shin-1さんの日記

○人間牧場から始めて撮影した夕日

 双海町の夕日は夕日のメッカシーサイドふたみを基点にすると、夏至の日に最も来たよりのコースを通り」山口県周防大島旧東和町辺りに沈みます。また冬至の日には最も西よりのコースを通って大分県大分市辺りに沈むのです。したがって人間牧場からは自慢の夕日が残念ながら冬場は山の端を通るため見えないのです。でも昨年一年を通じて観察してみると何度か綺麗な夕日が見えました。しかしその時に限ってカメラを持っていなかったり、見とれて写真に撮るのを忘れていたりと、散々でしたが、先日のツリーハウスの棟上の日、万全とは行かないまでも夕日を見ることが出来たので思わずシャッターを押してしまいました。この写真が人間牧場で始めて撮影された夕日なのです。

 今年は例年になく黄砂がひどく、沖合いに浮かぶ島々も黄砂で煙って見えない日が何日も続きましたが、それでも黄砂が降るとまるでファインダーをかけたような優しい色に見えるのです。この日は夕日が作る金の道が海の上を夕日まで綺麗に続きました。私は水平線の家付近から撮影しましたが、手伝いに来ていた仲間はもっと海に突き出た五右衛門風呂のデッキから見ていましたので、「今日の夕日は綺麗で感動しました」と言っていました。

 今年はつい最近になって雨の日が多く、自慢の夕日も中々拝めませんが、それでもやはり海に沈む夕日は美しく、何時までも見続けたいような雰囲気でした。夕日を見て感動する子どもが少なくなったと、作家の早坂暁さんはテレビの出演をご一緒したときしみじみと言っておられました。私もそう思います。今の子どもは夕日が沈む頃、頭に「必勝」などと書かれた鉢巻を締めて塾で勉強しているのですから、見ようと思っても見れないのです。親も夕日の美しさで感動しても飯が食えないと、点数を気にするこの頃の風潮なのです。でも「赤トンボ」に歌われた野口雨情の詩ように、感動する心は何時までも忘れることのできない心の宝物だと思うのです。私はその感動する心そのままに、これからも人間牧場から見える様々な原風景をカメラに収めたいと思っています。

 人間牧場の入り口の筍がもう背丈ほどに伸びていました。雨後の筍とはよく言ったものです。しもうた。あの筍も被写体としては面白いと今になって悔やんでおります。まあなにはともあれ、忙しさの余り周りが見えなかった私ですが、人間牧場から夕日が見えることを写真で実証できただけでも良しとしましょう。

  「牧場の 向こうに広がる 海の上 夕日が尾を引き ゆっくり沈む」

  「今までは 夕日すら見る 暇もなし 自慢がもう一つ 嬉しくなって」

  「この夕日 俺の宝と いいたいが 一人じゃとても 味わいきれぬ」

  「海夕日 見える場所に セカンドを みんな夢見る 金が出来たら」

 

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shin-1さんの日記

○曲がったキュウリと虫食いのキャベツ

 今日は東京から帰ったので少しゆっくりしようと思っていたら、妻がお昼に仕事先から帰ってきて嬉しそうに「今日は昼から休み」というのです。妻にしてみれば毎週日曜日しか休みがないので余程臨時休業は嬉しかったのでしょう。「じゃあ今日は昼飯でも食ったら温泉でも行くか」と誘ったところ話がまとまり、大洲の温泉に行く事になりました。車で40分くらいな所にあるのですが、ゆっくり清潔が売りだけあって久しぶりにサウナや暖かい温泉でのんびりしました。

