shin-1さんの日記

○高知へ行くんですって

 昨晩は間近に迫った氏神様改修工事完成祝賀会の打ち合わせ役員会が社務所であり出かけました。かなりの難産だっただけに今はホッとしています。帰って遅い夕食を食べていると、高知県西土佐の和田さんから電話が入って来ました。西土佐村は中村市と合併し今は四万十市になっていますが、村そのものやそこに住む人たちとは長い付き合いが今も続いているのです。和田さんとは兄弟のように付き合ってきた間柄で、先日も県境に接しているため隣町松野町の芝さんが誘ってくれて大分県佐賀関への旅をご一緒しました。

 和田さんには「修三」なんて呼び捨て言葉が通じるほどの深い関係で、和田さんも私に敬愛をこめて「進ちゃん」と呼んでくれ今日まで親しく付き合ってきました。

 昨日はどういう風の吹き回しか、少しほろ酔い機嫌での電話です。酒を飲まなくなって久しい私に酒飲み土佐人からの電話です。佐賀関での私の痩せた体を思い出したのか、私の体の心配をしてくれました。また先日私のブログに先祖のルーツを書いたのですが、彼から同感のコメントが書き込み欄に入っていて、そのことにも触れながら「親父とは一体何ものなのか」議論を交わしました。

 「ところで若松さん、明日は高知県へ行くんですって」と唐突に話が切り替わりました。「えっ、何で知っているの」問い返すと、高知新聞の催し欄に「観光カリスマ若松さん高知に来る」という予告記事が載っていたのを目敏く見つけたそうです。そういえば西土佐は県境に近いため愛媛県のテレビ局が写ったり愛媛新聞をよく見るのだそうです。したがって私たちの行動は良く知られているようなのです。

 私もすかさず「明日は高知県馬路村の木下君がそちらへ行くそうなので宜しく」と返したら、やはり私と同じ驚いた様子で「えっ何で知ってるの」でした。木下君とは深いご縁が出来て8月に行く予定が台風5号で流れたこと、9月の週末に西土佐を訪ねることなど、逐一情報が入っているのです。世の中情報を共有すると面白いものです。

 私は今日高知県春野町へ出かけます。私の場合も馬路村の木下君と同じで7月14日に春野町へ行く予定だったのに台風4号の襲来で延期になっているのです。和田さんは「春野が終わってから西土佐で合流しませんか」と酒の勢いで提案がありました。とんでもない話です。私が講演が終わり交流会が終わる頃は夜なのです。そんな時間に太平洋沿岸を四万十川河口まで行き、更に上流域まで遡るにはかなりの距離と時間が必要です。さすが高知県人言うことも太いと思いながらご遠慮しました。今宵は西土佐で私の話を肴に楽しい酒宴が繰り広げられることでしょう。危ない危ない。

  「今日高知 行くんですって 唐突に 酔った友人 電話で知らせ」

  「ああ今日も 片道百キロ 以上旅 高知は遠い 心は近い」

  「高知人 頭に浮かぶ どの顔も 酒飲む笑顔 同じなりけり」

  「会う人が 指で数えも 出来ぬ程 いると思うと ついつい嬉し」 

 

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shin-1さんの日記

○満月を楽しむ

 「サンデー毎日」(毎日が日曜日)になった私が特に気をつけていることは「季節を楽しむ」です。日本は四季の巡りがあって花鳥風月それぞれに美しい国だと思うのです。阿部総理が一年足らずで退陣ししましたが、彼の目指した「美しい国」づくりは私としては相当気にいっていましたが、その理念も日の目を見ないまま終わるのは返す返すも残念です。でも私たちの住む日本が美しい国であることは変りはないのです。要は私たち日本人が日本人としてどういう美しさを感じ、どういう美しい国に仕上げて行くのかが問われているのだと思うのです。

