shin-1さんの日記

○夕日の前で結婚式の前撮り写真

 夕方テレビの天気予報を見ると、このところ晴天の日が続いて県下各地に晴れマークがつき、明日は何かいいことがありそうな予感がするのです。でも実際明くる日が今日となり一日が終わってみると、「今日も残暑が厳しかったなあ」くらいで終わってしまうのです。まあ人生なんてそんなものの連続だと、諦めて過ごしていますが、それでも双海の海にジューンと音を立てるように沈んでゆく夕日を見ると満ち足りたような幸せを感じるのです。

 一昨日も昨日も人間牧場で作業をして帰り際綺麗な夕日を見ることができました。もう20年余りも夕日にこだわって生きていると、夕暮れ時になると胸騒ぎのようなものを感じるし、夕日の写真を撮ったり、夕日を見ている人の姿を眺めたりしながら右往左往する自分の姿にハッと気がついたりするのです。

 最近はシーサイド公園から見える夕日の認知度が高まり、夕暮れ時になるとどこからともなく人が集まり、別名夕日の観覧席と呼んでいる階段式護岸に座って夕日を見ながら物思いにふけっている人をよく見かけるのです。下の写真は一昨日の夕日の写真ですが、よく目を凝らしてみると砂浜に何やら白い服を着た人たちが歩いていました。とっさにそれが若いカップルであり、結婚式の前撮り写真の撮影であることを察知しました。

若松進一ブログ

 最近の若い人はオリジナルな結婚を好む風潮があって、中にはシーサイド公園で結婚式を挙げるカップルもいるほどです。当然白い砂浜、青い海、茜色の夕日とくれば、写真撮影には絶好のスポットで、まるでプライベートビーチのような感じもして人に邪魔をされることもないので、多くのカップルが利用しているのです。

 私のように古い時代の人間は恥かしさが先に立つのですが、最近の若者は人の目など気にせず自分の世界を作り上げて行くようです。

若松進一ブログ

 白いウエディングドレスとタキシードは良く夕日が似合います。夕日の色に染まる二人の姿は幸せそのもので、時にはシルエットとなってピンク色に染まるのです。塩けた砂がウエディングドレスを汚しはしないかと要らぬ邪推をしてしまう愚か者の私でも、二人に幸せを祝福する大きな拍手を送ってあげたいような心境になるのです。

 こんな幸せな人生のスタートをしていながら、最近の若者は直ぐに離婚してしまうことも解せないといえば解せないのですが、ひょっとしたら彼らは減点人生を歩むからではないかと思うのです。減点、つまりお互いが100点からスタートすると、「こんなはずではなかった」と減点し続け最後には破局を迎えるのです。私たちのように最初は0点でしたが少しずつオア互いの長所を認め合いながら加点し、まだまだ100点には届かないものの、今に100店に到達すると信じて暮らして行けば、人生は楽しいと思うのです。いい人生、それは減点ではなく加点であると思うのですがいかでしょうか。

 昨日も多分今日も綺麗な夕日が双海の海と空を染め分けて沈んでゆきます。明日はその夕日が朝日となって昇ってきます。今日もいい一日でありますように。


  「このところ 綺麗な夕日の 連続で 何か幸せ 感じています」

  「カップルが 夕日の前で 前撮りを 幸せになれ 大きな拍手」

  「減点か 加点かにより 人生は どっちに転ぶ 考え次第」

  「身と心 夕日が染めて 沈みゆく 明日幸せ 予感がしつつ」 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○通夜でのお坊さんの教え

 田舎に住んでいると、私のようによく家を空ける人間にとっては、近所で起こった出来事する知らないことがいっぱいあるのです。「海岸国道のあそこで自動車の衝突事故があった」とか、「あの人が怪我をして救急車で運ばれた」とか、はたまた「あの人は入院しているがどうやら病状が思わしくない」などなど、好ましくない話題も結構多く、今ではすっかり蚊帳の外になっている自分を腹立たしく思ったりすることがあるのです。幸いわが家は妻が近所の歯医者さんに勤めていて、この手のうわさは散髪屋や風呂屋、医院が火元と言われるように、あることないことの話題を知ることができるのです。

