shin-1さんの日記

○金毘羅さんの絵馬

 昨日鳥取への所用の帰り道妻と二人で金毘羅さんへお参りしました。金毘羅さんへは今年の正月に家族でお参りに行って以来の半年振りです。昨日は日曜日とあって大勢の参拝客で賑わっていましたが、午後3時過ぎということもあってお参りを済ませて下山する人は多かったのですが私たちのようにこれから登る人はさすがに少なかったようです。「江戸っ子だってねえ。神田の生まれよ。寿司食いねえ」なんてやり取りが、時代を超えて話題になる遠州森の石松の金毘羅代参で有名な香川県の金毘羅さんは長い石段が800段近くもある難所です。最近は金さえ出せば駕籠に乗って参拝も出来ますが、さすがにここだけはバリアフリーにはならないようです。駐車場で借りた竹の杖を使って登るのですが、中腹までの沿道には土産物屋が軒を連ね、売れるのか売れないのか分らない一刀彫の置物やお菓子類が沢山売られていました。

 中腹の山門をくぐるとさすがに土産物屋は姿を消して灯篭や寄付をした人の名前を大書して彫り込んだ石柱が無数に並び、信仰の厚さを物語っていました。

 汗をかいて山頂の本殿に登ると、讃岐平野に幾つものお椀を被せたような山が見え、折からの麦秋に映えて美しい風景が疲れを癒してくれました。一昨日訪ねた鳥取の蔵のある倉吉市も、昨日訪ねた鳥取智頭町の石谷家の古民家も味わいのあるものでしたが、信仰宗教の金毘羅さんもそれぞれに、世界に誇る日本のよき伝統文化だと感じました。

 本殿の側にはお守りを販売する社務所がありましたが、若い人たちはおみくじを引いて大吉だと大騒ぎしたり、中年の方々は絵馬を書いて奉納していました。おみくじはそこら辺の木の枝に結びつけていましたが、絵馬は絵馬を飾る所があって大切に保存されているようでした。絵馬のルーツは古く平安時代にはもうあったそうです。絵馬のそもそもの起源は武将たちが戦勝を祈願して本物馬を奉納したそうですが、馬の飼育が大変ということで絵で書いた馬になり、今は絵馬という風習だけが残っているようです。念入りの絵馬は五角形の板の上に屋根を表すように細い木が打ち付けてありますが、その木の組み方が「入」という字に読めるよう、つまり願い事が神様に入るようにとの願いもあるそうです。

 受験の合格願いから安産や孫の成長、結婚の相手が見つかるようになどと、人それぞれ何時の世にも神頼みは多いようですが、くれぐれも本人の努力なしでは成就するものでないことをお忘れなきようにと、思いました。

 さて、この絵馬の行方はどうなるのでしょう。ちなみに神主さんに聞いたところ、物にも賞味期限があるように願い事も賞味期限があって、一年経つとお札と同じく処分するそうです。願い事に賞味期限はありませんが、成就したらお礼参り、成就しなかったら再度の願いと、せめて一年に一度は神の前で自分の人生を振り返りながら新たな願いを心に念じて欲しいものです。

 お願いしたのに叶わなかったらあの神様は霊験がないと悪口をよく言いいますが、願い事は神様が成就するのではなく、神の前で自分自身と約束することなのです。

 妻は賽銭を入れて何やらお願いをしていました。私も退職して懐が寒くなっているので10円を入れて十分にと自分自身に言い聞かせました。

  「十円で 俺の願いを 聞いてくれ 今時神も 金の重さで」

  「石段を 一段一段 踏みしめて 登るお参り 心清けき」

  「願い事 賞味期限は 一年で 切れるそうです 次の準備を」

  「お土産屋 うとうと店番 よだれくり 帰りに見たが やっぱり同じ」 

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○妻と同伴二人旅

 講演や研修などで一年中日本全国を気ままに旅をしている私の旅のスタイルは、たまに友人と一緒なんてものもありますが、その殆どは「一人旅」です。木になるカバンに読みたい本一冊とテープレコーダーにお気に入りの音楽テープを入れて出発し、イヤホーンで音楽を聴きながら本を読み、列車や船の窓から過ぎ行く景色を眺めながらぼんやりと過ごす旅は、心のリフレッシュに最高なのです。もう何年もそんな一人旅をしているとこれが普通で、近場である中・四国をマイカーで訪ねても新しい道を通ったりしながら楽しんでいます。