 帰る時隣のスーパーに立ち寄って買い物をしました。農協系が経営しているらしく野菜が豊富で妻は持ちきれない程買いましたが、一番の買い物は曲がったキュウリと箱入りイチゴです。キュウリは曲がっているだけではね物とされ商品価値がないようで、どっさり入れて何と300円です。キュウリは曲がっていても真っ直ぐでも味は一緒だし、スライスしてしまえばこれまた同じなのに何故曲がったキュウリはこんなに安いのか不思議で仕方がありません。一方今日はイチゴが特売で普通4パック入れるダンボールの外枠箱にどっさり入って9百円でした。4パックに分けると1パックが225円につきます。パックに並べる手間を省いていたり粒が揃っていませんが、それでも食べるのには何ら支障のないことなのです。

 野菜売り場には綺麗な野菜が沢山並べられていましたが、妻が「お父さん、何で売っているキャベツはこんなに綺麗なのじゃろう。うちの春キャベツは青虫がいっぱい食べて穴だらけというのに」と唐突に聞くのです。「それは消毒して虫が食わんようにしているからで、うちのキャベツは美味いから虫も好んで食いよる」と話してやりました。妻は納得した様子で、握っていたキャベツを元の場所へ戻し買うのを止めました。

 わが家の菜園には今年もキャベツが沢山出来ました。お陰さまでリンキャベ(リンゴとキャベツを朝食の常食にしている私の造った造語です)毎日新鮮な柔らかい春キャベツを沢山食べています。大きなキャベツなので毎日ほおっておいたら青虫がどんどん食べて穴だらけにします。親父はそれを見かねて青虫を手でとっありするのですが追いつかなくて、このキャベツにナイロンの袋を防止のように被せる戦術をしました。今夕妻がキャベツを畑から取ってきて欲しいと頼むものですから、畑へ取りに行って驚きました。キャベツが白い帽子を被っているのです。

 私たち消費者はいつの間にか見た目に綺麗な商品を欲しがるようになりました。それが少々高くても、穴の開いた虫食いのキャベツなどは見向きもしません。それでいて自然がいいとか安全はなどと御託を並べるのです。最近まで、いや今もかも知れませんが、野菜作りを指導する農協までもが見た目重視の指導をしているのです。安全や地産池消、食育などの言葉も言葉遊びの感じがしてなりません。

 虫が食べて安全なキャベツは人間にとっても安全なことを、もっと心に言い聞かせたいものです。

  「虫食いの キャベツ食べてる わが家では 多分数日 命永らえ」

  「一袋 三百円の このキュウリ 料理次第で 何ら変わらず」

  「キャベツから 虫が出たと 文句言う 若いママさん あんたおかしい」

  「わが親父 キャベツに帽子 被せてる 凄いアイディア 特許にしようか」



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shin-1さんの日記

○東京もたまにはいいね

 昨日は東京都町村議会議員の研修会に招かれて上京しました。今回は一ヶ月ぶりの上京とあって何かウキウキして出かけました。久しぶりの東京は新緑の季節ということもあって、目にも鮮やかな緑があちらこちらに見受けられました。特に今回の研修会のあった青山表参道のケヤキ並木や明治神宮の森は「緑したたる」という表現がピッタリの雰囲気でした。時間的に余裕があったので表参道から原宿駅を経て明治神宮に参詣しました。雑木の下ではおじさんが長い竹箒で落ち葉をかき集めていました。この季節雑木は古葉に変わって新芽が伸びるので、落葉は秋の頃より多いのだとか説明をしてくれました。うっそうと茂った木立は外の喧騒をもかき消して、「これが東京のど真ん中?」なんて感じるほど静かな佇まいを見せていました。時折鳴くカラスの声さえも長閑さを一層引き立たせていました。

 折り返しは原宿竹下通りを通ってみました。どこも修学旅行の高校生がいっぱいで、田舎者のお上りさんって感じで右往左往していました。この高校生たちの中にはやがてきらびやかなこんな東京の一面に憧れて上ってくるのでしょうが、江戸の時代から田舎と都会の構図は少しも変わってはいないようです。再び青山のケヤキ並木に出ると小学生がたくさん絵を書いていました、。側で見てみぬふりをして覗いてみると、驚いたことに殆どの小学生がはデジカメで撮った写真をプリントした原寸大の写真を見ながら絵を書いているのです。これだと構図のとり方など苦労をしなくてもそれなりの絵が書けるはずです。先日わが町で港の風景を書いていた小学生の姿とは大違いで、一瞬考えさせられました。確かにデジカメの写真を見ると絵は綺麗に書けますが、果たして囲うとする物からどういった感情が伝わるのでしょうか。