 田舎は遠縁だったり縁もゆかりもなかったりしても、葬儀には参列する風習のようなものがあって、そば耳を立て網の目を張っていなければ、ついうっかり葬儀に行くこ時期を逸することだってあるので、特に新聞のお悔やみ欄には目を通すようにしているのです。しかしお悔やみ欄で通夜や葬儀の情報が分っても、予定が立っている私には参列も叶わず、香典を知人に託すこともあるのです。

 先日友人のおばあちゃんが亡くなりました。その情報は新聞のお悔やみ欄で知ったのです。しかし葬儀のある時間はどうしても外せない予定があって、どうしようか悩みましたが、通夜に参列することだったらできるかも知れないと、夕方出かけて行きました。自宅で通夜をするという話を聞いていたものですから、近所に車を止めて歩いてゆきました。初秋のこの季節は午後7時はもう暗くなっていて、通夜の寂しさがそうするのか何処か沈んだ気持ちで受付を済ませて中へ入りました。

 通夜は隣組の人も大勢駆けつけ足の踏み場もないほど室内はいっぱいでした。順次亡くなったおばあちゃんの前に進んで穏やかな顔を拝ませてもらいました。やがてお坊さんが枕教のためにやってきました。お坊さんは念入りなお経をあげた後、おばあちゃんの枕元で説教をしました。故人へのねんごろな言葉と縁者知人への戒めの話はとても参考になるお話でした。

 お坊さんは「人は二度死ぬ」と「欲しがるものと与えるもの」について話されました。「人は二度死ぬ」という話は最初「えっ」と思いました。一度は本当の死です。もう一度は人に記憶から消えるときだそうです。特に人の記憶から消えないようできるだけ故人のことを思って欲しいということでした。確かにわが母がなくなって10年が経ちましたが、死んだ直後から比べると母の記憶も薄れています。今一度そのことを思いながら過ごそうと心に念じました。もう一つの教え「欲しがるものと与えるもの」の話も納得しました。人間はえてして欲しがるものです。金品や地位、名誉など数得ればきりがないほど欲張りです。特に最近は自分のことしか考えない人も多いようです。もう少し人や社会や自然に与えることを考えればどんなにか社会は明るくなることでしょう。

 通夜の説教で、何気なく見過ごされている私たち人間の日々の暮らしのあり方を、随分分り易く教えていただきました。これも故人の人徳と受け止めて、おばあちゃんの在りし日の姿を思い出しながら自宅へ帰りました。妻は玄関先にお皿に塩を入れて待ってくれていました。これも妻が私に与える気配りとして、有り難く体と心を清めその話を妻にしてやりました。


  「お通夜でも 坊さん説教 身に染みて 二つのことを 教わりました」

  「二度死ぬと 言われて『えっ』と 思ったが なるほどそうか 殺しちゃならぬ」

  「欲しがるな 与えた方が 上手く行く そうは言いつつ 欲の塊」

  「玄関に さりげなく置く 皿の塩 妻の配慮に 感謝しつつも」

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○かまどの築炉工事3日目

 大分県への出張が先方の都合により急遽取りやめになったため、今日は人間牧場への視察と取材をこれまた急遽引き受け、朝から人間牧場へ行ったり来たりで午前中は忙しく過ごしました。午後は昨日刈り残した草刈りを継続しましたが、草刈り機の替え刃も切れ味が悪くなり、思い切って新品に変えたところ、見違えるような作業効率です。草刈り機も私と同じでそろそろ寿命と買い替えを検討しているのですが、エンジンの調子は絶好調なのでもう少し使おうかと思っています。

 さて今日も左官さんによるかまどの築炉工事は昨日に続いて行われましたが、相変わらず私は暇を見つけてその様子をデジカメで記録しているのです。

 昨日の夕方は、友人のおばあさんの通夜があって一足早く下山したたのですが、左官さんたちは今日の仕事の段取りをきちんとして帰っていました。大工さんは昨日息子と一緒にかまどの煙筒つを買いに行ったようで、今朝は早くから壁に煙突用の穴を開けていました。

 
若松進一ブログ
(煙穴のマク板を取り除き、かまどの上の部分の中塗り)

若松進一ブログ
(中塗りにはマホランの繊維を塗り込みました)

若松進一ブログ
(マホランも今では中々手に入らないそうです)

若松進一ブログ
(中塗りの粗塗り完了)