 普通は許されることではないとこれまで心を戒めて行動していた講演に妻の同伴を、最近講演先の同意を得て少しずつ始めています。この二日間も講演先である鳥取県倉吉市で行われる鳥取県地域づくりセミナーに妻を同伴する事になりました。一ヶ月前から妻は職場に休暇予約をとり、準備を進めていたのですが、何を勘違いしたのか妻はそのことが余程嬉しかったのでしょう、出発前日までまるで子どもが遠足にでも出掛けるように、たった二日間の旅だのに様々な用意をするのです。主婦が二日間も家を空けるには、留守に残るおやじと息子の食事の準備が必要で、例によっておでんやカレーのような二日分の保存食を用意していました。さらに携行品として果物や魔法瓶のお茶を用意し、無駄な出費を出来るだけ少なくする作戦に沿い用意に余念がありません。

 かくして一昨日午前三時前に息子の車を勤務先の今治までついで用事で運ぶため、一台は妻が運転し別々の車で出発しました。早朝の国道は車も空いて僅か1時間半で目的地今治に到着、無事息子に車を渡してしまなみ海道経由で倉吉市へ8時過ぎに到着しました。

 私の拘束時間は午後2時から午後5時までの講演時間と午後5時半から午後7時までの交流懇親会ですから、その日の午前中と夜、それに明くる日の日曜日が全て二人の旧婚旅行に使えるという算段なのです。昨年妻を伴って新婚旅行の時に訪ねた島根県隠岐の島へ出かけ、妻へ講演ついでの大きな旅をプレゼントしたことが妻の予想以上の感激を生んだものですから、今回もその再来となったのです。

 九州地方は既に入梅し、今回の旅も雨を予想していましたが、運がよかったのか、訪れた三朝温泉、東郷温泉、鳥取砂丘、智頭町では雨にも合わず爽やかな初夏の旅を満喫しました。また帰りに立ち寄った香川県金毘羅さんの長い石段登りも、妻は最近始めたジョギングのお陰で苦にすることもなく私と同行二人のよろしきを得て完歩することが出来ました。

 マイカーですから多分私一人でもガソリン代も高速道路通行料も同じですから、随分安上がりな旅となりました。でも妻は折角この一ヶ月ダイエットしたにもかかわらず、行く先々での飲み食いがたたり、1キロ体重が増えたと要らぬお土産まで持って帰ってしまいました。二日間で600キロという驚異的な距離を駆け抜けた夫婦の旅は妻の感動の場面をデジカメに収めて終わりましたが、妻曰く「今度は何処へ連れて行ってくれるの」です。気疲れした私は「うんそのうち」とそっけない返事。少しほとぼりを冷ましてからぼちぼち考えましょうか。それにしても私「あー疲れた」の旅でした。

 この写真は鳥取県智頭町石谷家の縁側で庭の風情を楽しむ妻の奥ゆかしい姿です。

 少し残念なニュースです。この2日間妻をモデルに写真を撮りましたが、鳥取砂丘で若い男性に二人の写真を撮って貰ったのですが、それが不発で写っていなかったのです。優しい心を出したばかりにこんな失敗をしてしまいました。

