shin-1さんの日記

○朝一番に考えること

 朝起きて一番に考えることは「今日の天気」と「今日の予定」です。多分夜寝る前にそのことは大体目星を付けて眠るのですが、長い眠りの空間を経ていて忘れているので、確認の意味を込めて天気と予定を考えるのです。

 「今日の天気はどうかな?」とまずテレビをつけます。長期予報の確率はいまいちながら、気象衛星の普及によってその日の天気予報は、100パーセントに近い確率で当たりますからほぼ間違いはなく、今日は曇りがちで午後は一雨きそうだと報じています。一雨欲しいとお百姓さんも漁師さんも言っていますが、降りそうで降らない雨を期待しているようですが、出かける予定の私には降って欲しくない感じもします。でもお百姓さんや漁師さん、それに畑に水を撒き続けている親父のことを考えるとやはり一雨欲しいのです。

 今朝の新聞には季節の話題が載っていて、七折の梅の収穫が始まったとか暮らしの欄には梅酒の作り方あれこれが紹介されていました。わが家の人間牧場の梅林もそろそろ梅の収穫をしなければなりません。自分の昨年の予定表の欄には6月4日、一昨年は5月27日梅取り作業が小さく書かれています。これが適期だとすると今度の日曜日辺りには収穫しなければなりません。そのためには日曜日の天気予報も気になるところだし、第一その日が日程的に空いているかどうかも心配なのです。

 「今日の予定」ですが、今日は毎週木曜日に予定されている大学の講義日です。10時30分から愛媛大学法文学部で90分間講義をしなければならないため、9時に家を出て大学に10時に到着し、授業に必要な資料をコピー印刷して準備をしなければならないのです。レジュメは既に昨晩作成していますので準備は万端です。授業終了後昨年授業で担当した3回生の学生と昼食をしながら雑談したいと申し出があったので、2時くらいまでは束縛されそうです。4~5人程度の学生が私に昼食を食べないかと誘うのは、昼ご飯をおごって欲しいくらいな魂胆でしょうが、まあそれくらいは太っ腹なところを見せなければと思っています。

 その後友人と夏のイベントの打ち合わせを行い夕方にはわが家へ帰る予定です。明日は2ヶ月に一回の定期健康診断のため県立中央病院へ出かけなければならないため、今日は極力無理をせずにゆっくりと過ごしたいと思っているのです。

 こうして朝起きて「今日の天気」と「今日の予定」を考えながら何となく一日が始まり、何となく一日が終わって行くのですが、その日々の暮らしの中で思ったことを朝一本、夜一本とブログに書きとどめ、「何となく」を記憶と記録にとどめて過ごしているのです。

 凡人の私にはそのくらいしか芸もなく、そのくらいの生き方しかできませんが、こんなささやかな出来ごとに小満足して穏やかに暮らして行けるのもある面幸せなことかも知れないのです。

 「お父さん今日の天気は?」「お父さん、今日の予定は?」とまるでオームのように妻は私に毎朝聞くのです。その度に私は「今日は午後から雨が降るかも知れん」「今日は大学の講義日だから終わったら学生とお昼を食べて夕方帰る」。「財布忘れないようにね」「分かっとる」。てな調子で相変わらず夫婦の会話は単調でシンプルそのものです。さあ今日も頑張っていきましょう。

  「今朝もまた 天気と予定を 聞く妻に 雨が降るかも 帰り早いと」

  「単純な 日々の暮らしに メリハリを ブログに記録 読む人ありて」

  「学生が 昼飯食おう 誘うのは 何か魂胆 財布を当てに」

  「早一年 日程表を 見る度に 時の流れの 早さ驚く」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○コーヒーの飲めない私

 「何でこんな美味しいものを飲めないの?」と妻から言われますが、実は私コーヒーが飲めないのです。そもそも田舎育ちの私の子どもの頃の暮らしは、戦後間もないということもあってシンプルそのもので、コーヒーやカレーといったものは、そんなに日常的な飲み物や食べ物ではなかったのです。カレーを初めて食べた同級生がカレーのことを「辛子の入った雑炊」といった笑い話も、コーラという飲み物を初めて飲んだ同級生が「せんじ薬みたい」といって吐き出した思い出もまだ記憶にあるほどなのです。

 私が子どものころ初めてコーヒーという飲み物をを飲んだとき、とても苦くて自分の口には合わないと思いました。それ以来コーヒーを飲まなくなってしまったのです。ゆえに世情一般でいわれる「食後のコーヒー」なんて、「美味しい食事をした後何であんな苦いものがいいのか?」と、私には全く理解できないのです。

