shin-1さんの日記

○格差社会のはざ間で

 今晩妻と二人で食事をしながらテレビを見ていたら、ニュースの報道特集で大阪西成区愛隣地区のホームレスのことが紹介されていました。世の中は暖冬だと騒いでいるのに夜は5度以下になる厳しい寒さの中で毛布一枚とダンボールで路上生活をしている人が5000人もいるというのです。昔からこの地区は人生の吹き溜まりといわれるように貧民生活を余儀なくされている人が集まり、日雇い作業で得た収入でその日暮しをしている人が多いのです。日本の景気が神武や岩戸景気を抜いたと政府は発表しているのに、こんな社会があるなんて誰も信じ難いことなのです。私も上阪の折一度そのまちの実態を見ようとホームレスの溜まり場である三角公園を通りましたが、折りしも寒い真冬のことでしたので、テレビの光景と同じ場面でした。

 こうした世間から見放された低所得者層に光を当てるべきだと主張するNPO団体は寒空は冷たかろうと食事にありつけなかった人に握り飯を配ったり毛布を配ったりの人助けや、一週間に2度の炊き出しを行っていますが、増え続ける難民にも似たホームレスの人全てに施しは出来ない状態です。府としても夜だけは寒さをしのいでもらおうと仕切りのある大部屋を用意していますがそれも僅かに800人が限界なのです。

 これがCNP世界第2位を豪語する日本かと目を疑うような実態が都会の片隅にはあるのです。彼らの中には夢破れて貧民街に紛れ込む人、リストラされて行く当てもなく仕方なく身を投じている人など様々ですが、最後は見る人もなく死んで行く末路を思うと寒さはことの他身に染みることでしょう。

 最近マグロや高級な和牛の肉がよく売れると犬猫ペットフードの店が、師走の話題としてテレビで相次いで放送されました。マグロや輪牛肉といえば、セレブな人たちの食べ物と思いきや、何とこれが犬や猫の餌として売られているというから驚きです。今は少子化や核家族が進行してその寂しさを紛らわせるためペットを各家庭が急速に増えてきました。私たちが子どものころは和牛肉やマグロなんて一年に一回も食べれないような高嶺の花でしたが、今はペットの餌なのです。犬や猫はこのような高級なものを毎日食べるから犬猫の世界では人間社会と同じように高血圧や脂肪肝などの成人病のような病気に冒されるのだそうです。愛隣地区では働きたくても職もなく植えないと言うのに一方ではこのような贅沢な社会がまかり通っているいるのです。その前の番組で徳川時代の大奥という番組が紹介され、お犬様を可愛がる江戸時代の姿が放映されていました。大奥と私たち庶民の暮しとは比べ物にはなりませんが何かおかしい現代版お犬様に思わず笑ってしまいました。

 愛隣地区に住むホームレスは自分の生活設計も出来ず生きてるからこんなことになるのだと、目くじら立てる人も多くあまりそんな人に税金を使うな、甘ったれるなと言われそうですが、それでも私たちは日本人みんなが明るい正月を家族とともに笑顔で迎えられるような日本にしなければならないと、つい優しい意心が顔をのぞかせました。

  「恵まれぬ 人あり都会 ホームレス この寒空を 毛布一つで」

  「俺はガン 告白しても 知らんふり 病院さえも いけず酒飲む」

  「犬猫に マグロや和牛 食べさせる 同じ動物 食うものとてなく」

  「大奥の 時代に似たり お犬様 何か変だぞ これでいいのか」 


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shin-1さんの日記

○笑顔の絶えない楽しいおばちゃんたち

 一昨日の日曜日、同じ伊予市に住むといっても旧伊予市の方ですから峠を越えた随分離れた所に住んでいるおばちゃんたちが人間牧場にやって来ました。例によってシーサイド公園で待ち合わせていざ出発です。都会ではないが都会のような平地に住む人にとっては人間牧場への山道は何か別の世界にでも行くような感覚を持つ人も多く、ましては33ナンバーの車などに乗って来る人には、「道が狭いから大丈夫ですか」と前置きして話すのですが、「この人は北海道までも運転する達者な人ですから」と豪語するので断るすべもなくご案内しました。町道から農道に変わる時もそんな声賭けをしましたが、「大丈夫」というので私と妻が先導して走ったところついて来ないので不思議に思って振り返ると、まるで牛歩のようなノロノロ運転です。農道から私道に入ると更に狭くてきつい勾配にもうブレーキの連続です。「あの道を引き返すのかと思うとゾッとする」と、先程の元気は何処へやら、すっかり青ざめている様子でした。それでも水平線の家の室内に入ると我に返ったようにはしゃいで、さっきの青ざめた顔に笑顔が戻っていました。

 このおばちゃんたちは伊予市上三谷に住む水口マリ子さんたちの楽しい集団です。彼女と出会ったのは一昨年更生保護婦人会の総会でした。私が記念講演を頼まれ伊予市中央公民館で話してからでした。もう随分昔のことですが水口さんは私が双海町の町民会館でどなたかの結婚披露宴の司会をした時出席し、私の司会ぶりに感動されていていつか会いたいと思っていたそうですが、更生保護婦人会の役員をしていて総会の記念講演に私の話を是非ということで実現したのです。またそのことがご縁で農家の水口さんからは何度もトマトやキューリが届けられ、更には絶品と私が折り紙をつける丹波黒豆の水口さん自身が炊いた煮物を頻繁に届けてくれるのです。また先月は上三谷の高齢者集会にも招かれて講演し、もう100年も前から出会っているような錯覚すら感じる間柄なのです。

