shin-1さんの日記

○久しぶりの感動

 私が講演に行く場所の殆どは過疎や少子高齢化が進むどちらかというと、元気がなくなりつつ場所が多いのです。特に限界集落などへ行くと集会所の電気までが点いたり消えたりするような元気のなさが目立つのです。しかも座布団や椅子が用意されても前の方はがら空きで、主催者のあいさつは「今晩は足元が悪くて人の集まりが今一で・・・」と切り出すものですから、余計寂しくなって元気の出る話をしようと意気込んでいったものの、空元気に終わるケースがよく見受けられるのです。

 昨晩は内子町の立山という集落の講演会に招かれました。何度かお邪魔したことがあるものの夜道ということもあって、立川公民館の前で役場に勤める稲葉さんと6時40分に待ち合わせ、7時からの集会に合わせました。事前に聞いていたこの集落の戸数は58戸とか、驚いた事に戸数の人数、つまり限りなく百%に近い60人程の人が時間前に集まり、何と1分前に集会は始まりました。参加人数、時間厳守とただこれだけでも久しぶりの感動でしたが、もっと感動は反応の良さでした。私のように年中出歩く人間は、会場の空気を一瞬にして読み取り、話に反映して行かなければプロとはいえないのです。まだ未熟な半プロで大した仕事は出来ませんが、少なくとも立山の集会の反応は凄いの一言でした。この集落は知的レベルの非常に高い地域のようです。

 会場には知り人の顔も多く見受けられ、「何だ若松、お前は未だにそんな話しかできないのか」と言われそうな緊張感漂う鋭い視線が注がれ、「さすが若松」といわれるような話をしようと必死で話しました。あいにく風邪を患っていたため、多少迫力には欠けたかも知れませんが、それでも90分の仕事を終えた後の別れ際は久しぶりの感動で実が震える思いでした。会場には私と同じ観光カリスマの一人野田文子さんも来られていたそうです。

 集会が終わってから旧友亀田慶孝さんのお家に立ち寄りました。亀田さんとは私が公民館主事として売り出し中の若い頃一緒に公民館活動をやった間柄で、その当時は宇和町の兵頭さん、長浜町の菊池さん、内子の亀田さんとともに主事集団「煙仲間」を組織して酒を酌み交わしながらふるさとづくりについて多いに語った間柄で、公私にわたってお付き合いしていました。その後別の道を歩んだためそんなに多くの出会いはありませんでしたが、お互い自由人となった今こそ親交を温めたいと思った矢先の先日彼から電話があり、昨晩の出会いとなったのです。

(巻き寿司を巻いて歓待してくれた奥さん)

 懐かしい顔の奥さんは私の来訪のために巻き寿司を巻き、水炊きを作って歓待してくれました。僅か1時間程の短い交歓でしたが、今までのこと、今のこと、家族のこと、将来のことなどを胸襟を開いて語り合いました。私の常に2歳前を生きる先輩の生き方を少し真似をしなければならない存在だけに、久しぶりの亀田家訪問はいい機会となりました。お土産に巻き寿司と見たこともないような自作の大きな白菜を4個もいただき、ほのぼのとして帰宅しました。

(私の一歩先行く旧友亀田慶孝さん)

 わが家に帰ってから妻といただいた巻き寿司を食べながらお茶を飲み、久しぶりに会った亀田家の話をしました。孫3人に囲まれて、集に3日自治センターに勤めながら山里で穏やかに暮らしている姿は羨ましい限りでした。やがてわが家も長男家族が帰って来るでしょうが、いい家族関係の家庭をつくりたいと思いました。

  「自立した 地域を訪ね 話する 戸数同数 参加に感動」

  「参加者の 笑顔が嬉しい はね返り 心ほのぼの 別れを惜しむ」

  「自立とは 自律なんだと わが事を 引き合いに出し 熱弁語る」

  「旧友も 山里暮し 板につき 幸せそうで ひとまず安心」

  

  

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○南海放送ラジオ出演

 最近私のスケジュールをコントロールする場所が出現しました。といっても急に出来た訳ではなく以前からあったえひめ地域政策研究センターという場所です。私はえひめ地域づくり研究会議という小さな団体の代表運営委員を20年近くも務めていますが、その事務局がこのセンターにあるものですから、私が現役の頃からリタイアして自由人になった今日までも、私の触覚として働いてもらったし今も働いてもらっているのです。そんな古い付き合いもあってセンターとは良好な関係を保ってきました。

