shin-1さんの日記

○目出度く高齢者になりました

 昭和19年10月3日生まれの私は、この度の誕生日で目出度く高齢者となりました。「目出度く」という表現は、加齢を嫌がる風潮がある中で、避けて通れないこの人生の関門をあえて夢や希望を持って反骨たくましく生きてやろうと思ったからです。

 ゆえに今回の誕生日はあえて旅先で迎えることにしました。埼玉県寄居町のかんぽの宿で65歳の初日の出をたった一人で迎えました。宿となったかんぽの宿からは、前日の雨が嘘のように私の前途を祝福して晴れ渡った田舎の原風景がまばゆいほどに美しく見え、自分の将来を祝福しているようでした。

 妻から朝一番の携帯電話が入り、「おめでとう」と言われ、更には自宅へ花束やメッセージが届いているとのことでした。四国の田舎に住む何の変哲もない私にでも、こうして祝福してくださる人が沢山いることを思うと、これからもうかうかすることなく、力強く生きて行こうと決意をせざるを得ず、心を新たにしたところです。

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(これまで一番のお気に入り自画像似顔絵)

 旅先での10月3日は忙しい一日となりました。朝こそゆっくりしたものの午後からは親学講演会で浅学非才を披歴し、その後寄居の駅を旅立って自宅へ帰る帰路途中にも東京で人に会うなど忙しくも充実した65歳高齢者となった第一日は、今までの度の誕生日よりも素晴らしい人生の旅立ちの一日となったようです。

 帰宅すると妻が自宅に届いた花束をほどいて花瓶に美しく活けてくれていました。毎年毎年いつものことながら決まったように届く西岡真由美さんと緒方二三子さんお二人からの誕生日花束プレゼントなのです。もう10年も前のことでした、毎年12年間にわたって続けていたシーサイド公園の砂浜清掃や水槽掃除が終わってドロドロになった私の元へ、どこでどう調べたのか誕生日のプレゼントだといって花束を持ってきてくれたのでした。汚い作業中の格好をしていたゆえに少々赤面やたじろいだことを今でもはっきりと覚えているのです。

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(今年一番のお気に入り自画像写真)

 一昨日は65歳の誕生日ゆえにことさら重い気持ちで迎えました。これからが人生だと思えば目いっぱい楽しまなければなりません。さすがに体力の衰えは日を追うでしょうが、気力と知力はまだまだ衰えるつもりはありませんし、弱気になることもないのです。わが家では親父が92歳でまだかくしゃくとしていて、生きる見本があるのですから頑張らなければなりません。むしろ引っ張る機関車から後押し機関車になって、人にしてあげる幸せ人でありたいものです。

 人はどうであれ私は私の道を行こうと決意した今年の誕生日でした。メールやハガキ、そして花束やプレゼントをいただいたみなさんありがとうございました。


  「やっと来た ついに来たかと 高齢者 なってしまえば 気分サバサバ」

  「これからが わが世の春と 大威張り へつらうことなく 生きてやろうと」

  「わが家には 立派な見本の 親父いる 似ないようにと 似たいものだと」

  「まだ若い 私若松 老いてなお 気分まだまだ 負けてなるかと」

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○原風景が素晴らしい寄居町

 深谷での講演が終わり、あくる日の会場である寄居町中央公民館を下見した後、黒瀬さんにその夜の宿であるかんぽの宿へ送ってもらいました。夜の帳が下り雨模様や土地に不案内なこともあってその日は余り気付きませんでしたが、ふと昔のことを思い出しました。私が初めてこの寄居町を意識したのはこの町の役場に勤めていたSさんがきっかけでした。Sさんはその後県公連に転出しましたが、何かにつけて出会いを深め何かにつけて議論をしたものでした。もう一つは私の町が双海町から伊予灘町に町名変更をしようとした折り、荒川の上流である長瀞町の町名変更の顛末を調査に、秩父鉄道を乗りついで一人やってきたことがあるからです。Sさんのその後のことも町名変更騒動も過去のことなので、余り触れたくはないのですが、それでも私にとってはつい昨日のことのように蘇ってくるのです。

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 旅の疲れがそうするのか、金山温泉という埼玉県では珍しい温泉の湯が温めてくれたのか、はたまたきのこ三昧という美味しい料理のせいなのか、早めに床についたため、早い目覚めとなりました。早朝読書をしたり、朝風呂に入ったりしながら外の風景を眺めていると、周布と言う地名そのままに白い霧が山の中腹をゆっくりと流れ幻想的な風情を醸してくれました。