 私が講演でさわりだけ話したものですから、「人間牧場へ是非行ってみたい」ということになり今回の来訪と相なった訳です。今回のツアーには男性二人も運転者として同行しました。先日上三谷集会所で出会っているのですがお一人は愛媛大学の先生だった人ですから博学な人で、言うことが何処か知的なようでした。

 前列左端は私の家内ですが、いつも贈り物をとどけていただく後列右2人目の水口さんに出会いたいと昨晩天草を炊いて果物ゼリーを作って参加しました。和気藹々の中にも終始笑顔が絶えず、皆さんはロケ風呂で足湯を楽しみました。

 皆さん気に入った様子でロケ風呂に座って話に花を咲かせました。この日は冬だというのに穏やかな日で風もなく、あいにくの春霞を思わせるようなガスがかかって遠望は出来ませんでしたが、温かい一日でした。

 皆さんが楽しんでいる間に私の車を含めて4台の車を全て狭い場所ですが帰りの向きに回転させました。デッキからその様子を見ていた人たちは私の機敏なハンドル操作に感心しきりでした。再会を約束し不安な気持ちで山道を登りやがてみんなの車が木陰に消えたのも見計らって、妻と二人で後片付けや風呂の湯を抜き、カギ終いをして下山しました。

  「足湯する 大根のような 太い足 十本まとめて 一山なんぼ」

  「穏やかな 師走の陽気 誘われて 人間牧場 笑いこだます」

  「この道を 帰ると思うと ゾッとする それでも帰る 緊張した顔」

  「笑顔ある ツアー集団 ホッとする 幸せなんだ この人たちは」

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shin-1さんの日記

○今日はクリスマス

 今日はクリスマスです。流石にこの歳になるとクリスマスも縁遠く、昨晩hqクリスマスイブ、今日はクリスマスとかで私のメールには沢山の方からメリークリスマスの伝言が伝えられるのに、何故かわが家にはクリスマスツリーもなく、クリスマスプレゼントもないのです。妻はせっせと孫や知人友人の子どもにクリスマスプレゼントしているのに、私には届かないばかりが妻に「お父さん私へのクリスマスプレゼントは?」何て言葉をかけられてしまいました。

 そういえば子どもが小さい頃は子どもに何のプレゼントをしようか色々と考えたものでした。子どもは私がサンタクロースとわかっていて、クリスマスが近づくと私の耳に届くようにあれやこれやの注文をするのですが、子どもが4人もいて安月給の身には堪えるのでクリスマスプレゼントは本に決めていました。子どもに本を読んで欲しいという願いからでしたが、子どもにとっては子ども社会の流行のようなものがあって、私のプレゼントする本などは余り好まれませんでした。それでもいつしかそれが当たり前になり本を読む子どもになったことはよかったと思います。

 昨晩息子夫婦がやって来ました。子どもが大好きな息子は結婚する前からクリスマスイブにサンタクロースの服を着て、自分の友人の子どもの所を回るのが年中行事になっています。昨晩もその大役を終えて帰って来たのですが、「つい最近は子ども好みがテレビゲームのソフトなどが好まれて味気がない」と嘆いていたようです。肝心の息子夫婦には結婚して1年も経ったのにまだ自分の子どもが生まれる気配はありません。こればかりは私たちにもどうすることも出来ず、内孫の誕生を祈るばかりです。

 クリスマスといえば、かつてはわが家でも家の近くの畑から小さめな杉の木を切ってきて小さいクリスマスツリーをよく作りました。そして電気を消してケーキのローソクを点け「きよしこの夜」などと歌ったものです。また私は教育委員会社会教育課に務めていたのでクリスマスが近づくと各集落の愛護部から頼まれて子ども会のクリスマスの集いの指導に出かけたものです。ゲームやキャンドルサービスなど子どもたちにとっては楽しい催しだったと、自治会の集会がある度に当時子どもだった青年たちが述懐してくれます。かつては集落毎にやっていたクリスマスの行事は子どもの数の減少で出来なくなり、クリスマスはそれぞれの家でやっているようです。時代も変わったものです。

 一昨日はふたみの日と定めてシーサイド公園で「サンタが空からやって来た」というイベントが行われ大勢の親子連れがやって来ました。イベントホールには数日前からイルミネーションが美しく飾られ若いカップルが沢山集まっているようです。昨年は私たち夫婦も若い人に混じって恋人岬の散歩を楽しみましたが、今年は風邪気味なので取りやめます。

 私たちがない知恵を出して始めたパラグライダーでサンタクロースを迎える知恵は当時NHKの全国ニュースになったりもしました。今もしっかりと受け継がれているようです。

 年齢とともに寂しくなったわが家のクリスマスですが、今晩は妻と二人でワイングラスに梅酒でも入れて飲みながら(私も妻もお酒は飲めないのです)「メリークリスマス」と陽気にやりたいものです。