  「一人なら 気ままな旅も 二人だと 何かにつけて 気疲れですよ」

  「一キロの 体重落とすに 一ヶ月 だのに二日で 元の木阿弥」 

  「お土産は 増えた体重 減る財布 それでも妻は 楽しかったと」

  「また行こね 妻は早速 次の旅 俺は勘弁 口に出さぬが」

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shin-1さんの日記

○孫のお迎え

 病院に勤めている娘が今晩は職場集会があるとかで、私がたまたま松山で会議があって3時に終わる予定だったので、幼稚園へ孫のお迎えをする役割と相成りました。3時きっかりに幼稚園の玄関まで行くと、ももぐみの部屋では既に私の来るのを待っていたのか身支度を整えて手を振りながら嬉しそうに出てきました。孫の通う幼稚園は清閑な郊外の幼稚園とは違い街のど真ん中にあって、最初行った時は「えっこんな所に?」と思うほど飲み屋街の真ん中にあるのです。孫のために私の車の後部座席にはチャイルドシートが備え付けられているのですが、私の車に乗る時は何故か、「僕はお兄ちゃんだから」などと胸を張って助手席に座り、さっさとシートベルトを締めて「出発進行、発車オーライ」の掛け声をかけるのです。市内電車通りを走りながら孫の誘導で家まで帰るのですがさすがに都会の子供で、道順をちゃんと知っているようです。

 「おじいちゃん今日は何をして遊ぶの」と言いつつ、部屋の鍵を開けて部屋に入るなり、自分のおもちゃ箱から自慢の飛行機を取り出して私に見せながら遊ぶ工面をしたまではよかったのですが、幼稚園での遊びで疲れたのか、我が家に帰った安堵感か、はたまた久しぶりのおじいちゃんとの対面に嬉しかったのか、知る由もなくソファーで深い眠りについてしまいました。

 さて私も孫に添い寝と思ったのですが、それも大人気ないと娘が食卓で使っているパソコンを開けてブログを一本書こうと思い立った次第です。孫の心地よい寝息を聞きながら慣れない娘宅のテーブルで、しかも娘のパソコンで勝手にブログを書いてますが、わが家わが部屋とは随分趣も頭に浮かぶ出来事も違って感じられるのです。

 寝ている孫は3歳半ですが、この孫が生まれた11月23日のその時間には新潟へ行く上越新幹線の中でした。妻から携帯が入り「孫が生まれた。母子ともに健康」の妻の弾んだ声に小躍りをしたいような喜びに浸ったものでした。あれから3年半が矢のように過ぎて、孫も日に日に成長しています。もう一人ぐらいは子供を産んでくれたらと親としては思うのですが、こればかりはどうにも願いかなわずといったところでしょう。孫の成長に比べて私は進化はしていると自負しているものの体力や仕事上は時間が止まったような日々だと実感しています。

 浅い眠りから孫が起きて来ました。孫「おじいちゃん。何しているの」。私「パソコンでお仕事しているのよ」。孫「そのパソコンお母さんのよ」。私「おばあちゃんの家に手紙を書いているの」。孫「ふーん、どれ見せて」。

字も読めない孫は画面を見て「黒と青と赤で綺麗ねえ」でした。

  「孫横に 昼寝のいびき 聞きながら ブログ一本 書き終えました」

  「外は雨 どこ行く当ても ないままに 孫と二人で 童心帰り」

  「会いたいが 会ったら疲れる 孫の守 それでも役目 一応果たせて」

  「パソコンは 母のものだと 主張する 誰が教えた 訳でもないに」


 

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○五徳が出来ました

 水平線の家の少し上がりかまち寄りに畳一畳敷きの囲炉裏を切りました。普段はその上に蓋をしているので余程注意をしていないと囲炉裏の存在に気付きませが、その蓋を取ると真っ白い木灰が敷き詰められて、いかにも初々しい感じがします。我が家の横の煙会所の囲炉裏は畳半畳ですから倍の広さで、相当ゆっくりした造りになっています。設計担当の息子はこの囲炉裏にお茶室用の五徳を3個もインターネットウォークションで買い求め持って来ましたが、これは全て茶室用で大衆の酒飲み用には通用しませんので、息子の友だちの鉄工所社長に私がお粗末な絵を書いて渡し造ってもらいました。その五徳がこの程出来上がって地元の人を呼んだ火入れの会に初披露しました。普通囲炉裏には自在カギが吊るされてその下に丸い五徳が置かれるのですが、畳一畳もの広い囲炉裏なので丸と長四角の二つを用意しました。