 「日本中で一番南の都道府県は?」と尋ねられたらあなたはどう答えるでしょう。殆どの人が沖縄県と答えるでしょうが。何と東京都は小笠原諸島を抱えているので日本で一番南だそうです。東京都の町村は合併によって山梨県境辺りの山村と太平洋に浮かぶ離島だけの11町村と伺いましたが、随分寂しい数になったようです。でも集まった議員さんは、どこの市会議員さんにも負けない熱気溢れる方たちばかりで、私の話にも3時半からの講演にもかかわらず誰一人として居眠りする人はいませんでした。

 しかし世の中は不思議なもので、昨年と東京フォーラムで開かれた監査委員研修会や大島町の高橋議員さんの推薦もあって今回のお招きとなりました。全国町村議長会政務部事務局の渡辺さんや大島町の高橋議員さんに縁の深さを感謝します。

 その渡辺さんにはあいにくお会いできませんでしたが受付まで来られた由、また高橋議員さんには会場でお会いすることが出来ました。嬉しかったです。

  「東京の 新宿あたりを 歩いてた いきなり名前 こんな所で」

  「町村の 数が次第に 減っている 合併しない できない辛さ」

  「始まりは 小さなきっかけ 太くなり 今では全国 又にかけつつ」

  「この子らの 中にはいつか 東京で 一旗揚げる 人がいるかも」

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○日々自分を磨く

 自分ぐらい嫌な人間はいないとつくづく思うことがあります。自分の意の向くままだと嫌いな人でも「嫌い」と面と向かっては言えないどころか逆にへつらっったりもして、それが世渡りだと分っているから適当にあしらって過ごすのです。特に自分を基準にして上だと思う人にはペコペコ、下には邪険にしてないつもりでも、一緒にいて片方に手厚くする人の一方で目下のような対応をされた他人から見れば、「何だこの人は」てなことになるのです。ある日何人かの女性が夕日を見学に来ました。私は得意げになって夕日の話をしましたが、熱心にメモを取ったり真剣にうなずいて話をする人よりも、参加者の中で一番見た目に美しい、しかも胸のときめきを覚えるような美女にいつの間にか目線がいっていました。やがて何事もなくその集団は帰っていったのですが、後日私の元へ一通のハガキが舞い込みました。「あなたの視線の先は別の人にありました。気付かなかったかもしれませんが私はその方の3人右側にいました」「お話をする時は万遍に」とやんわり手厳しい便りでお灸をすえられたあれ以来、話す時は万遍公平にするよう心がけるようになりました。

 毎日自分を高めたい一心から日々の暮しの中で自分を高めてきたつもりなのですが、やはり私は凡人なのでしょう、一向に高まらないのです。

 よく言われる言葉ですが 、「難局にぶつかったとき尋常な対応や実行が出来る人」は大物だそうです。安岡正篤はその書の中で、「原理はきわめて簡単、第一は人物に学ぶこと、第二は人物学に伴う実践、すなわち人物修練の根本的条件は、怖れず臆せず勇敢に、そして己を空しうしてあらゆる人生の経験をなめ尽くすことだ」と述べています。つまり師淑する師を持ち、愛読書を得て自分を磨きそれを実践することだと言うのです。