  「クリスマス 俺には縁の ないものと すっかり忘れ プレゼントもなし」

  「クリスマス 子どもいた頃 懐かしく 妻と二人で 梅酒乾杯」

  「電話にて  ばあちゃんサンキュー 孫の声 これが最高 贈り物かも」

  「大掃除 していて封筒 五千円 見つけへそくり サンタクロースが」


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○整理整頓

 「整理整頓」という言葉があります。昔小学校の壁に学校の先生が達筆な毛筆で書いて貼っていたのを思い出します。先生は部屋が散らかっているのを見ていつも「整理整頓の必要性を説いていました。しかしその言葉には具体性がなく、「片付けろ」というだけで「整理整頓」の意味も話してくれませんでした。年末になって自分の書斎を見てみると一年間の手紙やハガキ、名刺や書類が山のようになっていて、足の踏み込む場もないほど散らかっているのです。ふとあの先生の具体的でない話と四文字熟語の「整理整頓」という貼り紙を思い出しながら、「整理」と「整頓」について考えてみました。

 私の知恵袋とでもいうべき分厚い広辞苑を書棚から取り出して、「整理」と「整頓」という見出しのページを索引、細かい文字に虫眼鏡を当てて調べてみたのです。「整理」とは乱れた状態を整え秩序正しく整えること、「整頓」とはよく整った状態にすること。きちんと片付けることと書かれてました。ついでに「掃除」「清潔」についても調べてみました。「掃除」とはゴミや埃をはいたり拭いたり取り除き清潔にすること。「清潔」とは汚れがなく綺麗なこと。衛生的なことだそうです。もう一つ「習慣」についても調べました。「習慣」とは日常の決まりきった行い、しきたり、ならわしだそです。

 まず「掃除」をし「整理」「整頓」して清潔」にする、そしてそれを「習慣」化すれば、部屋はいつも綺麗であるはずなのです。ところが人間はつい先のことが気になって今したことをそのままにして次の作業に取り掛かるのです。例えばこの文章を書くのに書棚から広辞苑を取り出しました。そして広辞苑の小さい文字が読みにくいので虫眼鏡を机の隅にあるペン立てから取り出しました。調べながらパソコンに打ち込むのですが、打ち込み終わり、広辞苑も虫眼鏡も既に必要がなくなったのに机の上に置いたままなのです。遠くで妻が「お父さんご飯」と呼ぶ声がします。私はパソコンも広辞苑も虫眼鏡もそのままにして部屋を出ます。これでは整理整頓が出来ないばかりか、今度朝食が終わって部屋へ帰ると、広辞苑や虫眼鏡の存在を忘れてパソコンを打つことに集中してしまうのです。そのうち親父がやって来て「ちょっと手伝ってくれ」と部屋を離れるともうアウトなのです。再び部屋に帰り調べるために虫眼鏡を探し始める、「ここへ置いたはずなのに」で、まるで健忘症、まあこんなことの繰り返しが日々の生活なのです。

 あるべきものをあるべき所に置く、こんな当たり前のことが当たり前に行われないところに整理整頓はないと分っていても、日々の暮しの急がしさを理由に中々上手く行かないのが今の自分の姿です。それでも文章の置く場所を決めてみたり、分類してファイルしてみたりと少しは努力の成果が実って、書斎も前よりましになってきました。

 昨日妻に諭されて一年に一回の大掃除を決意し掃除を始めていますが、1ヶ月使わないものは片付ける、一年使わないものは捨てるを基本原則に今年一年各方面から送られてきたり収集した文書類を分類しました。昔はこの紙類は闇雲にゴミ袋に入れて、あるいは資源ごみに出していましたが、今年の10月からわが伊予市ではゴミ袋が有料化になり、ごみの減量化に取り組んでいるので、思い切って畑の隅にあるドラム缶自家製の焼却炉で処分することになりました。まあ一年間の紙類は凄いです。段ボール箱五個分はあったでしょうか、まるで焚き火のように紙ごみを燃やしました。お陰さまで親父と私は今朝も焚き火で暖を取りポカポカなのです。

 私の書斎には仕事柄、未処理のものが沢山あります。大学の授業で使った資料の整理をして大学へ提出しなければならないものもあります。また講演依頼の文章もあります。さらには年賀状に今年の分を加えるための名刺類も捨て切れません。これらはこの冬休みの作業として残ってるのです。この捨てると残すの判断が難しいものは、昨年の大掃除で残すと決めていたものですが、一年経って見直してみると何で残したのか不思議に思うものまであります。

 新聞のスクラップや写真類は整理整頓して置くべき場所におかなければなりません。とりあえず捨てるものは捨てましたが、さて整理整頓と習慣化は私の永遠のテーマとなっているようです。

 親父は整理整頓の名人です。私が鍬や鎌を黙って使うと直ぐにばれるほど正確に物を元の場所に置くからでしょう。そんな父でさえ最近は置いた場所が分らないと一日中探していることもあるようです。やはり歳なのでしょうか。

