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○しまなみ海道ニューツーリズム現地調査②

 青いレモンの島とでべそおばちゃんの店

 もう20年も前に岩城島に来た時は、愛媛県が推進していたリゾート開発の先進地としてこの島は脚光を浴びていました。白亜のリゾートホテルが立ち、瀬戸内海が日本のエーゲ海などと賞賛され、近い将来はスローライフな時代がやって来ると誰もが見果てぬ夢を見ていたのです。その後バブルは崩壊し、リゾート構想は夢と消えてしまいました。その後しまなみ海道が開通したもののブームは僅か一年で消え、架橋地点から離れた地域は取り残された感じさえ持っていましたが、開通10周年を総括すれば期待したほどの架橋効果はなく、むしろデメリットが目につくのです。

 そんな中で多島美や地域資源を生かしたツーリズムは少しずつながら芽生えと成長を遂げているようです。岩城村で「でべそおばちゃんの店」にお邪魔しました。特産品であるレモンを使ったメニューを考え、愛媛版特区といえる規制緩和措置の許可を受けて、自宅のキッチンを使った料理を提供してかなり高い評価を受けているのです。

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 顔見知りである店主の西村さんから色々なお話をお伺いしましたが、ご馳走になったレモンの花弁を浮かしたレモンティといいデザートのゼリーといい、お洒落な雰囲気を見事に演出していて、都会の人たちを迎えるに必要な清潔感や癒しの心を心得ておられ頼もしく思いました。西村さんの話によると来店者も右肩上がりで、近い将来は民宿もやりたいと抱負を述べておられました。

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(レモンティに添えられたレモンのつぼみをお茶の中に入れると、1~2分で花弁が開くのには驚かされました)

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 西村さんに出会って思うのは、こうした取り組みは地域ぐるみの支援が必要であるということです。料理を提供する仲間とのチームワークも大事だし、案内していただいた島本さんはじめ行政の支援もしっかりとしていました。また港からお店までの沿線にはきれいな花を植えていて、島全体に青いレモンの島というイメージがすっかり定着していました。何でもないことですがツーリズムの基本はやはりもてなしの心なのです。

 帰りに港の近くの特産品センターにも立ち寄りました。日常は来訪者のそんなに多くない島なので、他の特産品センターとは見劣りがするものの、レモンポークという新しい商品も開発されていて、身の丈の雰囲気でした。春の積善山の桜の花の写真を見ながら、来年の春はぜひ訪ねてみたいものだと思いました。


  「レモン色 緑色して 何故青と 呼ぶのか不思議 馬鹿な考え」

  「レモンティ レモンのつぼみ そっと入れ 花弁開く 粋な計らい」 

  「船着き場 島の人々 たむろして なまりで話す のどけき風情」

  「知事さんの 来店写真 飾ってる ここは愛媛と 言わんばかりに」

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○しまなみ海道ニューツーリズム現地調査①

 前回のニューツーリズム現地調査は旧新宮村と旧別子山村でしたが、今回は開通10周年を迎えたしまなみ海道周辺です。今年から愛媛県の五地方局が三地方局に統合再編され東予地方局が誕生しましたが、東予地方局商工振興室は地方局本庁舎からかなり離れた旧丹原町の第二庁舎にあるため少し違和感を感じました。この商工振興室が香川県境、高知県境の四国中央市から広島県境の上島町までの商工観光をカバーしなければならないのですから、気の遠くなるような仕事なのです。でも國元室長以下8人の精鋭の揃った事務所には、東予地方局管内の西条だんじりまつりや、新居浜太鼓台まつり、しまなみ海道、石鎚山など全国級の観光資源をPRするポスターが所狭しと張られ、まるで夢の小箱の中にいるような錯覚になりました。これらの観光資源は愛媛県内外でも高い評価は受けているものの、その活用方法はまだまだ発展途上で、今回のニューツーリズムへの取り組みもその一環なのです。

 高速道路伊予インターから丹原インターまで走り商工振興室で國元室長、井下係長と合流し早速しまなみ海道のルートにある上島町を目指しました。今治市内はまだ高速道路に未開通な部分がありますが、そんなに長い距離でもなく、裏道を通ってすんなり今治のインターチェンジからしまなみ海道へ乗りました。朝が早かったためか三連吊り橋が美しい来島大橋付近は車の通行もまばらでした。私たちは伯方島で高速を降り、木浦港から高速船に乗って上島町の弓削島を目指しました。この船は今治発ですがこの方法が一番便利で早いのです。