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 昨日は午後からの講演会だったので、かんぽの宿で11時まで、久しぶりにゆっくりとくつろぎました。やがて黒瀬さんが迎えに来られいよいよスタンバイです。驚いたことに私の似顔絵が掲示板や至る所に張り出され、また会場の玄関には私のな目入りの看板がこれでもかと言わんばかりに立てられて恐縮してしまいました。やがて少し早目の昼食となりました。地元では有名なかつ丼を楽屋で食べさせてもらいましたが、これがまたとてつもなく大盛で、美味しさに下包みを打ちました。

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 さてこの日の会場は中央公民館のホールでしたが、500席の会場はかなり埋まっていました。残念ながら楽屋から直接ステージにあがったため、会場の写真を撮ることができませんでしたが、舞台の設営も見事でしたし、皆さん方の役割分担のしっかりと打ち合わせができていて一糸乱れれぬ運営はさすがプロだと思いました。

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 90分の講演はあっという間に終わりました。私がステージから見る限りでは、13時30分からの講演にもかかわらず眠る人はまずいないようでしたし、私の話の最中も大きな笑うの渦ができてかなりの手ごたえがあったようです。その反響は講演が終わって帰途に就くので玄関先へ出ると、沢山の参加者が待ち構えていて、色々な感想を言いながら私を最大限に持ち上げてくれました。

 後ろ髪惹かれるほのぼのとした思いで寄居の駅から、東武東上線に乗って小川町を経由して池袋へ出て、埼京線で新宿へと向かいました。

  「ああそうか ここが寄居か 昔来た 思い出すのに 時間かかりて」

  「会場の 入り口辺り ウォンテッド 私似顔絵 沢山張られ」

  「実物も さることながら 似顔絵も 男前だと 自画自賛し」

  「聞く人の よき反応に 助けられ どうにか役目 終わりて帰る」
   

 

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○深谷での大里地区公民館研修会での講演

 9月30日に予定されていた松山工業高校の創立100周年記念大運動会が雨で順延になり、10月1日になりました。運動会だけであれば所用があればキャンセルできるのですが、この日は運動会終了後学校評議員会があるので外すことができず、評議委員会に参加してからと結局飛行機便を最終まで遅らせましたが、運動会の閉会がこれまた遅れ、評議員会へは出席したものの途中で会議を退席し、埼玉県での講演を二日間受けていたため東京へ旅立ちました。


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(県立松山工業高校の百周年記念大運動会)
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 東京で一泊したこともあって明くる日はスムーズに埼玉入りすることができたものの朝から雨に遭い、予定いしていた新幹線ではなく思い切って、新宿駅から高崎線で熊谷まで行くことにしました。到着してから今回の企画の中心的役割を果たしてくれた埼玉県寄居町の黒瀬仙一に熊谷駅まで迎えに来ていただきました。黒瀬さんとは4年前に出会って以来何かにつけて手紙のやり取りがあって気になる人なのです。


 今回の埼玉行きは、寄居町中央公民館の黒瀬仙一主任さんが津久井寄居町長さんの発想した親学講演会の6人の講師陣の中に私を加えてくれたからでした。講師の中には国連開発計画親善大使の女優紺野美沙子さんなどもいて、私を除けばそうそうたるメンバーなのです。第一回目は紺野美沙子さん、第二回目は中央大学教授の広岡さん、第三回目は私、第四回目は精神科医の香山リカさん、第五回目は京都造形芸術大学教授の寺脇研さんなどその道を極めた人ばかりなのです。

 私が何故選ばれたかは定かでありませんが、聞くところによると東京で開かれた講演会で私の話を町長さんが聞いていたので、黒瀬さんの提案がスンナに決まったようです。他の人は知名度もあるので公民館ホールの積は満席になるのでしょうが、まったく知名度のない私は、主催者に、とりわけ私を選んでくれた町長さに恥をかかせることのないよう、多少の不安はあっても、ましてや参加した人の数が多少少なくても来た人重視で臨みたいと思いました。私は若いころから埼玉県とは殊の外縁が深く、昔教友社という出版会社に勤めていた北本市に住む工藤さんと知り合ったことが縁で、とりわけ社会教育関係者に地縁人縁が今も深いのです。