  「あれ程に 残しておきたい 資料でも 一年経てば 炎と消えて」

  「あっしもた 焼いてしまって 反省し 炎の中の 文字を追いつつ」

  「次からは 綺麗にするぞ 決意した 三日坊主の 結果こうなる」

  「習慣を 直さなければ 同じこと 決意毎年 六十二年も」


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○珍しいものが届くお歳暮シーズン

 冬休みに入って家の書斎にいることが多くなった私ですが、家にいると仕事に行って妻がいないため、座って何かをしようとすると玄関のチャイムに呼び出され、対応処理が終わりやっと座るとまた呼び出され、結構忙しいのです。牛乳代や新聞代の集金、セールスマンの来訪などそれぞれです。この時期最も多いのはやはり郵便局を始め宅配業者が運んでくるお歳暮です。広域広範な人間関係を持っている私の元には珍しいものが飛び込んでくるのです。たった一度の出会いなのに律儀な人がいて地域の特産品というものから自宅の菜園で獲れたものまで種々雑多です。お陰さまで年の暮れは全国美味いもの試食コーナーのような食卓なのです。中には食べ方が分らず送り主に電話お礼のついでに食べ方や調理の仕方を教わるのですが、これがうまくいかず失敗したものもあります。

 ・赤玉キウイフルーツ

 双海町はキウイフルーツの産地です。オーストラリアかニュージーランドが原産地と聞いていますが、20数年前初めて食べたときは髭もじゃでグロテスクな外観とは違い、透き通るような緑色とその甘さに驚いたものでしたが、今は農家からも硬い間にいただき、リンゴを入れて追熟させて食べていますが、最近はゴールドキウイフルーツなどの新品種が登場して、これも農家から先日いただきました。3日前松前町の玉ちゃんファームから赤玉キウイフルーツが届きました。これは新品種らしく愛媛県では西条市でまだ2トンしか収穫されない貴重品だそうです。半分に切ってみましたが中は名前の通り赤味を帯びてまるでイチジクのような姿でした。食べてみましたが糖度が高くとても美味しくいただきました。こうした農産物を販売するとしたら農家たる生産者は普通は農協へ出荷します。量のないものは市場で軽く見られ軽くあしらわれて、一大産地化を目指すのです。でも今日蒔いた種が明日芽が出るようなものと違い、キウイフルーツなどは実がなるのに年数がかかります。結果的に身がなり始めた頃には豊作貧乏という結果を招くのです。少量の希少価値を売る方法はお金持ちに売ることが最適、お金持ちの顧客を持っているデパートなどの外商部をこねにするのが一番、そしてインターネットでビッグなネーミングで販売すると飛びついて売れるのです。「そんなこと常識でしょう」と玉ちゃんに言われそうですが、赤玉キウイフルーツを見て思いました。

 ・桐箱に入ったイチゴ

 その点、昨日徳島県池田町から届いたイチゴは何と何と桐箱に入っていました。年末はケーキの材料としてイチゴが高値です。その高値を更に高値にしているのか「箱入り娘」として登場したイチゴです。何もイチゴを桐の箱に入れなくてもと、ごみ減量を考える人たちからはブーイングなのでしょうが、受け取った側は「ほーっ」と高級感にため息をつくに違いありません。イチゴは今全国に出回っています。イチゴ元々春の果物なのですが人間のエゴで冬の食べ物に変化しました。そんな時代に差別化や区別化をはかりことさら高級感を出すアイディアは見上げたものです。整然と並んだ大粒のイチゴを見て、食べるのは勿体ないような気持ちになりました。早速孫のクリスマスプレゼントに送りました。

 ・発泡スチロールに入った牡蠣

 ノロウイルスの風評被害でかなりのダメージを受け、暗い正月を迎えるであろう牡蠣養殖業者のことを思うと何だか寂しくなります。この頃になると牡蠣が届くのですが今年はそんな世相を繁栄してか牡蠣がさっぱり届きません。ところが先日送られてきました。この方はたった一人の息子さんをシーサイド公園の海で亡くされています。それ以来のお付き合いですが今年も牡蠣を送ってくれました。息子も牡蠣が大好物で殻つきの牡蠣は新鮮でレモンをぎゅっと絞って食べる味は格別です。ノロウイルスなんて病気にもかからず美味しい牡蠣を賞味しました。

 ・根曲がりネギ

 岩手県一関市の五郎ちゃんから珍しい根曲がりネギが送られてきました。鍋物に入れるととろりとろけて美味しいです。私たちの地域のような暖地ではネギは白いところより緑部分を食べる品種が多いのですが、関東や東北では土中深く育った白ネギが主流のようで、所変われば品代わりますね。

 ・シシャモと昆布と魚類

 北海道の友人から今年もシシャモと昆布と魚類が送られてきました。美味しいのですが魚類は海の町でありながら獲れるものが違うので「これ何という魚?」と頭をひねるものまであります。結局は分らず電話しました。その中に秋刀魚の糠づけがありました。電話で食べ方を教わったのですが調理方法を間違え汐抜きが十分でなく多少塩味の聞き過ぎた秋刀魚の煮付けを食べさされました。まあこれも愛嬌とばかりに妻は各地へお返しの特産品を送ったようで、送ったり送られたりの年末の慌しさのようです。

