shin-1さんの日記

○信じて飲むと鼻糞でも薬になって効く

 今年はインフルエンザ流行の速度が例年い比べ1ヵ月ほど速いようで、県内の学校でも学級閉鎖が始まっているようです。昔から「馬鹿は風邪を引かない」といわれていますが、今年は馬鹿な私さえ風邪を引いたのですから、まんざら馬鹿ではなかったようだと少し安心しています。でもこの先月末の一週間は鼻水は出るわ、タンは出るわ、、おまけに咳き込んで最悪な状態でした。そんな体調の悪い時でも、仕事は休む訳には行きません。仕事といっても私の場合は既にリタイアの身なので仕事と言えるかどうか分りませんが、講演予定がぎっしり積んでいて何ヶ月も前からタイムスケジュールが組まれ、人を集めているのですから、そうそう休むわけにはいかないのです。滋賀県のルッチ大学と伊予市の人権教育、それに佐田岬半島ミニシンポジウム、それに南海放送ラジオに出演した1週間は大変でした。それでも妻の手厚い看護と周りの人の気配りによってどうにか日程をキャンセルすることもなく切り抜けることが出来ました。関係者の皆さんに厚くお礼申し上げます。

 そんな風邪の中で佐田岬半島ミニシンポジウム行く途中、長浜町の村上薬局へ飛び込みで立ち寄りました。ご主人とは昔一緒に酒を飲んだ間柄ですが、それほど深いつながりがある訳ではないにも関わらず、私のために薬を調剤してくれましたが、ニンジンエキスの入った温かい飲み物をサービスしてくれました。そのニンジンエキスが効いたのか、その日の泊り込みの研修会は随分楽になって大助かりでした。その後も体調は今一だったのですが、国立大洲青少年交流の家での泊り込み研修に出かける私のために、妻は早速効いた薬を買い求めにわざわざ長浜の村上薬局まで足を運んでくれました。ニンジンエキスとそれを飲む専用カップまでサービスをしてしてくれたと感嘆しきりでした。

 昨晩大洲から二日ぶりに帰り食事をしていると、聞き覚えのある村上薬局のご主人から電話がかかってきました。「風邪の調子はどうだ」「薬は聞いたか」です。よくよく話を聞くと、松山への帰り道でシーサイド公園辺りまで帰っているらしく、私の風邪が気になって、咳止め薬を持って来ているので家まで届けたいというのです。驚いた私は電話で自宅の場所を教え、表の道路までいただきに出ました。何という気配りでしょう。涙が出るほどの嬉しさです。私も感激して結局お金を払うことさえ忘れ、村上さんは奥さんと子どもを乗せて暗い夜道を長浜の方面へ帰って行きました。

 あっという間の出来事だったためあっけに取られてしまいましたが、ここにも小さいながら大きな気配りの出来る人がいるものだと感心しました。

 私は注射が大の苦手ということが理由で定期健診以外は病院へは行きません。したがって予防注射もしないし、ぎっくり腰や風邪などで体が悪くなっても滅多のことでは病院へは行かないのです。加えて酒も止めているので薬の効き目がよく、薬を飲めば風邪は治ると信じているのです。まさに「信じて飲むと鼻糞でも薬になって効く」のです。そういう意味からいうと今回偶然にも飛び込んだ村上薬局は私にとって強い味方となったに違いありません。ましてやまるで医者のように私の体を心配して薬を届けてくれる薬剤師はいない訳ですから、これからもせいぜいご愛用したいものだと心に誓いました。

 長浜町の村上薬局さん有難うございました。「鼻糞も信じて飲むと薬となって効く」というのは戯言で、村上薬局の薬は正真正銘よく効く薬でした。(村上薬局応援コマーシャルでした)