若松進一ブログ
(中塗りの粗塗り後は何度も銅の鏝でなじむよう抑えて行きます)

若松進一ブログ
(上の中塗りが終わったら前と側面の中塗りです。焚き口も据え付けられました)

若松進一ブログ

(息子の書いた設計図に基づいて上台と下台の化粧です)
若松進一ブログ

(赤いレンガをより引き立させるためにレンガに赤いベンガラを塗ります)
若松進一ブログ
(金輪を置いてハガマを据えてみました。夕日に照らされ中々のでき具合です)

 左官さんの話だとこれまでの作業はほぼ完ぺきなようで、明日はいよいよ上塗りにかかるそうです。私などは「恥の上塗り」なんて言葉しか知りませんが、左官さんが一番気を使うのはやはり仕上げでしょう。明日上塗りをしたら磨きにかかり、約1ヵ月間じっくり自然乾燥してから使うのだそうです。でないとひび割れが来るので、まああせらずに果報は寝て待ちましょう。

 エネルギー革命によって度の家にでもあったかまどは殆ど姿を消しました。昔の左官さんはかまどや風呂が築けなければ一人前ではなかったようですが、今の左官さんはかまどなど見たこともなく、ましてや造ったこともないのです。ゆえに半人前かも知れないと笑っていましたが、私たちが子どもの頃はかまどで煮炊きすることが当り前だったのです。冬の薪割りも、かまどで火を焚くことも日本人の暮らしの中から消えてしまったのです。


 さて、かまどが現実のものとなった今、人間牧場でのプログラムは俄然幅が出てきました。ご飯やみそ汁は勿論のこと、ふかしイモや味噌作りなど様々な応用が考えられるのです。それは昔を懐古するだけではなく、日本の食文化を正しく伝えることにもなるのです。まあこんなことを考えていますが、はてさてかまど小屋の工事がそろそろ終わるころなので、そろそろ資金繰りを考えなければならないようです。自転車操業の人間牧場の一番の悩みはやはり資金なのです。まあ「金は天下の回りもの」ですから・・・・・。


  「この腕も 使わなければ 持ち腐れ 時代進んで 伝える人なく」

  「かまど見りゃ 幼き日々の 思い出が 浮かんで消える 古き人間」

  「煙立つ 湯気の向こうに 米の飯 夏かし日々の 幸せ思う」

  「焦げ飯に 潮つけ握る 母の味 かまど造りは そこが原点」


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○かまどの築炉状況写真

 息子からかまどの築炉状況を詳しく写真で記録するよう依頼があって、一日目は何とか時間を割いて対応したものの、二日目の昨日は残念ながら午後3時まで仕事が入って記録することができませんでした。ここにきて順調に進む築炉作業がどうしても気になって、遅まきながら3時から人間牧場へ出かけて行きました。築炉作業はかなり進んではいましたが、それでもかまどの肝心な部分の写真は撮れました。

若松進一ブログ

(前日組まれたレンガの上にかまど工事が始まりました)
若松進一ブログ

(炉心部分の工事)
若松進一ブログ

(かまどの周りに耐火レンガが立てられ、心臓部分が見えてきました)
若松進一ブログ
(漆喰で周りを固められる煙道型枠)

若松進一ブログ

(かまどの周りは熱吸収と余熱利用のため砂で埋められました)
若松進一ブログ

(かまどの焚き口には鋳物の窓が取り付けられました)
若松進一ブログ
(排煙型枠の上にハガマを乗せたかまどの内部)

 左官の大将は職人とは思えぬ優しい方で、年齢的にはおそらくこれからもかまどを築くこともそんなに多くはないと思っていて、写真撮影にも快く応じてくれました。またもう一人の左官さんは40年間左官をしているのにかまどを築炉するのは初めてだと言って、私と同じように工程の全てを作業をしながら写真に収めていました。

 耐火レンガをサンダーで切りながらの作業は予想以上に手間のかかる仕事だと思いました。切ったレンガを水に浸しセメントとスサワラ、石灰などを調合した漆喰のようなもので固めて行くのですが、素人の私にはどこから排煙するのか説明を聞かなければ分りませんでした。発泡スチロールで丸い型枠を作って組み立てていましたが、どうやらこの型枠が煙の道となるようです。一晩養生をして明日は型枠を外せばそれが分るのだそうです。