  「各地から 歳暮届いて ハンコ押す 師走宅配 またまたチャイム」

  「俺にまで 贈り主名 見届けて お礼のハガキ 嬉し恐縮」

  「メールにて 歳暮のお礼 書き込んで ちょっぴりこれで いいの?と反省」

  「役場辞め 中元歳暮 縁遠い 思っていたのに 未だに沢山」

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shin-1さんの日記

○諭しの言葉

 人は多かれ少なかれ人間が生きていくうえで指針となるべき言葉を座右の銘として持っています。座右の銘たる言葉は偉い歴史上の人物が言った言葉を引用したり、出会った人や本の中から自分のフィーリングに合ったものを選んだりしますが、中には家訓たるものまであって多種多様です。かくいう私も座右の銘とまではいかなくても「人でも仕事でも愛する所に集まって来る」という言葉を色々な場面で使っています。愛なんて言葉を使うのは少しキザなようにも思えますが、多分自分の人生を振り返ってみてこの言葉くらいわが人生を語るに相応しいものはないし、これからもこの言葉に意味するところをかみ締めながら生きてゆこうと思っています。

 昨日妻と二人でテレビを見ていたら全国を駆け巡って説教している尼さんが紹介されていました。ある尼さんは刑務所に牧師のような形で入っていって受刑者にもう二度と犯罪を犯さないように諭すのですが、日本はそうした陰ながらの努力にも関わらず犯罪は増え続け国内の刑務所は満杯の状態だそうです。窃盗や麻薬は初犯の人が再犯を繰り返すことの多い犯罪だそうですが、社会や人間の誘惑に負ける人たちにとって尼僧の諭しの言葉は心に響かなかったのかもしれないと、尼僧は自分の非力を嘆いていました。

 ある尼僧は楽しいお喋りで聞く人をひきつけていました。「人間は三養が肝心である。その一つは休養、毎日睡眠をしっかりとらなければならない。毎日の睡眠は8時間を基本とするが、睡眠不足した時間は睡眠不足貯蓄となってその人の体に貯まってゆく。その貯まった睡眠不足貯蓄分だ寝なければならないから最後は寝たきりになる。二つ目は栄養、食べ物で命を長らえている人間は野菜でも魚でも果物でも自分のまちで獲れたものを食べるとよい。それらの食べ物は自分と同じような環境野中で育っているから体に受け入れられやすいのだ。大体今の日本人は他所のものを食べ過ぎる。結果的に日本人は太り過ぎとなり成人病が増えている。三つ目は修養、今の自分より格上の人間を目指して日々修養をしなければならない。そのためには六根を使うことである。一根は目、何故目は二つある。目が利く、目は口ほどにものを言う、目分量など複眼を生かすことを考えねばならない。二根は耳、耳も左と右と二つあって体の外についている。沢山の音や声を聞けということだ。三根は鼻、息をする、匂いを嗅ぐことによって目で見たことを確かめることが出来る。いい香にはいい心が宿っている。四根は口、口は何故か他のものに比べて一つしかない。喋るとき食べれないし、食べているときは喋れない。ところが最近は口が二つのことを同時にやろうとしてるから無理がある。口で話したことが聞こえる範囲は限られているのにマスコミに乗って口で言ったことが広がりすぎる。口は災いの元なのだ。五根は手、今の世の中は手を使わなくなった。手仕事をしなければならない。手で触ると人の温もりを伝わってくるし両手で抱き合うことも出来る。六根は足、足も車の普及で手と同じように使わなくなった。歩くことから始めなければ走ることも出来ない。今の世の中足かせが多過ぎて歩くこと足りない。足りる足にならなければならない。日々の暮しで心がけて欲しいことは笑顔、あいさつ、返事、後片付け。笑顔がどんなに人の心を和ませてくれるか計り知れない。元気よくあいさつをしよう。日々の暮しはあいさつでコミュニケーションができる。ところがあいさつしても返事が返ってこない。後片づけが出来ないといるものといらないものとの区別がつかない。玄関には今日履く靴で沢山なのに何故に何足も靴が並べているのか、廊下は人が歩く所なのに歩けないほど置いている」。

 風呂の湯加減を見たり電話がかかってきたりでテレビを断片的にしか見なかったので全ては読み取れなかったので、自分流に整理をしてみました。読む度に味わい深い諭しの言葉であると思いました。

 最後に「咲いた花見て喜ぶならば、花の根を見て恩を知れ」と言われました。根は土の中にあって花を咲かせるための栄養や水分を絶えず花に送っている。根が元気でないと美しい花は咲かないのです。私はこの言葉をパソコンのキーボードで叩くと意外や意外、根より先に値段の値が出てきました。値を値段で見るとしたらこれは大変な間違いですが、現代はいい花は値段のいい花と勘違いしている節もあって中々面白いと思いました。

 聞く耳を持ってテレビを見ながらいい修養が出来ました。

  「なるほどと 思う言葉に 行き当たる 耳聞き流す 俺はメモする」

  「六根を 鍛え直して これからも 一生懸命 生きてゆきたい」

  「寝不足が 少々気になる これまでの 暮し見直し 睡眠増やす」

  「手と足を 使う暮しが 今に来る 車なければ それが頼りだ」

  