 ところが世の中は面白いもので、そんなコーヒーの嫌いな私の長男息子に、何故かコーヒー屋を営む家の娘さんとの縁談が持ち上がり、結婚してしまったのです。多分私がコーヒーが飲めないことは相手にも伝わっていたでしょうから、最初からボタンの掛け違いのような出会いだと感じたに違いありません。でも若い二人の愛はコーヒー屋、つまり娘さんの実家の経営する喫茶店で育まれたのです。

 私は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というほど偏屈な男ではありません。コーヒーが飲めないというだけで香りはそんなに嫌いでもなく、息子の選んだ娘さんは愛嬌よしで息子より親である私の方が、お米の銘柄ではありませんが一目ぼれしたのです。

 そんなこともあって以後、その喫茶店へは度々お邪魔する羽目になりましたが、喫茶店のオーナーマスターをつとめる嫁の親父さんは、私がカウンターに座ると何の注文もしないのにちゃんとコーヒーが嫌いなことを分かってくれていて、ブラックならぬ「ホワイト」、つまりホットミルクを用意してくれるのです。

若松進一ブログ
(生まれて1時間半後の分娩室の孫)

若松進一ブログ

(目出度く退院の日)
若松進一ブログ

(昨晩の入浴シーン)

若松進一ブログ
(お兄ちゃんとなった希心君)

 昨日はある団体の人事委員会があって出席し、会議後夕食事が用意されていましたが、人に会う約束があって一足先にお暇し、帰り際にその喫茶店に立ち寄りました。長男家族が住んでいるマンションはその目と鼻の先なので、長男夫婦に子どもができたことのお礼も言わなければならなかったのです。「ホワイト」を飲んだ後雑談もそこそこに折角だからと息子のマンションを覗いてみると、生まれたばかりの孫を風呂に入れている最中でした。

 生まれて10日になる孫は出生届はしていないものの息子夫婦によって名前も決められちゃんと「命名 若松奏心」と書かれて台所に貼られていました。息子の名前が「一心」、その長男が「希心」、次男が「奏心」とは恐れ入ったこだわりの名前ですが、少し変わった聞き覚えのない名前ですがそのうち慣れればいい名前になることでしょう。

 コーヒーの飲めない私、賭け事もしない私、煙草も吸わない私、お酒も呑まない私に、仲間たちは「金が残って仕方がないのでは?」とよく変人扱いして言いますが、その都度私は「コーヒーも飲まず、賭け事もやらず、煙草も吸わず、お酒も呑まず百まで生きた馬鹿がいる」と言われないよう生きたいと心に誓って生きているのです。


  「喫茶店 ブラックならぬ ホワイトで 時間を過ごす 変わったお客」

  「よりにより コーヒー飲まない 俺息子 コーヒー娘 好きになるとは」

  「人のこと 言えた柄では ないけれど 息子も孫に 変わった名前」

  「入浴を 慣れた手つきで 若夫婦 へその緒飛び出 どこかひょうきん」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○ミッキーマウスのアイディアは屋根裏部屋で生まれた

 メキシコに端を発した豚インフルエンザはある意味、他のインフルエンザと同じように処置さえすれば死には至らないということが分かりかけてきて、学校休校までして感染を防いだガードが解けつつあることは嬉しい限りです。この2ヶ月豚インフルエンザに翻弄し続けた国内事情を思うと、これからも何が起こるか分からない不透明な時代を生きることへの不安がつきまとうのです。

 春先は修学旅行の季節でもあります。小学校は近場で一泊二日、中学校は京阪神へ三泊四日、高等学校は一週間程度首都圏とそれぞれ修学旅行が計画され、高等学校によっては海外までも足を延ばすプログラムが組まれているようですが、豚インフルエンザの影響で特に海外は中止を余儀なくされていますが、休校措置の解除によって修学旅行も復活の兆しを見せているようです。

 修学旅行は行動範囲の狭い子どもたちにとって視野を広げる唯一の機会であり、子どもたちも学校生活の中で一番思い出に残る行事として楽しみにしているはずです。私たちの住んでいる四国からは東京はまだ遠いので、高校生しか東京へは行けませんが、子どもたちのとって楽しみの一つは夢の世界と思える東京ディズニーランドへ行くことなのです。かつて建国200年のアメリカへ総理府派遣青年の船で行ったとき、ロスアンゼルスのディズニーランドに立ち寄りその規模と発想に度肝を抜かれた記憶がありますが、子どもたちはテーマパークである東京ディズニーランドを憧れの地と思っているのです。