 昨年はこの研究会議が発足20周年を迎えたため、記念行事を数こなすためスケジュール調整を随分してもらいました。20年で一区切りと退任を決意していた私でしたが、来年度に愛媛県で行われる地域づくり団体全国交流大会が行われるため、実行委員会が組織され行きがかり上抜き差しならぬこととなって、続投になってしまいました。そのスケジュールは既にコントロールされていますが、国土交通省の観光カリスマに選定されていることもあって双海町で今秋開いた観光カリスマ塾の現地事務局を無理を言ってセンターに置いてもらったため、そのスケジュールもコントロールしてもらったのです。

 かかわりの深いセンターには馴染みの深い研究員も沢山いて、大学での講話をお願いしたり、舞たうんという機関紙に連載記事を書かせてもらったり、私のスケジュールは今はセンターなしでは考えられないほどになっているのです。

 先日、清水研究員から唐突に南海放送ラジオの出演依頼が舞い込みました。テレビ向きでなくラジオ向きの顔をしていることもあって、一も二もなく引き受けましたが、その内容たるや先日カリスマ塾でやった夕日寄席をラジオでやるというのです。ディレクターはかつて夕やけコンサートでお世話になった乗松さん、DJは林さんというこれまた夕やけコンサートで世話になった人なので、気心知れている気安さから出演する事になりました。

(初舞台を踏んだ11月16日の観光カリスマ塾公演風景)

(めくりも高座のための移動舞台も立派に出来ました)

 午後1時35分から僅か10分間の出演でしたが、先週に清水研究員が出演して予告をしていたため、県内や町内から「あんたラジオで落語をやるそうな」と声や電話をかけられ、前人気は上場でした。

 道後にあった南海放送がデジタル時代に対応するため南海放送本町会館へ移ってから、度々テレビには出ているものの全て録画編集だったため、初めて放送局へ出かけました。ラジオ放送のスタジオはオープンスタジオ的な雰囲気で喫茶店の中で話しているような感じでした。慣れているので別にリハーサルなどすることもなくいきなり本番です。清水研究員が渡していた出囃子で私の落語ならぬ落伍のお喋りが約4分出ました。その後林さんと楽しいお喋りを5分間やって、あっという間に終わってしまいました。

 その間、戒田アナ、矢野ディレクター、江刺アナ、ララナカヤディレクターなどなど、懐かしい顔見知りの方々が次々見えられ近況を話しました。

 観光カリスマ塾の一プログラムとして始めた落伍と落伍ライブが思わぬ広がりを見せ始めました。私の書いた高座本「夕焼け徒然草」という本もまだ一般には出回っておりませんが、読んだ方々からは好評を得ています。始まったばかりのまちづくり落伍ライブは清水研究員や松本研究員の後押しで仕上がったものだけに、これからも彼ら言うがまま、甘んじて泳がさせてもらう事にしようと思っています。

 来春馬路村の木下課長さんからお声がかかっている講演会もひょっとしたらそんな悪ふざけで望んだ方が良いのかも知れないと、一人ニヤニヤしています。

 

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○着払いの贈り物

 先日私のパソコンに一本のメールが入りました。高知大学の学生である堀川奈津さんからです。堀川さんは高知大学に通いながら地域づくりのお手伝いに高知県奈半利町へインターン制度で入っている女性です。私の町双海町出身であることや、まちづくりの講演会がきっかけで知り合い、夏休みや春・冬休みで帰郷の際にわが家へやって来るほど熱心な方で、派遣された奈半利町では「なっちゃん」の愛称で呼ばれ重宝されている姿を見ると、双海町出身だけに思わず嬉しくなるのです。彼女は変わった経歴の持ち主で海外留学の経験もあり、普通の女性にはない研ぎ澄まされた感性を持っていて、未完の可能性を感じるのです。

 メールには彼女が入植している奈半利の山里で、自分が初めて作った米を食べてもらいたいというのです。多分私以外にも食べてもらいたい人が沢山いて、その「贈り物を届けたくても送料が高くて」ということだろうと思い、返信のメールを返しました。

 後日わが家に小さな贈り物が届きました。宅配業者は済まなさそうに「着払いなので千円申し受けますがよろしいですか」と断りを入れ、代金を受け取って帰って行きました。中を開けてみると米に加え柿とサツマイモが入っていました。彼女らしい便りが添えられていました。その日は私が出張するので食べることが出来ず、後日の試食となりました。ご飯に焚いて食べましたが、安心安全という思いのこもった、しかも作った人の顔を浮かべたご飯は特別な感じがして、妻と二人であれやこれや彼女の話を肴にして楽しく食べました。

