたが、高速道路の普及によって通過する街へと変貌しているのです。

 間もなく出発するであろうエンジンをかけたままの列車の車窓に映る人影はまばらでローカル線の佇まいでした。

 駅の前には田舎の駅ならぬ立派な駅前公園があって野外ステージやモニュメントが整備されているのですが、残念な事にここにも人っ子一人いませんでした。公園で面白い物を見つけました。

 水面にカエルの石造が設置してありました。合併前まで全国の池田町と名の付く町が池田町サミットをやっていた頃の名残のモニュメントなのです。傍に宣言文が刻まれ往時をしのぶことができましたが、池田町そのものが無くなった今では昭和の遺物になったようです。

 多分これらのモニュメントも相当な費用をかけ、行政の威信や為政者の想いで作ったのでしょうが、仮にこの市町村交流が形式的でなく住民本意のものであったのであれば、合併後も続いているのだろうと思うと、姉妹町村は終い町村と悪評を叩かれずに済んだのにとふと思ったりしました

 私は思いました。今からでも遅くないからこれらの街と再び住民交流を始めたら面白いと・・・・。ただし行政に携わる人が税金を使ってタダで交流しても同じ失敗を繰り返すだけです。あくまでもマンパワーでの交流を望んでいます。

 こうして色々な街を訪ねると、御製に携わっていただけに見えなくてもよいものが見えたり感じたりして仕方がありません。自戒の念を込めて行政への告発ともとれる意見をこれからも述べて見たいとこのモニュメントを見て思いました。

 今日は福祉ボランティアの何たるも語らずに、むしろまちづくりの視点から福祉に切り込んだ話をしました。知人友人も多く参加していて、久しぶりに旧交を温めた県境の旅の終いでした。

  「サミットを したと記した モニュメント 人来ず公園 ただひっそりと」

  「昼時に 人も通らぬ 商店街 苦悩ありあり シャッター店が あちらこちらに」

  「池田という 高校昔は スポットを 一人占めした 蔦さん懐かし」

  「ゆっくりと リズム感じる 田舎町 遅れついでに 遅れてしまえば」 

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shin-1さんの日記

○空が広いなあ(宮地下方・20-3)

 海沿いのまちから瀬戸内海側に流れる肱川沿いを走って日吉の分水嶺を越えると、川はいつの間にか太平洋に流れ、最後の清流といわれる四万十川沿いに出ます。愛媛県を流れる間は多分広見川なのでしょうが、四万十川という超知名度の高い名前にあやかろうと、平成の大合併は四万十市、四万十町などを次々と誕生させたのです。

 合併に端を発した町長リコール騒動に揺れる松野町の芝教育長を訪ねしばし談笑の後、県境の看板を見ながら高知県へ入りました。今回の旧西土佐村行脚はもう3回目なのにやり過ごす看板の向こうに見える空の色は何処か違ってもう夏真っ盛りの青い空です。この20年間、この看板を何度見たことでしょう。でもこの地域に知人友人の多い私にとってはこの看板を見る度に一種独特の懐かしさを感じるのです。

 今回の旅の目的は産業課中脇裕美係長さんから依頼された仕事をこなすことが第一義なのですが、私は民俗学者宮本常一ばりの四万十の暮しぶりを感じとりたいと思い、わざわざデジカメを提げて感じるままに束の間の時を過ごしています。

 今日は初夏の四万十を少し散歩してみました。四万十には支流も含めると大小様々な橋が架かっています。地元の人何気なく通っているのでしょうが、訪ねる私たちにとって見れば橋そのものの形状は勿論ですが、「橋の向こうに何があるのだろう」と興味心身なのです。

 一本の橋が目に付いたので、ちょっと右折迂回すると、先日訪ねた江川崎駅のすぐ隣にある西ヶ方という小さな無人駅に着きました。山間田園の中を真っ直ぐに伸びる江川崎への鉄路はまさに日本のローカル的な原風景です。