 私はもう30年も前に本場アメリカのディズニーランドで、ウォルト・ディズニーの話を聞きました。ディズニーは若いころ画家を志していたそうです。貧乏なためガレージの屋根裏に住んでいましたが、その屋根裏部屋にあるとき一匹のネズミがやってきました。ディズニー気が散るから追い払おうとするのですが子ネズミは懲りずに顔を出し、その愛くるしい姿にやがてディズニーはパン屑を与えるようになったのです。するとネズミの一族が集まりだし、ディズニーはネズミの生態や動き方に興味が出てそれを描くようになったのです。そんな時ハリウッドの映画会社から漫画を依頼され、ネズミを主人公にした奇抜なアイディアを思いつきました。これが「ミッキーマウス」の誕生となったのです。ディズニーはそのことがきっかけで成功への道を歩むことになるのですが、その裏には様々な苦労があったようです。でも人の嫌がるネズミを主人公にして子どもたちに夢を与え続けているディズニーは凄い人だと思うのです。

 今回の豚インフルエンザ騒動によって京都など修学旅行のメッカでは、修学旅行のキャンセルが相次ぎ、ただでさえ不況風の吹く観光業界に大きな損失を与えているようです。修学旅行には先進地と目される首都圏やテーマパークを目指す場合と、四万十やしまなみ海道のようなふるさと回帰を目指す場合と、それに原爆ドームや安芸の宮島をセットにした世界遺産を訪ねる場合など様々ですが、子どもたちにとって修学旅行は何を意味するのか、豚インフルエンザで延期を余儀なくされたこの時期だからこそ、修学旅行の持つ意味をそろそろ考え直す時期に来ているのかも知れません。

 ポケットに入れた僅かばかりの小銭を握りしめて土産物売り場を右往左往した私たちが子どもの頃とは違い、子どもたちだけがグループを組んで自由行動する自立型のプログラムも増えてきました。家族旅行が主流をしめ、修学旅行までにディズニーランドを経験している子どもたちにとってディズニーランドは最早い文化ギャップを感じる場所ではないようです。


  「三十年 前にミッキー 会ったとき 度肝抜かれた 記憶忘れず」

  「ディズニーは 屋根裏部屋で ミッキーを 考えついて 子どもに夢を」

  「夢誘う はずの旅行も 不意打ちの 豚のインフル 中止余儀なく」

  「非日常 だから感動 するのです パパと行ったと バスから降りずに」


  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○漢字が思い出せない

 つい最近、ノルマである毎日三枚のハガキを書きながら、書きたい文字を思い出せないことが時々あることに気づいています。昔は鉛筆やボールペンで肉筆文字を書いていましたから、その都度辞書を引いて調べていましたが、今はハガキを書く時はパソコンの画面を文章入力画面にしておき、思い出せない漢字を画面に入力変換表示して書き写すといった具合です。

 単純なことですが「一緒」という漢字を書く場合、「えっ一緒の緒は糸辺だったか、言辺だったかしら?」と考えてしまうのです。「パソコンを使うようになって極端に感じを忘れてしまった」といえば、妻は「それはパソコンのせいではなくあなたの年齢のせいよ」と軽くあしらわれてしまいました。確かに加齢が原因であることは間違いありません。しかしパソコンは漢字の書く能力よりも幾つかの候補の中から選択する能力さえあれば書けるのですから、私だけが悪いのではないと、パソコンのせいにして逃げているのです。

 先日ある友人からメールが入り私のブログ記事の中に書かれた、「以外」と「意外」の間違いを指摘されました。私はてっきり「以外」も「意外」は使い分けていると思って文章を書いていましたが、見直してみると意外なことに以外と混同していたのです。「私のブログだから文句を言割れる筋合いはない」と思うのは大きな間違いで、自分自身では日記のつもりで書いていても、インターネットで流れるとそれはもう完全な公開情報ですから、書き手たる私の責任を自覚しなければブログを書く資格などないのです。ブログを書き終わり登録する前のほんの数分間時間を割いて読み直して校正訂正をすればいいものを、「ああ書けた。終わった」と忙しさにかまけて登録してしまう悪い癖を直さなければならないと思っているのですが中々それが・・・・・。

 肉筆でハガキに書く場合、難しい漢字を使うことがよくあります。例えば「揶揄」という言葉をハガキに書こうとすると、これはもうお手上げで、パソコン画面に表示された漢字をなぞって書き写すしかできないのです。漢字書き取り能力の衰えを自覚しつつも、書き順など考えずに書いている自分が情けなく思うことがあります。

 私の名前「若松」という文字の「若」という字には「右」という文字が組み込まれています。「左」という字は一からノと書きますが、「右」という字はノから一と書くのが正しい書き順です。学校で習ったに違いないこんな小学校一年生で習ったであろうことさえ忘れて、今は右も左も一からノと書いているのです。寛治の本を読んでいて右という字は元々左と同じ一とノではなく、ノが逆の右に向いていたという話を聞きました。私の友人が作ってくれた落款のてん刻文字もそのように逆さとも思える書き順で彫られているようです。