  「俺のため わざわざ薬 家にまで 届けてくれた 有り難薬屋」

  「昔から 注射が嫌い その顔で 信じ難いが 本当の話」

  「薬にて 風邪を治した 今回も 次も薬で 治ると信じ」

  「この次は 頭良くなる 薬くれ そんな薬は ないと薬屋」 

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○青春とは③

 昨日までの二日間、国立大洲青少年交流の家で開催された「大人を考えるフォーラム」に参加して、数学者秋山仁さんの話を聞きましたが、秋山さんは自分の目の前にいる参加者に対し、盛んに「青春とは何か」を力説されました。63歳になった私も常々考えているテーマであるので、サミエル・ウルマンの書いた「青春」をいつも愛読し、そうありたいと心に念じながら63年間生きてきました。最初に「青春」という言葉に出会ったのは、松下幸之助さんがPHPの創刊号に「青春とは心の若さである。心に望みを持って生きれば青春は永遠にその人のものである」と書いていた一節でした。折に触れその汚れた切抜きを貼り付けたノートを開いては、青少年教育にいささかなりとも関わった故を持って多くの青少年に青春の大切さを説いてきました。そして20数年前自らが主宰した21世紀えひめニューフロンティアグループの旗揚げの時も、「今やれる青春」「一年一事業」「社会への揺さぶり」という三つのテーマの一つに「青春」という言葉を入れ、20数年後の今日まで活動を続けて来たのです。その間サミュエル・ウルマンの「青春」という言葉の深い意味にも触発されて今日まで生きてきました。秋山先生パワーポイントで示す岡田義夫が翻訳した「青春」の一節をメモ用紙に走り書きしながら、感慨にふけりました。

 「青春とは、人生のある時期を言うのではなく、心の姿をいうのである。すぐれた想像力、燃える情熱、卑怯を退ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう姿を青春というのである。歳を重ねただけでは人は老いない。理想を失う時に精神は萎む。希望ある限り若く、失望とともに老いる。大地より、神より、人より、美と喜び、勇気と壮大、偉大と霊感を受けている限り、人の若さは失われない」(略)

 「青春」という画面から次の画面にパワーポイントが変化展開する中で、暗唱している言葉を記憶の中から引き出してメモ帳に記録しているのを、帰宅後封筒から取り出して読んで見ましたが、殆ど大差なくメモをしているようでした。

 私はこれまで、様々な人に会い、様々な言葉や行動に出会って、それなりの感化を受けて自分の生き方を組み立て生きてきました。吉田松陰、孔子、相田みつを、大前研一、本田宗一郎、船井幸雄、斉藤茂太などなど共鳴する名言に自分の生き方をダブらせ自分の戒めとして生きてきたようです。

 そして55歳の時に自費出版した「昇る夕日でまちづくり」には、自らが考え出した幾つかの言葉を巻末に「若松進一のことば」として載せました。出版しその後二版目を発行した時も「若松進一のことばpart2」として追加しました。出版して長くなりましたが、それでも時々出会う友人やメールには「あなたの言葉を引用しました」などと嬉しい反応があるようです。

 これからも、サミュエル・ウルマンの「青春」ほど多くの人に愛され感化を与えるものではないにしても、汗して生まれた論理の中からオリジナルなオンリーワンな言葉を育てて行きたいものだと思いました。

  「若き頃 読んだウルマン 青春と いう名の教え 今も心に」

  「今の世は 歳は若いが 心老ゆ 人の多くて 活気感じず」

  「これからも 青春しよう 念じつつ 今朝早起きし ひたすら続け」

  「体力を 鍛えて青春 宿るよう 背筋伸ばして 鉄棒すがる」 

 

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shin-1さんの日記

○10年間のライフデザイン②

(私がコーディネーターを務めた「色々な種を知ろう」というパネルディスカッションでのパネラーの話)
(パネラーの話を聞く参加者)
(四つのブースに分かれての討論)

 確か一昨年も昨年も「大人を考えるフォーラム」に実行委員として参加して、八幡浜高校の堀田校長先生の指導を受けて、十年後の自分へと十年後の自分から手紙を書いたような覚えがあります。というのも、いきなりこのフォーラムに参加している高校生や大学生、勤労青少年に十年後の自分へと十年後の自分から手紙を書きなさいといってもそれは藪から棒だと思った堀田校長先生は、サンプルのつもりで私に簡単な手紙を書いて発表するようその場で依頼を受けました。その手紙を参加者の前で例題として読んで聞かせて作文作業に入ったのですが、フォーラムの最終ラウンドなのでみんな真剣に書いていましたし、素晴らしい発表で感心しました。

 昨年の手紙は既にブログで書いていると思われるのですが、一昨年の手紙を思い起こしながら私は十年後から今の自分に手紙を書きました。

(フリートーク「私たちの種って?」。ワークショップ「種を見つけよう」。ワークショップ「種を育てよう」の熱心な議論)
(十年後の「私から今のあなたへ」手紙を書き発表する参加者)

 「大洲青少年交流の家で自分に手紙を書いたあれから早11年が経ちました。リタイヤして間もなかった私も今では73歳のおじいさんと呼ばれる年齢になっています。でも10年前のあの日数学者の秋山先生が「青春とは心の若さだ」と強調されたように、今も「今やれる青春」を謳歌しているこの頃です。