 昨日は友人松本さんのおばあちゃんが亡くなってお通夜に出席するため、後ろ髪を引かれる思いで人間牧場を下りましたが、今日は人間牧場の取材や見学が来るため作業工程を写真に収められそうです。

 左官さんの話によると、後二日くらいで目鼻がつくそうですが、工事が終わってもひび割れを防ぐため自然乾燥に約1カ月くらいかかるそうで、早くても10月の新米の出回る時期に初釜のようです。味噌汁や漬物の準備も着々始まって、何かワクワク・ドキドキしてきました。日本の食文化のルーツとも言えるかまどについて、もっと勉強して楽しみたいと思っています。それにしても息子は設計の仕事をしているとはいいながら、よく調べて取り組んでいるものだと感心しました。


  「凡人が ゆえにかまどの 姿まだ 見えずオロオロ 写真に収め」

  「なるほどと 感心しつつ ウロチョロと 邪魔ともいえず 左官付き合う」

  「いつの間に 息子と左官 話し合い こんな計画 練っていたのか」

  「夕暮れに なると藪蚊が 肌を刺す 夏の名残りの 平手でパチン」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○かまどの築炉工事が始まりました

 人間牧場の整備を5カ年計画で初めて5年目を迎えました。これまで4年間は目標通り順調に進んできましたが、最終年のである今年のかまど小屋建設は8月2日に着工したものの、早1ヶ月が過ぎたというのに小屋は殆ど完成しているものの、肝心のかまどの築炉が未着工のままでした。というのも築炉をいらしていた左官さんが交通事故にあって入院してしまい、回復を待つといういとも長閑な雰囲気で、仕事の元請け大工さんに少々苦情を言う場面もありましたが、左官さんが少し回復したので昨日から仕事に取り掛かりました。設計を担当した息子は松山に住む左官さんのところへ出かけては期限を取りつつ材料を集めたりして相当苦心をしているようですが、昨日は一日がかりでレンガを積んで下台だけ完成して一日の作業を終わりました。


息子から、かまどを造ることなど滅多にないので、しっかりと記録写真を撮るよう言われましたが、かまどができる間ついているわけにもいかず、まあとりあえず昨日は草を刈りながら要所要所の写真を撮りました。しかし息子の書いた図面は見ていますが、作業工程が全く分からず、写真に収めようもどれをどう取ってよいのか苦心しました。

若松進一ブログ
(かまどの墨出し)

若松進一ブログ
(耐火レンガの積み始め)

若松進一ブログ

(耐火レンガの上積み)
若松進一ブログ

(耐火レンガの積み終わり)
若松進一ブログ

(かまどの土台づくり)
若松進一ブログ

(モルタル工事のフエルト張りと金網張り)
若松進一ブログ

(モルタルの地ならし)
若松進一ブログ

(第一工程・下台の完成写真、この上にかまどが築かれる)

 二人の左官さんが勘を頼りにレンガを積んで行くのですが、左官さんは病み上がりと言うこともあって何ともゆっくりしたペースです。それもそのはず赤い煉瓦はグラインダーカッターで短く切ったり、細長く切ったりと中々苦心をしているようでした。4時過ぎにモルタルを塗って作業を終えましたが、私のような素人にはまだどんなかまどができるのか知る由もないのです。左官さんの話によるとレンガで囲った空洞は薪を入れる収納庫だそうですが、「えっ、かまどじゃないの?」と思わず言いたくなるような雰囲気でした。


 今日は午前中から午後3時ころまで所用で出払っていて写真を撮ることができず、やきもきの一日となりました。でも凸凹コンビのような左官さん二人が「明日もまたきますから」と言い残して人間牧場から帰って行きました。私は道具類もあるのであちらこちらの鍵を閉めて追いかけるように下山しました。

 松山から帰ってブログを一本書き、早速人間牧場へこれから行ってみたいと思います。楽しみですね。

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○今日は朝から不完全燃焼

 このところ朝が忙しく、ブログを書く暇がないため夜寝る前に書いたりしています。今日は久しぶりに朝4時に起きてブログを書こうとアメーバブログのトップページを開けたところ、今日は午前2時~午前8時まで、メンテナンスにつきブログが使えないという表示が出てました。アメーバブログは無料なので文句も言えないと諦めていますが、月に2回程度のメンテナンスの日はどことなく一日のリズムが崩れたようでイライラしてしまうのです。そのくらいブログはこの4年間、すっかり私の暮らしの一部になってしまっているのです。