 彼女は今年は確か4回生ですから来春は順調に行けば卒業の予定です。「冬休みには帰郷するので話に行きます」というメールに、「何か考えているな」と思いながら、間もなくやって来る冬休みを待っています。最近は大学で教えていることもあって、沢山の学生に出会うようになってきました。就職がままならなかった数年前に比べ、景気回復を反映してか就職へのアドバイスは減ってきたようですが、それでもまちづくりに関心を寄せる学生は増え続けて、卒論のテーマにまちづくりを選んでいる学生は沢山いて、指導をしている学生も数人いるほどです。時代は少しずつ動いているようです。

  「着払い 若者らしい 発想に 届いた荷物 開けて驚く」

  「作り人  顔を思いつ 箸進め 秋の夕暮れ 妻と会話す」

  「美味かった 返信メール 打ちながら 秋の深まり 風の便りを」

  「この頃は 学生たちと めぐり合う 卒論指導 頼まれたりして」


 


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○みかんが美味い

 私の住んでる愛媛県はみかんの産地で、和歌山県と1~2位を争うほどです。近年は和歌山にトップの座を奪われていますが、それでも秋から冬になると山全体がオレンジ色になり、美味しいみかんが沢山取れて果物好きな私としてはいい所に住んでいることの幸せをしみじみ味わっています。

 わが家はかつて半農半漁といわれるように、漁業と農業を兼業のような形でやっていました。兼業と言っても漁業が主でしたから、農業はそんなに手広くやっていた訳ではなく、4~5反程度の作付けでした。それでも母親は兼業のため忙しく働いていて、この頃になると寝る間を惜しんで働いていました。そんな母親の手助けを子どもがするのは当たり前の時代でしたし、親も子どもの役割をしっかりと受け止め小さな労働力に感謝の日々でした。学校から帰ると居間の黒板に母親が、「学校から帰ったら玄関横の背負子に肥料を荷造りしているので、池窪の畑まで来るように」と書かれているのです。遊びたい少年時代でしたから、時には見て見ぬ振りをして遊んで叱られたこともありましたが、それでも片道20分もかかる急な坂道を思い荷物を背負ってみかん畑に行ったものでした。道沿いのそこそこの畑には畑仕事で働く人が沢山いて、「坊は偉いのう」と褒められたりしながら、畑に着くと母は既に私の荷物を用意していて、そのみかん箱をまた背負子にくくりつけてもらい、みかん畑から元来た道をわが家まで引き返すのです。足が笑ったり、途中で腰を掛けて休んだりした場所を時折見る度に、昔日の懐かしさが蘇えってくるのです。

 みかんを食べる度に今は亡き母を思い出すの加齢のせいでしょうか。最近はみかんを食べなくなったとよく言われます。多分みかんしか食べるものがなかったから食べただけかも知れないと思うのです。私たちが子どもの頃は篭一杯のみかんもあっという間になくなるほど食べました。子どもの手はみかんを食べ過ぎてまるで黄疸ではないかと見まがうほど黄色くなっていたものでした。

 今はみかん以外のお菓子類が沢山あって、みかんに手を出す子どもは殆どいません。みかん産地ゆえにみかんが珍しくないからかも知れませんが、全国何処へ行ってもそんな話しを聞くのです。

 愛媛県に朝フルの会とというのがあって、私の友人たちがその運動を熱心に展開しています。昔から「朝の果物は金」といわれるように、朝の果物は健康に飛びっきりいいそうです。特に朝の空腹時に新鮮な果物を取ると美容にもいいそうで、無理してダイエットをする現代ですが、朝果物だけで過ごすと何と何と痩せるというのです。朝フルの会員さんはものの見事にその事を実証されているのですから、騙されたと騒ぐ高いダイエット食品などに惑わされることなく絶対にやるべきです。

 今は産地だけあってみかんがとても安く売られています。今年は夏の水不足もあって美味しいみかんに仕上がっていて、朝フルを始めるには最適かもしれません。果糖だとか言われて、果物が糖分の取り過ぎだとかいわれますが、朝フルの正しい知識を持ったら、たらふく食べても痩せるそうです。一度お試しを。