 同時に次の三つに心がけよといっています。

 ①どんなに苦しいことが遭っても、常に心のどこか奥に喜びを持つ。

 ②何かにつけて感謝の気持ちを持つ

 ③常に陰徳(人に知られない善行)を志す

 さてあなたは如何でしょうか。そして私の場合はどうでしょう。多分苦しい事に遭ったらその苦しみから逃れようとするでしょうし、その苦しみの原因を社会や人のせいにするでしょう。そんな場合に心に喜びなんて持てる訳がありません。感謝もしないから感謝もされません。人が見ている場所ではいい格好をしますが隠匿なんてとまったく逆の行動しか出来ないのです。

 私が体験した視察者への対応ぶりを一枚のハガキが指摘したように、私の「目の付け所」「心の持ちよう」の間違いに気付くことなのです。苦しさの中に喜びを、不平の前に感謝を、陽徳よりも陰徳を重んじるようになれば、自ずから道は開けてくるものです。

  「何処見てる はがきがくれた 警鐘に まだまだ未熟と 精進積んで」

  「膨らんだ 胸が見たけりゃ 乳牛を 人の値打ちは 見かけだけでは」

  「世の中は 上には上が いるものよ 近所のおじさん 名前も上田」

  「陰徳は 中々積めぬ 凡人も 気構え一つ 一日一膳」 

 

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shin-1さんの日記

○玄米食

 最近テレビの世界でよく目にする人に「みのもんた」さんがいます。昼の「おもいっきりテレビ」は今ではすっかりお茶の間のおば様族の人気で、「おもいっきり効果」なんて流行語も飛び出すほどです。人を食った機を見て敏な語り口は、何か好感の持てる人で、アナウンサー出身とは思えないようです。何せ私の妻も毎日昼ご飯を食べながら見ているので私も見なければなりません。我が家ではテレビチャンネルの主導権は完全に妻握られているのですから・・・・・。

 それにしてもよくもまあ毎日こんなに話題があるものよと思うほど、これでもかと言わんばかりに「健康」をテーマに、食についてコメンターやゲスト、それにおば様族を巻き込んで面白おかしく薀蓄を語るのです。その結果、例えば「痩せたい」と思うテーマだと「痩せたい」と常日頃思っている人の心をつかみ、痩せる方法と食べ物を紹介します。実際にはそんなものだけで痩せるはずはないのですが、紹介した食品がスーパーからその日のうちに消える珍現象が起こるのです。当然他のテレビ局でもこのみのもんた効果にあやかろうと、時間帯をずらして番組を組んできますから、同じような番組がいっぱい朝から晩まで放送されているのです。

 私の病気のことや自分の忍び寄る更年期のこともあって、妻もこれらの番組をくまなく見ていると思われ、最近ではノートを一冊「健康メモ」として書き込んでいます。お陰さまで毎日新しいメニューが追加され、「今日は変わった料理だ」と言えば、「実はこれを食べると成人病が・・・」と博学ぶり、「誰に聞いた」、「みのもんたのテレビで」という始末です。

 3日前からわが家の台所の隅に新しい炊飯ジャーがお目見えしました。妻の玄米食への挑戦が始まったのです。例によって「玄米食は肝臓によい」「あなたの体を思って」などと御託を並べ、ついにわが家は玄米食となりました。玄米は白米より栄養価が高いといわれていますが、でも白米になれた私たちの舌感覚ではまずいものの代表選手のようなもので、喰えたものではありません。私はそれ程抵抗はないのですが、息子は「これ何」と吐き出すような仕草をしました。「何言ってるの、これが噂の玄米食のパワーの秘密なの」。アーここまで来ると「みのもんた教祖」お教え通りです。

 玄米食は体によいから私も少し続けてみようと思っています。ブルガリアヨーグルトを一さじ入れて炊くのがコツとか、今朝も台所から玄米を炊く独特の匂いが家に広がり始めました。もし玄米食で長生きできたら妻とみのもんたさんに感謝状を差し上げます。あんたたち二人は偉いで賞。