 五徳は広辞苑によると「炭火などの上に置き鉄瓶などをかける三脚または四脚の輪型器具」と紹介されていますが、中には陶磁器の五徳もあるそうです。昔は火鉢がどの家にもあって、小さいな五徳の上で鉄瓶から湯気が出ている姿を見たものでした。五徳が輪型と書いてあるので、水平線の家の五徳は長方形なので変わっている形で五徳とはいわないのでしょうが、それでも設計では5本の鉄筋で作られており、まるで音楽の楽譜に出てくる五線譜のような感じがしてこれも五徳といえそうです。

 しかし五徳の意味は以外と奥が深く、儒教では温・良・恭・倹・譲の5つの徳目を言うのだそうです。また兵家では知・信・仁・勇・厳の5つの教えを五徳とよんでいるようです。儒教も兵家の教えも今はただ遠い昔の教えになってしまいましたが、五徳を見ながら酒を酌み交わし五徳の意味について語ることも水平線の家の大切な教えだと思っています。

 温-心の温もり

 良-良い考えと行い

 恭-素直な心

 倹-倹約

 譲-譲る

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○みかんの花の香る頃

 昨日同級生の奥さんがすい臓ガンで亡くなった葬儀がありました。私は所用で1時からの葬儀にどうしても出席できないので、朝7時過ぎに喪服に着替えて同級生宅に弔問に行きました。あいにく同級生は留守で家の人も昼夜の疲れか、それとも最愛の人を失った悲しみか、まるでセミの抜け殻のような姿でお話をしました。死に顔は穏やかでしたが58歳の短い人生を一生懸命生きてきたであろう苦労の跡は痩せこけた顔立ちにありありでした。顔の白い布を開け線香を手向け合唱して綿棒で唇に水を含ませ、再び白い布を被せましたが、同級生の顔が浮かび思わず絶句しました。腰が痛い症状が出始め整体や整形に通ったそうですが一向に回復せず、総合病院へ回され精密検査ですい臓がんが見つかりましたが時既に遅しの状態だったとか、人間牧場のある集落で人間牧場からも同級生の家が見える位置にあることから、当分は人間牧場に登る度に思い出されることでしょう。

 そんな寂しい田舎の風情の中にも季節は確実に巡りて、みかん所のわが町では今、みかんの花が芳しい匂いをいっぱい漂わせて今が盛りと咲いています。この香りを嗅ぐ度に子どもの頃に習った「みかんの花の咲く丘」という歌を思い出すのです。この歌は静岡県が舞台と伺っていますが、川田正子さんが歌って一躍有名になりました。夕方大工仕事の片付けもあるので人間牧場へ行って何処からともなしに匂ってくるみかんの花の香りに誘われてハーモニカで吹いてみました。さわやかな風に乗ってメロディーが優しく流れ、たまたまお墓掃除に来ていた顔見知りのおばさんが「まあ懐かしい。進ちゃんハーモニカが上手だね」と拍手までしてくれました。

 「♪みかんの花が咲いている 思い出の道・・・・・・」と歌う歌を思い出す度に80歳で逝った母のことを思うのです。もう亡くなって六年も経ったというのに母は私の思い出の中に生きていて、いつも笑顔で私に語りかけてくるのです。船で漁に出たりその合間を縫ってこの人間牧場まで背負子を背負って何度も何度も登って下りながらみかんの花の匂いを嗅いだことでしょう。歌の結びに「♪優しかった母さん思い出す」がありますが、これからも母のことをしっかりと思い出したいものです。

 

 これが昨日わが畑の隅に一本だけ枯れずに残った母植えしみかんの咲きし花です。巻きついたカズラを取ったため樹勢が回復し沢山の花をつけました。今年は肥料でもやって大切に育てたいものです。

 ツリーハウスも板戸がついて、鎧張りの外壁工事に取り掛かりました。大工さんが手を抜かないため作業は順調ながら遅れ気味ですが、明日も仕事に来るそうなので「あんたが来ると雨が降るぞ」と大笑いをしました。