 殺伐とした社会だといいながら季節は毎年同じように移ろい、朝日も昇るし夕日も沈みます。また初秋のこの頃は野に秋の花が咲き始め、虫の声だって結構楽しく聴けるのです。

 夕方砥部町の稲葉さんがやって来ました。先日来宅された折人間牧場のロケ風呂用のタンクを据えつける話になって盛り上がりました。水平線の家には屋根裏に水道用のタンクが設置されていますが、用量が小さく来客が多くなると風呂やトイレへの配水が頻繁になり、いつも水の不安に悩まされていたのです。現在使っているタンクを貰った鉄工所を営む従兄弟に相談したところ、ステンレスの端材でドラム缶一本程度のタンクを作ってくれたものですから、その蓋をどうしようか考えていました。稲葉さんが知人の板金屋さんに頼んで蓋を作ってもらうことになり、早速採寸して帰りました。稲葉さんはそのメモをどこかに置き忘れ2度も採寸に来るなど迷惑を掛けてしまいましたが、一昨日その蓋が出来たと持って来てくれたのです。妻が運んだお茶を飲みながら二人で談笑にふけり、稲葉さんは蓋にパッキンをつけるべく再び持って帰って行きました。

 稲葉さんの帰った応接間でお茶を片付け電気を消すと、いつの間にかブラインド窓越しの東の空に綺麗な月が昇っているのが見えたのです。「お父さん、外に出て満月の月を見よう」と妻が言うのです。玄関から外に出てみると雲ひとつない空になんとも言葉では言い表せないような美しい月がぽっかり浮かんでいるのです。その日の二日前に見た中秋の名月は13夜の月だったようで、また違った趣きがありました。妻と二人で月を見るなんて久しぶりのことなのです。「お父さん人間って不思議ね。あの月を見てウサギが餅をつく姿を創造するのだから」という妻の言葉にマジマジと月を見ました。

 写真を撮ろうと中に入りデジカメを取り出しました。「お父さん夜の月なんてカメラで写る訳がないでしょうに」と呆れ顔でした。それもそのはず、新婚旅行に行った折、二人の写った写真が一枚もないというのが妻の不満の震源地なのですから仕方がありません。それでも私は暗闇に浮かぶ月に向かってシャッターを切りました。


 妻に叱責をかったように「なんだこりゃあ」と笑われそうですが、これが9月27日の満月の月の写真です。「馬鹿みたい」と妻に言われそうなのでこの写真は見せない事にしました。いやあー、 でもいいシャッターチャンスだと思うのですが・・・・・。やはり見解の相違でしょう。

 今朝起きると西の空に少しかげた月がポッカリ浮かんでいました。昨夜パラリと降った雨に濡れた緑が一際美しく、ひんやりとした外気も爽やかな朝でした。

  「久しぶり 十五夜妻と 月を見る カメラで撮ると 妻は呆れて」

  「月明かり 港灯台 ぼんやりと 点いては消える 長閑なりけり」

  「虫さえも 月に拍手の BGM ささやかながら 幸せ味わう」

  「この月が 潮の満ち引き 決めるとは 思えば不思議 宇宙は謎だ」    

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shin-1さんの日記

○二つの情報誌

 今日は朝から電話が鳴りっぱなしで、西条市で開かれる消費者講座の講師を頼まれ玄関を出ようとすると、家の電話が係り、終わったと思ったら又電話で、結局出発が30分も遅れてしまいました。その原因は今朝の愛媛新聞15面から21面の7面を使ってWEBサイト「シニア世代に向けて情報発信「自悠くらぶ」という特集が組まれました。この立ち上げにはパソコンのことなど分らぬド素人の私が少しのアドバイスをしたものですから、行きががり上今後の運営のお手伝いをしなければならなくなってしまったのです。

 見出しのリード文には次のような言葉が添えられていました。

(愛媛新聞特集記事掲載紙面)

 アクティブに、心豊かに生きたい。団塊の世代をはじめ、仕事や家庭以外に新たな生きがいを持ち、「第二の人生」を楽しもうとするシニア層が増えています。こうした人を応援しようと、愛媛新聞社は26日、WEBサイト「自悠くらぶ」をスタートさせました。健康や趣味、資産運用など各分野の専門家が「案内人」となり、旬の話題を分りやすく伝えていきます。

 本特集はそのオープン記念として、WEBサイトの内容を紹介します。「案内人」9人の人柄やこだわりもクローズアップ、WEBサイトと新聞紙面をリンクさせながら、共通の話題で集い、楽しみ方を提案し合うコミュニティ空間として盛り上げていきます。