  「玄米が 体によいと テレビ言う 妻は早速 ジャーまで買って」

  「玄米の ご飯を食べて 思い出す 戦後の粟飯 俺も古いな」

  「玄米の 飯の効果か ガスが出て 妻はどこかで 我慢の屁こき」

  「玄米で 健康なれば 食感は 何とでもなる 昭和生まれだ」

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shin-1さんの日記

○棚田の風景

 最近は俳句や短歌の季題や季語が分らないくらい人々の暮しが大きく変化してきました。例えばスイカは年中あるし、旬と言われる食べ物だってお金を出せば年中食べられるのです。また生活や生産の現場でもそうした国民の多種多様な価値観に応えるため、高い油を使ってハウスみかんやハウスさくらんぼを作って大都会へと出荷しているのです。まあ金儲けが出来るのですからそれはそれとして良しとしておきましょう。

 昨日人間牧場への行っての帰り、人間牧場の下で機械の音がするものですから、ついつい車を止めて足を止め眼下を見ると田植えが始まっていました。ここら一体は私たちが子どもの頃は、全て棚田の広がる美しい地域でした。春のレンゲが咲く頃には弁当を持ってよく遊びに来たものです。また夏の青田や秋の稔り田も美しかったのですが、6月の田植えをする前の水を張った光景は空の青さを写して何ともいえない風景だったことを今でも思い出せるほど目に鮮やかでした。

 しかしその棚田も高齢化や他作物への転換で次第に狭められたり歯抜けになっていますが、かろうじてこのような美しい田んぼが何枚か残っていたので、思わずパチリ写真に収めました。

 棚田の田んぼは目には美しく見えるのですが、その作業たるや大変な重労働です。田んぼの広さより畦のほうが広いといわれる高い畦の草刈は大変です。また耕運機も回転が出来ないほどの狭さに田植え作業は危険と隣り合わせです。更には水を谷から引いてくるのも毎日の水管理もこれまた一苦労でしょう。その割には実入りが少ないのが棚田なのです。こんな日本の風景を残せるのは行政が支援し、住民が支援しなければどんどんどんどん消えて行くのです。先日もこのことを産業建設課の職員に話したら、「私たちは減反政策も進めなければなりません。棚田が減ることは減反がやり易い」と少し胸を張っていました。こんな職員では棚田などの価値観を議論するだけ野暮だと諦めました。この棚田には多くの農村の歴史や文化が隠されているのにと残念でなりません。

 棚田の田植えのための農作業も随分早くなりました。五月には田植えをして台風の来る前の9月ごろには収穫です。棚田の稲木に掛けたお米も是非譲ってもらい、人間牧場で炊いて食べてみたいものです。もう少し元気だったらあの棚田をみんなの力で守って見たいと思いましたが、それも叶わず残念至極です。

 田舎にはこうした気付かないがその目で見れば美しい姿がいっぱいあります。少しずつ写真に収めて記録するようにしたいと思っています。カメラの嫌いな私が大変身です。

  「蛙鳴く 棚田の水面 美しく 思わず見とれ 写真にパチリ」

  「音がする 方角見れば 棚田なり 田植えの準備 日増しに整い」

  「棚田など 減反すれば いいんだと 言わんばかりの 人に幻滅」

  「棚田とは 祖父の築いた ピラミッド 畦の石垣 ひとつひとつに」 

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shin-1さんの日記

○芋とかぼちゃの苗植え

 「お父さん、人間牧場は赤土だからおいしいお芋が出来るかも知れないから芋を植えよう」と言うので、「ああその内な」と軽く聞き流していました。ところが最近になって「ふたみ少年少女おもしろ教室」の「芋植え」の話が具体的になって、暇さえあれば足しげく人間牧場に通うようになったものですから「お父さん、私の芋植えの話はどうなったの」と聞き返したので、「うん、畑はおもしろ教室に貸すことになったので、芋を植える所がなくなった」と一昨日の夜断ったら、「おとうさんどうしよう。私の注文した芋のつる苗が届いた」と100本も持って帰ったのです。今更教育委員会に断ることも出来ず、結局は今朝早く起きて五右衛門風呂下の畑を耕し、マルチを敷いて、今日は広報区長会が午後1時から予定されているので、11時までに何とか植えてしまいました。悪戦苦闘でした。何せ一人でマルチを張るのは骨が折れ時間がかかるものですから上手く出来ずイライラがつのりました。

