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○北海道佐呂間町にて

 9月16日は移動日で、羽田を経由して北海道に入ったその夜、私の泊っている悠輪閣というホテルで交歓交流会がありました。集まった人の中には井田貴子さんもいて、賑やかな交流となりました。広間の卓上には海の幸がどっさりです。中には写真のようなタラバガニの刺身まであって、足の皮をむいている身はまるで花が咲いたような料理で美味しく、テレビでは見たことがありますが食べるのは初めてで、美食の限りとはこのことでした。

 お酒の飲めない私はあいにくウーロン茶での付き合いとなりましたが、美食ゆえに大酒を飲んだ昔が懐かしく、少々残念でした。

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 集まってくれた10人ほどの社会教育関係者はボランティア精神旺盛で、飲むほどに酔うほどにそれぞれの楽しい日ごろの生き方を披露してくれました。

 そんな中に佐呂間で整骨院を営む尾崎実さんがいました。彼は髭を蓄え中々のものです。結局明くる日の昼食を尾崎さん宅で用意するから来てくれという話しになりました。酒に酔った席での発言だし、初対面なので失礼だと思いましたが、私たち4人の一行は昼前尾崎さんの整骨院を訪ねました。尾崎さんは患者さんを治療中だったので、奥さんのご案内で何年か前まで保育所をしていたというキッチンへ案内されました。

 奥さんは高齢者施設に勤務していますが、午前中休んで手間暇かけて私たちのために素敵な手料理を作ってくれました。皆でご相伴にあずかりましたが中々のお味でした。

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 さて午後からいよいよ私の仕事である講演が始まりました。最初の講演先は佐呂間高校で120人の生徒を前に講演です。1全校生徒が講堂に集まり、「青春へのメッセージ」と題して講演を行いました。県内外で高校生に話す機会は多いのですが、佐呂間高校の生徒たちは聞く態度も立派で、80分間楽しく聞いてくれました。それにしても北海道の高校生に話す機会など滅多にないものですからいい経験ができたと喜んでいます。

 私はこの日、46年前の出来事から話しを始めたようです。水産高校の練習船愛媛丸で南太平洋へ遠洋航海に行った折の、死を覚悟した大しけの海からの生還を通して生きることの大切さやふるさとの有り難さを学んだ話は少々昔のことながら、とっさに思い浮かんで話したのです。また目標を持って生きることの大切さも体験として話しました。

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  「タラバガニ 俺を喰うかと 睨んでる 諦めろよと 言いてほおばる」

  「縁もなき われに昼食 ご馳走す 整体院の 夫婦に感謝」

  「北国の 高校生に 話しする いきなり昔 思い出しつつ」

  「俺だって 昔君らの ようだった 若さはいいな 買えるものなら」 

 

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○美しいサロマ湖

 ホテルと道の駅が並んで建っているほぼ裏に、サロマ湖が一望できる小高い山があるというので見に行きました。この日は天気も穏やかで立派過ぎるほどの展望台からは300度ともいえるオホーツク海やサロマ湖、それに佐呂間町の市街が見えました。

 平戸社会教育課長さんの話によるとサロマ湖は元々は純粋な湖だったそうですが、人為的に砂洲が開けられ、オホーツク海と海続きになって海水が流れ込み現在の汽水湖になって養殖が可能になったそうですが、逆に冬場流氷が流れ込んで被害が出たそうで、狭い方の入り口には流氷が流れ込まないような仕掛けがしてあるそうです。私はサロマ湖の大きさを知りませんでしたが、周囲は有に100キロもある日本でも最大級の湖だそうで驚きました。それにしても女性の眉毛のように細長い砂洲の姿はとても魅力的でした。

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(裏山から見える道の駅と泊っているホテル周辺)

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(サロマ湖の北側を望む)

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(サロマ湖の東側を臨む)

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(全員での記念写真)