 私は11年前三つの事を十年後まで続けようと心に決めていました。その時若者たちは公認会計士や学校の先生や設計士になりたいなどと具体的な目標を書いていたようですが、私は十年後の大それた夢でなく、まるで尺取虫のように「ただひたすら続ける」ことを目標にしていたようです。それは一年前の11年前から考えていた目標だったのです。でも不思議な事に考えた一年後には三つの続けることのことごとくを既に手に入れていたのですから驚きです。つまり一つ目の人間牧場(水平線の家・ロケーション風呂・ツリーハウス{は既に一年後には完成していましたし、十年経った今も年年歳歳素晴らしい成果を上げているのです。二つ目の本を出版する目標も一年後既に落伍高座本地の書が出来上がっていましたし、目標だった水の書・火の書・風の書・空の書という五部作も全て完成し、一日2本のブログも拙文ながら未だに続いており、130冊余りの月別にプリントアウトされ、人間牧場の書棚に並んで来訪の友人たちが楽しそうに読みながら当時を振り返って読みふけっているようです。

 またあの時20年目だった一日3枚のハガキを書くという日課も、今年で三十年の節目を迎えるのです。

 凡人ゆえ私にはもう富士山のような高い望みは持ちようがなく、せめてアリのような人生を過ごすことくらいは出来るかも知れないと、これからも今を通過地点と思っているのです。こんな小さなことながら続けてきたしこれからも続けられる私は素晴らしいし、私は馬鹿な天才だと思っています。十年前の自分へ 若松進一より」

 堀田先生の求めに応じて即興で今日短時間で書いて読んだ手紙でしたが、私の進化論は「ただひたすら毎日続ける」というささやかな目標を、もう少し頑張ってみようと思いました。人間はどこかで立ち止まったり、何かのきっかけがなければ自分の生き方や将来について考えないものです。今回の「大人を考えるフォーラム」では、そんな立ち止まりや気付きのきっかけだったと、日頃あくせく働く自分自身にとっても充実した二日間になりました。

「種」という今回のキーワードもいいテーマだったようで、それぞれの人の話を聞いて、自分の体内にある種について整理できたことは大きな収穫だったようです。

  「私には 幾つあるのか 種の類 蒔いて生やそう 新たな決意」

  「天職と 思ってやって きた仕事 自分にだけしか 出来なかったな」

  「失敗を こうして乗り越え 夢掴む 語る言葉に 人の努力が」

  「立ち止まる 自分というなの 人間に 語りかけるも 悪くはないな」 

 

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○大人を考えるフォーラム①

(開会式で挨拶する所長さん)

 国立大洲青少年交流の家が主催する、「大人を考えるフォーラム」の実行委員長を頼まれてやっているため、昨日と今日の二日間は、交流の家へ缶詰にされて、その企画と運営に携わり、今夕やっと無罪放免になってわが家に帰って来ました。普通であれば一泊研修といえば24時間の研修会が常識ですが、昨日の11時に開会式が行われ、閉会式は15時30分、しかも終了後第4回目の実行委員会を行って反省評価をするという念の入った集会で、わが家に到着するなり妻が「こんなに遅くまで何をしていたの?」と不思議がり心配をして、途中で携帯で居場所を確認してくれました。正直長丁場で責任もあるし疲れはしましたが、それでも所期の目的を達成し爽やかな研修会であったため、長旅の疲れはなくすっきりしているようです。

(数学者秋山仁先生の記念講演、「天職を探せ-自分にしか出来ない仕事、それが天職-」に聞き入る参加者)
(秋山仁先生を囲んで実行委員会のメンバーや講師陣)

 それにしても世の中には達人という人はいるもので、昨日の初っ端の講演は度肝を抜かれるようなお話でした。テレビで御馴染みのとかいわれますが、私はそんなにテレビを見ていないので名前くらいしか知らなかったのですが、数学者の秋山仁先生の話は難しい話を分りやすく話す点では、最近10年間で聞いたどの人の話よりも心を打たれる、分り易い話だったように思うし、参加した殆どの方がそんな好感を持って帰ってくれたようです。

 プロフィールには次のような紹介文が載っていました。【1946年東京生まれ、理学博士、数学者、上智大学大学院数学科を修了後、ミシガン大学数学客員研究員、日本医大助教授、東京理科大学教授、科学技術庁参与、文部省教育課程審議会委員などを経て現在に至る】