 この紙面は愛媛新聞WEBサイト「自悠くらぶ」とリンクしています。

                       http://www.jiyu-club.com/

 自悠くらぶは、旅・巡・音・感・味・財・住・健の8ジャンルに分かれています。様々な分野で活躍する「案内人」が、旅や音楽といった趣味を楽しむコツ、田舎暮しの魅力、住まいづくりのポイントなど、シニア世代に向けた情報を随時発信しています。

 まあざっとこんな内容です。20面・21面には私が紹介するその道の達人清水和繁さん、真鍋明さん、西川則孝さん、徳永栄一さんが登場しています。内容は上のWEBサイトで詳しく見てください。

?(舞たうん94号に掲載されたshin-1さんの日記Vol.2の記載ページ)

 もう一つ、今日はえひめ地域政策研究センターの松本研究員が編集長を務めた10月号の舞たうんが発刊になりました。舞たうんの編集長は毎回当番で研究員が当るのですが、今春センターに出向した松本研究員にとっては初めての経験だけに、右往左往や心配の連続だったと思われます。前回の清水編集長こだわりの食育がテーマの舞たうんの出来が良かっただけに、心配していましたが、どうにか及第点がつきそうです。

 この舞たうんにも前号からブログ風連載を始めているものですから、今回の学校というテーマに相応しい原稿を書こうと頑張りましたが、残念ながら私の原稿は相変わらずの拙文です。これからもしっかり文字の世界で実力をつけたいと日々努力しています。ご指導を・・・・・・。

  「新聞を 読んだ見たよと 電話来る 玄関先で 右往左往と」

  「新聞も インターネットも 力あり 寝てる間に 県下各地へ」

  「忙しく なること承知 引き受ける まるでエッセイ 書く人みたい」

  「お父さん 程ほどしないと 又病気 なっても私 知りませんから」


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○土佐選手の感動写真

 数日前、松山の東京第一ホテルで開かれたモーニングセミナーに出席していた松原利彦さんから土佐選手の写真をいただきました。ご存知のマラソンランナー土佐選手は、今年の夏大阪で行われた世界陸上女子マラソンで見事3位に入賞した選手です。このままだと日本で開催しながら室伏選手も、末続選手もメダルを逸し、男子マラソン団体の金だけで、その他はメダルの一つも取れないのではとささやかれていました。しかし最後の種目の女子マラソンで、驚異的な粘りを見せて3位に入賞し見事銅メダルを獲得し北京オリンピックの切符を手にしたのです。土佐選手は名前が土佐ながら愛媛県人で松山の大学を卒業しています。ひいきとでもいうのでしょうか、余り朝からテレビを見ない私ですが、この日ばかりはテレビに釘付けでした。この日の土佐選手は最初から絶好調で、最初からレースを引っ張っていました。しかし後半になって追い上げられ、一時は5位まで下がり見ている方もイライラが募りました。でもそこから頑張り、最後は見事3位に入賞した姿は、日本人に大きな感動を与えたのです。

 松原利彦さんは松山のロープウェイ街で「写真まつばら」という写真スタジオを営んでいます。何度かお会いしましたが勉強熱心に加え気さくな方で、お互い声を掛け合ってきました。聞けば彼は世界陸上の会場へわざわざ足を運んでこの写真を撮影したそうです。彼はプロのカメラマンですから腕は確かです。彼からいただいた写真は泣きながらフィニッシュする土佐礼子選手のゴールの瞬間をとらえていました。この写真のポーズは新聞紙上やテレビで見てはいましたが、直接写した写真を見るのは初めてなので、あらためて土佐選手の感動シーンを思い出しました。

 

?もう一枚は日の丸を背中にしてマラソンに出場した5人の選手が戦い終わった晴れやかな姿で写っていました。どの顔も破れた悔しさより戦い終わった清々しい姿です。

 土佐選手の一枚もみんなの一枚もいわば写真は歴史の一コマです。松原さんはその場所に居合わせ、歴史の一コマを切り抜いて保存したのですから凄いことだと思うのです。私たち素人であれば感動の場面ですからレンズも曇るだろうし、写真を度外視して喜びに浸ったことでしょう。でもプロのカメラマンは土佐選手の等身大に絶えず焦点を合わせてきっちりと仕事をしているのです。松原選手にも銅メダルをあげたい様な気持ちでした。

 今は絶えず過去になり、歴史の隅に追いやられて人々の記憶から消えてゆくものです。でもこの写真はデジタル処理され歴史の生き証人として何年か後に日の目を見るに違いありません。私もこの写真を大切に取っておきます。