 山には東京からきたという女性たちもを始め、ひっきりなしに来訪者があって、展望台はかなり賑やかな眺望風景となり、写真を取ったり取られたりしながら、旅の思い出写真に収まっていました。

 山を下りた私たちは、千頭にも及ぶ肥育牛の牛舎や町営預託の放牧場を見学した後、牧場役場へ行き教育委員会の教育長を表敬訪問しました。香川教育長さんは役場出身の方で、前任の教育長が町長になったので後任に選ばれ残任期間の途中だと聞きました。

 町の中心は私たちの町のような土地の狭さではないので、広々として中心地にお年寄りのためのパークゴルフ場18ホールがあるという信じ難い光景で、緑の芝生が穏やかな初秋の太陽に照らされキラキラと輝いているように見えました。何ともうらやましい限りです。

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(町営放牧場のなだらかな山並み)

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(パークゴルフに講じる高齢者)

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(町の開基80年を記念して作られた講演の真ん中にそびえるモニュメント)
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(開基80年の時植えられた青ダモの木、野球バットの原料になる木です)

 佐呂間町は人口が六千人余りの過疎の町です。毎年人口が100人ずつ減っているそうですが、合併協議が頓挫して合併せず独立独歩の道を歩んでいました。ホタテを中心とした養殖漁業や畑作・畜産などの農業が主産業のようですが、今後はかなり厳しいと漏らしていました。でも皆さんが一生懸命まちづくりに頑張っている姿はとても頼もしく思えました。

 冬はマイナス20度を下回る厳しい自然の猛威もあるようですが、先人たちが命がけで取り組んで大きな成果をもたらしてきたホタテの養殖事業など、見るべきものがいっぱいありいい町だと思いました。


  「サロマ湖を 一望できる 山に立つ 砂洲が囲んだ 眺望圧巻」

  「ここらでは パークゴルフが 大流行り パター片手に 粋なじいさん」

  「凄い町 町の真ん中 ゴルフ場 年寄り元気 顔がほころぶ」

  「百年の 歴史を刻む モニュメント 秋空高く 天を仰いで」


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○佐呂間の海沿い漁港界隈

 サロマ湖は周囲100キロにも及ぶ全国でも5本の指に入るほどの大きな湖です。砂洲で囲まれた姿は日本三景と称される天橋立に似ていますが、汽水湖のためホタテなどの養殖漁業が盛んなところです。この湖のほとりに住む船木耕次さんと高知県馬路村で開かれ私が基調講演した全国地域づくり大会で知り合いました。以来社会教育委員を務めている船木さんの手配で紋別市での大会に招かれ、そのご縁で今年の2月美幌町、今回の佐呂間町と美幌町のジョイント講演会が実現したのです。前回ニアミスのような形で少しだけ出会った井田貴子さんからはその後ホタテが届き、親密な交流へと深まっているのです。

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 二日目は午後からの講演まで時間があるので午前中井田さんの働いている漁港を訪ねました。ホタテで名を成している漁村だけあって、ホタテ御殿を思わせるような立派な家がそこそこに見られる中を走り、漁港が一望できる展望台に登りました。漁港が幾つかあるので、初めてのことゆえ何処をどう通ったか、またどの位置なのかは車の中なのではっきり覚えていませんが、井田さんの職場は漁港の中に浮かぶ作業筏の上でした。運よく井田さんのご主人が養殖船で帰ってこられました。

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(ホタテの養殖かごを積んで寄港した井田さんの漁船) 

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(作業小屋は筏の上に浮かんでいました)
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(井田さんご夫妻とともに記念写真を撮りました)
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(井田さんの漁をするもう一隻の漁船)
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(立派な井田さんの自宅)
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(広い北海道らしく井田さんの自宅の名前が書かれたバス停、こんなの初めて見ました)

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(ソフトバンクの携帯電話のCMに出てくるのとそっくりな井田さん宅の北海道犬)