  「友の妻 逝きし寂しさ 紛らわせ みかんの花は 今年も香りて」

  「この香り 母の匂いと 勘違い 吹くハーモニカ 山にこだまし」

  「まあ上手 思わず藪から おばさんが 拍手しながら 薮蚊の如く」

  「蜂飛んで みかんの花の 蜜を吸う 俺もみかんの 蜜付けパン食」  

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○お寺の奥様の会に招かれて

 日本全国には数え切れないほどのお寺があり、そのお寺は本山と称するお寺を頂点として厳しい戒律と組織でその教えが長い年月伝統的にられているのでしょうが、末寺といわれる近くのお寺では日々のお勤めから葬儀の執行や墓地の管理に至るまで、これまた厳粛な掟にしたがって営々と営まれています。特に末寺を預かるお寺の奥様の苦労は並大抵では出来ないだろうなあと、いつも近所のお寺の姿を見て思って見ていました。

 ところが最近ある知人の口利きでお寺の奥様の研修会があるからお話しするようにお誘いがありました。最初は説教を聞き慣れている奥様に大それた話など出来るはずもないと躊躇しましたが、「呼ばれたら刑務所以外何処へでも行く」身軽さから引き受けてしまいました。今は合併して市内になりましたが、一山越した中山町の花の森ホテルへ出かけました。季節はもう初夏の装いで、渡る風も心地よく、窓を開けて風を取り込みながら会場となったホテルへ到着しました。

 お寺の奥様はさすが教養や躾の行き届いた気品溢れる方ばかりで、これまで出会ったどの女性団体よりも素敵な笑顔とやる気が感じられる参加者にこちらもすっかり心を許し、時間オーバーまでする熱の入れようでした。中にはかつて若いごろ一緒に社会教育をやった関谷先生など、随分顔見知りの方もいて恐縮してしまいました。

 「お寺は奥様に支えられている」ことを実感しながら、出来るだけ肩のこらない説教臭くない話をしたつもりでしたが、はて反応は如何だったでしょうか。奥様の中には私のブログを携帯でインターネットにダウンロードして読んでいる人もいて、気恥ずかしい感じがしています。でも私も色々なところに話に行きますが、お寺の奥様集団に話すのは初めてで、果て何を話してよいやらと考えましたが、考える間もなく、あっという間に終わってしまいました。少し反省をしている所です。

 この奥様たちが所属する宗派の開祖といわれる道元禅師は「春は花 夏ホトトギス 秋は月 冬雪さえて 涼しかりけり」と詠んでいます。日本の四季をものの見事に詠いこんでおり、私も好きな言葉として、渡米した時知人の書家に頼んでこの言葉を色紙に書いてもらいお土産にしてたいそう喜ばれたことを記憶しています。詫びや寂びといった日本の文化も次第に薄れ行く現代ですが、冷房や暖房に頼れなかった昔の人は写り行く自然に身を任せながら人生の機微を考えたのでしょう。

 今日はよき人たちにめぐり合い、自分の生き方を改めて考え直す機会となりました。今一度ゼロに戻ってこれからもいい人生を組み立て直して行きたいものです。

  「偉そうな 人に偉そな 話する 汗顔の至り 冷や汗出ました」

  「ハーモニカ  山のお寺の 鐘が鳴る 吹いて気がつく 歌の文句に」

  「寺守る 苦労笑顔で 越えてきた さすが仏門 心できてる」

  「あの人の 見覚え顔が お寺とは 知らずに出会う 昔懐かし」 

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shin-1さんの日記

○空気を売る

 何年か前「空気の缶詰」なる商品が売り出されて話題になったことがありますが、最近では山登りやマラソンの救急用に手軽な酸素ボンベが売られていて、無味な酸素を吸っている人を時々見かけます。缶詰もボンベも同じような容器ですが、酸素は科学的に製造注入するのに対し空気はどうやって缶詰に入れるのでしょうか。

 私が発想命名した商品に「夕焼けソフトクリーム」という商品があります。私の発想を某乳業メーカーに相談して製造したのですが、この商品も最初は売れないで甘いどころか苦い経験を持っています。でもその後の努力で年間2千万円を売り上げる人気商品に成長させました。所長の話だと今年の5月の連休には一日1500本も売れたというから笑いの止まらない儲け話なのです。