 弓削島へはこの日お邪魔する親友兼頭さんが新天地と定めて入島していて、松下政経塾の卒業イベントのお手伝いをしたり、弓削商船高専で講演を頼まれたり、また内閣府の地域活性化の説明会に委員として行ったりするなど、何かと機会の多い島なのです。

 弓削島と佐島には離島振興の目的で既に橋がかかっていますが、佐島と対岸の生名島にも高架橋がかかる予定で、既に橋桁部分は完成間近で工事が急ピッチで行われていました。短いながら船の旅はのんびりしていて、船内での会話にも風情を感じました。弓削島の港付近は訪れる度に整備が進んでいて、島とは思えないようなお洒落な雰囲気です。

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(島おこしの拠点となっている「和風でモダンな「しまでcafe」)

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(「しまでcafe」の内部)
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 徒歩で役場を通り過ぎすぐ横の(株)しま会社のある「しまでcafe」に行きました。ここを拠点に兼頭一司さんや村上律子さんは島おこし運動をやっているのです。兼頭さんが人間牧場へ訪ねてきたのは3年も前のことでした。以来兼頭さんはコミュニティビジネスをテーマに掲げ様々な取り組みを始めているのです。「しまcafe」はその中心となるもので、小さなこだわりのレストランをオープンさせています。食材も地産地消にこだわり中々のメニューでした。兼頭さんが遠来の客を接客中だったので村上律子さんから色々な取り組みについて話を聞きました。株式会社の設立から運営、動き出している市民農園プロジェクト、修学旅行の受け入れ、特産品の開発など、様々な取り組みが行われていました。

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(都会の人のための市民農園も整備されつつありました。
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 上島町はすぐ目の前の対岸が尾道市で、東京に近い利点もあって完全に顔はそちらに向いているようです。水も電気も広島県の恩恵を受けている地域としては当然と言えば当然ですが、旧新宮村と同じようにハイモビリティ社会の影響がここにもありました。これからは隣県広島という、あるいは首都圏という広域地域を意識しないと特に観光は生きてい行けないのです。そういう意味では県都松山よりはるかに進んだ情報が流れ込んでいて、ある意味先進地という印象を強く受けました。

 さて上島町では弓削島、生名島など既に様々なプログラムが動いていて、その整理をするだけでも随分ヒントが隠されているようです。また旧因島、旧瀬戸田など隣の島との連携を考えれば無数の知恵が生まれるようです。


  「島おこし 希望を胸に 住みついて 孤軍奮闘 嬉し頼もし」

  「島故に 不便もあるが 喜びも いつの間にやら 島人なりて」

  「商売の 相手は都会 心得て 知恵さえ出せば 資源ごろごろ」

  「またひとつ 橋が架かるが 嬉しさと 不安半々 誰もが思う」 

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○愛媛大学法文学部フィールドワークの授業

 今日は朝から雲行きがおかしく、まだ明けぬ梅雨に一喜一憂しながらフィールドワークの授業のため、伊予市中山町へ学生たちと一緒に出かけました。目的は地域の自治についての学習です。今回は山間地の地域自治について佐礼谷地区に行く計画ですが、交通手段を持たない学生たちにとって佐礼谷は公共交通機関が限られていて、余りにも遠いため、市役所の2階をお借りして佐礼谷から松浦会長さんと北岡主事さんにお越しいただくことにしました。

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 学生たちは8時過ぎに松山駅に集合し、今回の研修の担当である2班の班長さんの引率で中山駅までやってきました。私は特産品センターで土産を買い直接中山駅へ行って皆さんと合流しました。一人の落後者もなく全員が参加をしてくれました。駅から支所まではかなりの道のりがありますが、なだらかなダラダラ坂なので国道の歩道を歩きました。一足先に車で到着した私は、馴染みの支所職員と挨拶を交わし2階に案内していただきました。かつてはここで中山町の議会が行われ、様々な意思決定が行われたことを思うと複雑な心境になりました。

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 研修会は10時から12時まで休憩することもなく、松浦さんと北岡さんの話が約1時間、学生たちが私をコーディネータにしてお二人に一問一答の形でつないで行きました。学生たちは呼び学習をしているのか、的を得た質問をしてくれ、お二人も微細な説明をしていただきました。