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(文通をしている龍前宏さん)
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(大洲市出身の永田隆さん)
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(大里地区公連の研修会風景)

 黒瀬さんはそのため前日に寄居の矢部伸昭中央公民館長さんが会長を務めている大里地区公民館連合会の研修会を抱き合わせて開催して私は前日の講師も務めることになったのです。「これからの公民館活動・社会教育活動に求められるもの」と題した講演会には100人を超える関係者が集まり、事例発表屁の助言などもさせてもらい、さらにさらに出会いを深めることができました。

 会場となった深谷市幡羅公民館には文通をしている熊谷市の龍前宏さんや、双海町在住の西田利子さんのお兄さんである永田隆さんも駆けつけていただき、お土産まで届けてくれて恐縮してしまいました。


  「遠隔の 土地だというに 知り人が 次々訪ね 深いお出会い」

  「その昔 あんたの話し 聞きました 町長さんも 楽屋訪ねて」

  「痒いとこ 手が届くよに 気配りを 私は言うまま 壇上あがり」

  「公民館 離れて月日 経つけれど 思い変わらず 熱めに話す」

  

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○埼玉県へ出張します

 今日から埼玉県へ出張します。帰りは日曜日になります。

 土産話を持ち帰る予定です。御機嫌よう。

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○ススキを活ける

 わが家は田舎ゆえに滅法敷地が広く、菜園に使っているところを加えると660坪もあるのです。若いころは何ともなくかえって広いゆったりとした敷地に満足していましたが、庭の手入れを一手に引き受けていた親父が9月で満92歳となり、私も後三日もすれば満65歳の高齢者となるため少々手を焼いてきたというのが正直な話なのです。「歳をとったら都会のマンション暮らしが一番」と、仲間が話す言葉を聞きながら、「なんて馬鹿なことを言うのだろう。歳をとったら自然とともに暮らすのが一番」と思っていましたが、今になって仲間が話している言葉の意味がわかるようになってきました。確かに無機質な都会のマンション暮らしは私の性分には合わないものの、「じゃあ誰が庭木の剪定をし草を刈ったり引いたりするのか」と尋ねられると、行く先々不安が頭を持ち上げるのです。


 今は私が草刈り機で草を刈り、親父が草を引いたり庭木の手入れをしていますが、親父もあと2~3年が限界のようです。同居を望んでいる息子もいずれ帰って来るでしょうが、果たして私が親父の代役を、息子が私の代役をできるかどうか疑問が多いのです。私は親父のように庭木の手入れをする技術を持ち合わせてはいません。息子も草刈り機など使ったことがないのです。あらためて遺し伝えることの大切さを思うのですが、残念なことに世代交代のシナリオはまだまだ未熟なままなのです。

 近所にそれは見事な庭や盆栽を作っていた家がありました。ご夫婦が亡くなって既に5~6年が経ちました。最初の1年は度々息子さんが帰って家の戸を開けて風を入れ、庭の手入れも行っていたようでしたが、そのご1カ月が2ヶ月、3ヶ月と遠のいて、今ではすっかり雑草に覆われて無住の庭となっているのです。その家では優秀な息子さん二人は都会に出て帰って来る当てはないので、再興は難しいようです。

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 「今にわが家も」と不安がよぎりますが、妻が「お父さんも息子も働き者だから大丈夫」と太鼓判を押してくれています。

 先週に日曜日、私のゼミの学生19人がわが家へやって来ました。妻は数日前から肩が凝るほど張り切って掃除をしていました。突然「玄関先へ花を活けるのでススキを取ってきて欲しい」とせがまれました。「急に言われても近くにない」と私が言うと、「畑の畔にススキが沢山あるから」と剪定鋏まで手渡されました。行ってみると確かにススキは新穂を出していました。石垣の近くなので慎重に切り取り10本ばかり取って帰り妻に手渡しました。妻は早速砥部焼の花瓶に活けてくれました。

 花は買うものと思っていますが、どうしてどうしてこの時期のススキの穂は見事に玄関先に秋を演出して、やってきた楽師たちを温かく迎えてくれました。外はもう秋真っ盛りです。彼岸花はもうそろそろ終わりに近づきましたが、ススキは虫の音とともに当分秋を満喫してくれることでしょう。