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shin-1さんの日記

○切干大根を作りました

 やっと全国行脚の旅から開放されて、今日から私は自由人として冬休みに入ります。といっても年賀状は書かなければならないし、仕事も片付けなければならないし、やることは山ほどあるのですが、講演や公式行事はひとまず終わりホッとしています。今朝久しぶりに家の敷地内にある畑へ出てみましたが、親父の世話が行き届いて草の手入れもしっかり行われ、冬野菜が勢いよく育っています。しかし少し離れた私の家庭菜園は惨憺たる光景で草ぼうぼうなのです。草削りの鍬を持ち出して2時間余り毛削り何とか畑らしくなったので、大根の畑に入って大根を抜き、切干大根を作ることになりました。同じ大根でも生の大根と切干大根は何故か栄養価値が違うということを聞いていたので、思い切って10本ほど引き抜きました。今年わが家の大根は今まで出来たこともないような大豊作で、まるでお化けのような大きさに育ちました。引き抜いた大根の葉を落とし水洗いして車状に切って短冊状に切るのです。私は一年に何度も包丁を持つような器用な男ではありませんが、昔取った杵柄で面白いように白い短冊が出来上がりました。20本も切ったでしょうか、最後は少々嫌気がさし2時間近くもかかってしまいました。

 親父が切った大根をセイロに広げて干してくれたのですが、まあまあの状態に仕上がりました。今日は天気もよく生憎の無風状態、しかもわが家は裏山に隠れて冬この時期は余り日当たりがよくないので、乾燥して切干大根に仕上がるのには1週間もかかるのではないかと思われます。途中雨に会ったら大変と家の横の東屋の軒先に垂木を通して干し場を作り準備万端OKです。

 昔は切干大根は丸のまま干したのもあって硬くて食べられないような状態で食卓に出たりしたこともあって、あんなもの食べれないと思っていましたが、歳をとると好みが変わるのか、切干大根を水で戻して油でいためじゃこ天などと一緒に煮付けるとこれが絶品で、美味しいのですから年齢と嗜好の関係は変化するなんて不思議なものです。今はお店でも切干大根を売っていますが、やはり自家製は美味しいため母が生きてる頃から手作りをしているのです。セイロに8個作りましたが、乾燥うするとセイロ1つぐらいになるようです。

 昨日の晩は妻がカブのあんかけを作っていました。カブをわが家では大豊作で、漬物や酢漬けなど様々な料理に変身します。私が褒めるのも変ですが妻は料理が上手です。これだけでも結婚してよかったと思うほどで、特に魚の料理は「お魚ママさん」の講習を受けていますからバッチリです。(少々お惚気になってしまいました)

 冬が来て、正月もそこまでやって来ています。一年間家を空けて全国行脚した家や妻への不義理を年末年始で少し取り戻さなければなりません。だって妻は61歳になっても定年もなくパート働きをして退職して自由人になった私を養ってくれているのですからそれくらいしてもバチは当らないのです。でも良かれと思ってやったことがつい仇になることだってあります。昨晩も風呂を貯めようとボイラーのスイッチを入れ、蛇口をひねったまでは「私は何て優しい亭主なんだろう」と自分で思っていましたが、パソコンに夢中になって結局は蛇口を閉め忘れ湯を溢れさせてしまい大目玉でした。妻曰く「お父さんの親切はどこか抜けてる」というのです。まあいいじゃありませんか。死ぬようなことはないのですから。わが家は年末もどうにか平和です。

  「切干の 大根きざむ 包丁が 指先少し 切って終わりぬ」

  「切干を 乾す頃思う 亡き母の 今はどの辺 旅しているやら」

  「土日なく 働く俺の 冬休み 妻は手ぐすね 引いてあれこれ」

  「日暮れ時 少し遅れて 師走日々 自転車帰る 子どもさよなら」

  

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shin-1さんの日記

○味の作曲家「日本食研」大沢一彦さんと出会いました

 私は今年の9月から生活協同組合コープえひめの学識経験者理事を頼まれ、一ヶ月に一度のペースで理事会に出席しています。一ヶ月に一度の会議なら何とかと理事長さんのご依頼を受諾しました。必ず出席するように心の中では思っているのですが、私のスケジュールもかなり込んで欠席もあったりしてご迷惑をかけた一年でした。私と同じ学識理事に日本食研の大沢一彦さんがいます。大沢さんの多忙は私のようなちっぽけさとは比較にならない程の方なので私以上に出席もまばらですが、昨日の理事会は忘年会まで一緒に出席して楽しい一夜を過ごしました。今をときめく日本食研の代表の話は創業者としての苦労や経営理念がちりばめられてとても参考になりました。

 負けて勝て他人と争わずケンカはしない

 損して得せよ

 バカになって仕事せよ バカ(素直)になって学び、他人の意見を聞け

 我以外皆師(他人の意見を聞く)