 私が心に残ったのは次の言葉です。

   運命の風    -ウィル・コックス-

  ある舟は東に進み また他の舟は同じ風で西に進む

  ゆくべき道を決めるのは 疾風でなくて 帆のかけ方である

  海の風は 運命の風のよう

  生涯という海路を辿るとき ゴールを決めるのは

  凪か嵐ではなく 魂の構えだ

 宇和島水産高校在学中にカッターに帆を張り帆走訓練をやった経験があるが故に、この言葉の意味はよく理解が出来ました。

 帆を張った船は何もしないと帆が風を受け風下に流されるのは当然のことですが、風を上手く利用すれば風上に船を進めることが出来るのです。風上に向って右舷から帆に風を受ければ左前の方向に進みます。逆に風上に向って左舷から帆に風を受ければ右前の方向に進みます。つまり右前、左前とジグザグに舵と帆をあやつれば、向かい風であっても船は目的地へ到着するのです。風上からかざし燃え流されるのは宿命です。だが魂の構え、つまり目的地を目指すという意識と知恵ある行動さえすれば宿命は運命に変わるのです。

この話は私が解説したような経験がない人にはまるで理解できない話ですので、聞いていた高校生に夕食時食堂で箸を使って話してやると喜んでいました。

 秋山先生は発見の三大要素は①色々な角度から見ること、②全て否定してみること、③自然を観察することだと話されました。これも私にとっては納得のいく話でした。またアメリカの詩人サミュエル・ウルマンの青春について話され、アコーディオンを弾けるようになったと演奏され結ばれました。私とよく似た話に思わずニンマリしました。

  「あれ程の 数学究めた 人なのに 誰彼みんな 納得話す」

  「風上を 目指して進む 帆前船 理論分れば コックス理解」

  「魂を 揺さぶるような 話聞く 俺もあんなに 上手くなりたい」

  「俺だって ハーモニカ吹く 練習で 百六十曲が 曲がりなりにも」

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○片付かない部屋

 昨日は雨でした。午後から運営委員会への出席が予定されているため、外に出ることもなくストーブに火を入れて暖を取り、身の回りの整理整頓を少しだけやりました。流れてくるラジオやテレビの音や映像も近づく年末に向けて掃除やクリスマスの話題が次第に多くなり、自分自身も「掃除」「整理」「整頓」などの思いが断片的に頭に浮かんで、柄にもなく書斎を片付けました。

 「一年に一度も見ない資料は処分する」のは整理整頓の常道でしょうが、長年生涯教育やまちづくり、金融広報の仕事に携わっていると、捨てきれない資料がどんどん溜って捨て切れず、紙ごみのようになっていて、一日の中で資料を探す時間が長くなっているようなので、昨日は思いきって捨てる事にしました。たった午前中の2時間程度の時間なのに捨てる事を決意した紙ごみは大きなゴミ袋に2袋もありました。本当は資源再利用の立場から紙ごみとして出したいのですが、オープンにすることもできず月曜日には他のゴミと一緒に出す予定なのです。

 これまでうず高く積まれていた机の上がすっかり綺麗になりました。息子が買ってくれた大きな机が狭く感じられていたのですが、再び広くなって書斎での存在を誇示しているようです。

 すてきれないもに手紙やハガキがあります。一日三枚のハガキを書く事を日課にしている私の元へは郵便局員さんも驚くほど沢山のハガキや手紙類が舞い込んできます。2~3日家を空けると驚くほどの未処理郵便物が溜るのです。雑誌類や新聞類、ダイレクトメールなどは分類し直ぐに処理できるのですが、ハガキや手紙は捨て切れず、机の下の段ボール箱に一応収まりますが、その暖バールが直ぐに一杯になって捨てきれないのです。

一時はダイソーで買った100円のハガキフォルダーなどを利用して整理整頓していましたが、その量が半端ではないため直ぐに一杯になって、いつの間にか紙袋に入れて煙会所の押入れに入れる羽目になりました。しかしこれも限界があるので、そろそろ年末処分の対象になるようです。

 うちわ風のハガキも今年は10枚以上、規格外の杉や檜のハガキも10数枚、変わったものには石や葉っぱのハガキもあります。これは絶対捨てまいと書斎のカーテンの上に差し込んでインテリア風にしていますが、これも限界のようです。

 もう一つ捨てきれないものに私が載っている新聞や雑誌があります。最近は私の行動もすっかり全日本的に広くなっているため、行く先々で新聞や雑誌、記録集にまとめられて送られてくるのです。その都度スクラップしているのですが、この量も多くてスクラップブックも手一杯です。パソコンの普及で私の記事は氾濫気味なのです。それでも私を載せてくれた相手の事を思うと無造作ながら大きなダンボールに入れられ書棚の上に眠る結果になっているようです。