  「一枚の 写真が語る 晴れ姿 見ながら思う 過去の感動」

  「大阪に わざわざ出かけ 写真撮る これもこだわり プロに脱帽」

  「よくもまあ こんな身体で 走り抜く 四十二キロの 長い道程」

  「勝つ人は 知らぬ所で ひたむきに ただひたむきに 道を究めん」 

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shin-1さんの日記

○国民の祝日

 9月は連休が二回あって何か得した気分だと誰もが思ったことでしょう。毎週土曜日が休みの人は3連休が2回もあったのですから、笑いが止らないはずです。でも何気なく過ごしていると9月17日は何の日で、24日は何の日と尋ねられても、「えっ、何だっけ」となるのです。特に私のようにサンデー毎日になると連休など行楽地付近の交通渋滞でかえって煩わしく感じることもあるのです。

 今年も4分の3のスリークォーターが終り残すところ100日となりました。これまで何気なく過ごした前半の国民の祝日を列記してみましょう。

 1月1日      元日       年の初めを祝う。

 1月第2月曜日 成人の日    大人になった事を自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます。

 2月11日     建国記念の日 建国を偲び、国を愛する心を養う。

 春分日     ? 春分の日    自然を讃え、生物をいつくしむ。

 4月29日   ?? 昭和の日    激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み国の将来に思いをいた   

                    ? す。

 5月3日      憲法記念日  日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する。

 5月4日      みどりの日   自然に親しむとともに恩恵に感謝し、豊かな心を育む。

 5月5日      こどもの日   こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。

 7月第3月曜日 海の日     海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う。

 9月第3月曜日 敬老の日    多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。

 秋分日      秋分の日    先祖を敬い、なくなった人々をしのぶ。


 さてこれから迎える国民の祝日はどうでしょう。

 10月第2月曜日 体育の日    スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう。

 11月3日     文化の日 ???? 自由と平和を愛し、文化をすすめる。

 11月23日    勤労感謝の日 勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう。 

 12月23日    天皇誕生日   天皇の誕生日を祝う。

 これから3ヶ月で4回祝日があるようです。こうして列挙しその意味を調べてみたりすると、私たち国民は何て曖昧な気持ちで国民の祝日を迎えているのだろうと、私自身反省をするのです。国民の祝日に家々で国旗を掲げる風習もいつの間にか消えうせようとしていることも気になります。

平和な日本に暮す悦びを感じながら、残された今年の100日ほどを精一杯生きてゆきましょう

  「意味さえも 分らず連休 騒ぐ人 一度ゆっくり 考えようよ」

  「母の日は 五月五日の こどもの日 一緒に祝う 初めて知った」

  「長年の 癖は治らず 第二など 言われてみても 何時か分らぬ」

  「差し当たり 次の祝日 体育の日 健康第一 第二じゃないよ」

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shin-1さんの日記

○写真展を見に行きました 

 数日前、うずの鼻という今治のまちづくりグループから写真展の案内が届きました。若い3人の集まりで今治の古い写真を集めて整理し展示しようとする試みです。彼らとは地域づくり人養成高座で知り合い、昨年えひめ地域づくり研究会議が県下4箇所で開いた20周年記念リーレーシンポの折にも、今治市玉川町仙遊寺で開いた集会にも、お寺の道場の壁いっぱいに写真を展示し、私たちを驚きの世界に案内してくれていたので、急接近のメンバーなのです。まちづくりの現場では若者の姿を中々見ることができませんが、彼ら若者は態度といい行動力といい素敵なグループなのです。

 私には仕事の関係上といっても既にリタイアして定職もなく自由人なのですが、いささかなりともまちづくりに身を委ねているので展示会の案内や商品の紹介、イベントへのお誘いなどのダイレクトメールがよく届きます。その都度時間の許す限り覗くようにしていますが、何せ全国から届くものですから、旅費まで自前で行くとなるとついつい腰が引けてしまうのです。それでも彼ら若者の活動にはえひめ地域政策研究センターもえひめ地域づ来る研究会議も深いかかわりを持っているので出かける事にしました。