  「秋みかん たらふく食べて 太らない? 正しい知識 食べ方工夫」

  「食べる度 亡き母思う 今頃は あの世の何処を 旅しているか」

  「美味いねえ 愛媛みかんは 日本一 味を送った 北国便り」

  「お百姓 みかんが安いと 嘆いてる 人に任せて 自分は何も」 

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○丸亀市からのお客様

 先週の土曜日、香川県丸亀市飯綾商工会の皆さんが双海町へ視察にこられました。前日からの泊り込み研修を早朝に引き上げてお約束の10時30分まではまだ少し時間があるだろうと準備をしていると、既にバスが到着し早々と研修がスタートしました。時間に遅れる団体はげっそりしますが、時間を早くする団体は珍しく、こちらも気合を入れて予定の1時間ばかりを話させてもらいました。双海町視察の動機は、私が7月19日に香川県商工会連合会の招きで講演したことがきっかけのようでしたが、商工会も市役所も土曜日は休日とあって視察の受け入れが出来ないと断られたため、私に直接電話がかかり、私も午前中は伊方町での特産品開発フォーラムの帰路に着き時間でしたが、朝早く切り上げて対応したという訳です。

 しかし最近特に感じることですが、土曜日や日曜日は役所や団体に勤める職員は休みであることは充分理解できるのですが、相手たる人たちにとっても土日は日程が空くため、視察に行きたい日程なのです。観光にとってこのミスマッチは視察に来る人に合わせない限り効果が出ない事を、その仕事に携わる人たちはもっと心がけるべきではないかと思うのです。残念ながらそうした使命感もなければ緊張感もなくて、自分に相手を合わせようとしたがるのです。

 今回はたまたま私に電話をかけるという相手の配慮で、バス1台のお客をゲットしました。視察研修ですから資料は配らなければならないし、トイレは使われるし、余り実入りがないとお思いでしょうが、その点丸亀市飯綾商工会の方々はしっかりとわきまえていて、昼食を道の駅のレストランで食べていただきましたし、ジャコ天やお土産もどっさり買ってもらったと、特産品センター界隈のお店からお礼を言われました。

 「地域の活性化のためには」などと大上段に振りかざして立派な御託を並べるのもいいのですが、足元の行動が伴わなければバス1台のお客は両手の指の隙間からどんどん逃げてゆくのです。

 先日地元紙が「夕日の博物館苦戦」という記事を書き、波紋を投げかけました。取材を受けた担当課のコメントが載っていましたが、まるで他人事のようでした。少なくとも私は夕日のミュージアムの名誉館長ですから、取材を受けさせて欲しかったし、もっとましなコメントを発することは出来たと思いました。こうして書いたブログ記事も病まれることもなく、ましてや対応することもなく聞き流し情報、見てみぬふり情報となってゆくに違いないのです。

 でも私は、このシーサイド公園を造った張本人ですから、誰が何と言おうと思い入れを強く持って、土日や夜など関係なく集客に努力していく覚悟であることは宣言しておきたいと思っています。

 今日も10人ほどが双海にやって来ます。昨夜来の風雨で海岸に沢山のゴミが漂着し、景観を損ねているようなので、朝早く散歩のつもりでシーサイド公園の清掃をやりました。運悪く雨が降っていましたが、運良く河童を持参していたため濡れなくてすみました。妻からは「風邪の症状がまだ回復していないのに」と、散々小言を言われましたが、不思議なもので暖房の効いた部屋では治らなかった風邪が、潮風や寒風に晒され少し良くなったのですからおかしな話です。要は病気は気からでしょうか(笑う)。

  「久しぶり 海岸清掃 雨の中 風邪の薬か 少し快方」

  「土日など 視察は駄目と いう役所 交流人口 増やすというが」

  「バス1台 私が対応 するだけで 飯と土産が 転がり込んで」

  「思いなき 人だと客は 逃げてゆく 人もお金も 愛さえあれば」


 

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○人権・同和教育に招かれて

 先日伊予市の人権・同和教育に招かれ出かけました。「このところ人権や同和教育の現場から遠ざかっているので講師を辞退したい」とお断りをしたのですが聞き入れてもらえず押し切られ、しぶしぶ出かける事になりました。しかし、人権や同和と聞いて臆するようではまだ偏見が残っていると取れれても仕方がないし、どうせやるなら思い切って話そうと、柄にもなく資料を用意して積極的な参加となりました。この学習会は月1回のペースで1年間を通して学習しており、人権同和のスペシャリストである米田先生が何度も講義をしているので、私はもっと別な方法をと考えました。そこで考えついたのが笑売啖呵です。私は毎日ブログを書いていますがその末尾に4首ずつ笑売啖呵を添えています。まあ俳句の世界でいうと川柳のようなものです。これは私が編み出した独特のものなので、私が勝手に名前を付けた本家で家元?なのです。