 さっと駆け足でしたが、念願の働き者の井田さんご夫妻に出会い感激でした。その後サロマ湖が一望できる裏山に上りましたが、まあ絶景でした。


  「海育ち 浜で育った 私には 何処か懐かし 磯の香りが」

  「ホタテ貝 宅配便で くれる人 こんな所で こんな作業を」

  「ホタテ貝 水槽泳ぐ 姿見て 手間暇かかる 育て納得」

  「個人宅 前に立ってる バス停の 看板見つつ 広い実感」

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○仔馬の死に遭遇しました

 二日目の朝は、北の国特有の日の出の時間が早いため少し早目の目覚めでした。着替えをして思い切って戸外へ出ました。10度近くまで下がった朝の気温は体をしゃきっと引き締めるようでした。ホテルから道の駅さろままでの遊歩道をゆっくりと歩き上手牧場まで行って写真を撮り始めて、一瞬驚きました。母馬が寄り添うように悲しげな姿をしているその傍にポニーと呼ぶべきなのかどうか分りませんがめんこい仔馬が死んで倒れているのです。最初は横になって眠っているのではと思っていましたが、動かないところを見るどうやら死んでいるようでした。馬に襲われたのか、あるいは拍子なのか、「ああ旅先でもこんな出来事に巡り合うのか」と思いつつ、急いで引き返しフロントの女性に牧場管理者へ知らせてもらいました。

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(死んだ仔馬の近くで悲しそうな母馬(右手前))

 道の駅まで通じる別の道を再び散策し、南瓜のトンネルを見に行きました。パイプハウスの横と上には無数の観賞用カボチャが鈴なりにぶら下がっていました。後でシンデレラ夢まつり実行委員会かぼちゃ班長である役場保健福祉課補佐の武田さんから聞いた話ですが、ここ佐呂間町はカボチャが特産品だそうで、それにあやかり50種類ものカボチャを作り、彼自身もカボチャ博士と呼ばれているそうです。全国各地へ自作の種を送り届けてカボチャ交流をしている話しにすっかり魅了されてしまいました。渡された記録集にはカボチャの種の送り先から届いたカボチャと記念写真を撮ったスナップ写真と感想文が手づくり文集らしくほのぼのと載せられていました。

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(カボチャのトンネル)

 朝が早かったため、道の駅の中へは入れませんでしたが、店員さんの一人がシルバーウィークのお客を当てにしているのか無造作に椅子や机を並べていました。道の駅もひところはブームで全国各地に普及しましたが、指定管理者制度という新たな制度の導入によって無機質なものも見られるでけに関心がありましたが、残念ながら中や経営状況を見学することはできませんでした。聞けばこの道の駅は冬の交通量が少ない難点はありますが、経営的には好調のようでした。

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 悠輪閣というホテルの朝食は一流で、食べきれない程の海の幸が温かく出てきました。ホタテ汁や炭火の上で焼く食材はどれも満足いくものでした。仕事がらこれまで全国の色々なホテルに泊まり朝食を食べましたが、ここの朝食はナンバーワンだと思いました。お陰さまで朝から至福の時を過ごし、今日も一日いいことがあるような予感がしました。

 ホテルは2泊するとよく分ると言います。つまり料理のバリエーションが見えてくるのです。佐呂間町のご厚意でこのホテルに2泊することになっていましたが、二日間とも全く違ったものが出てこれも大きな満足でした。


  「母馬の 目に涙する 仔馬の死 朝の牧場 悲しく明けぬ」

  「カボチャでも 博士呼ばれる 人ありて 町は何だか 活気ありそう」

  「旅の宿 二泊もすれば 化けの皮 ここは凄いぞ 穴場を見つけ」

  「旅先の 宿にコールの 電話あり 妻は私の 体を案じ」

  