 まあ仕方がないかと思ってGメールを呼び出して、メールの整理をしました。毎日のように入ってくるメールもおびただしい数で、ちょっと整理を怠ると千台を軽く超えてしまうのです。中には見落としてしまって連絡を取ることもなく、ほったらかしのメールもあって、お詫びを書きながら送信しました。


 そうこうするうちに食事の時間となり、そうこうするうちに今日は東雲公民館へ9時30分までに行かなくてはならないため早々に家を出ることになりました。息子と娘の家族に、いただき物のハウスミカンなどを持って行って欲しいと妻から頼まれて、朝の慌ただしさの中で訪問し、久しぶりに孫の顔を見て心が和みました。

 さあ急いで東雲公民館へ直行です。公民館は松山東警察署のすぐ横にありました。玄関先に入ると大西館長さんが迎えてくれました。大西さんはかつて第5回青年の船に乗船したことがあるらしく、気さくに話しかけていただきました。会場は2階のホールでしたが、手狭な公民館のためいきなり会場へ通され私が一番乗りで皆さんの来場を会釈しながらお迎えしました。

 やがてお世話いただいた司会の真下さんから長々と私の紹介を受け、壇上に立ちました。会場には知った顔の人も何人かいて、手を振ったりにこやかにあいさつをしてくれました。


若松進一ブログ

 今日は申し込みが90人もあったそうで、嬉しいことに席は前から後ろまで満員でした。公民館の前に松山東警察署があるので不審者の侵入もなく(笑い)、反応のいい参加者に助けられて、楽しいおしゃべりをすることができました。今日は元気活力事業の一環として行われた健康づくり講座だそうです。むしろ私の話は体の健康ではなく心の健康についてお話ししました。

 車を駐車した有料100円パーキングに行って清算のため財布を出すと、貧乏人のくせにあいにく小銭がなく、公民館に引き返しお金を崩していただきました。参加者がぞろぞろ話しながら帰っていました。私がいるのを知ってか知らずでか、「今日の話はよかった」「久しぶりにいい話を聞いた」「時間が短く感じた」「あの話だったらお金を出してもええ」などと、高齢者らしく大きな声で話しあって歩いていました。「ご苦労様」と声をかけると皆さん一応に驚いた様子でしたが、私にとっては朝の不完全燃焼が完全燃焼に変わった一瞬でした。

 人間の心は、いや私の心は変わり易いものですね。


  「さあやろう 勇んだ心を へし折られ 何処かもやもや 半日続く」

  「ええ話 だったとみんな 口々に 聞いた途端に 完全燃焼」

  「孫四人 今では俺の 活力素 会うと何だか 元気が湧いて」

  「満席の 人に話すは 気持ち良い こちらも馬力 かけつつ話す」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○残暑が厳しいねえ

 朝起きて顔を洗い、書斎に入りパソコンの電源を入れてから戸外へ出ました。清々しい朝です。今日も残暑が厳しいだろうなあと思いつつ、ブルーベリーの庭に行くと、何やら少し水切れかな?と思うように心なしか元気がありませんでした。そいえばこの二日間ほど忙しくて水やりを忘れていたようです。今までなら井戸の水をバケツに汲んで運ぶか、長めのホースを引っ張ってやるのが普通ですが、先日来親父はそんな私の水やりの作業を軽減しようと、エス欄パイプを数本買ってきてブルーメリーのすぐ近くで水が出るように麹をしてくれたのです。土中を掘ったり水路を這わしたりと二日間もかかったようですが無事通水し、今日はあっという間に水やりを終わりました。親父様々です。

 水やりが終わってさあブログを書こうと机に座って3行余り書いた時漁師の友人から電話が入り、「ハマチが獲れたからから獲りに来るように」とのことでした。途中でブログを書くことを止め単車で漁協の魚市場まで行きました。かなりの大漁のようで、3本程度を目論んで単車で行ったのに8本もいただき、単車の後ろに積んで帰りました。さあそれからが大変です。今日はゴミの日なので早々に荒調理をして内臓や尻尾、それにエラなどを取り出してゴミに出さなければならないのです。妻にエプロンをかけてもらい、出刃包丁を取り出して3本の頭を落とし内臓を開け3枚におろしました。