 お二人の話を聞きながら、高齢化や過疎化、少子化、産業不振など山間地の抱える問題が深刻であることを実感し、最早住民の地域自治能力だけでは解決できない、大きな社会問題になっていることを、強く認識させられました。昼食は北岡さんのお骨折りで花の森ホテルのバスを利用させていただき、レストランで1,050円の昼食をご用意いただきました。学生にとっては少し高い金額の昼食となりましたが、雰囲気も良くいい経験をさせてもらいました。

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 午後はフラワーハウスや鹿牧場、野外ステージ、栗の里講演などを北岡さんの案内で施設見学しました。これらの施設は既に第三セクターから指定管理者制度に管理が移行していて、民営化しているとは言いながら厳しい経営が続いているようです。高度成長時代に行った箱モノ行政の漬けの厳しさも垣間見ることができました。

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  「学生と 今年も隣 町訪ね そぞろ歩いて あれこれ見聞き」

  「昼食は 少し豪華な 千円の 料理頼んで 皆戸惑う」

  「質問の 質も上がって ホッとする 相手真剣 答えてくれて」

  「街中を 歩けば声を かけてくれ 久しき顔に 心和みて」

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○お腹の門限

 私は外食が余り好きではありません。毎日のように外に出たり講演活動を行っている私にしては奇妙なのでしょうが、外で食事をするとどことなく体調がおかしくなったような気がするのです。快食・快眠・快便といいますが、快眠はさておいて、まず快便に突き当ります。朝から尾籠な臭い下ネタで申し訳ありませんが、毎日一度定期的にお通じがあると腹が空っぽになったようで気持ちがよいのですが、宿便が一日でもあると腹が張ったようでそのことが気にあります。よく女性が便秘で一週間も通便がないという話を聞きますが、私にとっては信じられない話なのです。昨日は前日外食をしたせいかどうか分りませんが、毎朝あるはずの便通がなくもやもやしていましたものの、夜になってやっとすっきりしたのです。

 外食をすると喉が渇きます。先日も妻と二人で回転寿司のお店に行って寿司を食べましたが、帰ってしばらくすると二人とも喉の渇きを覚えて麦茶を2杯も飲みました。多分外食は口当たりがいいように醤油と砂糖で少し濃いめの味付けをしているのだと思うのです。

 外食は一人ですることより複数の人とすることが多く、しかも相手に合わせなければならないため、嫌いな肉類や油濃いものが出ることがよくあります。しかしそれをより出して食べることもできず、つい口にして「美味しい」と言わざるを得ないのです。私のような年齢になると食事はリズムで、朝のリンキャベ、昼の軽食、夜は野菜と魚をメインにする食事が体調維持には欠かせないのです。ましてや外食をすると食事後にコーヒーなどが出てきますが、私はコーヒーを飲まないため、相手に合わせて紅茶などを頼むものの、食事のリズムは狂いっぱなしなのです。そんな繊細なことをいいつつ、家では好物の果物を欠かさず食べているのです。

 私が外食を嫌がるのはもう一つ、それは妻の作ってくれた食事を食べることです。妻は毎日私と親父のために食事を作ってくれます。昨日のように夜遅く帰るような日は、外夕食をすると妻のせっかく作った料理が無駄になるのです。私は夕食の門限を8時から9時までと自分自身に言い聞かせています。しかし昨日のように帰宅が9時半過ぎになるとその門限を破らなければなりません。本当はこんな場合は夜食べないのが理想なのですが、そうもゆかず昨日は門限を破って少し軽めの食事をしました。

 健康診断のとき、「9時以降は食事をしないようにして来てください」と注意書きがあるように9時以降に食べるとどうしても朝までに消化できず残ってしまうのです。二日酔いならぬ二日食といったところでしょうか。昔はさんざん飲んだ挙句仕上げに深夜、ラーメンを食べるといった今思うと自殺行為のような暴飲暴食をしていたのです。