 でもご覧の通り何とか2列を6畝で100本を植えたのです。マルチにカッターナイフで筋状に切りそこへ手を突っ込んで芋を植えるのですが、難度はCクラスでした。でも昨年からの百姓の真似事のお陰で畝切りも真っ直ぐで、自分で言うのもおこがましいのですが、それなりに板についてきました。

 20日には子どもたち約40人がやって来て芋を植えるお手本が出来たと内心妻の失敗を喜んでいます。

 今日はもう一つかぼちゃを植えました。芋つる苗を買ったお礼にと頂いたそうなのですが、日本かぼちゃの苗を二本、「どこかに植えといて」と妻に託されました。私は思うのです。私がサンデー毎日、妻がパートながら職業女性であることをいい事に、何でも簡単に頼むのです。芋つる苗しかり、かぼちゃ苗しかりです。そのためには耕したりマルチを掛けたりそれ相当の時間と労力が必要なことを理解しているのだろうかと少し腹を立てました。「腹が立ったら寝せておけ」とはよく言ったもので、あんなに腹立たしく思っていたのに、時間が経てば直るのですから不思議なものです。

 明日から東京なのでしっかり仕事をして、広報区長会でしっかり役所の言い分を聞きました。その疲れも明日は東京ですからリフレッシュして帰ります。

  「芋植える 前からイノシシ心配し 忠告する人 何にもせずに」

  「芋のつる 根もないはずが やがて根が 芋に膨らむ これも不思議だ」

  「種苗を にわか百姓 あれこれと 計算せずに 植えたがる はてお値段は?」

  「まあいいか 中途半端で 終わるのも 儲け度外視 にわか百姓」 

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shin-1さんの日記

○「何か質問はありませんか」

 講演会場で講演が終わり、司会の方が「何か質問はありませんか」と参加者に質問を促しますが、一向に質問が出ず、「それでは質問もありませんのでこの辺で本日の講演会は終わらせていただきます」と拍手を求めて終了する会合は以外と多いようです。その原因は講師の話が質問に値しなかったのか、参加者の意識が低いのかどちらかでしょうが、もうひとつ考えられる原因はそんな月並みな集会を仕組んだ主催者側にも大きな責任があるようです。つまり研修会は主催する人、話をする人、話を聞く人の三角関係で成り立っているのです。その束ねはやはり主催する人ですから、誰の話を誰にどんな目的で話させ、どんな成果を求めるのかが明確でない場合に得てしてこんな結末を迎えるのです。

 「桜をつくる」という言葉があります。前もって講演会の終了後に講師に質問をしてもらう人を頼んでおく手法です。これを「やらせ」ともいいます。普通は話しなれた参加者を2~3人ピックアップして頼むのですが、会場の雰囲気を上げるために「私は司会者から発言を頼まれましたいわゆる桜です」なんて種証をしてから発言する人もいて思わず大爆笑なんてことも経験しましたが、質問はその人の大きな能力と言えます。

 人の話しを聞いて要点をまとめ、その話の中で起こった様々な疑問やもっと深く聞きたいことを要領よく相手と参加した人に向かって話すことは容易なことではありませんし、その訓練が出来ていなければ折角の発言も水を差すどころか冷水を浴びせることにもなりかねないのです。その意味で質問力はその人の「総合力」だと思うのです。

 「正法眼蔵隋聞記」という本に「道を学ぶ人が教えを聞くときはよくよく追求して聞きただし、その上分らないことは重ねて質問して疑いのないようにしなければならない。質問すべきことを質問しない、言うべきことを言わないで過ごすことは自分の損害である」と述べています。