 綺麗に水洗いしてパレットに入れ、妻はラップをして冷蔵庫に保管をしました。急いでゴミを出し、朝食もそこそこに友人のところへおすそ分けに走りました。今日のハマチは大きいためおすそ訳は1本ずつとなりましたが、多分晩酌の肴にはなったことでしょう。

 人間牧場のかまど小屋の工事がいよいよ佳境に入り、今日から築炉工事に取り掛かるので、その模様を写真に撮るよう息子から言われていたので、急いで人間牧場へ向かいました。築炉工事を手掛ける左官さんと元請けの大工さんが既に到着して作業を始めていました。左官さんにとってはかまどを築く工事は今時殆どないため、二人の職人さんが思い出しながら作業を進めるため作業が中々はかどらないのです。私は草刈りをしなが撮影をしましたが、それくらいのペースでした。

 今日も残暑が厳しい一日でした。草を刈るのですが体中から汗が吹き出しました。時折休憩のつもりで工事現場を見ながら冷蔵庫の冷えたお茶を飲みましたが、今日は500ミリリットルのペットボトルを2本飲み干しました。

 このところの好天続きで草は日中ぐったりしていて、草刈り機の刃に容赦なくまとわりついて、作業効率は余り良くありませんでした。それでも午後4時近くまで刈りましたが、少し疲れたので今日の作業を終えました。彼岸が近付きハズムシが発生する前に刈りたかったので、今日の草刈りはいいタイミングだったようです。

 午後5時には左官さんたちの作業も一段落して、後片付けをして帰って行きました。草刈り作業はもう半日残っているので、次回にしたいと思いますが、かまど工事の進捗状況をカメラに収めながら結構いい勉強になった一日でした。かまどの工事は明日も教に引き続き行われるようです。でも明日は所用があってカメラに収めることができないのが残念です。


  「汗をかく 健康的で いいけれど 少し疲れた 体力的に」

  「汗をかく 水分補給に お茶を飲む 繰り返しつつ 草刈り進む」

  「一日の 歯車狂い 夜になる ブログ終わりは 10時半過ぎ」

  「洗面所 鏡に写る 自画像は すっかり日焼け 元気そう見え」 

  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○親父と二人で大根の種を蒔きました

 最近近所の人に出会うと、「雨が降らんので大根の種が蒔けんので困る」という言葉を耳にします。そういえばこのところお天気続きで、雨が少ないようです。屋外で行う夕焼けコンサートも好天に恵まれていいイベントとなったので、私としては満足しているのですが、一方では「大根の種が蒔けない」という人がいることも事実です。

 かくいうわが家でも親父は、「そろそろ大根の種蒔きをしなければ」と思っているらしく、私の予定の空いた日に種を蒔きたいと再三再四ご機嫌をうかがいにやって来るのです。そんなこともあって昨日の午前中、倉庫から新品の耕耘機を取り出して畑を耕し、大根の種蒔き準備をしました。比較的広い畑なので、前もって種物会社へ行き、大根、カブ、聖護院大根、高菜、シュンギク、ホウレンソウなどの種を買っていました。わが家はたった3人の家族ですが、近所に畑を持たない親類が沢山いるため、そんなに植えてどうするの?と思われるほど沢山植えるのです。

若松進一ブログ

 私が耕耘機で耕した後を親父が丹念に整地し、植える種によって尺度を変えて畝を作り、私が袋を開けて種をお皿に移し、一粒一粒確かめるように蒔いて行くのです。9月1日で92歳になった親父は目が薄くなって、さすがに種を一粒ずつ蒔くことはできませんが、私が種を蒔いて土をかぶせた上に牛フンや化成肥料を撒いてくれるのです。この10年ほどは毎年このように親子で冬野菜の作付を行っているのです。

 親父は几帳面な性格なので畝間も自分が造っている定規を利用して採寸し糸を張って畝を造るのです。私などはいい加減に早く終わらせたいと思うのですが、少し広いとか狭いとか、私のやることなすことにいちいち文句を言うのです。昔は口喧嘩のように丁々発止をしていましたが、最近は私が丸くなったのか、親父に従う術を覚えて適当にやっているのです。