 運良く昨日は西条市吉岡公民館で高齢者大学がありセットに使用と考えたのです。吉岡公民館での講演は午後1時半きっかりに始まりました。人数はそこそこでしたが、参加者の乗りがよく久しぶりに盛り上がった話をさせてもらいました。高齢者大学ですから参加した女性はさしずめ女子大生です。若い頃は美しかったでしょうし男前だったに違いないという褒め殺しの言葉に会場は笑い声に包まれ、参加者もいい話だったと納得して帰ったようです。

 吉岡公民館を出てタオル美術館前までは旧の山道を走りましたが久しぶりの朝倉路も秋の稔りの季節を向えて何処となく活気があるように感じられました。村上太さんからメールで送られてきたプリント地図を頼りに川沿いを下り、カーナビの手助けを得て3時40分に到着です。私は勘違いをしていて4時までと思い少し急いだのですが、会場の案内ではPM6時でした。16時とPM6時は2時間の差があるのです。ここにも私と村上さんや越智さんとの年代の差が出たかと一人苦笑しました。

 会場はテクスポート今治のロビーです。一週間の予定で借りているそうですが一日一万円の会場使用料は彼らにとってはかなり重荷のようですが、それでも一日百人が来れば安いものだと笑っていました。

 私は今治についてはそんなに詳しくなく、むしろ今治と合併した周辺の町や村や島々によく足を運んでいましたので、今回の今治の古い写真はとても参考になりました。私と一緒に訪れていた何組かの方も目を細めて興味深く見ていました。備え付けの芳名録にもかなりの人が意見を書いていて、主催した若者にとっては励ましになるようなメッセージが書き込まれていました。

 今回の写真展は2回目ですが、若者が古き物に目をむけ、それを若者のデジタルという技術で加工して保存する、素敵なことだと思います。これは多分今しか出来ない仕事だと思うのです。彼らの活動はまだ未熟で半熟で、内面では熟々していますがいつか完熟する日が来る事を期待し大きな拍手を送ります

  「一枚の 写真が語る 物語 歴史の記憶 今既過去に」

  「今でしか 出来ない仕事 価値がある 彼らに拍手 送ってやりたい」

  「遠方を 訪ねた価値に 納得し 一枚一枚 更に読み解く」

  「息子住む 街に来たのに 会えもせず メール残して 来た路帰る」  

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shin-1さんの日記

○24の瞳の稲刈り

 今日は朝から快晴です。西条市の吉岡公民館高齢者大学に招かれていて午後1時までには会場へ入らなければならないので、行く前に立ち話の口約束をしていた翠小学校の和田校長先生に会いに行きました。先日双海総合支所で開かれたエコ改修検討委員会の席上、翠小学校の二宮金次郎の話をした後、私は大分県佐賀関へ出かけるため、持っていた大学という古書を和田先生に預けて立ち去っていたのです。「また行くから」と捨て台詞を残して去ってしまい、私の後に話す予定の和田先生の話を聞かずじまいだったことも心の隅に引っかかっていたのです。

 学校の校門を入った運動場に車を止め、学校の中へ入ると何やら学校が騒々しいのです。聞けば今日は学校の裏にある実習田の稲刈りだそうです。校長先生は既にPTAの役員さんと田んぼへ出ていて、教頭先生が窓越しに声を掛けて呼び戻してくれました。忙しい時に悪いと思いつつ、お約束の二宮金次郎の解説文をと引き換えに、私が預けていた大学の古書を受け取りました。立ち話もできず校長先生が「まあ子どもたちの稲を刈る姿も見てください」といわれたので、裏の田んぼに回りしばらくの間見学させてもらいました。子どもたちは宮岡先生の馴れた指導で稲を刈り始めたのですが、その早いこと、綺麗に刈ること、いやはや驚きです。子どもたちは稲刈り専用の鎌を持参していて、どの子どもも馴れた手つきなのです。今年の稲は近年にない出来だそうでした。子どもたちへの教育の一環ですから安心と安全が一番で、農薬など使わないため収量はそんなに高いとは思いませんが、それでも初秋の日差しが優しく包む田んぼには、赤トンボやアカネトンボが飛び交い、実りの秋を実感しました。

(稲刈りをする前の実習田、学校の校舎の影が秋を表現しているようです)
(手伝いに来てくれたPTAの役員さんにお礼を言いました)

(宮岡先生が鎌の使い方について指導をしていました)