 ここまで文章を書いたところで、一瞬画面に書いた文章がどういう訳か全部消えてしまいました。書き直せばいい訳ですから別にパニックにまではなりませんでしたが、直前に書いたはずの文章を一字一句覚えているような緻密な頭脳は持ち合わせていないため、ここまで書いている文章は二度も書いたお粗末な文章になってしまいました。パソコンにはよくあるハプニングなので、早朝の貴重な30分を無駄にはしましたが、パソコンの練習をしたと思えばいい頭と指先の運動になったと感謝しています。

  「意外です 以外を意外と 指摘され 意外や意外 以外と間違い」

  「パソコンの せいだといって 逃げている 感じ忘れて 手紙も書けず」

  「ああ俺も ついにボケたか 漢字さえ 思い出せずに 意気も消沈」

  「右はねえ 学校先生 そういえば 教えてくれたが 未だ一から」


  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○あなたは一食抜いてその分を献金できますか

 最近妻が「県民ショー」なる番組を録画して暇さえあれば見ているのです。その番組を見ながら自分では当たり前と思って暮らしていることが、実は他県の人から見ると全く知られていなかったり理解されていなかったりすることが多いことに気づくのです。特に食べ物はその地域の独特の風土に育まれて長年食べられてきただけに、その故事来歴を聞いて「なるほど」とうなずくことが多く、結局は「狭いようでも日本は広いねえ」と感心して番組を見終えるのです。

 しかしその一方でWFP(国際世界食糧計画)によると、世界では現在、毎日2万5千人の人が飢えによって亡くなっているそうですが、片や農林水産省の調べによると日本では、食べ残しや賞味期限が近づいた食品の廃棄によって年間500万トンから900万トンもの食料を無駄にしているというのです。その数字は飢えに苦しむ人々に届けられる年間の食料援助量を上回るというのですから驚きです。

 かつて日本も戦後の混乱期には食べる物のない苦しい時代がありました。みんな忘れてしまったような顔をしていますが、まだ私たちが子どものころのことなのです。当時の私たちの暮らしはいたってシンプルで、ゴミなど殆ど出ず、人糞までも肥料として再利用する循環型社会でした。芋や麦ごはんでも腹いっぱい食べられれば満足でした。それが高度成長というトンネルを抜けた現代では、飽食の時代と揶揄される物の豊かな時代となったのです。

 先日「一食を捧げる運動」をしている人に出会いました。世界各地には貧困や紛争、災害などによって厳しい生活を余儀なくされている人々が沢山いますが、その人たちの悲しみや苦しみに寄り添い幸せを願って1食分の食事を抜き、その分を献金するというのです。1975年に始まったこの運動にこれまで110億円を超える錠剤が集まったというから驚きです。

 私はその話を聞きながら、栄養やカロリーが行き届き過ぎて成人病になったり、痩せたい願望の人が多いことを思いました。そんな人にとって一食抜くことなんてどういうことはないはずです。でも一食抜いて社会に貢献するといったら恐らく反対するのが今のエゴ社会なのです。苦しい人たちを助ける運動をしている人たちを見て何時も教えられるのは、人を助けるということは裏を返せば自分自身の心を作る運動であるという教えです。

 その人もあるきっかけでその運動に取り組んだそうですが、今ではしっかりとした考えの持ち主となって、多くの人に影響を与えているようです。

 人様に影響を与えるような人間には、なりたくても中々なりにくいものです。幾つかの壁と思える自我と戦い、超自我の世界に踏み込まないと真実は見えてこないのです。かくいう私など、実践家を自任しながら自我の世界を行ったり来たりしている凡人ゆえ、影響を与えるどころかまだまだ人様から良き影響をいただいて生きているに過ぎないのです。

 「いつかは人様にに影響を与えるような人間になりたい」とその「いつか」を夢見ていますが、あと21年の人生ではもう無理かも知れないと多少諦めにも似た気持ちになっています。でも修行を積んで少しづつ進化すれば一歩でも近づけると、先日一食を抜いた「食べたつもり」のお金をその人に渡したのです。

 今後はできれば1ヶ月に1回くらいはそんな一食を捧げる運動に参加しようかと殊勝な考えになりました。仏教の教えに「一乗の教え」があるそうです。「大いなる一つの命に生かされた同根の人間である」ことを思いたいものです。

  「一食を 抜いて献金 出来るかな? それは無理だと 殆どの人」

  「一日に 二万五千の 人が死ぬ 嘘かほんとか 地球上では」

  「贅沢に なったものよと 時々に 思って見るが そのうち忘れ」

  「餓死をする 人あり一方 ダイエット 世の中矛盾 混在してる」 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○雨が降らない