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○サロマ湖の夕日も美しい

 能取湖から佐呂間町へ向かう途中、車窓から異様な光景が見えました。平成の貝塚とでも言うべきホタテ貝の貝殻の山です。愛媛県でも南宇和郡辺りでは真珠貝や広島で見た貝の貝殻の山と同じような光景でした。この貝殻を何かに使えないものかと素人ながら考えましたが、それにしてもこの堅い貝殻が貝柱と同じように成長する不思議も私の頭では解明できない不思議なのです。

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 天都山と能取湖を見学した私は一足早く悠輪閣という道の駅のすぐ後ろの小高い丘の上にあるホテルへ、少し早目にチェックインさせてもいました。ゆっくりとお湯につかり旅情を満喫しましたが、目の前眼下に広がる周囲100キロといわれるサロマ湖の風景が一望できて何とも贅沢な感じでした。やがてホテルの窓から夕日が差し込んできました。地元の人が自慢するだけあってここの夕日も格別でした。

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 今頃わが双海町でも西瀬戸に沈む美しい夕日を沢山の人が見ているのだろうと思いをはせながら、同じ太陽を見ている不思議を感じました。木とない位置する北海道ではわが町より30分も早く陽が暮れるようで、この日は講師である私を囲んで、社会教育関係者による夕食会が予定されていて、10にい余りの人が集まってくれました。

 その中には前回2月に美幌町へ来た時出会った人たちも駆けつけていただき、特にこれまで一度だけしか出会ったことはないのですが、あれ以来ホタテを送ってもらったりして、すっかり友だちになっている井田貴子さんも見えられていて、再会を喜び合いました。それにしてもさすが海産物の本場だけあって、夜の交換会にはタラバガニの刺身や、美味しい刺身がこれでもかと並べられ、久しぶりに美食を味わいました。妻を連れて来ていたらどんなに喜ぶだろうと、少しだけ思いました。

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 夕食交換会はホテルで行われたため、10時過ぎに終わり、ホテルの方たちと色々なお話をさせてもらいましたが、このホテルはかつて町が建設したものだそうですが、今は民間が経営をしていて行き届いたサービスは心地よいものでした。

 この日は移動日なので講演もありませんでしたが、いよいよ明くる日から一日2回講演が始まるので、パソコンからも解放されて早めの12時に床に就き、北の大地で夢の世界へ旅立ちました。


  「タラバガニ じっと私の 顔を見て 食べていいのか 躊躇しつつも」


 

  「この夕日 わがふるさとの 人々も 見ている不思議 電話中継」

  「貝殻の 山山々を 見学す 聞きしに勝る 貝塚のよう」

  「二度目だが 旧友会いに 来てくれて 交換交流 楽し夜ふけ」

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○北海道一日目は移動日のため流氷館とさんご草を見学しました

 今回の北海道への旅行は季節もよく、人もうらやむような4泊5日の旅でした。しかし旅行の前に「講演」という極めて重い仕事がついているため、人がうらやむほど軟い旅ではないのです。前日の15日の夜は、11月に予定している年輪塾公開セミナーの打ち合わせと松山大学で講演がダブルで入っていて、遅い帰宅となりましたが、早い朝の旅立ちのため私は普通に起きてブログを2本書いて妻の運転する車に乗り込んで家を出ました。9時の飛行機ですから別に慌てなくてもよいのですが、妻は私を飛行場まで送って引き返し、8時30分からの仕事に間に合うようにしなければならないため急いだのです。お陰で松山空港ロビーで早朝読書ができていい旅立ちとなりました。

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 今回は佐呂間町と美幌町の招きなので、行きは全日空、帰りは日本航空で羽田を経由し女満別空港へ飛びました。女満別は今年の厳寒2月22日に猛吹雪で東京に壱日足止めされるというハプニングに見舞われた経験があるので、私の北上とほぼ並行して走る台風の動きが気になって、「もしや飛行機がストップするのでは」と嫌な予感がしましたが、台風が東寄りのコースを通ってたため難を逃れることができました。しかし女満別空港に到着するころからその予感が的中し、着陸したころからかなり激しい雨に見舞われました。後で聞いたのですが女満別空港近くの網走では時間雨量20数ミリのこの時期にしては記録的な雨が降ったそうです。