 学校の下校時間だったので通りすがりの子どもたちは顔も知らない私に「さようなら」と人なつっこい声をかけてくれ、何だかほのぼのとした気分になりました。

 丁度マッチ箱のような一両だけの気動車が駅構内に入ってきました。ワンマンカーの列車には運転手以外誰も乗っていない寂しさです。谷あいに響く発車合図の汽笛も何処となく寂しそうだったので、手を振って送ってやりました。

 再び元の橋を渡って国道に出ましたが、「ひい、ふう、みい、よ」と数えると何と一枚の写真に4つもの橋が写る贅沢なポイントが見えました。路側帯に車を止め夕闇迫る四万十の悠久の流れを楽しみました。夕闇迫る四万十の流れは幻想的でそれでいて神秘的な感じがしました。

 写真に撮った杉横の木々の枝には沢山のゴミが引っかかっていました。聞くところによると昨年の台風ではそこまで水につかったのだそうです。現在の川面からは優に0メートル以上あるので信じられない感じですが、先日大雨の四万十を見ているのでうなずけるのです。

 再び国道を走り江川崎を左に曲がると川の流れは一変し瀬音が聞こえる急流になっていました。川に港はないのですが港のような船溜りがあって、一人の漁師が漁をしていました。そこら辺にある漁具から察するにうなぎの地獄漁を仕掛けているのではないかと思われました。最近の川舟はFRPが多く地獄もプラスチック製で時代の変化を読み取ることができます。櫓や竿から推進器も船外機に様変わり腹の底響く鈍いエンジンの音が山間に響いていました。


 さて肝心の集会ですが、非近代的という言葉がぴったりするような長閑な会場でした。体育館と講堂と集会所を一緒にしたような会場で窓を全て開け、扇風機が回り蚊取り線香がたかれ、椅子は高齢者用の座椅子が持ち込まれていました。私の足へは容赦なく藪蚊が攻撃を加え90分の講演時間中左と右の足を交互に上げ下げしながら藪蚊を追い払いました。でも今日の収穫は大きな見たこともないような藪蚊を5匹殺生したことです。多分藪蚊は久しぶりのご馳走に舌鼓を打ったのでしょうがそうは問屋が卸しませんでした。田舎といってもここは中心地です2地区合わせると対象者は相当数になるのでしょうが、参加人数は今一でした。でも集まった方々は相当意識の高い方たちとお見受けしました。特におんちゃん(何年か前商工会の視察研修でわが双海町へ来られて私の話をしっかり覚えていました)は私の話を感慨深げに聞きながら、「ここは四万十流域でも一番空が広い場所が自慢じゃあ」と話してくれました。私は「それがどしたん」と水をかけました。その日の話は地域資源をオンリーワンにした体験を噛み砕いて話しました。みんな感心して聞いてくれました。

  「窓開け 扇風機回して 線香たく 座椅子に座り まるで昔に」

  「扇風機 ブンブンブンと 音がする 薮蚊負けじと ブンブンブンと」

  「戸数だけ 多くて人は 集まらぬ 玖木を見習え 全員参加ぞ」

  「

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shin-1さんの日記

○こんなに長い新聞取材初めて

 昨日は熊本日々新聞社の編集委員で論説委員の平野さんが遠路はるばる熊本から取材にやって来ました。論説委員といえば新聞社では社説を書いたりコラムを書いたりする新聞社では偉い人なのです。平野さんに始めて会ったのは、先月人間牧場で開かれた逆手塾でした。フラワーデザイナーの仕事をしている奥様とご一緒での参加でしたが、坂手塾では女性の方が好きな私としてはどちらかというと気があった奥様との話が弾んでしまいました。その後音信が始まり私の自著を読んだりして今日の取材となった訳です。平野さんは口に鼻髭をたくわえ色白の見るからに博学なお方でした。

 何でも「人間げんき紀行」という連載ものの取材らしく、そのシリーズで人間牧場と私を取り上げようと言うのです。取材依頼のファックスには「日曜日の午後と月曜日の午前中くっつきたい」とのことでした。普通だとこの種の取材は1~2時間ですが、何という念の入れようでしょう。