 講演会場を出て、「今日の話は面白かったが、もう少しあのことが聞きたかった」「私も質問しようと思っていた」などと会話を交わしながら去って行く人をよく見かけます。これでは何のための1時間半であったのか疑いたくなります。私は人の話を聞くときメモを取りながら、「私だったらこう思うとという要点や質問事項を書くよう心がけています。ですから「若松さんあなたはどんな考えですか」と尋ねられても即答できるのです。聞く、理解する、整理をする、質問して自分の意見を述べ更に理解を深めるなどなど、まさに総合力が

自分の知識を知恵に変えて行くのです。漫然と時を過ごしてはなりませぬ。

  「質問が ない会なんて 何のため 開いた意味が 分らず終い」

  「言うべきを 言わず言うなと 言えば言う 言うことあらば 言えばいいのに」

  「質問は ないかと聞くは 美辞麗句 俺は桜と 言って爆笑」

  「質問も その人値打ち 上げるコツ よくよく聞いて よくよく質問」

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shin-1さんの日記

○山二つのありがたみ

 私たちは『便利」という名の基に、何でもかんでも自分の近くに置こうという癖があります。松山まで僅か25キロの地域であるわが町のまちづくりも、実はそんな発想からスタートしています。道が開かれてからというものは、多くの人が住んでいる県都「松山」を意識して随分道をよくする運動をやって来ました。県道から国道への昇格運動、国道の改良陳情などにどれ程の知恵を出し努力をしてきたことでしょう。その結果25キロという距離は今も昔も変わらないものの、大幅にスピードがアップして2時間もすれば松山へ行って帰って来れるような便利さを手に入れました。過疎だ高齢化だと町の持っている負の部分を嘆いて「もっと便利に」が今も変わらず合言葉なのです。しかし近くなればなるほど、便利になればなるほど松山へ行った時の感動が薄れてゆくのは何故でしょう。非日常が日常に変化したからなのです。人間は日常の暮しだとだと感動しません。日常の暮しに飽き足らず非日常を求めるからこそメリハリがついて人生が楽しい思い出となるのです。

 江戸時代の儒学者に熊沢番山という人がいました。番山は家が落ちぶれて寒村で貧しい暮しをしていました。山二つ越した所に日本の陽明学の祖中江藤樹が塾を開いていたので、番山はいつも講義の時間になるとやって来て、垣根越しに講義を聞いていました。その姿を門弟が見つけ中江藤樹に告げたのです。中江藤樹は番山を呼んで「そんなに講義が聞きたいか」尋ねました。「雨の日も風の日もこうして先生の話を聞くのが私の何よりの務めです」と答えました。中江藤樹は「聞くところによるとお前は年老いた母と一緒に暮らしているそうだが、うちの馬小屋が空いているからどうだそこへ住まないか。4時間も山を越えて来なくてもいいではないか」。「ご親切なお気持ち感謝してもし切れません。しかし私は山二つ越えて来るからこそ辛抱のしがいがあるのです。私の心の励みとしてどうぞそのままに」と涙ながらに答えたといいます。

 今の私たちにはその気になれば幾らでも勉強に機会は与えられています。でも教えを体得するのは巻き返し繰り返しが大切なのです。

 今の便利な時代、熊沢番山のような生き方をする人もいないでしょうが、せめて不便さの中であえて学ぶ心を持ちたいものです。幸い人間牧場には距離的や空間的に非日常が存在します。家の横に30年前に造った私設公民館「煙会所」が非日常から日常に変わった今、人間牧場の非日常こそ心を鍛える場所としては最適だと思います。熊沢番山の歩く速度だと人間牧場は一つ山越す2時間程度だと思います。一度自分の足で自宅から歩いて人間牧場を往復してみたくなりました。そう是非実行してみたいものです。私たちはいつの間にか足があることを忘れていました。