 この日のためににわか作った7首を加え37首を用意しました。本当は40首を予定しましたが、私の話を聞いて38、39、40番目を参加者に作ってもらおうと思って、意識的にその番号を空白にしたのです。

 1-①汗をかき ゴミ掃除する われを見て あんたも勉強 せんとあの人

 この句は私がシーサイド公園の人工砂浜を掃除をしていて本当にあった話です。その日私は前日が日曜日で多くの海水浴客が訪れたため、普通の朝より早い朝4時から掃除に出かけました。粗方のゴミを集め終えたので空き缶を持って階段式護岸を汗をかきながら登っていました。そこをトイレに行く親子連れが通りかかりました。若いお母さんと子どもはまだ小学生という感じでした。お母さんはその子どもに綺麗な海水浴場である事を話していましたが、突然私を指差し小声で「あのおじさん見てごらん。朝も早くから起きて汗をかいてドロドロになって、あんたも勉強しないと、あのおじさんのようにゴミを拾う人になるよ」と言って聞かせているのです。ゴミを拾う私は勉強しなかったからゴミを拾っているのでしょうか。何気ない親の一言が職業差別を生んでいるのです。職業に貴賎はないはずです。もしこの親がこのおじさんの行動があるからこの砂浜は美しいのだと褒めるなら、どれ程の環境教育になることでしょう。

 1-②モンペ履く おばさんすかーと イヤリング いつの間にやら 奥さんオホホ

 これも人の値打ちを外見で決めるような一句です。田舎のおばちゃんはモンペを履いて地下足袋、頭には日除けの赤頭巾ちゃんのような帽子を被ります。そして田舎のオープンカーと呼ばれる軽四トラックに乗って行動するのです。そんな折は恥も外聞もなく田舎の言葉で話し大笑いをします。ところがどこかへ出かけることがるとスカートを履き耳には重たいくらいのシンチュウの光物を付けて出歩くのです。まるで唐辛子を塗ったような口紅で厚化粧したその口元をとがらせ、手を添えてオホホと都会笑いをするのです。まさかあの田舎のオープンカーに乗っていた同一人物とは思えない、田舎を隠す標準語の仕草です。田舎に住んで何が悪い、方言のどこが悪いと言ってやりたい自己変革の意識をどこかで変えない限り、自分を都会という一見格好いいものにカモフラージュして生きて行かねばならないのです。

 4-①絶対に 言うなと言うと 言われんと 次々広がる 噂の話

 「ここだけの話なので、あなたにしか言わないので絶対人には言わないでね」と、根も葉もない噂話が広がって、自分の知らない間に村中噂が広がることが往々にしてあります。その噂の震源を辿ってゆくと殆どの人が「言ったらいけない」と口止めして次の人に言っているのです。「それは事実無根だ」と止める勇気を持つべきなのについつい口車にのって噂を広める片棒を担いでいる事になるのです。真実と違うことや言ってはいけない事をしっかりと見極め、言っている人をなだめる様な勇気ある人になりたいものです。

 今までの学習はどちらかというと、聞くこと、読むこと、見ることに集中したものが多かったように思います。これは受動的な学習で、書く、喋る、実践するといった能動的な学習に変化させてゆかないと心の変容は望めないと思いました。講義が終わって早速皆さんに笑売啖呵を作ってもらい発表してもらいましたが、中々の秀作が出来ていたように思いました。

  「話し聞く 学びだけでは 進化せぬ 能動的な 学びが欲しい」

  「沢山の 人集まりし 集会に 私の持論 啖呵に託し」

  「参加者の 中に馴染みの 人ありて 笑顔で反応 嬉し恥かし」

  「暗闇に 灯りの点きし 集会所 難し話 笑って話す」

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shin-1さんの日記

○カリン酒と漬物の漬け込み

 今年は夏が異常に暑かった上、夏から秋にかけて瀬戸内では尼らしい雨が降らず、家庭菜園は野菜の水分補給が不足気味で生育が極めて悪いようです。特に大根は師走に入ったこの頃は、例年だと大きく太り過ぎた大根が収穫できるのですが、今年の大根は小ぶりです。でも沢庵にするには程よい大きさのようで、4~5日前に親父は大根を抜いて収穫し、水洗いをして干し場に干しました。風も適当に吹いて漬け頃だというので、妻は仕事が休みの今日、樽の中に漬け込みました。10日もすればおいしい沢庵が出来上がるもの思われ楽しみが増えました。