 ひい、風、みい、よう・・・・・・・・と数えてゆくと、子どもの数は12人でした。多分鎌を使える上級生でしょうが12人の瞳は24の瞳だとひとり子どもの姿を目で追いながら、壺井栄の二十四に瞳を連想していました。双海町の小学校は3校あるのですが、この学校が一番少ない学校です。でも私は児童数の少ない小規模校だからできることはいっぱいあると思うし、それを地でいっているのが翠小学校だと思うのです。まさに子どもが主役の学校です。翠小学校のことは間もなく発刊予定の10月号の舞たうんにも書いていますが、とても素敵な学校なのです。やがて秋が深まれば、校庭の気になる木であるギンモクセイに花が咲き、四方八方に芳しい香りを届けてくれることでしょう。

(さあ稲刈りです)
(子どもの数は偉い、またたく間に稲が刈られます)

 双海町には小学校・中学校合せて任の校長先生がいますが、翠小学校の和田校長先生は他の先生に比べたら双海町では新米ホヤホヤ、まさに今日刈り取った稲を脱穀精米して焚いたご飯と一緒なのですが、春先から今日まで懸命に働いているようです。前任の鹿島校長先生もそうでしたが、町内の小学校の子どもたちを相手の少年少女おもしろ教室にも度々顔を出され、子どもと一緒に汗をかいています。教育の基本は子どもとの共有共感共鳴と自立促進です。新米校長は顔を校長ならぬ好調で紅潮させながら全力投球、端から見ても気持ちがいいです。(子どもの頃から知っている山田教頭先生がこっそり私に「若松さん、近頃ブログの記事がかなり厳しいですね」と言われました。そこで少し柔らかくしたのではなく本心です)。

 学校が面白い。学校が楽しい。それは教師の生き方から読み取れるようです。

  「稲を刈る 二十四瞳 生き生きと 小さい学校 だからできるの」

  「校長の 顔紅潮し 絶好調 子ども輝やき 学校輝く」

  「稲を刈る 子どもの中に 左利き 何故か気になる 危なかしくて」

  「この米で 又新たなる 作戦が 次々飛び出す 学校行事」


 

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shin-1さんの日記

○みんな歳をとりました

 先週の日曜日、わが家では母親の七回忌の法要を行いました。命日は10月4日なのですが法事は早めにということで和尚さんを呼んで仏壇の前と墓前で読経をしてもらいました。住職さんは八十歳を超えた方なのですが、最近は腰の具合が悪いとかで変って息子さんが来られました。弱々しい住職さんの読経に比べると若い和尚さんの読経は声も張り中々の勢いを感じました。ここにも世代交代の波が押し寄せているようです。

 九十歳になる親父は12人兄弟姉妹の長男ですが、既に男2人女2人が他界しています。それでも8人兄弟は今も健在とはいえないが生きています。末っ子の叔母は私より一つ年上ですから、全ての兄弟が60歳を越えているのです。今回の法事にも4人の叔父や叔母が体の都合で欠席をしました。母の兄弟姉妹全て亡くなっているので、息子さんが三人出席してくれました。

 法事の会場は久しぶりに出会ったため蜂の巣をつついたような賑やかさで旧交を温めましたが、話題は意外と淡白で、母の七回忌にもかかわらず母の思い出話は余り出ず、家族のこと、自分の健康のこと、年金暮らしのことが話題の中心のようでした。それでも私が食事時に母親の思い出話を含めて挨拶代わりに話すと、正気に戻ったのか母親の話題にスイッチが切り替わったように話し始めました。でもやっぱり健康不安の話に戻るのです。みんな歳をとりました。読経が流れる中仏壇の前に進んで焼香するのですが、まず何人かの叔母は急に立ち上がれないのです。たとえ立ち上がってもふらつく感じで危なかしくて見ていられませんでした。私や妻が手助けをしてやっとの思いで焼香を済ませるのです。座布団に正座することもできないので、食卓用の椅子を座敷の隅に並べましたが7席全て超満員ですし、中腰用の20センチ足らずの椅子も三つ全て出払い、座布団は空いた席が目立ちました。でも足腰が弱った分口に栄養が回ったのか口だけは喋る、食べる、飲むは衰えないとものだと感心しました。