 ハガキも新聞や雑誌の記事も、もう少し整理整頓の方法を考えてみたいと思いますが、何か良い妙案はないものでしょうか。

  「俺の部屋 絶対量が 多過ぎる もっとシンプル もっとスモール」

  「捨てきれぬ 一枚ずつを 読みながら やはり残して うず高く積む」

  「今頃は あの人何を してるかな 旅で出会った 顔々思い」

  「よしやろう 決断するも 左から 右へ動かす もどかし掃除」 

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○忘年会

 「若松さん、今何してる?。私たちは忘年会で○○さんたちと○○で飲んでるの。ちょっと電話変わるね。」などと、忘年会の宴会の席から携帯電話が多くかかる頃になってきました。こちらは真剣な会議をしているというに、ポケットの携帯バイブレーターが振動しっぱなしで困ってしまい、結局は「ちょっと失礼」と会議を中断して外に出て、「会議中なので後でかけ直します」と小声で対応し部屋に戻ることなどしばしばなのです。こちらは真剣に会議をしているというのにあいつらはチクショー」とも思ったりもしますが、まあ酒の席の戯言だし、酒の席にせよ私を思い出してくれるのは嬉しい」と思いつつ、会議が終わって電話を入れると、相手のボルテージは最高に上がっていて、電話ながら絡まれることだってあるのです。

 昨日は私が代表運営委員を務める「えひめ地域づくり研究会議」の2ヶ月に1回の運営委員会があり、今年最後の会議なので終了後街に繰り出し忘年会をやりました。大酒飲みだった昔は11月頃から年末まで、「あなたは松山から通っているの」といわれるほど毎日のように忘年会と称して酒を飲んでいました。「相手変わって主変らず」と妻がいうように相手は変わるものの自分は変ることなく飲んでいました。その回数や酒の量も半端ではなく、今だったら完全に酒気帯び運転でひっかかるような状態で職場に行っていたようです。

 酒を飲むと運転できないため妻が「10円タクシー」と名前を替えていくら遅くなろうが松山まで迎えに来てくれたものでした。帰りには小腹が空いたと言っては途中ラーメン屋に立ち寄り、ビールを飲みながらラーメンを食べ、飲み足らないと言っては家に帰ってビールを飲み、そんなやんちゃ坊主のような男に飽きもせず付き合ってくれた妻は偉い人だとつくづく感謝をするのです。あの時飲んだ酒代は「亭主持ち逃げ」という項目で妻の家計簿に記帳されているので、妻の昔の家計簿を見るのが怖いくらいです。

 酒を止めたのだからあの時の飲み代はお金が残るはずだのに、やはり昔の諺のように「下戸に建った蔵がない」のでしょうか、一向に金など貯まらないのです。それでも考えてみれば先日出版した「夕やけ徒然草」という本も、自分のポケットマネーでどうにか出版始末が出来たのですから、酒を止めた効果は絶大なものがあるようです。酒が文化に変わった典型かも知れません。

 昨日は事務局の松本さんがみんなの意見を反映して鳥料理の専門店を選んでいました。このところ体の都合で肉料理など殆ど食べない私ですが、鳥刺しからモモ肉焼き鳥、酢物、鳥サラダ、鶏飯までこれでもかと言わんばかりの鳥にこだわった料理を堪能するほど食べました。美味しかったのでついつい食べ過ぎたかな?と思うほど食べ、ウーロン茶も2杯飲んで、腹がはちきれんばかりでしたが、風邪回復の手助けにはなったようです。

(これが特区で造った噂のドブロク「なっそ」です。県知事さんもその味を推奨しているそうです)
(酒は人を呼ぶのです。酒好きの清水さんもご満悦)

 昨日はいつになく話が盛り上がりました。というのも宇和島市津島町の森田さんがドブロク特区で仕込んだドブロクを持参していたからです。「なっそ」という南予の方言【何故=それがどないしたん】というよな意味だそうですが、前日愛媛県知事が試飲する姿がテレビで紹介されていたため、関心が高く、盃一杯程度の試飲なのに群がって味わっていました。酒を飲まない私も話のネタに試飲したかったのですが、飲酒運転になっては大変と自重し、鼻で匂いを嗅ぐ程度に留めました。

 午後9時でお開きでしたが、若者組や酒飲み組は三々五々夜の街に消えて行ったようです。私は今日から国立大洲青少年交流の家で始まる「大人を考えるフォーラム」の実行委員長として泊り込みの研修に出かけなければならないので、誘われましたが付き合いが悪いと思われながら後ろ髪引かれながらも10時前に帰宅しました。「まあ早かったのね」は妻の弁、「いい旦那でしょう」と自画自賛し玄関の内鍵をかけました。