 私はこれからも、お腹の9時門限を守って規則正しい食生活を心掛けたいと思っています。


  「昔から 腹は八分と 言われてる 呑んだ挙句に 自殺のラーメン」

  「門限を 九時だと決めて 食事する お陰でお腹 すこぶる快調」

  「外食を すると嫌いな 肉を食べ 塩・糖分を 取り過ぎ注意」

  「手料理が 一番だよと 妻に言う 嬉し顔して 腕に撚りかけ」 


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○今日も忙しい一日でした

 百足に刺された右足の状態が思わしくなく、腫れ上がったままなので、「少し休んだら」という妻の忠告を聞けるはずもなく、予定されている日程をこなすため今日も西に東にと忙しい一日でした。午前中は愛媛県金融広報委員会から依頼のあった八幡浜市保内町にある保内幼稚園へ出かけ、PTAの会員さんに金融教育の話を90分させてもらいました。去年に引き続き2年連続の講演ですから、少し視点を変えた話をさせてもらいましたが、参加者の耳にはどう聞こえたことでしょう。幼稚園での講演は小さな子どもが講演会場を動き回ったり時々遊具が転げてきたりするものですから、当然効いている参加者も話している私も緊張の糸が切れそうになりますが、そこは百戦錬磨の私ですから、適当にあしらい、適当に笑いを込めてお話をさせてもらいました。

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 講演が終わると海岸国道378号を走ってわが家に引き返し、妻と二人で軽い食事をとった後、急に降りだしたぬ若雨の中を、休む間もなく今度は松山市にある松山工業高校の100周年記念事業の企画運営をつかさどる期成会に出席しました。私は工業高校のPTA会長を6年間もやっているので、その顧問を仰せつかっているのです。今日が6回目の役員会でしたが、二転三転したもののどうにかいい企画ができたようでホッとしています。

 いよいよ11にも及ぶ記念事業がいよいよスタートするのです。私は本来役員と言いながら顧問なので意見を差し控えるべきなのでしょうが、私の性格から会議では毎回のように多少嫌われながらも発言を求めてきました。この手の類の機縁行事や式典は町役場に勤めていたころ、随分と企画書を作り、予算を獲得し、実際に運営した経験を持っているので、それぞれが気になって仕方がないのです。

 今日は随分微細な企画書ができて、ここにきて何とか100周年事業が動き始めたような感じがしました。

 期成会が終わりナーサリーに立ち寄り間近に迫ったハチミツ採集のための広口瓶を買い求めました。二日後にはミツバチ師匠井上登さんの指導でいよいよハチミツ採集を行う予定なのです。

 本当は8リットルの広口瓶を買う予定でしたが、梅酒のシーズンを終わった陳列棚には5リットルの瓶しかなく、仕方がないので5リットルを3本用意したのです。

 少し時間調整をして伊予市の中央公民館へ午後7時に到着しました。午後7時30分から家庭教育学級の講演を頼まれていたのです。何の準備もなく90分ほど話させてもらいましたが、会場には若いお母さんが沢山集まっていました。二つの集会をこなしていたため元気というネジを少しだけ巻き戻して、元気の出る、それでいて大切な話をさせてもらいましたが、次第に笑いの輪が広がって、手ごたえは十分にあったようでした。

 9時半近くにわが家へ帰り少し遅めの夕食を妻と二人で食べながら、百足に刺された足のことを気遣って妻は湿布を張ってひやしてくれました。やはり持つべきものは妻ですね。はいオノロケです。


  「さぞや痛 心配したのに オノロケを ブログに書いて 一笑付され」

  「今日もまた かくてありなん 忙しく サンデー毎日 名ばかり日々だ」

  「忙しく 毎日動く 私見て 妻さえ呆れ お手上げ状態」

  「水忘れ ブルーベリの 葉がしおれ トマトも熟し キュウリ伸び過ぎ」  


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○スイカの美味しい季節になりました

 私の町には東峰というスイカの名産地があります。双海町といえば海や夕日が見える海岸国道378号だけと思われがちですが、内陸部には56号という国道が走っていて犬寄峠からおきよの池に至るほんの短い距離の間に、夏になると道の両側に生産者自身が店を構え、スイカを売る露店がお目見えするのです。農家のおじさんやおばさんはこのころになると夕方から朝早くに収穫したスイカを、小屋掛けした思い思いの場所に山のように積み上げ、通りかかった車を止めて懐かしい双海弁で売るのです。長年同じ場所で同じ人が売っているスイカの店には毎年同じようなお客さんがついていて、そこのスイカが一番美味しいと信じて買うのです。お店の人も馴染みの客には味見をさせたり、値引きをしたりのサービスをするものですから、余計親密になって、お互いが夏を楽しんでいるのです。

 わが家でも私がスイカが大好物ということもあって、先日妻の友人である赤尾さんという人から「スイカの店を店開きした」とわざわざ電話があって、妻は出かけて行ったようです。この方は妻と一緒に長年民生児童委員をしていて、気心の知れた人だし味も保証付きなので大きなスイカを子供たちにおすそ分けすることもあって6個も購入してきました。