 みんなに好かれ仲良くするには笑顔、明るい挨拶、みんなに相談する

 努力して成功せよ(長い間の一生懸命の努力、苦労が実を結ぶ

 棚からぼた餅は滅多やたらにあるものではない


 親孝行をしないもので幸せになったものはいない

 親孝行をしていると子どもが真似をして自分も孝行の恩恵に与えることが出来る、そんな一家は幸福が続き繁栄する

 お墓掃除やお参りに子どもを連れて行くと立派な子どもになる

 自分自身が世の中から与えられたものや

 自分が持っている財産や才能を100%駆使して前向きに精一杯頑張ることが、世の中で一番尊いことである

 世間の人から馬鹿にされたり恥をかいたりすることにより

 こんちくしょうという偉大なエネルギーが生まれる

 他人に迷惑をかけないならば何も気にすることはない

 小さいことから確実に挑戦し体当たりでぶつかっていけば

 だんだんよい方向に進路が定まり、大きな成功に導かれ、幸福と生き甲斐を得ることが出来る

 農業目指⇒農大畜産学科⇒ハム会社⇒ハム調味料で独立(成功)⇒各事業へ挑戦(大成功)

 これすばらしき人生なり


 大沢さんの生き方に大きな影響を与えたのは、日本生協の生みの親であり日本生協連初代会長の賀川豊彦さんだと言われました。長い間神戸の貧民街で救済活動に力を注ぎ、命の大切さを身をもって示された生き方やキリスト教の教えが随所に出ていたようです。

 人は何かの言葉に励まされ、何かの言葉をよすがに努力します。また自分のお過ぎ越し人生を言葉に置き換えて人に諭しの言葉として話すのですが、味わい深い言葉としてメモをしてみました。

  「この人の 人生語る 言葉聞く 端々滲む 苦労の日々が」

  「大業を なし得た人の 言葉にて 直ぐに活かせる その気になれば」

  「お金など ささやか蓄え あればいい 金持言うと 何か皮肉に」

  「着想と 世の中流れ 読んだ知恵 行動起して 今の成功」

 (追伸、昨日は生協理事会の忘年会が道後のホテル茶波留でありました。日本食研の社員が歌のパフォーマンスを繰り広げました。商魂たくましい限りであります。ちなみに理事さんはハンドバルで瀬戸の花嫁の演奏を、私も下手糞ながらハーモニカの演奏で会場を盛り上げました)

 

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○大人を考えるフォーラム

 「大人って何?」と尋ねられたらあなたはどんなに答えるでしょう。ある人は年齢的な要件で「子ども以外の人間」と答える人もいるでしょうし、「全てに完成された人間」と答えるかも知れません。しかしいざ「大人って果たして何だろう?」と考えるとその答えは曖昧ですっきりした答えは見出せないのです。かく言う私も20歳から62歳の今日まで42年間も大人をやっているのに、大人という自覚はあっても具体的な説明となるとこれまた中々出来ないようです。子どもに比べ大人には責任や働くこと、自立することなど様々な条件が必要です。中には大人であっても責任を果たさず働くことさえしない人や自律していない人もいるようで、その数は社会が成熟すればするほど多くなっていくといわれています。まあよく分りませんが私は子どもではないことも事実だし、ある意味での家庭的や社会的な責任も果たし、働くことによって得た報酬で家族と共に生活しているのです。いわば自律していると思うのです。でもそれだけでは普通の大人なのです。「素敵な大人」というワンランク上の大人を考えると、これまた難しい条件が必要になってきます。では一体素敵な大人とは一体どんな人で、何処に住んでいるのでしょう。「今回の「大人を考えるフォーラムは、そんな素敵な生き方をしている人を探し出し、その素敵さを若者の前で語ってもらおうということになりました。私は今回の事業を主催する国立大洲青少年交流の家からその企画を考える実行委員会のメンバーに選ばれました。年齢が一番上で、しかも暇のある自由人ということもあって昨年に引き続き実効委員長になったのです。何気なく過ごしている日々の暮しの中で自分の身の回りには案外素敵に生きてる人は見つけにくく、実行委員の目の届く範囲で探した結果6人の方が見つかり、若者の前で話してもらうよう頼み了解を得たのです。

 最初に基調講演をしてもらう人は最近テレビやラジオの司会などで大活躍の「らくさぶろう」さんです。彼は様々な経歴を持っていますが、ギノー味噌のコマーシャルでお馴染みとなった女装した「らくおばさん」が人気を呼んでいる、県内では知る人ぞ知るキャラクターの持ち主なのです。少年時代の生い立ちやマスコミで売れるまでの苦労話など、集まった若者にハードルを合わせたタイムリーな話をしてくれました。

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 続いて、シェフでありオーナでもある株式会社マルブン代表取締役の真鍋明さん。

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 園芸農業を営む東大出のたまちゃんファームグループ代表玉井和幸さん。この写真を見る限りはどう見ても落語家。

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 外国生活の経験を持つダンディな喫茶店ナチュレ代表の藤山健さん。

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 翻訳や通訳など語学堪能な、イサ翻訳センター&バイリン出版代表の合田正美さん。

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 子育てしながら環境を語るNPO法人自然環境教育えことのは理事長斉藤智子さんの5人です。

 まず私がコーディネータを務めて40分間それぞれの自己紹介と主張を述べてもらい、その後は17分刻みで5つのブースを看板を片手に回ってもらい、色々な話への質問をしてもらいました。5人はそれぞれの人生観やこれまで生きてきたこと熱っぽく話しました。その話の内容は参加した人のみに与えられた感動と知る権利なので、ブログ画面では割愛します。