 私たちが子どものころ「放射能雨」という言葉を耳にしたことがあります。中国という国が奥地で原子爆弾の爆発実験を行い、その放射能が大陸からジェット気流に乗って日本にたどり着き、雨に交じって降らせるというのです。毎年春になると中国黄河の砂塵が巻き上げられやはりこれもジェット気流に乗って日本にやってくる黄砂もこれと同じ原理のようです。昨日北朝鮮が2回目の原爆実験を行なったと発表しました。北朝鮮は実験の成功によって国力が高揚したと強気の姿勢ですが、目と鼻の先にある隣国日本に住む私たちを大きな不安に陥れました。長崎原爆程度といわれる爆発規模が引き起こした地震波震動は、マグニチュード5程度といいますから、北朝鮮の引き起こした愚かな行為は地球にどれほどいじめているのでしょうか。実験場所が朝鮮半島の北に位置しているためジェット気流の影響は余りないとはいえ、唯一の被爆国である日本は、恐怖を禁じ得ません。偏見を持ってはなりませんが、6カ国協議などの経過を見るとベールに包まれた北朝鮮は世界で最も危険な国と思わざるを得ないのです。

 今年は春先から少雨が続き、瀬戸内海に面した地方のあちらこちらでは早くも渇水対策本部が設置され、梅雨前というのに節水を呼びかけているようです。わが家の家庭菜園は少雨のあおりを受けて、収獲間近な玉ねぎの玉太りが悪く、運の悪いことに何度か吹いた強風突風にあおられて、玉ねぎやジャガイモ、カボチャなどの芽が吹き飛ばされて、痛々しい姿となっているのです。

 せっかく根付いたサツマイモも水分不足によって5~5本枯れてしまいました。幸い人間牧場の芋植えが終わって余ったツルが何本か出来たので、一昨日補植することができましたが、一番水の欲しい苗の頃の野菜には雨が一番の恵みなのに、この少雨では夏野菜の不作が心配でならないのです。

 幸いわが家には庭の隅に井戸を掘っていて、親父が手仕事で畑の隅々までパイプを埋め込み、要所要所で水が出るようにしているため、夏の渇水以外では考えられないように、今どきの夕方陽が沈んでから毎日せっせと水やりに精を出しているようです。

 ある人の話では苗の小さいころに水を与え過ぎると、苗そのものが弱ったり、美味しい野菜ができないそうですが、理屈では分かっていても折角植えた苗をみすみす水不足で枯れるようなことだけはしたくないため、水やりをしているのです。

 私も3日に一回は庭の隅に置いている鉢植えブルーベリーに水をやらなければなりません。一本の木にバケツ2杯程度が必要で、水場から5メートルをバケツに汲んで運んでいましたが、親父はその姿を見て倉庫からビニールホースを取り出して引いてくれました。お陰さまで随分楽に水やりができるようになりました。例年だと梅雨の走りのうっとうしい季節なのに、今日は異常乾燥注意報が発令され消防署は有線放送で火の取り扱いに注意するよう呼び掛けているのです。

 田植えの終わった田んぼから聞こえるはずの青ガエルの鳴き声も今年は雨不足でどこか弱々しく聞こえているようです。


  「雨降らず 植えた苗物 元気なく 思いやられる 今年の夏は」

  「朝鮮は 愚か行為で いじめてる 地球の悲鳴 地震となって」

  「手も足も 出せぬ日本が 情けない 隣の国の 愚か行為を」

  「井戸水を 背に腹変えず 畑撒く いつ降る雨を 千秋思いで」

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○地元での講演はやりにくい

 一昨日の土曜日、地元双海町の上灘保育園から育児講演会を頼まれて出かけました。今年3月17日市内保育士さん対象の伊予市人権同和幼児教育でお話ししたことが保育士さんの耳にとまって、園長先生から頼まれたのです。上灘保育園といえば自宅から僅か200mしか離れておらず、ましてや若いお母さんたちとはいいながら顔見知りの人もいて、やりにくいなあと思いつつ、木になるカバンを提げて単車で保育園まで乗りつけました。

 この日は参観日や学校の行事が重なっていましたが、保護者総会らしく殆ど全員の保護者が集まっていました。聞けば園児は40人を割り込んでいてここにも少子化の波が押し寄せ、給食サービスはたった一人でこなしているそうです。顔見知りの調理員さんに出会いましたが、お話しをする時間的余裕もなく甲斐甲斐しく働いていました。