 早速そのうちの一個のスイカを切ってみましたが、変哲もない黒々とした土の畑からどうしてあんな真っ赤なスイカができるのか不思議なほどに真っ赤な色のスイカがお目見えしました。冷蔵庫で冷やすのが待ち切れず小切りにして食べてみましたが、今年のスイカも甘さ抜群で、嬉しい夏の到来を喜んでいるのです。

 スイカは丸々一個を買うため残念ながら中身の熟れ具合や味をを確かめることができないのが難点です。せっかく買って帰っても熟れや味がイマイチだったりしても、返品することはできないのです。次に買うときに文句を言うくらいで終わるのですが、わが家が買い求めている赤尾さんのお店のスイカは、これまでそんなポカがあった経験は殆どないので安心しているのです。スイカを買う場合殆どの人はスイカの表面を軽くたたいてみますが、たたくと金属音のような軽やかな音が聞こえるといいそうです。ツルがかれていないものを選ぶのも新鮮な証しのようです。

 スイカは種と食べた後の皮が大量のゴミになる難点があります。夏の時期ははゴミを出す日の直前にスイカを食べないと、生ゴミとなって腐ってしまうため、妻の気配りも大変なようです。子どものころはスイカの食べ終わった皮の両面を薄く剥いで、漬けものにして食べさせてもらった記憶があります。スイカは元々西瓜といわれるように瓜の一種なので、これは理にかなった再利用の方法なのですが、わが家でも夏になると2~3度妻がそんな漬けものを作って食べさせてくれるのです。

 外国にハーロウィンという祭りがあるのを新聞やテレビで見たことがあります。スイカやカボチャをくり抜いて人間の顔のように目や鼻や口をつけるのです。街中がその熱気に包まれた姿はとても楽しいもののようです。私も子どものころにそんな遊びをしました。くり抜いたスイカやカボチャの中にローソクを入れると、幻想的なお面ができて夕涼みのムードを盛り上げた遊びの懐かしい思い出は、心に深く焼き付いているのです。今年は畑のカボチャも沢山できているようなので、夏休みになったら孫と一緒にそんな遊びもしてみたいと思っています。


  「スイカ食べ 今年も夏が 来た思う 西瓜スイカ 南瓜カボチャ」

  「包丁入れ 半分割った その瞬間 思わずわーと 妻俺声を」

  「食べた後 スイカの皮の 多いこと 食べない部分 下取りしてよ」

  「種なしの スイカ来年 どうして作る? 分らぬことが 世の中多い」     

 

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○百足騒動でデジカメのチップを忘れてしまいました

 昨夜の百足騒動の影響で今朝はすっかり寝不足だったのですが、それでも東予地方局との約束もあって、午前4時に起床して、高速道路を使い丹原にある東予地方局第二別館庁舎へ向かいました。もし足の具合が悪くなったらいけないと思い、少し早く出たため庁舎前には30分も前に到着してしまいました。真夏の朝日は既に高く上がって上天気を思わせていましたが、屋外に置いた木陰のベンチに座って國元課長さんや井下係長を待ちました。すがすがしい朝の空気を吸いながら過ごしましたが、何とその場所は藪蚊が何匹もいて、じっと座っていると、足や腕を3~4ヶ所刺されてしまいました。

 百足が刺した足も大したことはないと少し安心していましたが、弓削島、岩城島、伯方島と現地視察を終え帰るごろには足が自分の足ではないくらいパンパンに張って腫れ上がってきたのです。虫刺されに弱い私としては、何ともはや情けない姿になりました。これまでの私の経験からすると、今晩から明日の朝にかけてが腫れのピークと思われるので、我慢しなければならないようです。

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(大きく腫れあがった右足)

 ところでそんな百足騒動が災いしたのか、今日はとんでもない忘れ物をしてしまいました。伯方島の木浦港から弓削島へ行く船に乗るべく、しまなみ海道を走りましたが、さてここからカメラのスイッチをONにして写そうと思った瞬間、カメラの異変に気がついたのです。カメラのチップをパソコンに入れたままで忘れてきて、デジカメにはチップが入っていないことに気がつきました。やばい、しまったと思いましたが後の祭りです。島ゆえチップを買い求めるカメラ屋もなく、今日の現地調査はカメラ抜きとなってしまいました。

 私は同行の井下係長さんに写真の撮影を頼みましたが、何とも情けないことで、自分の愚かさを悔いました。井下係長さんの話によると今日撮影した写真はメールでアップして送ってくれるそうでひとまず安心した次第です。