 その夜は愛媛大学助教授白松賢さんの巧みな司会、明くる日の午前中は株式会社VOCE恋愛プロジューサー北川裕子さんの熱い司会、午後は県立八幡浜高校校長堀田和知さんの楽しい司会でそれぞれのプログラムを消化しました。特に一連の大人を考えるプログラムの最後を締めくくる「10年後の自分からの手紙」は短い時間ながら思わず目が潤むような熱い感動の手紙が若者から紹介され、いい研修会を終わりました。体調を崩して声が出ない私以外はみなさんそれぞれの役割をきちんと果たされ、若者の心に「大人って素敵なんだ」と感じていただいたようです。

  「えっ大人 突然聞かれる 問いかけに 分っている様で 分らぬままに」

  「俺なんか 俺の人生見てくれと 胸張りいえる 素敵な大人」

  「十年後 今の自分に 手紙書く はてさて俺は 生きてるだろうか」

  「おいお前 大人の顔は しているが もっとしっかり 生きねば駄目だ」  

 

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shin-1さんの日記

○教育基本法って

 つい先日まで霞ヶ関を震源地として全国に激震を走らせた「教育基本法ってどんな法律?」と案割の人に聞いてみると、私たち田舎に住む庶民は「関係ないわ」と言わんばかりに顔を背けます。でも一回のタウンミーティングに1千万円以上のお金を使っていた事実を振り向けると、「俺たちの税金を金がないといいながら、赤字財政といいながらこんなに使って許せん」と、声をあらわにして反論するのです。このように肝心の法律がどうなろうと自分には関係がなく、ことお金のことになると「俺らの税金」と主権在民を叫ぶ、まあこれが日本社会の現状でしょう。

 与党の自民党と公明党がいうことも分るし、野党の民主党や社民党がいうのも分るような気がします。でもその主張にはいつも国民不在で、次の参議院選挙にどう影響するのかという目先のことだけを考えての発言が目立ちました。結局は政治家も私たち庶民が法律よりもお金と同じように、法律よりも議席なのだと分っているから、政治家の言うことは余り信用しないようにしています。

 しかし私は少なくても去年まで小さな町の教育長であったわけですから、「辞めたから知らない」「私には関係ない」なんて無責任なこともいえないので、教育基本法の議論の行方を注意深く見守り、時には自分の考えをメモしながら「私だったらこうするのに」という思いを持っていました。だから教育の職にある人たち、特に教育委員会の職員や委員、それに校長先生に議論を吹っかけてみましたが、残念ながら期待したほどの議論も出来ず、むしろ「何も考えていない」ような振る舞いや議論にむなしささえ覚えたのです。

 私の手元には現行教育基本法の全文と、改正教育基本法の全文が対比されるような形で載っている新聞のスクラップがあります。両方を比較してみると現行の教育基本法と改正教育基本法には大きな違いがあることが分ります。現行教育基本法は僅か11条からなっていますが、改正教育基本法は4章に分けられ18条まであります。第1章の教育の目的及び理念では、これまでの1条から3条までが1条から4条までに広がり教育の目的、教育の目標、生涯学習の理念、教育の機会均等に分けられています。特に3条の生涯学習の理念は真新しいものです。

 第2章は教育の実施に関する基本で、義務教育、学校教育、大学、私立学校、教員、家庭教育、幼児期の教育、社会教育、学校・家庭及び地域住民等の相互の連携協力、政治教育、宗教教育と5条から15条まで細かく教育が分類されています。現行法が6分類だったことを考えると隔世の感があります。男女共学という表現が過去のものとなったことも時代を反映していると思います。しかし生涯の各時期における教育のあり方を列記しながら第9条に教員がサンドイッチのように挟み込まれていたりして何か違和感を感じるのも事実です。

 第3章は教育行政については国と地方公共団体の責務が分けて述べられていますが、教育委員会の形骸化や無用論が台頭するこの頃なので多いに議論しなければならないところです。また17条では教育振興基本計画のを国は国会に報告し公表しなければならないようになっていますが、地方公共団体では定めるよう務めなければならないと、法律用語のあいまいさが垣間見えるようです。

 この改正教育基本法が出来たことによって教育がどう変わるのか、またこの法律に基づいてどんな教育が行われようとしているのか、これこそ議論しなければならないことが山ほどあるのです。法律は人が運用して初めて魂が入ります。いい法律にするには国民がもっと教育に関心を持って教育に当たらなければなりません。野党も反対したのだからと逃げることは出来ない、与党も法律を作ったことは教育の第一歩と考えて欲しいと思います。

 教育基本法論議がオーバーヒートし過ぎて、防衛庁が防衛省に昇格したことなど議論もなくみんなが賛成して法律が出来ました。野党が言うように、近隣諸国が言うように教育基本法が改正され、防衛庁が防衛省になったことだけを考えると、何か戦争に突き進んだ戦前の日本を思い起こします。戦争を放棄した平和な国日本が何時までも平和であるよう祈っています。

  「法律が 変わって暮らし 変わるのか 居直る男 税金未納」

  「ミーティング 金かけ賛成 意見言え 先導した人 誰だったのか?」

  「反対や 賛成いうが 結局は 次の選挙で したい当選」

  「教育は 子どもだけでは ないんです 自ら学び 死ぬまで学ぶ」

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