  「忘れたく ないのに何故か 忘年会 これほどやると 忘れ過ぎます」

  「ドブロクを 特区で造った 試飲会 飲めぬ私は 匂い嗅ぐだけ」

  「酒飲まず 貯めたお金で 本を出す 今年も私 いい年でした」

  「飲んでるの 携帯電話が 雰囲気を 伝えてくるも こちら会議で」

 

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○浮島現象

 昨日の朝は、今年一番の冷え込みとなって外気温が5度を下回りました。先日訪れた北海道紋別の皆さんに言わせれば小春日和のようなものでしょうが、これでも四国のこの季節としては寒い方で、出会う人はみんな無口で、たまに声を掛けても、「今朝は寒い」という言葉しか帰ってきませんでした。

 そんな寒さもあって昨日は昼間は一日中書斎にストーブを入れ、温かい温度と温かい気持ちで読書をしたり調べ物をしたりで過ごしました。「忙中閑あり」とはこのことで、郵便局や銀行、それに役場に行く以外は用事もなくただのんびりと過ごしました。

 夕方から伊予市の中央公民館へ子育て家庭教育学級に行かなければならにため、明るいうちに家を出ました。親父のメガネが出来上がっているので受け取りに行くついでに、夕やけ徒然草という本の題字を書いてもらった叔父の家へお礼に一冊届けるためです。親父の妹である叔母もその夫である叔父も高齢になって、少し気分が優れないのか、二人とも居間で横になっていました。前触れもない訪問に少し慌てていましたが、やわら起き上がり私の持参した本を手渡すと嬉しそうに受け取ってくれました。今年の秋ころ訪問して題字を頼んだ頃はまだ気候もよく、3日後には出来たと電話を貰うほど元気でしたが、この日のような寒い日は叔父叔母のような高齢者には寒さが堪えうようで、まるでアナグマの冬眠のようだと笑いながら話しました。

 昨日は寒いといいながら海も穏やかで、瀬戸内の島や半島が浮き上がって見える「浮島現象」が綺麗に見えました。一度写真を撮ろうと思いながらそのうちそのうちと時機を逸していました。昨日は夕方で気温が上がって浮島現象が見えにくくなる時間でしたが、カメラを持っていたので車を止めて沖合いを撮影してみました。

(高野川海岸からみた由利島や二神島周辺の浮島現象)

(ごご島や松山空港付近も浮いて見えるのですが・・・・)

 肉眼でははっきり見える浮島や浮船も写真に撮るとその様子が余り表現できなくて、技術の足らなさをしみじみ思いました。浮島現象や浮船現象はこれから冬になると度々見えるので、その折もう一度撮影に挑戦してこの写真と差し替えたいと思っています。

 こんなに寒い一日で、叔父叔母は暖房の部屋でぬくぬくと過ごしていましたが、その二人より年齢が上の九十歳になる親父は寒さをものともせず、相変わらず家の周辺で作業をして過ごしたようです。今朝散歩から帰ったところで小雨が降り出しましたが、今朝も池を再利用して作った地下室の上の東屋に古いサッシガラス戸を取り付けるべくガタゴト作業をしているようでした。元気が一番と思って余り口出しをしないようにしていますが、まるでアリが働くような動いて作り上げる姿は感動もので、冬の寒さから家を守ってくれるのです。

 軒下に吊るしたタマネギが残り少なくなり、今年も残すところ一ヶ月を切りました。引いていた風邪も妻の手厚い手助けもあって完治に近づいています。喪中のハガキが到着郵便物の半分以上を占めるようになって、どこか新しい年を迎える気持ちになりつつある今日この頃です。

  「浮島が 出ると必ず 思い出す 漁師をしていた 懐かし日々を」

  「アナグマの 冬眠のよう 叔父と叔母 人はこうして 歳をとるのか」

  「さあ今日は 忘年会だ ウーロン茶 酔ったふりして ひとつ歌でも」

  「浮島に 友人四~五人 住んでいる 今頃何を どうしているか」  


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shin-1さんの日記

○親のつとめって何だろう

 昨晩、伊予市の公民館から頼まれて子どもを持つ若いお母さんに話しに行きました。夜7時半からの話は子を持つ親と子どもにとってどんな時間なのだろうかと、気になりながら出かけました。最近の若いお母さんを見ていると趣味が多く、子どもと向かい合わなければならない時間なのに、家を平気で留守にするお母さんが多いと聞いていたので気になったのです。多分この日は仕事から帰ったご主人に頼んでの出席だろうと信じて1時間余りの短い話をさせてもらいました。