 約束どおり午前11時にシーサイド公園に到着の第一報あり、身支度を整え待ち合わせ場所へ直行しました。取材には天候が気になりましたが、平野さんの人徳なのか朝の激しい雨もあがり薄日さえ差してきたのです。月曜日は所用があって取材に応じられない旨の話をしていたので、翠小学校、海舟館、煙会所、夕観所、下灘駅を通りすがりに取材していよいよ急で細い人間牧場名物の池久保道路を平野さんの恐ろしさを尻目に登って行きました。

 それから水平線の家の窓を開けっ放しにして延々夕方6時まで、彼の質問に応じる形でずっと喋り続けました。横目で見る取材ノートに符号のような文字がどんどん増えて行くのが見えました。途中で従兄弟の若松利光に貰った鯛めしとハモの湯晒しを食べながらの取材も入り、凄い濃密な話となりました。私は少し疲れて背もたれ椅子に横になりながらでしたが、平野さんの取材攻撃は一向に止む気配はないのです。

 昨日の人間牧場からの眺めは雨上がりのせいか遠望が開け、平野さんも時折取材の手を休めて写真撮影するほどきれいな180度の視界で、島々は全部くっきりと見えましたし、夕方になると西の空が金色に輝きまさに絵になる光景でした。平野さんは6月の逆手塾で夕景の素晴らしさに出会っているので、また一味違った今日の風景も素晴らしいと絶賛です。

 最近の新聞取材は「お茶を濁す」という表現がピッタリのように、僅かな取材時間で分ったような記事を書く人が多く、ひどい人は資料や写真をパソコンで送らせ、現地に足を運ぶことさえしない人も多いのですが、平野さんの取材はまるで週刊誌まがいの微細な取材でした。

 夕闇迫る午後7時、取材を終えシーサイド公園で分かれましたが8時間の取材は心地よい余韻を残しました。家へ帰るなり妻が、夕食の時間になっても帰らぬ夫に少々いらだちながら「取材が何でそんなに時間がかかるの」と不思議そうに問い詰めました。細かい言い訳など必要ないと無視しましたが、たまの日曜日だった妻にしてみれば少々悔いが残る一日だったのでしょう。

  「熊本の 新聞記者が やって来た 日がな一日 話すことあり」

  「雨予測 当てが外れて 上天気 運のいい人 ノートカメラに」

  「一ページ 書くのに 何と八時間 聞くも話すも それは大変」

  「記者よりも 奥さん気になる 浮気者 奥さんもまた 俺が気になる」 

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shin-1さんの日記

○騒動「狸かハクビシンか」

 昨夜夫婦で里帰りしていた息子が私のブログの写真を見て「お父さんこの動物はハクビシンではなくて狸じゃないの」と、狐ならぬ狸につままれたような話をするのです。「おじいちゃんも話しよったがあれは狸よ」と言い張り、自分の部屋から狸の置物を持ってきたのです。その置物をよく見ると確かにハクビシンより顔がふくよかで狸のようにも見えました。私が今まで見たことのあるハクビシンは顔が細くて長く鼻に白い毛が生えていました。息子は早速私の撮影したデジカメ写真をダウンロードして置物と比較しながら「やっぱり狸だ」確証を得たようでした。

 これまでハクビシンとばかり思っていた私はショックでした。だって朝な夕なわが書斎の前をわが物顔で歩くのですから、何の疑いもなくハクビシンだと思っていた私は狸に化かされた事になるのです。

 私は残念ながら今まで狸という動物を見たことがありません。見たのは信楽焼の狸の置物か狸饅頭、狸最中、食べたのは狸うどんくらいなもので狸汁は残念ながら食べたことがないのです。

 子どもの頃「狸囃子」という歌を歌ったことがあります。

 ♪しょしょしょじょじ しょじょじの庭は つんつん月夜だみな出てこいこいこい 

 おいらの友だちゃぽんぽこぽんのぽん♪

という歌で、今でも節をつけて歌えますし、ハーモニカでも吹けるのです。

八百八狸などの民話は昔から多く聞きましたが、狐と狸は化かすという言い伝えばかりが先にたって、いいイメージが浮かびません。まあユーモラスと言えば腹を突き出し帳面を腰にぶら下げた狸の置物はあちこちでよく見かけるのです。下の写真は書斎の掃き出し窓を開けて撮った写真です。