 それにしても皆さんはお優しい人ばかりです。わが愛する奥さんは虫も殺さぬいい女なのに私を刺した憎いムカデを殺虫剤で殺して処理し、私の傷口に薬を塗ったり、熱のある足を濡れタオルで冷やしてくれました。友人からは「大変でしたね」と言葉の見舞いもあれば、焼酎に漬けたビワの種が効くとか、病院に行って注射を打ってもらうのが一番とかメールをいただきましたが、今となっては時すでに遅しと言ったところでしょう。

 今日は昨晩から早朝にかけて眠れなかったため寝不足で、少し意識がはっきりしていないようです。加えて関東や中越地方が梅雨明けと発表されたのに、四国のわが町ではその気配が感じられ、35度を越し猛暑日になって暑い一日でした。もうひと雨がやってきて梅雨に逆戻りして、いよいよ梅雨明けといったところのようです。

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○ムカデに刺されてしまいました

 今朝早い旅立ちなので少し早めに床に就こうと思い風呂を出て直ぐに布団に入りました。私は寝つきがすこぶるいい方で、布団に横になると4~5分で夢の世界へと旅立つのです。そのせいでしょうか寝起きも良く、目覚まし時計のお世話にならずとも大体考えた時間に起きれるようになっているのです。ところが妻は同じ布団に寝ていても寝つきが悪く、布団に入ってからも眠たくなるまでテレビを見ています。そのうち眠くなったらテレビと電気を消して眠るという手順なのです。そんな私の姿を見て「私は寝つきが遅い分寝起きをゆっくりしている」などと、勝手に言い訳をして朝寝を楽しんでいるのです。

 眠って10分もした11時31分でした。脛の裏部分にチクリとした違和感を覚え目を覚ましました。とっさに蚊ではなくムカデではないかと察知しました。横で寝ていた妻をお越し、電気をつけて見てもらいました。急に脛の裏が焼け火箸を押し付けたような痛みが始まりました。妻はムカデを一瞬にして退治するジェット噴射のスプレーを持ってきて布団をはぐり、隠れていたムカデめがけて噴射しました。逃げまどうムカデもこの一撃で丸くなって動かなくなりました。

 さあそれからが大変です。妻は台所へ行って金属の箸を持ってきてムカデを挟み、ゴミ箱に処分してくれました。「ムカデの片付けなど後でもいいから早く私の刺された部分に薬を塗ってくれ」と頼み、痛みを伴って見る見るうちに晴れ上がる患部に虫刺され用の薬を塗ってもらいました。しばらくして妻は腫れた患部を冷やすべく、熱さまシートの冷えピタを取り出して張ってくれました。深夜のことでもありこれ以外処置をする方法がないので、とりあえず痛みをこらえて眠ることにしましたが、早くも眠る妻の姿を横目で見ながら、ついウトウトの眠れない夜を過ごしたのです。

 朝4時です。少し痛みは引いたものの足を動かすと痛みが走りましたが寝ることもできず、ついには起きて、いつもと同じようにこうして机に向かってブログを書き始めているのです。書斎の電気の光で患部を見ましたが、ムカデが刺したであろう場所には2点刺し傷があり、痛々しく腫れあがっていました。

 私はこれまでにもスズメバチ、アシナガバチ、エイ、オコゼ、キュウセンなどに刺されたことが何度かあります。もちろんムカデに刺されてことも何度かありますが、他の小動物に比べたらムカデはそんなに大したことではないのです。というのもスズメバチなどは人間の急所ともいうべき顔を刺され、エイやオコゼ、キュウセンなどの魚類は足や手の指先をうっかり刺すため、神経の集中している場所ゆえに痛みが尋常ではないのです。

 ムカデは百足と漢字で書くように、百こそ足はないにしてもたくさんの足ですばしっこく歩き回るのです。運動会には昔から百足競争というのがあって、何人かが足を縦系列に縛って掛け声をかけながら前へ進むのですが、これが息が合わないとなかなか前へは進まないのです。そんなことを思い出しながらブログを書いていますが、脛裏の刺された患部が気になるのか、いつもより筆の進み具合が遅く、これだけ書くのに30分以上もかかってしまいました。

 東の空がまどろんで明るくなり始めました。これから寝ることもできず、顔を洗って髭でも剃って出発の準備をします。今日はニューツーリズムアドバイザー現地調査の二日目で弓削島の兼頭さんの所へ向かいます。