 空港へは佐呂間の大谷さんと阿部さん、それに美幌の三浦さんも出迎えに来ていただき恐縮してしまいました。美幌での講演は19日なので三浦さんとは一端別れ、網走市街が一望できる天都山頂上にある流氷館へ立ち寄りました。あいにくの雨でしたが、マイナス15度の流氷館に入り保管している流氷に出会い、タオルをぶんぶん回すと瞬く間に凍ってピンと立つ実験もさせてもらいました。

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 佐呂間へ向かう途中日本一の呼び声の高い能取湖卯原内地区のサンゴ草を見に行きました。サンゴ草は海岸の湿地帯に自生する汽水域で成長する珍しい植物です。一度は見てみたいと思っていただけに、サンゴ草祭りを間近に控えた見ごろの時期とあってとてもラッキーでした。あいにくの雨で見物急悪もまばらでしたが、その分じっくりと桟橋のような橋の上から見学することができました。

 サンゴ草の広場には芹洋子さんが歌った「サンゴ草の咲く日に」の歌が流れ何ともロマンチックな気分になりました。

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  「いつの日か 見たい思った サンゴ草 念願叶い 北の大地で」

  「前に見た 大雪大地 青々と しかしいつしか 夏から秋へ」

  「流氷を 見たい人あり 冷蔵庫 マイナス15度 保存展示し」

  「天都山 網走市内 一望も 雨にかすんで 視界が効かず」 

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○北海道のお土産は土産話でご勘弁

 今朝三浦さんのパソコンを借りてブログを開いていますが、4日ぶりに自分のホームページを開いて見ると、北海道の土産を希望している書き込みが沢山ありました。しかし4日間の旅の疲れで荷物を持ち運ぶこともできず、ましては皆さんと今日は少しばかりの時間を割いて周辺の散策をすることになっていますので、荷物にならない土産ならぬ土産話にすることに決めました。アシカラズご了承ください。

 さて、4日間もパソコンから遠ざかっていると、パソコン音痴になって、自分のパスワードを入力することすら忘れてしまうあり様で、パソコンを前に戸惑ってしまいました。それでも何とか呼び出して、とりあえず北海道でしか書けないブログ書きに寸暇を惜しんで挑戦しているのです。でも所詮はホテルのロビーでの出来事なので、残念ながら詳しいことは書けません。4日間の北海道での出来事や思い出は、今晩帰りますが疲れているので、あす以降にしたいと思っています。

 前回美幌町にやって来た時は2月でした。冬の大荒れの天気で飛行機が飛ばず東京で足止めを食らうなど散々苦労をした記憶がよみがえってきましたが、実は今回の美幌も一日目は、台風の影響を予感させるような天気になりました。

北海道上空に差し掛かると雲の切れ間に入るため飛行機は少々揺れました。そして女満別空港に降り立つとかなり強い雨が降っていました。台風の影響かな?と思いつつ、帰りの便が果たして飛ぶかどうか不安になりました。毎日時々入る妻からの電話が唯一頼りの天気予報となりましたが、これまで旅行の度に妻は私専用の天気予報士となってくれているのです。

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○北海道美幌からおはようございます

 今朝は北海道美幌町のホテルで目を覚ましました。そして私を呼んでくれた三浦さんのご厚意によって、ホテルのロビーにパソコンを持ち込んでいただき、美幌町から4日目にブログの書き込みを行い、読者に「おはよう」のあいさつをさせていただいています。

 今日の私の予定はこれから食事をして散歩に出かけ、9時半頃にホテルを出て帰路に着く予定です。帰りは女満別から飛んで東京羽田経由で松山へ20時40分に到着する予定です。