 この日は残暑が厳しく座ったり立ったり、また耕耘機を使うため思い切り汗をかきましたが、お陰さまでいい時期に種蒔きができたようです。私は種蒔きが終わると直ぐにジョロに水を汲んでたっぷり水をかけました。こうすることによって発芽を促すのです。

若松進一ブログ

 今晩外出先から帰ってみると親父は、畑の隅に引き込んだ井戸水使用のホースで畑に散水をしていました。台風10号が北上していますが、まだ当分は雨が期待できないとあっての配慮です。私などは植えれば目が出て育つと思って殆ど何にもしませんが、親父は草を削ったり水や肥料をやったりと、手入れに余念がないのです。

 何年か前、発芽して二つ葉から3つ葉になったころ、大きな台風がやってきて全滅し、再度種を蒔いた苦い経験が頭をよぎりました。多分あんなことはないと思いますが、台風シーズンなので用心が肝心です。

 私の芸名が「夕日亭大根心」なので大根には殊の外思い入れがあります。大好物の大根が今年も大豊作でありますよう、そして親父も私も去年よりは一つ歳を重ねましたので、健康に留意して美味しい大根の味を楽しみたいと思っています。


  「雨降らず 大根の種 蒔けないと 天に向かって 不平ブツブツ」

  「九十二 なった親父の 作る畝 一粒丁寧 種蒔き入れる」

  「水をかけ これで発芽は 大丈夫 思うが親父 水の追い撒き」

  「健康で 今年の冬も 大根を 食べて正月 迎えたいもの」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○クモの巣の幾何学模様は面白い

 今朝起きて書斎の窓を開けると抜けるよううな空の青さの中に、何やらクモの巣が夜露を浴びて光っていました。クモの巣は暮らしでは厄介者ですから、普通は箒などで取り払うのですが、その幾何学模様の余りの見事さに時の経つのも忘れて見とれてしまいました。

 これは面白いとデジカメを取り出して写真に撮ろうと試みましたが、カメラは人間の目のように鮮やかな姿をとらえることができずついには断念してしまいました。というのも今のデジカメは全てオートピントのため、カメラから発射されたピント制御の光はクモの巣を通り越して背景に反応してしまうのです。でも人間の力では不可能と思えるクモの巣の幾何学模様は見れば見る程美しく、しかもクモの種類によってクモの巣の造り方が違うようなので、クモの不思議に挑戦してみる価値はあるかもしれないと思いました。

若松進一ブログ

 私たちが子どもの頃は戦後間もないこともあって、遊び道具など殆どない時代でした。ゆえにカブトムシやクモさえも遊び道具の一つでした。クモには大臣クモというクモがいて、それを木の枝で捕まえてきてクモ同士の喧嘩をさせるのです。喧嘩の強い腹や背中に金縞の入った太い大臣クモを持っていると、子ども世界では優越感が得られるとあって、野山に探しに行きました。どういう訳か喧嘩の強いわんぱくな子どもが持っているクモは強くて、私などが持っているクモは喧嘩でいつも負け、「頑張れ頑張れ」という応援など聞こえないのかすごすごと逃げまどう有様でした。手に汗握ってクモやカブトムシの喧嘩を応援した懐かしい少年時代は思い出の彼方に消えてしまいましたが、もう一度あんなワクワク・ドキドキするような遊びをしてみたいものだと思いました。

 部屋に入ってテレビのニュースを見ていると、偶然にもクモの巣の話題が出ていました。途中からだったのでどこの誰かも分らず終いでしたが、クモの巣を収集している人がいるそうなのです。何でもクモの巣を青い色の紙のようなものでそのまますくい取り、その上に固定させるスプレーのようなものを吹きかけていました。そうして作ったパネルをかなりたくさん集めていて、各地で展示会をしているそうなのです。一つとして同じもののないクモが造る幾何学模様の巣の造形美は、とても魅力があると語られていました。世の中には暇で面白い人がいるものだと笑ってしまいましたが、密かに自分もやってみたいと思ったりしたのです。