  「チクリ刺す いやな予感で 目を覚ます 大きなムカデ 脛裏被害」

  「針で刺す 程度の傷で 眠られぬ 一夜を過ごす われ弱きもの」

  「百足と 書いてムカデと 読むものの 百もは足が ないとしみじみ」

  「寝れぬのに 横に寝ている 妻寝息 俺だけどうして 刺されにゃならぬ」


  

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○快適だと思われる冷房が体の調子を狂わせる

 いよいよ今年も暑い夏がやってきました。近頃はどこへいっても冷房が利いていて、冷房の利かない公共の施設は殆どないと言っていいくらいで、間もなく甲子園で高校野球が始まると、電力消費量は一年中で一番多くなるのだそうです。それは冷房に電力を使うからでしょうが、一方では省エネや地球温暖化を心配しながら、庶民の暮らしは便利さや快適さを追求しているのです。

 近頃仕事から帰ってきた妻が暑さを強調するようになってきました。勤めている歯科医院が何年か前新築し冷房がすこぶる効くようになって涼しい所で仕事ができるようになったのはいいのですが、我が家へ帰るとその冷房のせいで体が冷え切り、温度の調節が効かないのか熱く感じるのだそうです。たぶんそれは冷房病だから気をつけた方がいいと注意をして、少し厚手の服を着ているようですが、どうも体が熱くてだるいというのです。

 私の家は川沿いの谷筋高台にあるため、窓を開けて網戸にすると昼の陸風、夜の海風が適当に入り、冷房がなくても扇風機程度で夏は過ごせるのです。職場と家庭の温度差が妻の体調を知らず知らずのうちに狂わせているようです。

 そのため妻は自衛手段として夏でもシャワーを使わず、風呂桶にいっぱいのお湯を張り、寝る前にしっかりと体を温めて逆に汗をかいて体を元に戻しているようです。快適なはずの冷房が体調を崩す原因となるのですから、いくら冷房に慣れているといっても、冷房をつけたまま寝たりするのは考えものだと思いますが、今の人たちはもう冷房のない暮らしは考えられないようです。

 私は晩年教育長を2年やりました。その時は広い部屋が教育長職にはついてきましたが、冷房の嫌いな私は毎朝大きなガラス戸をいっぱい開け自然の外気や外風を取り込んで執務をしましたが、皆からは少し変人扱いされました。でもそのおかげで通りに面した窓の外から「教育長さん元気ですか」と弾んだ声がいくつもかけられ、窓を開けたコミュニケーションが随分広がりました。おかげさまで2年間の短い期間でしたが省エネに貢献できたばかりか、体調も維持できて良かったと思っているのです。

 4年前に自由人になってから、会合の機会は少なくなってきましたが、それ故でしょうか車や船などの移動手段や講演会場などでは寒過ぎて先日も鼻風邪のような症状になりました。車や船に乗った人、講演を聴く人たちは平気で涼しそうな顔をしているのです。夏に風邪をひくとはお粗末な私です。

 冷暖房は何も人間の世界だけの話だけではありません。最近は野菜や果物を作るのに暖房や冷房を使って農業をしているのです。私たちは夏には体温を下げる食べ物を食べてきました。スイカやキューリはその典型で食べると体温が下がるのです。逆に冬の根菜類は寒さから身を守るために体温を上げるような作用があって、食べるとポカポカするのです。ところが最近は夏の食べ物が冬食べられ、冬の食べ物が夏に出回るのです。季節を逆転した食べ物を冷暖房の完備した部屋で食べるのですから、体の調子が狂うのは当然のことなのです。

 「理にかなう」という言葉がありますが、私たちはもう少し理にかなった生き方をしなければ、大きなしっぺ返しを受けるのです。いやもうそのしっぺ返しは始まっているのに気づかないだけのことかもしれないし、気づいていても見過ごしているのかも知れませんね。自然の反対後は不自然です。冷房は不自然と思いませんか?。


  「自然だと 思っていても 不自然な 生き方してる 愚か人間」 

  「夏野菜 熱を下げれる 効果あり 夏にどうして 根菜食べる?」

  「理にかなう 生き方せねば 人間は 今に滅びる 思うが大事」

  「小さいが 私だけでも せにゃならぬ 大は小たち 集まりできる」

  


 