 明日は久しぶりに人間牧場へ行きますので、予定されている方はどうぞご安心してお越し下さい。

 (ここまで書いてホテルをチェックアウトしましたが、後学のために少しだけ感想を書き加えておきます。)

 久しぶりの北海道は、四国に住む私から言わせると、朝晩は少し肌寒くて11月くらいな気候ですが、昼間は丁度よい気温で、暑くも寒くもなく一年中で一番過ごしやすい時期のようです。

 心配された台風も小笠原諸島方面で北東に向きを変え、スピードを上げて足早に彼方に去って行きました。

 折しも北海道で過ごした5日間は、シルバーウィークを先取りしたような時期だったものですから、日本列島全体が落ち着いた静けさでした。でも帰る前の日と当日は沢山の人が動いていて、混乱の渦中でしたが、帰りの飛行機が多少遅れたくらいで、何のトラブルもなく無事講演旅行は終わりを迎えました。

 今回は佐呂間の漁師さんである船木さんのご厚意と、美幌町ホットあいず三浦さんの気配りによって様々に仕組まれました。船木さんの所属するオホーツク寒気団の皆さんや、行く先々での歓待は想像をはるかに超えてまた新たなご縁をいただきました。また様々な新しい発見もありっ学ぶことの多い講演旅行だったように思います。昨日から200枚にも及ぶデジカメの写真の整理をしながら、出会った人、訪ねた町の思い出をルポし始めましたが、かなり時間がかかりそうです。

 でも記録しないことは記憶されないので、記憶がある間にブログに書き込んでおきたいと思っています。気の早い気配りのできる方々からはメールやハガキが続々と到着していて、尻に火が着きうかうかできない様相です。

 まあ何はともあれ風邪も引かず、新型インフルエンザにかかることもなく元気で妻と親父の顔が見えたことを感謝しています

  「美幌から ロビーでお早う ブログ書く 友の気配り 感謝感激」

  「暑くなく 寒くもなしの 旅気候 大きなバック 少々恥かく」

  「飛行機の チケット手配 する術を 教えてもらい 次から楽だ」

  「北海道 首相誕生 して元気 大売り出しで 景気回復?」 

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○今日から北海道へ講演旅行です

 「お父さん、私はあなたが羨ましい」とは妻の弁です。それもそのはず今日から北海道へ講演に行くのです。妻だけでなく私の友人たちも「北海道へ講演旅行に行くという話しにみんな「あんたが羨ましい」といいます。知人などは「若松さん、北海道へ行くのだったらお土産を期待しています」とじゃれるのです。

 今日は松山空港から飛び立ち、東京羽田を経由して北海道女満別空港に降ります。佐呂間町や美幌町などで講演を4日ほどして連休初日の20日に帰ってきます。一週間近くも北海道に滞在しますが、季節の変わり目なので、寒さが心配です。でもこのころの北海道は一年中で一番季節のいい時期かもしれないと思って乗り込みます。あわよくば日本列島の走りである紅葉前線に出会うかもしれないと密かに期待をしています。

 今朝は妻の運転で松山空港までこれから送ってもらいます。帰りは最終便なので妻に空港まで迎えに来てもらう予定です。チケットは持った、時計は持った、携帯電話は持った、デジカメは持った、財布は持った、おっと肝心の木になるカバンは持ったと確認をして、車に乗り込みます。

 私は何年か前、飛行場についてチケットを忘れたことに気がつくような慌て者です。以来出発前に指差確認をするようになりました。妻の荷造りしてくれた着替えなどを入れた少々太めの旅行カバンと木になるカバンを提げてさあ出発です。