 わが家は海沿いの町ながら山沿いにあります。ゆえに家の周りはクモの巣城ではないかと思うほどクモの巣が、除けても除けても造られるのです。クモの巣が張ったままだとどこかみすぼらしい手入れの行き届いていない家に見られるので、気がつけば出来る限り片づけるようにしていますが間に合わないのが実態です。でもこれが収集となるとこれまた面白い話に発展するかも知れませんね。

  「何見てる 妻が横から 不思議がる クモを見ている ?首をかしげる」

  「クモの巣は 見れば見るほど 美しい あれを造れと いわれ造れず」

  「ひょっとして クモの巣集め ひと儲け 暇があるのか そんな考え」

  「クモ喧嘩 手に汗握り したっけな 今の子供に 伝わるはずなし」

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○今年もいい夕焼けプラットホームコンサートでした

 昨日も忙しい一日でした。本当は午前中鱧祭りに参加したかったのですが、以前から決まっていた大阪からの取材と広島のお客さん対応に追われ、午後は香川県高松市三谷地区の皆さんと人間牧場での研修、それに恒例の夕焼けコンサート鑑賞と、まあ目が回りました。それでも息子が家族でやってきて、人間牧場で水平線の家の掃除をしてくれたり、三谷の皆さんたちに足湯のサービスをしてくれたりしてサポートしてくれました。三谷の皆さんは一週間前にも水仙の球根堀にやってきた折、人間牧場へ来ているのですが、溝渕さんや三好さん以外は人間牧場は初めてらしく、感動の面持ちでした。私の話や足湯サービスの後はお定まりの場所でお定まりのポーズの記念写真を撮りました。このアングルでもうどれ程の人が写真に収まったことでしょう。

若松進一ブログ

 一行を見送り、水平線の家の簡単な掃除とロケ風呂の湯抜きを行い急いで下灘駅へ引き返しました。下灘駅は既に夕焼けコンサートの準備も整い、観客が集まり始めていました。やがて午後5時になると小林真三さんの司会でコンサートが始まりました。天気予報では晴れ時々曇りでしたが、西の空に雲がかかり、夕日の行方が心配されました。会う人たちは私が夕焼けコンサートに長くかかわってきたことを知っているのか、「若松さん、今日の夕日は出ますかねえ」などと、聞いてくるのです。「多分大丈夫でしょう」といい加減な返事を繰り返していましたが、時間が経つにつれて雲が取れ、綺麗な夕日が見え始めました。音楽もさることながら、じゃこ天やビールを片手にほろ酔い機嫌の観客の顔を、真っ赤な夕日が照らして雰囲気は最高になりました。

若松進一ブログ

 この日は私と交流のある香川県高松市三谷地区のバス一台のお客さんも加わり、また遠路はるばる毎回のようにやって来る、広島県大竹市の元青年会議所理事長の森本さん夫婦など、沢山の顔見知りの顔も見えました。24年前、誰にも相手にされず私一人で始めたコンサートが、4半世紀近くの24回も続くとは私自身も思っていませんでした。これまで陰で支えてくれた多くの人々に感謝しなければなりません。今では私の人脈で観客を集めるくらいしか役割はありませんが、もう少し続いてほしいと願っています。

 少しだけ夕日やコンサートの雰囲気をお楽しみください。

若松進一ブログ
若松進一ブログ
若松進一ブログ
若松進一ブログ
若松進一ブログ
若松進一ブログ

 最後に夕焼けトロッコ列車がホームに滑り込んできました。空はサーモンピンクの夕焼けです。フーテンの寅さんもやってきた日本で一番海に近かった下灘駅は、ひなびた無人の駅舎やプラットホームの屋根とベンチだけの質素なたたずまいが、夕日を余計引き立たせる道具立てとなって、郷愁をかきたててくれるのです。頬を撫でる爽やかな初秋の風も、鳴き始めた虫の声も、舞台で歌う人の音楽や歌声も全てが絵になる光景で、少しだけ感傷にふけり涙が出そうになりました。このコンサートでやっと今年も暑い夏が終わったという感じがしました。


  「金もなく 何にもないのに この場所で 始めたことが 24年も」

  「若かった あの頃私 無鉄砲 今ならやらぬ 多分やらない」

  「イベントは 続けることの 意味ありて 多くの人の 想い集める」

  「今年また 遠来の友 やって来た 感謝をしつつ 夕日見つめて」

[ この記事をシェアする ]