 そういえば上の写真と置物の写真本当によく似ていると思いませんか。はいこの軍配は息子の方に上げて狸とする事に決定しました。しかしわが家には狸が住み着くことになっていよいよ賑やかになってきました。皆さん一度狸見物は如何でしょうか。

  「ハクビシン よく見りゃこれは 狸です 化かされついでに 俺もだまされ」

  「わが家にも 自然回復 子狸が ちょっとホットな 話題提供」

  「狸汁 する気はないよ 安心し 傍においでよ 一緒に住もう」

  「やっとこさ ハクビシンだと 覚えさせ 孫に再び 狸と教える」 


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shin-1さんの日記

○爆睡の夜

 私は毎日夜12時頃に寝て朝は4時に起床します。毎日の睡眠は4時間程度なのですが、この暮らし方はもう30年以上も続けている私のバイオリズムなのです。ある人は私の暮らし方を見て睡眠が少な過ぎると警告しますが別に気にもせず暮らしてきました。妻は胆嚢手術をしたときから現在まで、盛んに睡眠をたっぷり取るよう勧めますが、そういう妻は今朝もまだ布団の中にいるようです。でもこのような暮し方は体を使う仕事をした昨日のような場合は別なのです。

 昨日私は大洲市田処の来客が帰ってから久々の晴れ間なので草刈作業をしました。先日刈り残した梅畑周辺の草は梅雨の雨をたっぷり吸って勢いよく伸びていて、日当たりの良いところは草丈が胸程までありました。チップソーの刃に変えてからは跳ね石も比較的少なくなりましたが、さすがに長年使っている刃なので切れが悪く、もうそろそろ新しい刃に変えねばと思っています。

 夏の草刈は温度が高く麦藁帽子と長袖シャツ、足元は地下足袋といういでたちですが、あっという間にシャツは汗でビショビショに濡れてしまいました。息子が電話予約をして建築現場から貰った端材を車に積んで上がってきました。私の汚れ具合を見て五右衛門風呂を沸かす算段をしていましたが、山の上の水タンクの水替えのため水事情が悪く結局は風呂に入ることが出来ず諦め下山しました。

 夕方5時頃の帰宅となりました。シャワーでもと思ったのですが風呂をため風呂に入って早い夕食を食べました。そういえば今日は昼飯を食べるのを忘れていたなあと夕飯時に思い出すのですからボケたものです。食事後書斎でブログを買い始めると急に眠気をもよおし、ブログの文章には何とXXXXXXXXが画面いっぱいになっているではありませんか。こりゃあいかんと思い居間のテレビの前で横になっていると長男夫婦、次男が次々帰って話をするのですが、次男がマッサージをしてくれたことすらもう夢の世界でした。三男が12時頃就職して始めての帰省で帰ったのも全然覚えていないのです。気がつくと今日の朝4時でした。昨日の作業の疲れとよく寝た気だるさで少し寝ぼけって感じですが、外の激しい雨音を聞きながら再びブログを書き始めやっと普通の暮しに戻りました。

 このところの忙しさで疲れがピークに達していたのでしょう、昨晩の眠りは爆睡でした。約9時間の眠りは私にとって2日間の眠りに匹敵します。「俺も歳だな」と妻に言うと「それが普通」と返されました。朝4時、そっと寝床を起きようとすると妻が「何処へ行くの。疲れてるんだからもっと寝なさい」とまるで子どもにでも諭すような言い方です。でもぐっすり寝込んだので元気回復です。「お父さん、昨夜は疲れていたのかいびきをかいてた」と言われました。30数年間も同じ布団に寝てる妻の観察は凄いものです。

  「寝溜めして 元気回復 梅雨の朝 今日も遠来 人を迎える」

  「教育長 昔の呼び名で 昔部下 電話してくる 嬉しい通話」

  「生活は リズムが肝心 無理をせず 快食快便 それに快眠」

  「広辞苑 ありのような字 まだ読める 顔は悪いが 目だけ抜群」

 