 また今年の4月の人事異動で二人の男性保育士が配属になったようで、園長先生としては女性の職場に強力な助っ人が来たと、女性進出ならぬ男性進出の職場を喜んでおられました。保育や看護は女性の職場と思っていましたが、男性保育士の後ろについて楽しそうに遊ぶ子どもたちを見て、時代の流れをしみじみ感じました。

 今時の若いお母さんたちに育児についてどんな話をすればいいのか随分悩みましたが、私にしか話せないことは限られているので、思いつくまま約1時間途切れることもなくアドリブな話をさせてもらいました。園長先生もびっくりするように若いお母さんたちは眠るでもなく終始熱心に私の話を聞いてくれました。

 その中心は親は子の、子は親の鏡であることを強調し、いい子どもを育てるためにはいい親にならなければならないとドロシー・ロー・ノルトの詩を紹介しました。

 批判ばかりされた子どもは 非難することをおぼえる

 殴られて大きくなった子どもは 力に頼ることをおぼえる

 笑いものにされた子どもは もの言わずにいることをおぼえる

 皮肉にさらされた子どもは 鈍い良心のもちぬしとなる

 しかし激励を受けた子どもは 自信をおぼえる

 寛容であったこどもは 忍耐をおぼえる

 賞賛をうけた子どもは 評価することをおぼえる

 フェアプレーを経験した子どもは 公正をおぼえる

 友情を知る子どもは 親切をおぼえる

 安心を経験した子どもは 信頼をおぼえる

 可愛がられ抱きしめられた子どもは 世界中の愛情を感じることをおぼえる 


 この詩は皇太子さまが紹介した「子どもは親の鏡」の詩としてすっかり有名になりベストセラーになったものです。味わい深い詩なので皆さんに考えてもらいました。

  「地元では 話す言葉も 途切れがち 知っている顔 半信半疑で」

  「ひょっとして これが私の 素顔かも 見透かされいる 言葉の表裏」

  「言いつつも 役目を果たす 一時間 何とか話 つじつま合わせ」

  「子育ては 人それぞれの 流儀あり 自分ペースに 人の話を」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○遠来の東京からのお客さん

 私の家は旧役場(市役所支所)から約500m、中学校から約200m、保育園から約200m、JR伊予上灘駅から約1K200mと、比較的便利な所にあります。少し高台にあるため海が見え、前には双海町のシンボル的存在である本尊山が借景となって、住む環境としては便利でも不便でもない丁度良い環境に恵まれているのです。

 仕事を辞めてリタイアし自由人となって既に4年が経ちましたが、かつては出会いの場所といえば役場やシーサイド公園を指定していたものの、最近はそれもできず、おのずから自宅を指定させてもらっていますが、講演依頼や出会いを求めてわが家へは、驚くほど多くの方々がやって来るのです。

 昨日は講演依頼ということでわざわざ東京からある人がやって来ました。昔ならいざ知らずインターネットや電話で瞬時に話ができる時代ですから、何も東京から講演の打ち合わせに来ることはないと思うのですが、相手は講演依頼を理由に、東京から見れば出かけることの少ない四国をこの際見てみたいと思うのは、やはりお役所仕事だと、少し冷めた感じでその人を迎えたのです。

 その人は東京~松山間を飛行機で飛び、松山空港でレンタカーを借りる周到さで、レンタカーについているカーナビで私の家の住所を入力し、時間に遅れることもなく場所を間違うこともなく、一発でわが家の庭先へ到着したのです。便利で正確なカーナビのお陰でしょうが、それにしても性格で時間も10分前に到着されました。

 今の季節は天気も気候も良く、外にしつらえた東屋風の屋外休憩所で、約1時間ばかり打ち合わせやお話をさせてもらいました。その人は東京では考えられないような静かな環境にいたく感動し、ついでに敷地内にある私設公民館煙会所や海の資料館海舟館を見学し、ついでに9K離れた人間牧場まで案内することにしたのです。

 レンタカーはわが家へ置いて人間牧場までは私の車に乗せて行きましたが、急で細い山道に驚きドアの取っ手やシートベルトをしっかりと握りしめて、緊張している姿を横目で見ながら、山道を登って行きました。ビワの袋かけしている姿や時折「ドーン」と鳴るカラス脅しのガス爆発音にも驚ろいた様子でした。

 一番驚いたのは人間牧場からの素晴らしい眺望とミツバチの巣箱に群がる蜂の群れでした。

若松進一ブログ

(この素晴らしい遠望に来客ははいつも感動します)
若松進一ブログ

(第4の巣箱の外に群がるミツバチたち)