 一方近所の方から貰った30個ほどのカリンは、もらった時はまだ真っ青で色もついていませんでしたが、4~5日ナイロンの袋に入れておいたせいか、色も黄色くなり、皮に糖分が滲み出て手につくようになりました。

 あらかじめ買っておいた焼酎と砂糖を漬け込む広口瓶に入れてその中へカリンを粗切りにして入れるのです。毎年行っている作業ですから手馴れたものなのですが、それでも石のように固いカリンを輪切りにするのは容易なことではないのです。妻が私の切ったカリンをビンの中に入れるのですが、今年は4本出来ました。出来たカリン酒は梅干しと同じく今年の夏に池を改良して出来た地下室へ入れました。多分春先には琥珀色の綺麗なカリン酒が出来る予定です。

 風邪で喉を痛めているので、その特効薬として盃一杯のカリン酒で喉を手入れしているのですが、酒を飲まなくなった私にはどういう訳かまるで養命酒のような独特の臭みが鼻について飲みにくい飲み物となってしまいました。そのためでしょうか、酒を飲んでいた頃はカリンの効き目がかなりあったのですが、今はここ2~3日試しているのに、一向に効き目が現れないのです。

 一昨日伊方町へ行く途中、大洲市長浜町で薬局を営む顔見知りの村上さん方へ立ち寄り、薬を調剤してもらいました。そのうえサービスで葛根湯のようなものをタダでご馳走になりました。薬はえらいもので2日間は随分楽だったようです。でも薬がなくなり、今晩から明日にかけて、少し心配をしています。注射の嫌いな私に風邪を治す特効薬をどなたか教えてください。

  「うがいして 薬を飲んで カリン酒で 全てやっても 未だ治らず」

  「雨降らず 大根の出来 今一だ でも沢庵なら 一級品」

  「石のよに 硬いカリンを 包丁で 小切り漬け込む 焼酎匂う」

  「カリン酒の 匂いがきつく 感じます 昔飲んでた 人と思えず」 

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○大掃除

 11月の日程がかなり忙しかったため、書斎がかなり煩雑になって気になっていました。普通気心の知れた仲間たちは厳寒のチャイムを鳴らして来宅したことを告げても直ぐに裏に回って私の書斎へやって来るのですが、足の踏み込む場所もないほどだったので、妻から再三再四注意を受けていました。昨日は伊方に泊まって10時ごろに帰宅して、午前中丸亀の商工会の視察を受け入れ、午後は松山へ出て青年の船の班長会が来年は愛媛であるため、その打ち合わせで道後へ行き、帰りにギノー味噌に立ち寄って商品作りのミーティングを行い、帰ったのが夕方遅くでした。折りしも娘の家族が泊まりに来ていて、私の体調が風で優れないことから、今日一日は書斎にこもって、ブログ書きの整理や原稿書きで殆ど外へも出ずでした。

 時折孫朋樹が部屋をのぞいてちょっかいを出しに来るのですが、私が忙しそうに振舞っていたため諦めて今へ帰ってゆくのです。そのうちわが書斎にあった良く飛ぶ竹とんぼが孫の目につき少しの間相手をしました。孫は5歳になったばかりでまだ竹とんぼを上手く飛ばせないようでしたが、コツを教えると次第に上手くなって、汗をかきながら一生懸命練習したお陰でどうにか飛ばせるようになったものの、最後には屋根の上に上げたり、塀を乗り越えて田んぼに落ちたりするのです。その都度泣きべそをかいて「おじいちゃん、竹とんぼが無くなった」と書斎に入ってくる有様で、お陰で屋根の上2回、田んぼ3回、しかも飛んだ場所が分らないだけに探しようがなく困りましたが、運良く見つかりました。孫は最初家へ持って帰ると張り切っていましたが、マンションでは竹とんぼも満足に飛ばせるような場所はなく、結「局おじいちゃんが今度来るまで預かる」という約束で一件落着し、夕方7時前に松山へ引き上げて行きました。

 さてそろそろ掃除をと始めた掃除も、捨ててはならない資料が沢山あり過ぎて、掃除になったのかどうか分らないようでした。それでも大きなゴミ袋が3個も出来て、整理整頓の効果はあったようでした。お茶を入れてくれるため時折訪れる妻も、「まあ綺麗になった」と褒めてくれました。子どもじゃああるまいし褒めてもらったからといって喜べるものではないのです。