 土産ならぬ土産話を楽しみにしていてください。

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○動かなくなった腕時計と新しい時計

 私にとって腕時計はタイムキーパーの役割を果たしてくれる大切な持ち物です。講演会で講演やシンポジウムのコーディネーターをするとき、いつも腕から外して目の前に置き、「後何分」などと腕時計を見ながら話を組み立てて行くのです。先日もそのつもりで腕時計を腕にはめて出かけました。いつものように腕時計を演壇の上に置きやがて講演を始めました。1時間ばかり話して時計を見ると、まだそれほど話していない表示です。可笑しいと思い演題から見える室内の時計に目をやると、自分の腕時計が止まっていることに気がついたのです。少し気分が動転しましたが、そこは毎日のように人の前で橋をしていることもあって、とっさに「ただ今私の手元の腕時計は○○時です。したがってまだ○○時間か話していません。これから残りの○○時間話しますのよろしくお願いします。実は私の腕時計が故障して動いていないことに気がつきました」と話すと、これまで緊張していた会場が大爆笑となって、参加者の目は室内の時計に集中したのです。

 「でもどうぞご安心ください。私には秘密兵器と呼ばれる携帯電話があって、この電話にはデジタル時計が組みこまれているのです」とやると、また爆笑となりました。

 まあこんな具合で、長年使っていた腕時計が動かなくなってしまいました。この腕時計はここ解けの話ですがもう5年前、新宿西口の駅の構内で千円で買った代物なのです。でもこの5年間電池を交換することもなく、また狂うこともなく動き続けてくれたのですから、十分元は取っているのです。

 昨日は腕時計の電池交換をしたら動くかも知れないと思い、地元の時計屋さんへ行きました。顔見知りの時計屋さんなので電池交換は直ぐにできるとばかりにいじくっていましたが、「若松さんこの時計はもう寿命です。電池を入れ替えても動きません。どうしますか?」と言われました。仕方がないので「安い腕時計はありませんか?」と尋ねました。田舎の時計屋さんだけあって、日ごろは余り売れないようで、カウンターのショウウインドーに飾ってる中から、私の好みに合ったようなものを見つくろって出してくれましたが、私の知名度?と顔に合わせて出してくれたのは、いずれも二万円相当のかなりいい腕時計でした。私はそれほど腕時計に凝るタイプではないので、五千円以下のは?と尋ね、怪訝そうに取り出す時計屋さんをしり目に6千5百円の腕時計を見つけました。「これ幾らになりますか」と値引きを誘導しました。「4千5百円にまけときましょう」「はい買います」てな調子で決めたのです。腕の大きさに合わせて調節してもらい時計屋を出ました。

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 これが私が買った腕時計です。これでも防水自動巻きのすぐれものなのです。私にとって時計はタイムキーパー用なのですから文字盤はシンプルな数字が必要です。見易いことが条件なのでぴったりです。今回買ったものには曜日がひゃ宇治されるすぐれものなのです。

 昨日早速松山大学の教室での勉強会で講演を頼まれ出かけて1時間30分この腕時計を前にお話ししましたが絶好調で、いい腕時計を手に入れたと内心自分に自慢をしているのです。

 昨日は年輪塾の公開講座打ち合わせを「いよじ」という松山市駅前の居酒屋でやりましたが、早めに店を出て松山大学へ行く途中もずっとこの腕時計の初世話になったのです。帰りに再び居酒屋へ立ち寄り松本さんを軽四トラックに乗せて伊予市で下ろし、家に帰ると妻は目敏くその腕時計に気がつき、「明日から北海道へ行くというのに腕時計はどうするのだろうと思っていたので、いい腕時計を買ったね」と褒めてくれました。金額のことや値切ったこと、時計屋さんとのやり取りなどを話し、二人で大いに盛り上がりました。

 この新品の腕時計を腕にはめ今朝間もなく北海道へ講演旅行に出発します。


  「千円で 買った時計が 動かない 五年も使い 元は取ったぞ」

  「命ある 物だとばかり 時計屋で 電池交換 するも動かず」

  「二千円 値切って時計 買いました 腕に輝く 少しのお洒落」

  「今日からは この腕時計 手がかりに 講演などを しっかりやろう」

  


  

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