 結局昨日は稲葉さんに貸した農地の草刈り奉仕のために草刈り機を取りに行ったので、人間牧場へは2回も足を運びました。夕方から予定があったのですが、遠来の人ゆえお別れすることもできず、妻の作った手料理で早めの夕食を食べてもらうことになりました。わが妻はこんなハプニングには慣れていて、縁もゆかりもないとはいいながら私の大切なお客さんに豆ごはん(グリーンピース)とお魚料理でもてなしてくれました。東京から来た人は感激の面持ちで、夕闇せまるわが家の裏山から夕日を見てこれまた感激、宿舎となっている松山へ帰って行きました。


 宿舎となったホテルからでしょうか、今朝私のパソコンを開くとその人から懇切丁寧なメールが入っていました。現代は便利になったものだと思いながら、いただいた名刺の住所にハガキを一枚書き、朝の散歩がてら郵便局の前のポストにそのハガキを投函して帰りました。デジタル万能な時代にあってもアナログなハガキはまた一味違ったメッセージなのです。

 人を迎える、人を送る、何でもないことですがその迎え方と送り方は一期一会と言われるように、かなり深い意味を持っています。これまではどちらかというと簡単に済ませていました。最近近所にある上灘中学校の評議員をしていることもあって、時々訪ねることがありますが、浅野祥代校長先生の校門先まで送る姿や、中予教育事務所の皆さんがエレベーターまで私のようなものまで送ってくれる姿を見て、随分考えさされました。これこそ教育の原点だとあらためて思ったのです。

 人に会い、人に教えを請うて生きていく私はこれからもいい出会いを求めたいと思っています。


  「地位もなく 肩書もない 私だが それでも人は 出会い求めて」

  「不案内 だのに一発 やって来る 東京人は 偉いものです」

  「東京人 田舎料理に 舌づつみ 妻の機転で 株が上がった」

  「松山の ホテルのロビー パソコンで 早速お礼 メールが届く」


 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○わが家の農地を作る人ができました

 人間牧場から500mほど下がった所に私の家の農地があります。私は4年前退職を機にこの農地を含めて人間牧場構想を考えていました。当時は体力も暇もあるだろうと鷹を喰って、放任園となっていたこの農地の草刈りなどをして準備をしていました。ところが私の仕事が予想をはるかに超えて入り、この農地はその後手を入れないまま再び放任されてしまったのです。今後のこともあってどうしたものか思案していましたが、私の友人で車屋さんを営む稲葉さんという砥部在住の方が、農地を探していることを知って、使ってみないかと提案しました。稲葉さんは砥部町や伊予市などで適当な農地を物色していて、私も何度か相談に乗って誘われるまま候補地を一緒に見てあげたりしていたのです。結果的には度の農地も上手くいかず、私の農地を貸すことにしたのです。

 先日私と二人でその農地を見ましたが気に入って、その日のうちに話がまとまりました。一昨日稲葉さんから電話が入り、今度の日曜日に草刈りをするからと連絡がありました。私は予定を変更して今日の午前中草刈り機を持参して手伝いに出かけました。


 稲葉さんは同じ車屋仲間の友人を助っ人に放任園の草刈りに挑んだのです。私も自分の農地といいながら手助けのため思う存分働きいい汗をかきました。私が子どもの頃わが家の食料となる麦や芋を母親が育てていた畑は、真ん中に共同利用のモノレールが入っていますが草を刈ってみると中々広い農地です。

若松進一ブログ

 畑からは人間牧場と同じ位置にあるために下灘豊田漁港が一望できる絶景の場所にあって、稲葉さんもこのロケーションに惚れ込んだようです。稲葉さんは釣りも趣味なので下灘漁港などは格好の釣り場だけに海幸・山幸が同時に楽しめるかも知れないと大変喜んでいます。

若松進一ブログ

 稲葉さんの友人である助っ人の人の働きは、何世の農村出身というだけあって抜群で、草刈り機を休む間もなく回し続け、午前中に半分くらいを刈りこみました。私は午後から所用があってご一緒できませんでしたが、夕方稲葉さんが仕事が終わった挨拶に立ち寄られました。稲葉さんはこの農地で自分の夢を実現したいと様々なことを話していましたが、私の結論は「飯を食わなければならない農業はしんどいが、遊びがてらの農業は実に楽しい」ということです。はてさて稲葉さんのこれからの人生にとってこの農地を利用した農業が成り立つかどうか、見守りたいものです。

 田舎ではあちらこちらに放任された農地が目立ってきました。しかし農家は農地を財産と思っているのか、相変わらず貸すくらいだったら荒らした方がましと貸そうとせず、朽ち果てようとしているのです。私はそのことを心得て稲葉さんに無償で貸すことにしました。幸い私の人間牧場もすぐ傍だし、よき相談相手ができたと喜んでいます。稲葉さんは4年前水平線の家の完成時、大掃除を手伝ってくれたり、囲炉裏の灰を砥部焼の窯元さんから貰ってくれたりして、多少の恩を感じていただけに、少しばかり恩返しが出来たと喜んでいます。