 「夕焼けソフトクリーム」の商品開発を企画実施する段階で、某乳業メーカーの某社員から面白い話を聞きました。「若松さん、ソフトクリームやアイスクリームも半分は空気のようなものでして、いわば空気を売って儲けるのですからぼろ儲けです。ここだけの話ですけど」と他言無用のような釘を刺されました。「えっ空気を売るのですか」と説明を求めると、「ソフトクリームの舌触りの滑らかさは空気の混入率で決まります。これを専門用語でオーバーランといいます」、。私「オーバーランって、何か航空用語のようですね」と談笑したものです。撹拌する前のソフトクリームミックスの量に対する空気の量の割合が同量の場合をオーバーラン100パーセントという話も聞きました。

 ソフトクリームは冷凍して凍らせるアイスクリームに比べマイナス4~5度の半冷凍で食べるのでオーバーランはせいぜい30パーセントくらいだそうです。でも某社員の話によると、「まだソフトクリームは良心的です。アイスクリームなどはマイナス10度から20度くらいの完全に凍結しさせて作りますのでオーバーランは60パーセント以上です。つまりアイスクリームは60パーセントが空気みたいなものなのです」と説明をしてくれました。

 昨日視察に訪れた長野県の方が美味しいアイスクリームを前もって手土産に送ってくれていました。クール宅急便で送られてきたので風味や状態もそのまま、早速冷凍庫に保存してたしなみながら妻と本場の味を楽しんでいます。視察者にお礼を言ってオーバーランの話をしたらみんな驚いた様子で、最後の質問の時間にはアイスクリームとソフトクリームの話に花が咲いたというお話でした。

 それにしても空気を売るなんて、水商売ならぬ空気商売はぼろ儲け、止められませんね。たった一人の職員が片手間で年間2千万円の商品を販売するのですから商売は当れば面白いものです。

  「水を売る 商売ならぬ 空気売る 人はなめらか 美味い言って」

  「オーバラン 航空用語 みたいです 儲けたいけど 空気三割」

  「ソフト食う? 空気食わぬき どっちだと 問答しながら 空気をなめる」

  「酒止めて 左党になって 砂糖菓子 口が寂しく 何故か欲しがる」

  



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shin-1さんの日記

○忍び寄る冬の時代

 今朝妻が「お父さんご飯食べるときぐらい新聞を読むのを止めてください」と言うのです。私の日課はご飯を食べながら新聞を読むのが癖で、何を食べたかさえも分らぬほどに熱中するのです。結婚して以来そんなことを言われたことがなかったのでカチンときて「新聞を読むくらい文句を言うな」とやり返しました。妻の言うのには朝起きの遅い同居人次男を除いて朝食はこのところ妻と二人です。昼は同居人次男と3人で食べますが、夕食も二人です。親父は隠居で食べますので、気がつけば二人だけの時間が以外と長くなっているのです。「新聞くらいで文句を言うな」とやり返した後自室に入って考えました。ああ私たち夫婦も冬の時代に入りつつあるということを・・・・・・・・。

 人生80年生きると仮定して考えてみると単純計算で二十年刻みになります。概ね20歳までを春の時代とするなら子ども時代や思春期、それに成人式くらいまででしょうか。その頃は殆ど親の比翼に支えられて生きて来ました。やがて二十歳ころから四十歳ころまでは恋をしたり結婚したり、子どもが生まれて自分の自立で生きる夏の時代ではないかと思うのです。四十歳から六十歳ころまでは仕事に情熱を燃やし役職や相応の知遇を得て人生の中で最も充実した秋の時代だったようです。やがて六十歳から始まったであろう冬の時代をこれから二十年間生きていく訳ですが、妻の言うことが正しいのであれば、私たち夫婦はたとえ朝食の時間であろうが、向き合ってかをを見合い会話や対話をしなければならないのです。