 主催した公民館の館長さんの話によると、もっと集まって欲しいとのことでしたが、どうしてどうして結構な人数で話甲斐のある反応に少しだけ安心しました。というのも年齢差のある私のような者が、若いお母さんに対して的外れな話をするかもしれないという不安があるからです。でも帰り際私のいなくなった会場で館長さんが抜け目なく感想を聞いた反応と、おいとまをして車を置いてる駐車場へ歩く途中、何組かのお母さんに出会い、気軽に声をかけてもらいましたが、「今晩は言いお話を聞かせていただきました」とか、「またあんな楽しいお話だったら仲間を誘いますので是非聞かせてください」「今度人間牧場へ見学に行かせて下さい」などと様々なお話でした。

「えっ、今日の話で人間牧場の事を話したっけ」と反論すると、「テレビで見ましたので」だそうです。

 さて今日の話は親の務めを子どもを愛すること、子どものためにやること、子どもを正しい方向に導くことという、これまたまちづくりと通じる話をしました。中学生以下の子どもを育てるには、今しか出来ない子どもの知識的容量をどんどん増やし大きくさせることなのです。そのためには氷の実験のように読む、聞く、見るという基礎学習をみっちりやらせて大きな氷を目指すことです。と同時に書く、喋る、実践するという知識の知恵化にも力を入れなければなりません。

 子どもの数が減り、忙しい毎日を親の過期待の中で過ごす子どもたち、創造的でない与えられた遊びを子ども部屋や同年代の少ない仲間としか出来ない子どもたち、家には仏壇もまな板や包丁さえもない全て人の半調理したものを電子レンジで温めて食べる子どもたち、物をお金も豊かになった社会の中で生きる子どもたち、毎日親や教師よりはるかに影響力の強いテレビに教育されてる子どもたち、そんな環境の中で逞しい子どもを育てるには、親自身が目標を持ってたくましく生きて見せること以外ないとお話させてもらいました。

 親として4人の子どもの成長や子育てに関わった経験からいうと、子どもは夫婦を足して2で割ったくらいな人間にしか育ちません。親はまるでオール5のような顔をしてオール5の出来の良い子どもを求めていますが、自分の子どもだけを降りの中に入れ隔離して育てるような親にはならないで欲しいと願っています。

 親が失敗を乗り越える姿こそ子どもにとって価値ある親と感じるのかも知れませんね。いい親になるよう努力して欲しいものです。

  「子育てを 終わって反省 しきりなり 夢中になった 昔懐かし」

  「勉強が 苦手な親が 勉強を せよといっても 迫力ないね」

  「一番は 心の優しい 人になれ お陰なことに みんな優しく」

  「気がつけば 名前のとおり 職選ぶ そんな意識も ないのに不思議」

 

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○プリンター交換

 パソコンでブログを書くようになっても、その記事をプリントアウトせずにそのままにしていましたが、高知県馬路村へ行った折、馬路村役場に勤める木下さんが、私のブログをプリントアウトして資料に使っているのを見て、これは不味いと思い、プリントアウトすることを思いつきました。ブログのプリントアウトぐらい簡単に出来るだろうと鷹を食って始めたのですが、意外や意外プリントアウトの時間がかかることったら大変なものでした。それでも始めたことなのでやらねばと焦れば、プリンターのインクがなくなって中断したり、そのインクの値段が予想以上に高かったりで、結局インクは東京へ出張の折ヨドバシカメラで大量に購入し、二年余りの記事を全てプリントアウトすることがこのほど完了しました。

 私のプリンターはエプソンの小型を使っているのですが、先々月私の誕生日に子どもたちがエプソンのPM-A920という最新のプリンターをプレゼントしてくれたのです。でもインクが残っているので勿体ないと思い使っていました。昨日先月分のブログをプリントアウトしていると、途中でインクがなくなったので、これを機会に変えようと見よう見まねで繋ぎ変えました。以前に長男がプリンターのデーターを入力してくれていたので簡単と思いきや、いくらやっても作動しないのです。困り果てて長男の携帯に電話を入れ、電話で操作の指示通り入力すると動き始めました。パソコンに関する無知を改めて思い知らされましたが、内心ホッとしました。

 「お父さん、このプリンターは優れものだから色々なことが出来る」と多機能を言われるのですが、使いこなせない私にとってはそんな機能は何の役にも立たないのです。正月休みに息子が帰って来るので、少しその使い方をマニュアルを見ながら教わりたいと思うのですが、それまでは何とかプリントアウトできるようになっただけでもよしとしたいと思うのです。