  「わが農地 借る人ありて 草を刈る 眼下に漁港 くっきり見える」

  「その昔 母が作りし この畑 今は不義理の 雑草覆い」

  「助っ人の 草刈り凄い スピードで 俺の手伝い 役に立たずに」

  「もう俺の 役目終わりし 農地にて 好きに使って 生きてください」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○ミツバチの巣箱の中を始めて見ました

 昨日はおもしろ大作戦の芋つる植えでしたが、いのちのリレープロジェクトと称してこれまでやってきたサツマイモの苗を育てることに加え今年から始まったミツバチを飼うプロジェクトがスタートしているので、野村町山奥組の井上登さんを講師に招き、子どもたちにミツバチの話をしてもらいました。井上さんは2月に日本ミツバチを箱に入れて持ってきてもらって以来、何かと相談に乗って指導してもらっている方です。

 芋つるを植え終えた子どもたちは水平線の家で井上さんの話に耳を傾けました。私たちはミツバチのことは知っているようで知らないことが多いのです。日本ミツバチと西洋ミツバチの違い、女王蜂と働き蜂の関係、蜂蜜のできるまで、巣箱の中の様子、ミツバチの巣が六角形な訳、ミツバチの行動範囲、ミツバチの巣の分封など、私には聞かれても全てチンプンカンプンなのです。

若松進一ブログ

(子どもたちにミツバチの話をする井上登さん)
若松進一ブログ

(本物のミツバチの巣を見せながらお話をしてくれました)

 井上さんは実際に巣箱の中から採集したミツバチの巣を持参して子どもたちに興味深くミツバチのことを話してくれました。子どもたちはミツバチの不思議を聞きながら井上さんに様々な質問をしていましたが、話をするすぐ傍にミツバチの巣箱へミツバチが出入りしている臨場感もあって、とてもためになるお話でした。

 人間牧場では現在巣箱を4つ設置していますが、先日4番目の巣箱にミツバチが分封したことが確認されて、全ての巣箱にミツバチが出入りしていることになりました。蜂のひと刺しという言葉のように蜂は毒針を持って人を襲うことから危険な生き物だと思われていますが、「手がわぬ蜂は刺さない」と言われるように、危害を加えなければ滅多に人を襲わないそうです。それでも子どもたちに危害を与えてはいけないと、子どもたちが教室を終え帰ってから、私はミツバチの巣箱の掃除の極意をたっぷりと教えてもらいました。

 まず頭から防護網をすっぽりかぶり、体の皮膚が露出していないか確認してから作業を始めました。一番巣箱の紐をゆるめ、巣箱を持ち上げると底板が現れます。底板にはこの1ヶ月でミツバチの汚物が溜まっていて、それを金属のヘラで丁寧に取り除くのです。持ち上げた巣箱は三つがたくさんたまっているのでしょうか、随分重く感じられました。この分だと6月頃にはハチミツがとれるかも知れないと、嬉しい助言がありました。

 井上さんの持っているデジカメを見せてもらいましたが、わが家の巣箱の底板を取って下から巣箱を写真に収めていましたが、凄い数のミツバチが巣の中で営巣と蜂蜜加工に携わっているのです。私は井上さんに巣箱の中を見せてもらいたいと懇願しました。ミツバチの扱いに慣れている井上さんは、比較的ミツバチの出入りの少ない第2巣箱の底板をそっとはずして巣箱を逆さまにして私に見せてくれました。

若松進一ブログ

(第一巣箱を分解する井上さん)

若松進一ブログ

(掃除を終えた第一巣箱の底板)
若松進一ブログ
(見事に営巣している第二巣箱のミツバチたち)

 目に見えるスズメバチの巣は見たことがありますが、ミツバチの巣箱の中を見たのは初めてで、とても感動しました。この巣はもっともっと大きくなって巣箱いっぱいに広がるようだと教えてもらいましたが、夏から秋にかけて蜂蜜を収穫する時は、ビデオカメラを持ち込んでその生態を詳しく記録したいと思っています。


  「お師匠の 話を聞いて 色々と 知識授かり 少し利口に」

  「ミツバチの 巣箱逆さま 中を見る 無数の蜂が 忙(せわ)しく動く」

  「ミツバチの 世界不思議な ことばかり ホットケーキと 一緒食べるも」

  「六角の 幾何学模様 組み立てて 巣箱の中で 今日も営巣」

[ この記事をシェアする ]