 私の悩みは何と言っても来たハガキが多過ぎるということです。一ヶ月もするとおびただしい量になります。一日三枚のハガキを出す私に来るハガキは結局捨て切れずダンボール箱のご厄介になるのです。そのハガキもそのうち整理をと思うけれど、そんな余裕は目下のところあるはずもなく、「そのうち、そのうち」で月日が経ってしまうのです。でもどこかで整理をしないと、二年半前の役場生活35年の名刺のようにダンボールの箱ごと焼却処分をしなければならなくなるのですから、やはり整理整頓をしたいと思っています。

 風で体調が思わしくないので、妻が今日から書斎にストーブを入れてくれました。石油ストーブですが今日は近所で電気工事が行われるらしく、朝から昼間で停電とかで、予告どおり9時きっかり停電となりました。幸いファンヒータではないので、わが書斎の石油ストーブは一日中赤々と燃え、ストーブの上に置いたヤカンからは鈍い湯気が立って書斎全体に湿気をもたらせてくれました。

 机の上もすっかり綺麗になりました。明日からは心を入れ替えて少し整理整頓をするよう心がけたいと思っています。三日坊主にならなきゃ良いのですが・・・・・・。

  「綺麗にと 思って始めた 自由人 気がつきゃ今も ちっとも変わらず」

  「疲れたな 風邪が長引く われを見て 妻も私も 見立ては一緒」

  「いい仕事 する時きゃ部屋は 片付くものだ 選ぶことなど 出来ない故に」

  「出てきたぞ 小金の入りし 封筒が 今日の掃除は 得した気分」 

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○伊方でのミニフォーラム②

伊方でのミニフォーラムが行われたのは旧瀬戸町のアグリトピアという立派な施設でした。私も色々な地域活性化の施設へお邪魔していますが、この施設は宿泊棟を備えた何処にもないような素晴らしい研修施設なのです。その施設からは瀬戸内海と宇和海という二つの海が見事なまでの眺望として見えるのです。私は見慣れていますが、初めて訪れた久万高原町の坂本さんなどは感激していました。

 この日は海も穏やかで、周辺には沢山の風力発電風車が音もなく回っていました。電源の町に相応しく近くには原子力発電所があって、かなりの集客を誇っていますが、残念ながらこまではその影響が及ばないようです。

八角形の研修施設での研修会は盛況でしたし、地元の方々の発表会も中々良かったようです。

(名刺交換し、交流会ですっかり意気投合した林詳子地域再生マネージャー)

 研修が終わってロビーで交歓交流会が行われました。車で来る以外来れない場所だし、帰ることも帰らない、ましてや酒を飲むと運転できないので、ウーロン茶がかなり売れたようですが、それでも昼間の研修で聞けなかったことなどについて盛んに質問が出されました。研修会で名刺交換した人の中にANA総合研究所地域再生マネージャーとして、宇和島市役所商工観光課に派遣されている小林詳子さんという方がいました。ついぞや見かけぬ都会風の方なので、お互い大いに盛り上がった話をしました。また浅野果樹農園の代表を務める浅野洋海さんとも面談しました。浅野さんのお兄さんは国立大洲青年の家の職員で、私友人なので盛り上がった話をしました。これらの方々に出会っただけでも今回のこのフォーラムに参加した意味はあったようです。なぜなら次の出会いや発展が望めるからです。小林さんは全日空という企業、浅野さんは地元の農家です。天と地に生きている人を対比しながら、そこから新しい生き方が垣間見えるに違いありません。



私と松本さん、そして塩崎さんと高月さん、また地元の浅野さん兄弟を交えた2次会ともいえる深い交流が、宿泊施設を借り切って午前2時までも延々と続きました。まちづくりから人生とは何ぞやまで、様々で広範多岐な話に酔いしれながら、私は風で体調不良にもかかわらず不良人間に捕まって、体力の限界に挑戦したのですが、残念ながら私は明くる日の仕事の都合もあって12時過ぎにベットにもぐりこみ、みんなの話を子守り唄に、また深夜からは大酒を飲んだ人のいびきを子守唄に眠られぬ一夜を過ごしました。

 塩崎さんが作ってくれた美味し過ぎるイセエビの味噌汁を食べて、名残尽きないアグリトピアを後にしました。

  「何億の 投資してるか この施設 活用妙案 容易でないな」

  「いいことと できることとは 違うはず 理想だけなら 屁の方がまし」

  「酒を飲む 気心知れて 友となる 酒や止め俺は 友も少なし」

  「来ぬ人に 売れる発信 探し売る それがなければ 地域は起きぬ」 

 