 昔の私だったらそんな妻の一言も何処吹く風と軽く受け流したり無視していました。しかし私も少し大人になったのか一応考え一応の結論はご飯を食べるとき新聞を読まず、妻と対話するという決断でした。さてそんな約束が果たして守れるのかどうかも分りませんが、努力だけはしたいと思っています。

 「冬の時代」なんて言葉は何か物悲しく感じますが、それでも冬の時代を認識し、春を待つような気持ちで、夏のような楽しい行動をしたいものです。そして秋の実りのように夢を実現したいものです。ふと見渡せば、私の周りには冬の時代を生きてる人たちが沢山います。何処が悪い、ここが痛いと体の不調を訴える人も多いようです。

 昼飯時職場から帰った妻に聞きました。「お前はこれから一番の願いは何ぞ」と。妻曰く「家族みんなが健康で暮らせること」だそうです。そういえば太り気味だった妻も、帯状疱疹の発症以来歩くことや食べることに注意をするようになって、少し痩せたような気がします。熊は冬眠のために栄養を蓄積しますが、妻は冬眠もしませんから、やはり冬の時代への備えでしょうか。悲しいかな人は誰でも老いるし冬の時代は必ずやって来るのです。

  「気がつけば ひとり二人と 家族減り 俺とお前の 二人だけしか」

  「健康で 長生き願う わが妻の 腹の出具合 少し気になり」

  「俺たちも 何時の間にやら 冬時代 ストーブ入れねば この冬越せず」

  「春や夏 秋もあったな わが人生 当然冬は やって来るもの」


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shin-1さんの日記

○人間は勝手なもの

 今朝約50メートル離れたゴミの収集場所へゴミを持って行くと、早起きのカラスが一生懸命ゴミの袋をあさっていました。最近のカラスはおうようなもので私が側に近寄って手を叩き脅しても、ほんの2~3メートル離れるだけで私が遠のくとまた同じような行動を繰り返すのです。そんなこともあるので出来るだけ早朝のゴミ出しはしないようにするのですが、近頃は車で通勤の人が車でゴミを収集場所に置いて仕事に出かけるため、そのゴミを狙ってカラスがやって来るのです。

 今朝のゴミ散乱はひどいもので、側にいるカラスに文句を言いましたが一向にコミュニケーションが伝わらず、カラスの耳に念仏のようでした。隣のおじさんは殊勝な人で、毎回火バサミを持参して散乱したゴミを片付けています。このおじさんは宗教に熱心で、遠い高知県の宗教本部まで毎月欠かさず信者さんを連れてお参りに行っているようですが、さすが一日壱善のお方といつも感心しているのです。それに比べゴミを置かれる前の家の人はゴミを出しに行った私を見つけてはブツブツ文句を言うのです。「人の嫌がるゴミは私も嫌です。どこかへゴミ置き場を移動してくれませんか。あんた区長でしょう」とまるで喧嘩を売るような口調なのです。私はいつも無言でゴミを片付ける隣のおじさんと、文句を言って何もしないごみ収集場所の前のおじさんとを比較しながら、やはり隣のおじさんの生き方や行動を見習いたいと思うのです。

 今朝もゴミ収集場所の前のおじさんに会いました。「今日はいい天気ですね」と声を掛けると、「最近は雨ばっかりでうんざいりしていたところなので今日は気持ちがいい」と久しぶりの上機嫌です。でもその後の言葉がまた変わっています。「雨も降らんと傘屋が困るから」と2軒隣の傘屋さんの心配までするのです。追い討ちをかけて「天気はいいが夏の水不足が」と満足どころか不足不足のマイナス的話になってしまうのです。「ああこの人は寂しい人だなあ」と思えました。人生をこうして嘆き悲しんで過ごして一体どんな得があるというのでしょうか。

 「雨が降ったら傘屋が儲かり、晴れれば桶屋が儲かる」は昔からの諺です。雨を嘆くより傘屋が儲かると思えばいいし、晴れれば桶のタガが緩んで桶屋が儲かると思えばいいものを、その反対ではいつも心配の種は尽きないのです。おっと要らぬ話を書いてしまいました。ごみ収集場所の前のおじさんにはこの記事のことは内緒にしておいてください)。