  「野の花を 活けてお客を 出迎える 綺麗なススキ お褒めのことば」

  「この庭を 誰が守るか 俺の後 心配するな 息子がちゃんと」 

  「荒れし庭 近所の姿 焼き付いて 転ばぬ先を われと重ねる」

  「わが部屋の 窓に初秋の 気配見ゆ 露草露が 朝日輝く」

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○孫奏心の寝返りを喜ぶ爺馬鹿

 一昨日の夜、長男の息子から電話がかかってきました。人間牧場のかまど小屋新築工事も無事終わり、元請けの大工さんから請求書が出たので支払いをと言うのです。月末だし月も変わるので早速支払いをしようと金策に走りました。金策といっても銀行預金を引き出すだけなのですが、所用があって隣町長浜へ行ったついでに、オンラインで結ばれていることをいいことに隣町の銀行で引き出しました。地元の銀行は何となく引き出しにくいもので、自分の預金といいながら人の目を気にせず引き出せてホッとしました。

 私は貧乏性なのか普段は店外に設置されているATMを利用して通帳記入をするだけで、殆ど銀行などへは行きません。行かないといより全てを妻に任せきりなので必要がないのです。したがって銀行は何処か敷居が高いのです。たまに行くと支店長さんが応接間に案内してくれて雑談に講じます。というのも支店長さんは、私が日銀松山支店が事務局を持っている愛媛県金融広報委員会で、金融広報アドバイザーをしていることを知っているので、情報交換したいと思っているのです。

 資金支払いの準備ができたので松山市の息子が勤める設計事務所まで持って行きました。息子の立て替え払いも含めると片手を有に超える帯のついた金額なので、久々に少し緊張しました。

 「ついでにみかんと栗をいただいたので孫たちのところへ持って行って」と妻から頼まれ長女宅を訪問しましたが、駐車場に車があるのに娘はあいにく留守でした。携帯で連絡しましたがこれもあいにく留守でした。仕方がないので厳寒策へ置いて帰りました。聞けば所用で近所まで出ていたとのこと、孫朋樹は学校、孫尚樹もお預け保育に入っているとのことで結局は合わず終いでした。

 続いて長男家族が住んでいるマンションを訪ねました。一昨日息子からかかった電話のついでに、孫奏心が寝返りをしたという話しを聞いていたので、顔を見るのが楽しみでした。6月に生まれた孫奏心は母乳も沢山出て満ち足りているのか丸々と太って元気そのものです。この日はあいにくお昼寝タイムだったので、そっと寝室へ入って写真を撮ってやりました。目敏くそれを見つけたお兄ちゃんの孫希心は、僕も撮ってとせがむのです。

 孫希心も2歳の誕生日を迎えおむつが取れそうで、お兄ちゃんパンツを履いたと喜んで見せてくれました。

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(上は寝返りを打った孫奏心、下は2歳の孫希心)
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 「寝返る」という言葉は普段、余りいい言葉として使われませんが、子どもの成長にとっては極めて大事な通過点なのです。生まれてからこの方天井しか見て暮らさなかったののに、自分の意思で反転し地上からものを見たのです。そのうち騒々しくて目を覚ましたようですが、寝返りしたといいながらまだぎこちなく、手助けをしてやると喜んで寝返りを見せてくれました。

 寝返りの次ははいはい、その次は座る、歩くと成長して行くのでしょうが、加齢とともに気力も体力も下降線をたどっている私とは反比例して上昇線をたどっているのです。孫の成長に目を細めながら栗とみかんを渡し岐路につきました。折しも秋雨前線の影響がかなり激しい雨が軽四トラックのウインドーを洗っていました。学校評議員をしている松山工業高校の運動会も学校評議員会も明日に順延され、昨日は久しぶりに自由な時間を満喫しました。折しも南太平洋でマグニチュード8の大地震があり、津波注意報が発令されるなど、カーラジオは繰り返し警戒を呼び掛けるなど、9月最後の日は慌ただしい一日になったようです。


  「寝返りを うったと息子 電話あり 見に行く爺 馬鹿もええとこ」

  「銀行は 俺の肌には 合わぬとこ 貧乏人の 血筋流れて」

  「運動会 雨で延期の 連絡が 空いた予定を 気の向くままに」

  「支払いを 終えて工事が 段落す ホッと一息 九月の最後」 

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○今月のメッセージ

 北海道での講演旅行から帰って10日間が経ちました。ブログにそのもい出を書きながら訪ねた町、出会った人を思い出しつつやっと名刺や資料の整理を終えました。美幌町観光ボランティアガイドの会のホッとあいず三浦さんからは、相変わらず薀蓄のある多少長めのメールが届いています。そのメールで私の弱点だったパソコン技術が、少しレベルアップしそうな気もしますが、相変わらず忙しくてまだチャレンジすることができず、気になっているところです。