  「番山の 生き方学ぶ 気構えが あれば学びに 心こもって」

  「何時の間に 足で歩くを 忘れたか 便利という名の 車に乗って」

  「直ぐそこに 中江藤樹の 大洲あり 偉大な足跡 訪ね学びし」

  「この歳に なっても未だ 山越えず 何をしてるか 早くしないと」


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○人間牧場ツリーハウスの棟上

 今日は忙しい一日でした。ツリーハウスの工事を始めるので、早朝に人間牧場に出掛けて水平線の家の鍵を開け、昨日運び込んだ木材のシートをはがして片付け、大工さんの来るのを待ちました。大工さんは今治の人ですから9時半過ぎに到着、簡単な打ち合わせをして自治公民館のウォーキング大会に参加するため下山しました。約百人の参加者が長い列を作り、旧役場前を出発、三島神社を経由して潮風ふれあい公園まで約1時間30分をかけて歩きました。山の緑も日増しに濃くなって渡る風も心地よく肌に感じ、思わず深呼吸したくなるような爽快さです。昼食が始まったところで私は前町長さんと一緒に歩いて下山しました。私は役場に置いていた車に乗り込み、12時に会う約束していた参議院議員の段本先生と魚吉で昼食をとり、随行の土地改良連合会の方々と人間牧場へ向かいました。東京で過ごしている段本先生は農林族で、四六時中日本全国を行脚されていますが、わが人間牧場への道程の急峻な道にはさすがに驚いた様子でした。でも人間牧場のロケーションや思想にはいたく感激された様子で、ツリーハウス建前のために訪れていた仲間たちと楽しく談笑され束の間の交流を楽しみました。

 居合わせた息子夫婦や次男も名刺をいただくなど気さくな先生の振る舞いに恐縮していました。先生は昨日内子町に泊まり、今日は八幡浜へ行き西の方から人間牧場へやって来ましたが、先生とはまだ興で度目なのですが、偉いそぶりも見せず頭が下がる想いです。先日参議院会館へお訪ねしたときはあいにく留守で高橋秘書と面会面談させてもらいました。

 3度人間牧場へ上がったのは2時過ぎでした。大野事務局長や湯山君も手伝いに訪れていたのでかなり作業が進んだのか思いきや、足場作りなどに手間取り、まだ3分ぐらいか仕事ははかどっていませんでした。それからは手も増えて一段とスピードが速くなり、夕方6時30分まで残業した結果骨組み作業と屋根の一部が完成し、ご覧のような状況となりました。

 人間牧場の「水平線の家」も「五右衛門風呂」も、今回の「ツリーハウス」も全て急峻な地形を利用したためよく似た外観をしています。ツリーハウスの中にはどっかりと杉の木が鎮座するように立っています。この杉の木は八本立てだったのですが、屋根の終いが出来にくく一本二本と切られ、残りは4本だけとなってしまいました。生きているこの木が生きたまま部屋の中に建っているのですから圧巻そのものです。さて屋根終いはどのように付けるのかこれまた大工さんの腕の見せ所といったところでしょう。生きた木が床柱なんて話は余り聞いたことがありません。畳3畳分の部屋は一体どんな夢を私たちに与えてこれるのでしょうか。楽しみがまた増えました。

 先日宮崎県の仲間からメールが入り素晴らしいツリーハウスを見せてもらいました。あの素晴らしいツリーハウスを見ていると、私たちの造っているものはツリーハウスと言えるかどうか疑問です。でもオリジナリティがまたいいのだと自分自身を納得させています。

  「ニョッキリと 屋根・床杉が 伸びている やることちょっと 過ぎていますよ」

  「大工さん ベートーベンでは ありません 大工第九と 同じ発音」

  「やっとこさ ここまで進む 計画に 安堵の胸を なでおろしつつ」

  「牧場に 国会議員も やって来た 俺の生き方 田舎人生」 

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