 

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○ 伊方でのミニフォーラム①

 三崎半島には昔からトッポ話という民話があって、その幾つかを聞いたことがありますが、実に面白いものです。特に方言でトッポ話を聞くと味があるものの、残念ながら日本全国が標準語になった現代では、言葉が通じないもどかしさがあるようです。

 三崎半島に住む伊予の国の人が駿河の国に住む人と話をしたそうです。駿河の国といえばご存知日本一の富士山ですが、駿河の国の人は伊予の国の人に対して富士山の自慢話をしました。さも自分が富士山を自分が作ったような言い方に腹の虫が治まらない伊予の国の人は何かないかと考えたそうです。とっさに思いついたのが三崎半島のことでした。「伊予には富士山に負けるとも劣らぬ日本一細長い山がある」と自慢し始めました。駿河の国の人は伊予の国の人の余りの自慢話に腹を立て、「そんな話は聞いたことがない」と反論するのです。

伊予の国の人はすました顔で「その山は高さが13里もあるが、細くて倒れると面倒なので寝さしている」といったそうです。信じがた話ですが、これがオオボラ吹きのような根も葉もないトッポ話なのです。

 この話の通り三崎半島は細長くまるで魚の骨のように幾つもの入り江や岬を持った半島なのです。20年以上も前までは三崎半島は不便な地域で三崎巡りの小さな船が村々にある港を巡っていました。しかし危ないから197(イクナ)酷道と揶揄されるような国道に変わって頂上線が開通し、一気に便利になったのです。以来この国道は潮風メロディーラインと呼ばれるようになって、豊かな自然が見直されるようになってきました。

 合併前の10年間くらいは、三崎町、瀬戸町、伊方町、保内町それぞれの町が様々な努力をし、ハードやソフトを充実してきましたが、残念ながら決定的なホームランやヒットを打つくともなく、平成の大合併で第1章を終えたようです。

 昨日の集会は設立され既に活発な活動を展開している佐田岬ツーリズム協会が主催し、えひめ地域づくり研究会議が共催となって開催しました。佐田岬資源開発フォーラムと銘打ったこの会議には地元を中心にして約60人が集まり、研究をしてきた成果の発表や講演を聞きました。

 特産品の発表で出てきた特産品は清見ゼリー、シフォンケーキ、おさつチップス、つわの粕漬け、ヒジキ、みかんジャム、コヤ豆、金太郎芋、ジャコカツ、ジュース、佐田岬ロール、うに饅頭、クロメ塩、粒ウニ、しらすせんべい、水晶ちりめん、かえりちりめん、清見ジュース、ボラメから揚げ、金太郎焼き芋、いりこさつま、権現味噌、いも餅、紫いもまんじゅう、イモの粉せんべい、かんころ、さつまいもなどなど、凄い量の特産品が勢揃いしました。

 私の話は【地域資源を生かす観光】、~地域活性化になる商品づくり~でした。私は少しの角度を変えて話しました。新しい発想で生きるためには何が必要かまず次の10とポイントを上げました。

  ①何もないと思えた地域資源に着目(ユズ・葉っぱ・野菜・夕日)

  ②反対や失敗への奮起

  ③人と地域を巻き込む仕組みづくり(特に高齢者)

  ④経済基盤の確立(食える)

  ⑤自然環境の商品化(マーケティング)

  ⑥情報(パソコン・したたかな情報戦略)

  ⑦物語性

  ⑧行政巻き込み

  ⑨目標を持つ

  ⑩アントレプレナー(起業家)

 次いで消費者四つのパターンについて話しました。どうすればこれらの消費者に金を払わせるか考えることです。また分裂型消費者と無価値消費者を足すと78%の人を風評被害で風評効果に結びつけるかがポイントのようです。

  ①いい消費者(理念が分り金を払う人)5.5

  ②健康志向型消費者(理念を分ろうと学習し納得すれば金を払う人)16.5%

  ③分裂型消費者(理念に関係なく安ければ買う人)55.0

  ④どうしようもない消費者(無関心で食べ物でなくえさを食べる人)23,0%

  「いい話 聞いてもその時 だけの人 これでは地域 起きる訳なし」

  「特産品 沢山作りは したものの 誰が売るのか ゴミになるかも」

  「殆どが 風評被害を 作る人 裏を活かせば 風評効果」

  「来た人を 相手にすれば 売れはせぬ 来ない人にも 買ってもらおう」

 

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