 津別で出会ったオホーツク寒気団のメンバーに上杉さんという役場職員がいました。交流会の別れ際「今月のメッセージ」と書かれた一枚の紙を渡されました。「縁がつなぐまちづくり講演」というタイトルでこの文章に私のことが書かれているのです。右上にN060 平成21年3月1日と書かれているので、察するに毎月このような文章を書いているのだろうと思われるのです。

 私が前回大雪酷寒の美幌町を訪問して講演したのは2月23日でした。その降り私の話を聞いた上杉さんは私の話しを聞いた感想を書いてくれているのです。重要なポイントと思われる所は黒いゴチック文字で書かれていますが赤面の至りだと思いながら読みました。

 私の文章の下にほんの7行程度「到知3月号より「究極の幸せとは」という文章が載っていました。私も常々幸せとは何か」を解いているので興味深く読ませていただきましたので紹介しておきます。

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(上杉さんの今月のメッセージ)

 チョーク業界大手日本理化学工業会長の大山康弘氏が、「知的障害者に導かれたわが経営、わが人生60」を語っている。従業員の7割を知的障害者が占めるだけでも驚きである。知的障害者が人に幸せとは働くことだと気づかせてくれた。企業は儲けることも大事だが、人に喜びを与えられることが大きい。人間の究極の幸せは四つある。愛されること、人に褒められること、人の役に立つこと、人に必要とされること、そして愛されること以外の三つは社会に出て働いてこそ得られるものと光り輝く言葉との出会いである。


 私が考える幸せには、人にしてもらう幸せ、自分でできる幸せ、人にしてあげる幸せの三つだと話していますが、私が思う究極の幸せとは人にして貰う幸せなのです。大山康弘氏が言っている人間の究極の四つの幸せとは多少とらえ方が違いますが、知的障害者が一生懸命生きて働くことは、ある意味人にしてあげる幸せかもしません。 私はある意味健常に生まれました。一生懸命生きている知的障害者から比べると何でもできるのですからもっと究極の幸せ、つまり人のためにしてあげる幸せを求めて行動しなければならないのです。自分のことしか考えない人が多い現代ですが大山康弘氏の言葉は思い言葉だと思うのです。

 そして人の話を聞いたり、本を読んで気がついたことをメモに書きとどめ、こうして活用している上杉さんも立派な生き方だと敬服しました。


  「本を読み 人の話を 聞いたとて 生かさなければ 何の役にも」

  「この人も ポジティブ生きる 術を持つ 人とお見受け 感化を受ける」

  「文章に 自分のことを 書いた人 赤面しつつ 出会い深める」

  「幸せは 一体何か 探しつつ 人生歩む 今日も明日も」

 

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○公民館職員研修会に招かれて

 公民館と言えば私が駆け出しの頃の13年間も務めた場所です。いわば地方公務員として35年間勤めたデビュー職場でした。そしてその職場で日本一の公民館主事を目指して様々な活動を試みて生きてきました。公民館がなければ私の人生もなかったと思うほどに私の人生にとって公民館は大恩人なので、ゆえに公民館から声がかかれば何はさておいて「恩返し」のつもりで馳せ参じるのです。

 昨日は西条市中央公民館の招きで職員研修会に出かけました。西条市には2市2町が合併したこともあって30近くの地区公民館があるそうですが、合併したこの4年余りで画一化が進み、館長・主事さんともに非常勤化を目指して館長・主事2人体制化が進んでいるようです。

 昨日の集会には館長と主事のどちらかが残らなければならず、主に事務職員の女性主事さんが集まっていました。ゆえに余り難しい専門的な話をしても理解されないかもしれないと思い、前半は私がかかわった公民館人生を語り、後半は今の公民館を見ての感想を交えた「ないないづくしの公民館10カ条」について話します。