 奈良の弟が帰る時、「もうお前とは生きている間にはよう会わんかも知れん」と弱気な発言をする父も既に90歳です。塀越しに帰る弟の車が見えなくなるまで見送る父の背中は泣いているようでした。長男の私がこの家にいるのですが、いつも見慣れた私の顔など見ずに、異郷の地で暮す弟の身を案じるのは親の優しさなのでしょう。母が死んで6年余りを同じ敷地といいながら隠居で一人寂しく暮す父の寂しさを垣間見ました。私も心を入れ替え折に触れ親父と言葉を交わしたいと、殊勝なことを考えました。体の具合が思わしくなく今回の法事を欠席した叔父や叔母の見舞いにも行きたいと思っています。

  「歳とりし 叔父や叔母見て 思うこと 若き頃見た 元気な姿」

  「ああ俺も 二十年すりゃ ああなるか 今のうちにぞ やらねばならぬ」

  「高齢化 目の当たりにて 見え隠れ 何処か侘しい 下り坂道」

  「孫たちを 抱いてあやして くれる叔母 わが子ダブらせ 抱きし日々」

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○今日は中秋の名月

 大人を考えるフォーラム第3回目の実行委員会が今夕午後6時から国立大洲青少年交流の家でありました。ああでもないこうでもないと議論しながら一つのものを作り上げてゆく作業は、その道に秀でた人の集まりだけに中々骨が折れます。でも今年度もいいプログラムができそうで案心しています。問題はいくらいい商品を企画しても売れないのではお蔵入りに終わってしまいます。どうすれば対象となる若者に受け入れられ参加する意欲を持たせるか、これからが思案のしどころ、腕の見せどころだと思います。

 午後8時に実行委員会が終り玄関先へ来ると、そこにはススキ、団子、梨やサツマイモなど、お月見の3点セットがきちんと並べて月に向ってお供えされているのです。聞けば国立大洲青少年交流の家では、施設利用者に季節の歳時記を楽しんでもらおうと、七夕様やひな祭りなどを季節に合わせて飾っているそうです。こうした施設職員の温かい思いやりを見てすっかり嬉しくなりました。月より団子の世知辛い世の中ですが、せめてこんな風流を楽しめる心の余裕を持ちたいものです。

 所長さんや課長さん、それに担当の職員さんが毎回駐車場まで送ってくれるのも嬉しいことです。「迎えるも大事、送るはもっと大事」といつもそれを励行している私だから分るのですが、車が見えなくなるまで送ってくれる姿が車のバックミラーに余韻を残すように写る姿に、いつもほのぼのとした思いを持って帰れるのです。所長さんや課長さんの教育がここまで徹底している職場も珍しいと、先日講演先で交流の家の話をさせてもらいました。

 玄関先を出て見上げた暗い夜空に綺麗な月がポッカリと浮かんでいました。聞けば中秋の名月だとか、忙しさにかまけすっかりその存在を忘れていたお月様に申し訳なく思いながら、手を合わせ拝みながらお月様を鑑賞
しました。交流の家の高台から見る月はまさに「月々に月見る月は大けれど月見る月はこの月の月」の名句に詠まれた立派なものでした。

 「月が追いかけてくる」ような錯覚を持ちながら月とランデブーをするように、約1時間弱の夜の道をわが家へ急ぎました。昔菅原寿々子の歌に「月がとっても青いから遠回りして帰ろう・・・・・・・」なんて文句があったのを思い出しながら肱川沿いを下りました。「折角だ」と思いつき出石の駅付近で左折して橋を渡り対岸の道を走りました。長浜大橋から月を見たかったのです。少し遠回りしましたが、車の通らない赤橋の上に車を止めて一人名月鑑賞です。肱川の夜風も爽やかで2~3分至福の時を過ごしました。

 伊予灘の海に出ました。国道378号を走り下灘漁港付近まで帰ったので、「海と名月」を楽しもうと思いましたが、残念ながら黒い雲が月を覆い見えなくなりました。それでも車を止めて約500メートルの突堤を歩きました。時折雲間から差す月明かりが海に写り何ともいえない光景です。私はこの海の側で生まれ育ったので、月が海に写る姿は子どもの頃からよく見ましたが、それは西の空にある夕日でした。今日は東の空の月でした。漁船に乗って見た少年の頃の記憶が蘇えってきて、柄にもなく少しだけセンチメンタルな気持ちになりました。