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shin-1さんの日記

○不自然な自然と野生化する自然

 自然の反対語に不自然があります。広辞苑によると自然とは「おのずからそうなっているさま」「天然のままで人為の加わらないさま」「あるがままのさま」とあります。家の表に立って辺りを見渡すと少ない自然に比べ人間が便利や安全という名の下に壊した不自然がやたらと目に付きます。私たちが青い海や緑の山を見て何か癒される気持ちになれるのは人間も本来動物の一種で自然の中で暮らしてきた本能が甦ってくるからだと思えば納得するのです。

 この数年、私たちの身の回りでは自然が危ないという自然界からのシグナルが届き始めました。海では養殖ハマチの大量死、赤潮の発生、真珠の斃死、鯨の迷い込み、奇形魚の水揚げなどが毎日のように新聞に取り上げられています。ハマチを飼うのにホルマリンを使っていたとかいないとか、海を生業として海からの恵みで暮らしている漁民さえもが「使った。使わない」で言い争い、泥沼化しています。本来海を守るべき漁民がこんな醜態ですから言って行くところはありません。餌をやらないで海を汚すはずのない真珠母貝だって斃死原因を徹底究明もしないまま、斃死に強いというだけで、生態系を壊すかも知れない中国産母貝を海に離しその場をしのごうとしているのです。海水温度が1~2度上昇していると聞きます。1~2度の上昇は100キロ南の海水温度に匹敵するというショッキングな話を聞いたことがありますが、自然であるはずの海が不自然になりつつあることへの警鐘と考えねば大変なことになると、私のような凡人でも考えるのです。

 山はどうでしょうか。耕作していた畑や田んぼが、作り手農民の高齢化と過疎化によってどんどん放置・放棄され自然に帰ろうとしています。日本の高温多湿な気候では、放置・放棄されても山は砂漠化しませんが、カズラの勢いが強くて、また竹林の勢力が強くて日本の田舎はカズラと竹での占める面積が里山を中心にどんどん広がっているのです。イノシシは相変わらず増え続け、先日伺った高知県の山間のまちではイノシシとシカとサルが増え続け、まるで賭博に使う花札のようだとお百姓さんは笑って首をすくめました。一昨日訪ねた岡山の市外の街路樹でも異様な音を耳にしました。最近田舎ではコンバインの普及でスズメがいなくなったという話を聞きました。スズメの世界でも田舎は過疎化が進んでいるそうです。ところが街路樹からスズメの大群の鳴き声が異様な音を立てて群がっているのです。田舎のスズメもやはり都会に憧れて・・・・・なんて思わず苦笑ました。カラスが増え、ゴミ置き場はカラス様の食べ残した食事の後片付けを人間という下部がせっせとやっているのです。

 昨日人減牧場へ行くため海岸国道を約8キロ走りました。たった8キロ走っただけなのに、ハクビシン一匹、イタチ1匹、猫一匹の交通事故に遭遇しました。弱肉強食の世界でしょうか、その死骸にはカラスが車の危険も顧みず群がりそのカラスを避けるように人間様の車が走っていました。

 昨日の朝わが家の庭に再びハクビシンが登場しました。私たち人間を意識することなく悠然と歩く姿をカメラで写したのですが、ハクビシンは振りかえってポーズまでしてくれるサービスぶりでした。

 さすがにカメラのフラッシュに驚いたのかその後ハクビシンは自然の中に消えて行きましたが、今晩も私の書斎の前に現れ、私が元気であるかどうか中を覗くことでしょう。不自然な自然と野生化する自然が妙に気になる朝でした。