 
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  ないないづくしの公民館10カ条

 ①一山100円で特徴が見られない公民館

 ②子どもと青年と婦人が集まらない公民館

 ③職員のやる気が感じられない公民館

 ④事業バランスが崩れている公民館

 ⑤金がないし知恵もない公民館

 ⑥公民館運営審議会が機能していない公民館

 ⑦いのちとくらしに役立たない公民館

 ⑧地域の自治能力が向上しない公民館

 ⑨行政に当てにされない公民館

 ⑩未来性がない公民館


 それにしても県内とはいいながら、また対象が違うといいながら同じ街へ二日続けて招かれるのもめずらしいことですが、前日は担当課長さんが知人であること、昨日は公民館が恩人であるゆえの講演となったのです。

 昨日講演が始まる前に館長さんや主事さんと講師控室で雑談をしました。「若松さんのブログを見ると朝4時なんて記録がありますが、一体一日何時間くらい寝るのですか?」と尋ねられました。「朝4時に起きてブログを一本書き、寝る前にまたブログを一本書く、寝るのは12時ころです」と答えると、「エッ、じゃあ一日4時間しか寝ないのですか?、それでよく体が持ちますね」と返ってきました。

 そういえば私の体内時計は役場に入った40年前からこのリズムで変わらす動いていることになるのです。ゆえに一日8時間寝る日本人の標準就寝時間から見ると毎日朝2時間、夜2時間も多く起きて働いている計算になるのです。これに40年をかけると膨大な時間になるのですから驚くと言うほかはないのです。身近な比較はわが妻です。私より毎日4時間も長く寝ているのに、毎日眠たいと寝不足を訴えています。果たして二人の違いは長くも短い人生においてどんな差が生まれるのでしょうか。

 先日「人の睡眠時間」について面白い話を聞きました。あるノーベル学者は私と同じ毎日4時間でした。でもその人は医者でありながら自分の寿命を述べることができず83歳で亡くなっています。近所のある平凡なおじいちゃんは毎日10時間寝て100歳を超えて生きました。年齢的にはノーベル学者の方が短命なのですが、どう生きたかと問われたり、何時間働いたか問われるとどちらとも言えないのです。要は人それぞれなのです。


  「公民館 私にとっては 大恩人 恩返しする 当り前だと」

  「何時間 寝るの?と問われ 四時間と 答え驚き 自分発見」

  「若松さん 寝ないと今に 寝たきりに 言われ驚き 昼寝決め込む」

  「わが妻と 夫婦同床 四十年 だけど毎日 たかが四時間」


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○育児講座「たくましい子どもを育てるために」

 昨日と今日も二日続けて西条市へ出かけます。昨日は西条市総合福祉センターでの育児講座、今日は公民館職員研修会です。このように私の場合は揺り籠から高齢者まで幅広い講演をこなしていますが、昨日の夜も妻が感心しながら「よくもまあ行くところもあるねえ」と感心し、「今日は何の話をするの?」と聞き返してきました。私は「その場に行ってみないと分らない」と答えたのです。そのように私のカンピューターはその場所の雰囲気を感じながら組みたてて話すので、他の人のようにレジメを作ったり、事前に準備をしたりすることが少ないのが悪い癖なのです。「まあいいか」と安易に請け合い。考えもせずに行動する悪い癖は直さなければと思ってはいますが、多分思ってももう治ることはないと思い自分の意志を貫いているのです。

 会場の控室につくなり友人から「今どこ?」と携帯電話が入りました。「西条」と答えると、「エッ、斎場?、誰が亡くなったの?」、私「・・・・・・・・・・」でした。日本語は難しいですね。

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(昨日のチラシ)

 昨日はかつてまちづくりセンターに出向していて、何かとお世話になった國田さんが課長をしている女性児童福祉課内にある西条ファミリーサポートセンターから依頼の育児講座で、玄関先で検診車が検診をしていて多少で遅れしましたが、そのうち満員になるほど沢山の人が集まっていました。

 さてどんな話をしようかと迷いましたが、家庭の変化を主に話そうと思いつれづれなるままに話しました。多分次のようなことを話したのではないかと思うのです。

  家庭の変化

 ①子どもの数が減った

 ②子どもの毎日が忙しくなった

 ③子どもの家庭的な役割がなくなった

 ④子どもの遊びが変わった

 ⑤家庭的感動がなくなった

 ⑥子ども部屋ができた

 ⑦ものとお金が豊かになった

 ⑧消えた仏壇教育

 ⑨父親より母親が強くなった

 ⑩家庭の最大の影響力はテレビになった

 この話題を中心にお話ししました。


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 昨日は参加者の年齢幅が広く、他多焦点を合わせることが難しい感じもしましたが、皆さん笑顔を交えて楽しい集会となりました。ボランティアによる臨時の託児所が隣の部屋に開設されてお母さんたちは安心して学習に励んでいました。講演が終わってお暇するとき参加した多くの参加者から好評をのお声をかけていただきましたし、帰宅後担当の膳課長補佐さんからもアンケートの結果をメールで知らせていただき、ほっと一息ついたところです。何と参加した二人の若いお母さんからも嬉しいメールが届きました。ありがとうございました。