 家へ帰ると妻が月見よろしく芋炊きの料理で待っていてくれました。二人で食事しながら大洲の月、長浜赤橋の月、下灘海の月について話してやりました。食事が終わって二人でわが家の月を鑑賞して、今夜は幾つもの月を見れたことを感謝し床に就きました。

  「見る場所が 違えば月も それぞれに 愛嬌振りまき 違った顔で」

  「ささやかな 思いの飾り 人知れず 月に対する 心ほのぼの」

  「少しだけ 余裕できたか 月愛でて 心に染みる 季節移ろい」

  「名月と 夜のドライブ ランデブー 月も笑って 付き合いしてくれ」


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shin-1さんの日記

○この親にしてこの子あり

 4人の子どもを育ててみて子育ては難しいとしみじみ思います。私たちが少年時代の子どもを育てたのは昭和40年代後半から昭和の終りころまでです。勿論青年になって社会人になるつい最近までを入れると平成の殆どを子どもと向かい合ったり背を向けながら育ててきたのです。

 私の基本はしっかりしていて、小学校までは母親の抱きかかえる愛情教育、中学校からは父親の突き放す理性教育と、夫婦がそれぞれ分担を決めていました。勿論子育ては母親と父親が相互補完していましたので手を抜くことはありませんでした。

 家庭教育の基本は「この親にしてこの子あり」といわれるような親になろうと努力することです。私のような生まれながらの凡人は、親としての素養を持って子どもを生んだ訳ではないので、子どもの成長に合わせていい親になろうと努力や学習を怠らないことでした。子どもの反抗期や問題が起こっても決して目をそむけず、子どもたちに正面から向かい合って育ててきました。多分子どもたちが曲がりなりにも平凡ながら反社会的や後ろ指を差されるるような人間にならなかったのは、親のそんな生き方を肌で感じてくれたからだと思うのです。

 私たちが子育てした時代と今とは時間的にそんなに経っていないのに、子供をめぐる時代背景が大きく変わってきました。子どもの数が絶対的に減り学校も家庭も子どもどうしの人間関係が難しくなってきていますし、安全だった学校さえ門を閉ざさなければならない社会環境になっています。そのことが逆に子どもの自立を阻害することにもなって、今の子どもや親は可哀想だと思わざるを得ない雰囲気なのです。

 つい最近、「この親にしてこの子あり」という言葉の裏腹な「こんな親だからこんな子になる」という親や子どもを随分見かけるようになりました。先日ブログで書いた運動会の記事の中で紹介した、校門の外でたむろしながらタバコを吸う母親や、昼食の時間に弁当屋で買った弁当を食べる親子にもそんな雰囲気を予感させるのです。「母親が三人寄れば学校や教師の悪口」といわれるように、今の母親は学校や教師の悪口を子どもの前だろうが何処でもいい放題いいます。「あの先生は宿題を出さないから駄目だ」とか、「つい最近の学校は何を考えているのか分らない」とかくらいならまだしも、「今の学校はお金の使い方も指導できない」と、子どもの金銭教育の基本が家庭にあることを棚に上げてののしるのです。「あんたの家庭では人を褒めず、人の悪口しか子どもの前で言わないの?」と聞き返したくなるような言葉が、否応なしに子どもの耳に飛び込んでいるのです。

 教師や役所に勤める公務員も政治家も、こんなに悪い事をするのかといわんばかりにマスコミは連日のように報道し、そのことが社会のイライラ感を誘発しています。我慢を知らずに育った若いお母さんにとって子育てはストレスの最たるもので、子どもが学校でちょっと注意をされると逆切れし、風評被害をばら撒くどころか、教育委員会へ「あの先生変えて下さい」と平気で直訴する有様です。

 「こんな親だったらこんな子になる」という逆の方向から子育てを考えるショック療法が必要かも知れないと、10ヶ条を考えてみました。この10ヵ条は次のPTA講演会で試してみようと思っていますので、今日のところは伏せて置く事にしました。

  「この親を 見れば子どもの 顔浮かぶ いい親ならねば 子どもに被害」

  「不登校 色々原因 あり過ぎる まず親教師 そこから改革」

  「子とともに 学んで成長 する親に なるよう努力 みんなでしよう」

  「千円を 儲けるために 子を犠牲 千円以上の 落し物する」 



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