 今回のプリンターは印刷の速度が速くなりました。インクの量もひと目で分るようになりましたし、印刷のプロセスも表示され、中々使い易い感じがします。とりあえず長年といっても退職後の僅か2年半余りですが私の手となり目となって大切な役割を果たしてくれたプリンターにご苦労さんとねぎらいの言葉をかけてやりたいと思います。

 このプリンターでプリントアウトしたブログも毎月一冊出来上がり、先月末まで27冊が書棚の隅に横積みになって収まっています。この際と思い今日の午前中「○○年○月」と索引番号を打ったので、年末までには人間牧場へ運び入れて、来訪者の閲覧に供したいと思っています。その前にどんな事を書いているか索引目次をつけたいと思っていますが、これがまた中々の仕事で、これも「そのうちそのうち」になってしまいそうな雲行きです。

 しかしよくもまあ書くことがあればあるもので、自分でも毎日コツコツの自分の努力を少しだけ褒めてやりたいような心境です。

 これで高知県馬路村の木下さんいは何とか追いつきました。でも上には上がいるもので、私のブログの誤字や脱字を修正し、全てソフトに落としているという凄まじい男がいるのです。大分県の佐賀関の親友渡辺又計さんです。これには驚いていますが内心彼には勝てないと脱帽しています。

  「使い慣れ 使い古した プリンター お払い箱は ちょっと寂しい」

  「使い捨て したくないけど 電子ゴミ インク入れれば 再生可能」

  「優秀の 機能を持った プリンター 使いこなせず 前のと同じ」

  「アウトせず 電話で対応 アウトした 少し自信の パソコン使う」

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○坂本龍馬という男

 死んでから140年も経っているというのに、坂本龍馬の人気は衰えるばかりか益々高まっています。西暦でいうと1836年1月3日に生まれ1967年12月10日死んでいますが、旧暦でいうと天保6年11月15日に生まれ、慶応3年11月15日に死んでいる、つまり誕生月日と没月日が一緒なのです。このことからも数奇な34年間の運命が垣間見えます。坂本龍馬は幕末日本の政治家であり実業家でもあります。土佐藩を脱藩後貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中海援隊を結成し、薩長連合の斡旋や大政奉還の成立に尽力するなど、志士として短い生涯を駆け抜けた人です。竜馬を一躍有名にしたのは司馬遼太郎の「竜馬がゆく」という小説で、大河ドラマの主人公になるなど、むしろ生前より死後有名になった人物で、それらは実際の竜馬の姿とかけ離れているのではないかという指摘も多いのですが、それでも国民的人気を誇っているのは、彼の持つ人間像が今の社会で求められるリーダーの条件を兼ね備えているからかも知れません。

 愛媛県には坂本龍馬が脱藩した土佐から伊予に通じる山道があり、隣町大洲市長浜から小船で山口柳井へと渡っているのですが、そのことをまちづくりに生かせないものかと相談があり、先日友人と坂本龍馬の生き方について話し合う機会がありました。確かに坂本龍馬は歴史上の英雄ではありますが、それくらいのことしかまちづくりの素材に生かせない発想の貧困さには呆れるばかりです。でも坂本龍馬の生き方に学ぶ事は悪くはないと思いました。

 坂本龍馬の人間像、つまり魅力には次のようなものがあるようです。

 ①野心家

 ②夢追い人

 ③大きな発想

 ④開けっぴろげ

 ⑤好奇心が強い

 ⑥弱音をはかない

 ⑦人を動かす

 ⑧問題児を使いこなす

 ⑨反目する人間を見方にする

 ⑩主義でなく実利を結びつける

 ⑪役人をうまく活用する

 ⑫先を読む

 ⑬広い人脈を持つ

 坂本龍馬の魅力を項目で出してみると両手に余るほどの多さです。龍馬の人生の倍の長さを生きているはずの私なのに、その真似など到底出来ぬ多くの魅力が秘められているのです。

 私も坂本龍馬にあやかって、これらの魅力を持てるような人間になれるよう努力してきたつもりですが、残念ながらまだまだ努力が足りません。もう少しだけ頑張ってみようと思うこの頃です。

  「龍馬より 勝ってることは 動く距離 今年も列島 めぐり巡って」

  「龍馬より 勝ってることは 生きた歳 倍に近づく これから先も」

  「龍馬より 勝ってることは 記録文字 次の世代に 何を残すか」

  「龍馬より 勝ってることは 殺される ような運命 絶対になし」

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