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○酒もタバコも止めにくい

 昔から酒やタバコは止めにくいとよく聞きます。事実私もタバコこそ呑まないから経験はないものの、お酒を止めるのには随分勇気と努力が要りました。私が酒を止めたのはもう10年近くも前の2001年でした。長年の疲労が蓄積して健康診断で胆のうにポリープが見つかり、摘出手術を行うことになったのです。手術の前の日私は友人と隣町の長浜町にある弁慶という炉端焼き居酒屋へ行って酒をたらふく飲みました。手術室へ入るとき看護婦さんから「若松さん少しお酒臭いようです」と言われたほどですから、たぶん二日酔いか酒気帯びくらいで手術を受けたようです。でも麻酔もちゃんと効いて、手術は多少長くなったものの内視鏡で胆のう全摘出手術を終えたのです。麻酔から覚めたその時も、いずれ元気になったらまた酒が飲めるだろうと鷹を食っていました。

 ところが手術を受けた頃、少し太り気味の68キロあった体重が減り始め、半年後には55キロまで13キロも減ってしまったのです。元々肉は好きでなかったし油濃いものも食べない食生活でしたが、手術後は肉も天ぷら類も余り食べれなくなったので、それが原因かも?と思ったほどでした。時ならぬ痩せ方に家族はもちろん自分も多少心配しましたが、驚いたのは町内の人です。人のうわさは怖いもので、いつしか「どうやら若松さんは胃ガンらしい」といううわさが立ち始めました。


 ある時、シーサイド公園の海岸清掃をしていたら地元のおばさんが散歩で通りかかり、「若松さん人から聞いた話だが、あんたガンじゃとなあ。どこのガンぞな?」と本人に直に聞くのです。私はだれが言いよるの?」と聞くと、「みんなが言いよる」というのです。しゃくにさわった私は「はいキンガン(近眼)です。胃ガン(ゆがん)で死んでもまっすぐになって死にます」ととぼけて返し大笑いをしたのです。しかし私の尋常でない急激な痩せ方は主治医の先生も少し心配をされたし、家族も相当心配してくれました。しかし当の本人はいたって元気で毎朝5時からのシーサイド公園の清掃活動は退院後一週間あとから再開していたのです。

 1か月に1度の定期検査の際主治医の先生が「体長はいかがですか?」と聞いたので、「先生もう堪能(胆のう)しました」とこれまた先生と大笑いをしました。先生に恐る恐るお酒の再開を打診しましたが、ビールなら小瓶一本程度はいいとい言われました。私は「先生小瓶一本ぐらいなら呑まない方がましなのでこれから酒を止めることにします」と見栄をはりました。先生は「若松さん私もそうですが、酒は中々止めれませんよ」と、私の決意を半信半疑な気持で聞いていたようです。

 私はあれ以来酒をきっぱり断ち、10年近くになりますが一滴も酒を飲んでいないのです。死んでもアルコール漬けと思うほど呑んでいた酒はもう体内から完全に消えたものと思われますが、私が酒を止めたのは小瓶一本だと徐々に酒の量が増えると思ったからです。特に役場では地域振興課長や教育長を歴任して呑む機会が多かったので、呑むのであれば100、呑まないのであれば0にしたいと、結局0の道を選んだのです。私の強い決断を喜び褒めてくれたのは妻と主治医の先生でした。私は今でも2カ月に1回定期健康診断に主治医の先生のところへ出かけていますが、それ以来親密なお付き合いを続けているのです。

 私の友人の中には、胃を全部取ったというのに相変わらず酒が止めれない人がたくさんいます。昨日公友会に参加した鬼北町の西村さんも胃を取っていますが相変わらずお酒を呑んでいました。「酒やタバコが止めれないのは可笑しい。私はもう7回も止めた」などとまるで落語のネタ話のようなことを言いつつ、周りの仲間も酒を飲んでは呑みニュケーションンを深めているのです。「酒を飲まないで町づくりが語れるか」とは昔の私の言葉、「酒を呑まないと語れないような町づくりは本物ではない」も今の私の言葉です。都合がいいと妻は私の君子豹変にあきれ返っているのです。


  「七回も 酒を止めたと 豪語する 友は未だに 酒を止めれず」

  「胃を除けて 酒を止めない 友偉い 俺は命が もう少し欲しい」

  「酒タバコ 止めたい気持ち あるものの 一歩踏み出す こともできずに」

  「酒を止め 自分を褒める 一の馬鹿 それは俺だと 胸を張りつつ」 

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