 日々の暮らしは毎日飽きもせず続いています。ゴミを出すという行為も長い間妻の仕事でした。でも昨年からは出来るだけ自分で出来る仕事は自分でしようと心に決めて妻の領域も侵しています。「お父さん今朝もゴミを出してくれたの。お陰で助かります」とは妻の弁。子どもではないのですから別に褒められようと思ってした訳ではないのですが、妻の一言は私の心をすがすがしくしてくれます。カラスに言ったって仕方がありません。感謝して生きるようにしたいものだと隣のおじさん、ゴミ収集場所の前のおじさん、妻を見て感じた次第です。

  「雨嘆き 晴れを嘆いて 生きている あの人少し 疲れているかも」

  「カラスにも 生きる権利が あるようで 毎日人と 知恵を比べて」

  「ゴミ掃除 余程の精神 あればこそ あんなおじさん 身近な見本」

  「さあ今日も ゴミ出し少し 手助けを 感謝の言葉 嬉しくなりて」 

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○剪定談義

 私たちまちづくり人の溜まり場が松山にあります。えひめ地域政策研究センターというのが正式名称なのですが、私は一週間に二度や三度は出向きます。研究員はいずれ劣らぬ優秀な方がまちづくり部門だけでも4人いますが、「痒い所に手が届く」の表現がピッタリの優秀な人材スタッフが揃っています。事務所に出向くと主任はじめみんな忙しいのに手を休めて話をしてくれるのです。

 研究員の中には一風変わった経歴の方もいます。清水さんは農協マンでありながら出向していて、なんとこの方が気象予報士なのには驚きます。農業と気象は切っても切れない縁があるので当然と言えば当然のことなのでしょうが、今までそういった毛並みの人にはめぐり合ったことがなく、とにかく彼の話はいつも新鮮さを覚えます。特に人間牧場を開こうとしてからは彼の話は随分私の生き方に影響を及ぼしました。

 今日は松山市の湯築小学校のPTAに話しに行った帰りに立ち寄り、剪定談義に花が咲きました。彼のメールで伊予柑の剪定の真っ最中という記事を読んだものですから、「今時に剪定なんて遅れてるのでは」と質問したところ、はじまりはじまりー。清水百姓もどきの薀蓄ある講義です。私は梅の木の剪定を相談したかったのですが、剪定が教えてくれる組織論まで話が及び、これは使えそうだとブログに書いて占有権を公表した次第です。

 私「剪定は何のためにするか」。清水「簡単に言えば風通しと日当たりをよくして、いい果実をならせるためです。私「俺の梅の木はどんなにすればよいか」。清水「風通しと日当たりがいいように自分で剪定することです」。うーん上手くいきません。折角梅の木の選定をさせる機会を与えようとの温情には見向きもしませんでした。清水「私は剪定をしながら剪定は組織を活性化するヒントがあるように思います。上(上司)が何時までも辞めないと下は風通しも日当たりも悪くなって結局下枝は枯れてしまうのです。私「うーん面白い例えじゃねえ」。清水「結局は枝切りも根切りも全て樹を若返らせる手法なのです」。私「上って誰」。清水「組織で言えばトップ集団です」。そこまでは話しましたが、さすが農協組織で飯を食っているだけあって、「そりゃあ組合長や専務です」とは言いませんでした。

 でも、清水さんの話を聞いて組織のあり方を帰りながら色々考えてみました。私も梅の木を実際に剪定してみなければ分らないので、早速今年は梅の木の剪定に挑戦してみます。剪定した梅の小枝は花をつけた頃であれば日曜市に出荷して少し儲けたいと思っています。「取らぬ梅の花算用」になるかも知れませんが、清水さんの教えを請うて剪定から組織論を学びたいものです。

  「梅の木の 剪定話 飛びに飛ぶ 組織に及び 確かに一理」

  「上と下 左と右が あるように 見方変えれば まったく逆に」

  「上でなく 下でもないよ 今自分 一歩離れて 気付きの多さ」

  「人は皆 それぞれの道 歩みつつ 剪定一つも 逃さず知恵に」 

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