  「ハクビシン キジやイノシシ 出る話 田舎だからと 思う間違い」

  「ハクビシン 人里われに 何を告げ 来るのか分らず 戸惑うばかり」

  「夜来雨 傘もささずに ハクビシン 何処でどうして 暮らしているやら」

  「花札の 絵柄気になる 自然界 一度ゆっくり 調べてみたい」

 この記事を書き終わった瞬間、書斎のガラス戸向こうに何とハクビシンが座っているではありませんか。「おい進ちゃん、今日は私を主人公にして記事を書いてくれてありがとう」と言わんばかりのごあいさつでした。早速ガラス戸を開けて「お早う」と声を掛け写真を一枚、逃げることもなく写真撮影に応じてくれました。

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shin-1さんの日記

○懐かしい顔がやって来た

 今日は山を越した一つ向こうの大洲市田処から懐かしい顔々が朝ヶ峠を越えて人間牧場へやって来ました。先日ブログで紹介した耕運機をくれた亀本耕三さんが引率していずれ劣らぬ5人の美女軍団なのです。数日前の研修会で知り合った元先生の西田さん、それに養豚農家で昔手紙をやり取りしていた石岡さん、中学校で同級生の中野さんも一緒で、和やかな会話となりました。この文章を書きながらしまったと後悔しました。余りの美しさに見とれてあがってしまい後の二人の名前を聞くのをうっかり忘れていたのです。ブログを読んでる方なので余計心が痛みます。申し訳ありませんがこのブログを読んだら名前などメールしてもらえると助かります。元先生の西田さんが元大洲市議会議員でほたる保存会の会長だった今は亡き西田さんの奥さんだったり、石岡さんの子どもたちも大きくなったり、中野さんのご主人が腰の手術をしたりと、久方ぶりに聞いた時の流れの中での音信に懐かしさをいっぱい感じました。

 私が田処へ頻繁に足を踏み入れたころの彼女たちは恋心を覚えるほどの若さでした。勿論私も若かったのでわが家横にある煙会所へも来てもらって当時は深い交流が続いたものです。時の流れは人も記憶も老いさせます。でも決して忘れることが出来ない思い出なのです。

 今日は皆さんが飲み物まで持参する徹底ぶりで、私が豆腐が好きなの知って、荒縄で縛るほど固い美味しい豆腐やバター、蜂蜜などを手土産に頂きました。今晩の夕食にはあの大きい冷奴が一丁ドーンと出て、堪能しました。明日の朝は石岡さんの蜂蜜をご相伴にあずかります。

 亀本さんには悪いのですが今日は、亀本さんにお願いして撮影した私を入れた写真を使わせていただきました。

 私も何かお返しをと思いつつハーモニカを吹きました。糞が付くほど「へたくそ」と言われそうですが、少年の頃の思い出話を話しながら吹くハーモニカの音色はいいもので、皆さんから大きな拍手を頂きました。

 今日亀本さんはお願いしていた牛糞を沢山持参してくれました。あいにく耕運機は雨に濡れたため水が入って結うことを聞きませんでしたが、ご無理でもまた亀本さんに耕運機の名医になってもらって動くようにして欲しいと思いました。ああそれから、亀本さんにビールを渡すよう妻から言われて車に積んでいたのにすっかり忘れて渡せなかった失敗もあり、家に帰って妻に叱られました。また今度・・・・。

 友人は何時までたってもいいものです。旧姓徳山貞子さんという中野貞子さんとも同級生のよしみで長い、そして深い付き合いとなりました。私の生活設計では85歳まで生きると決めているのであと24年したら死にますと私が言ったら、中野さんは80歳までだそうで、「じゃあ、貞ちゃんの葬式には私が参列します」と言って大笑いとなりました。こんな冗談をこれからも言いながら幸せな人生を送りたいものです。

 雨だと思っていた天候も徐々に回復し、海のない街の山のお客様は海を心行くまで堪能し手を振り見返り美人よろしきを得て元気に帰って行きました。またお・い・で・・・・。

  「空風呂に 入って写真 ハイポーズ 今度は本当に 風呂に入りたい」

  「溢れ湯を 想像ニヤニヤ 顔よりは 下腹眺めて 何見てるのよ」

  「お互いが 歳を経たよな 顔をして 痩せた肥えたと 体重気にする」

  「海見えぬ 街から海を 見に来たよ 海はやっぱり 憧れますね」


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