  「何話す? 聞かれるけれど 分らんと 妻に答えて 今日も講演」

  「嬉しいね 良かったですと メール来る 今時ママさん しっかりしてる」

  「子育ては 育児書にない ことばかり 自分流儀で 育てる工夫」

  「西条と 電話で言うと 斎場?と 間違う友に 呆れかえって」

 


 

 

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○人間牧場のメンテナンス

 人間牧場も開設以来5年目を迎えると、そこそこ傷んでメンテナンスが必要になってきました。一番の傷みは何といってもキツツキの被害です。杉板の外壁は材質が柔らかいため、キツツキの恰好の住処と勘違いしたキツツキが、まるで大工さんのドリルやノミのようにガンガン突きまくるのです。お陰で水平線の家とロケーション風呂は満身創痍といった感じで、あちらこちらに無数の穴があいているのです。

 これまでにも何度か穴を修復し、周りに防鳥網を張り巡らしましたが焼け石に水といった感じで一向に対策の効果が出ず、切り張りした外壁が何処か違和感を感じるのです。それでも防鳥網はこれまで10匹ものアカゲラを捕えました。その都度愛鳥精神が頭をもたげて心が痛みましたが、これも人間と野鳥の宿命と思い断腸の思いで捕獲してきたのです。今回もかまど小屋の工事で大工さんが来ているので再度穴をふさぐ工事をして貰いましたが、いつまで持つか心配をしています。

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(作業前のウッドデッキ)

 人間牧場には海に向かって畳25畳もの広いウッドデッキがあります。デッキの端には手すりもないような危険極まりないもので、来た人は一応にそのことを指摘しますが、今まで5年間一度も、また誰ひとり落ちた人はないので、むしろ開放感があってよかったような気もしています。

 このウッドデッキには夏場だけステンレス製のパイプが組まれ、その上に防虫用の蚊帳を張る予定にしていますが、今年はその蚊帳も張ることなくシーズンを終えたので、先日長男の息子と二人で取り外しウッドデッキの下に収納しました。来年まで眠ることになるのです。

 このウッドデッキも雨風に晒されているため10年が寿命だと思っていますが、年に一度は防腐剤を塗って長持ちさせようと、息子と二人でこまめに補修してきました。

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(防腐剤塗布中のウッドデッキ)

 今回は今までの無着色な高価な防腐剤を止めて、少し安価な防腐剤特有の茶褐色のついた防腐剤を塗ることにしました。1缶まとめて買うので2回は濡れるほどの量です。息子と二人で片方から念入りに塗って行きました。この日は残暑が厳しく日陰の私は楽に塗れましたが、休日を返上して手伝ってくれた息子は汗だくでした。こうして親子で水入らずの作業をすることもそんない多くはないので、幸せ感に浸りなながら色々な話をして作業をしました。

 広いといっても二人で塗るのですから物の1時間程度で作業あ終わりました。防腐剤特有のきつい匂いになやまされることもなく、立派に仕上げることができました。これで一雨降ると表面の脂分が流されて点着し、足にべとつかなくなるのです。

 アウトドアーの活動はこうした仕事が楽しいので、これからも積極的に人間牧場を活用して大いに人生を謳歌したいと思っています。昨日西予市野村山奥組の、私のミツバチの師匠である井上さんから、ミツバチの巣箱4号の近況問い合わせのメールが入りました。そろそろ採蜜をしたいと思っていた矢先の問い合わせに再び胸をときめかせながら、今度は息子も参加させてやりたいと、井上さんに変身のメールを送りました。

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(防腐剤をを塗った後のウッドデッキ)

  「キツツキの 被害に遭った 外壁を 三度四度と イタチごっこで」

  「五年間 毎年こまめ 防腐剤 腐らず塗って 腐らず保つ」

  「ウッドデッキ 息子と二人 刷毛で塗る 異臭も秋の 風に流され」

  「束の間の 休日返上 牧場で 親子黙々 それぞれ仕事」 

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