shin-1さんの日記

○「お時間です」というメモの波紋

 昨日は年金友の会の研修会に招かれ大洲へ行きました。そこでとんでもないハプニングがありました。主催者から前もって「2時ころに来てほしい」という連絡だったので、30分前の1時30分に会場となっていた大洲総合福祉センターへ到着しました。プログラムには13時05分から私の特別講演と書いていたので、その通りになりだろうと思っていました。ところが私の前の人が少し長く話したのでしょうが、私の話が始まったのは2時30分近くでした。司会をしていた方が顔見知りだったため、押している時間を気にされて私の紹介は「ご存知の方」程度に抑えて話が始まりました。

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 1時間の講演時間と聞いていたので、始まってから1時間、つまり3時30分まで話をするべく自分に暗示をかけて話を進めました。ところがいよいよ話しの佳境に入った3時15分にいきなりステージの隅から係の人が、「もうお時間です止めてください」というメモを手渡されました。後10分の話は話をする人間にとってまとめになるとても大事なエキスの部分なのですが、主催者からの待ったですから1~2分お話をして仕方なく講演を打ち切りました。私にとっても聞く側にとっても昨日は後味の悪い講演となってしまいました。運の悪いことに昨日は帰る途中双海町満野の津田酒店前海岸国道でパトカー5台、救急車もも出動するような大変大きな交通事故があり、通行止めの列は延々長浜町今防を超えていました。ノロノロ運転が続き現場を通り過ぎるのにかなりの時間を要し、夕方の会場掃除が気になりながら帰宅したのです。

 ほぼ万弁に一年中講演活動を行っている私が一番気にして守っているのは講演の終わりの時間です。私が受講者という反対の立場になった時、終わる時間を守らない講師の話はいくら内容が良くっても、興ざめしてしまう経験を何度もしているからです。始まる時間は主催者が決めるので講師はどうすることもできませんが、終わりの時間を守るのは講師の責任なのです。

 退職して4年半があっという間に経ちました。その間毎年のようにほぼ1カ月に10回程度、つまり年間120回も壇上に上がって話をしていますが、この4年半で初めて味わったメモの投げ込みに少なからず動揺を覚え、自分自身では後味の悪い講演会になってしまい、受講者にすまない気持ちでいっぱいです。

 私の後には有名人の落語が予定されていたようで、私の話の時間より本命と目されている芸人の話しの方が主催者にとっても参加者にとっても楽しみだったに違いないと、自分の非力さに納得した一日でした。


 でも収穫もありました。「毎日三枚のはがきを書いたら幸せになれる」という広島に住む半田さんの話をしましたが、会場内に半田さんの近しい親戚の人が来ていて、帰りに感想や半田さんの近況を聞くことができました。立ち話だったので詳しいことは分からず断片的でしたが、火事に遭ったこと、大切なハガキなどがほとんど焼失したことなどを話されていました。今日にでも見舞いのハガキを出そうと思っています。

 毎回のように自宅へ帰ると妻が、「今日はどうだった」と聞いてくれます。その都度その日の感想を話すのですが、「今日はちょっと物足りなかった」と話すと、気持ちを察してか優しいねぎらいの言葉をかけてくれました。「そうだまた頑張ろう」と心を新たにし、煙会所に仲間を迎え入れる準備をしました。


  「時間です いきなり貰う メモを見て 時計の針は 残りあるのに?」

  「どうだった 妻が声かけ してくれる 物足りないと ポツリ一言」

  「まだまだだ 修行足りぬと 自戒する 次はしっかり 肝に銘じて」

  「落胆の 気持ち引きずる 途中にて 事故で渋滞 少しうんざり」 

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○わが家の家庭用サウナに入ってリラックス

 広いつもりで30年も前に建てたわが家は、4人の子供がそれぞれ独立して家を出てから二階の4部屋全てが空き部屋となり、一番日当たりのよい場所を選んだ祖母の部屋も空き部屋となって孫たちの遊び道具を置く部屋となっています。しかしこれほど広い家も今は夫婦だけしか住んでいるのに、何故かそんなに広いと感じないのですから不思議です。一つ違いの妻は私の後追いのような形で来年は65歳になるので、そろそろ老域を想定してか、最近使わなくなった子どもの持ち物や着る物、それに使わない食器類を整理して廃品や不燃物回収に出していますが、それでも家の中は中々片付かないようで、絶えず私と口喧嘩ほどではないにしても捨てる捨てないで言い争っています。まあこれも他人から見れば他愛のないことなのです。

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(わが家のローカの隅に置かれた家庭用サウナ)

 そんなところへ3年前、息子が変な道具を運び込みました。家庭用サウナです。建築関係の設計の仕事をしている息子は、様々な建築施主さんと出会いますが、時々これは勿体ないという物品を処分方々差し上げるから引き取ってほしいと頼まれるようです。その都度私に打診があり、これまでにも食器棚や大理石の石板などをいただき、わが家の下位にランクされるものと交換して使っていますが、この家庭用サウナはまだ殆ど使用していない新品で、脱衣場にでも置いて使用したいと息子が提案しました。しかしドアで仕切られた脱衣場へは大き過ぎて入らず、結局は洗面所を兼ねている広い廊下の隅の箪笥を除けてそこへ落ち着かすことになりました。

 以来わが家には似て似つかわぬ家庭用サウナが畳半畳分をわが物顔に占拠しているのです。最初の頃は物珍しさも手伝って、息子や私が「こりゃあいいものを貰った」とばかり感心しながら交代で裸で入り重宝していましたが、そのうち狭いことから次第に忘れ去られ、夏の暑いこともあってこの半年は全く使われず終いでした。


 一昨日、かまど小屋の火入れのために戻った息子が家に帰り、久しぶりにサウナを使いたいと言い出しました。私もこのところの忙しさでひと汗かきたい心境だったので同調して利用することにしました。息子がサウナに入っている間にお風呂を沸かし、シャワーと風呂の併用で束の間の賑やかな休日となりました。

 息子も私も70度程度に上がった家庭用サウナに3回ずつ入り存分に汗をかき水の冷たいシャワーを浴びたり、最後は温かい風呂で汗を流しすっかりりラックスの日曜日でした。息子は「お父さん自宅でサウナを楽しめるなんて最高じゃろう」と自画自賛していますが、妻は「電気代がどのくらいいるのだろう」と主婦らしく入らぬ詮索をしているようですが、「家族が楽しめるのだから目くじら立てないように」とは息子の弁でした。

 最近人間牧場の整備のこともあって、息子たちと共通の話題ができたのか盛んに歩み寄って会話を交わすようになりました。自分の息子と親父の関係は意外と反感反目するものだと友人が述懐しているように、お互いが気になりながらも歩み寄れないものなのです。私の場合もそうでしたが、人間牧場を造る計画の中心に息子を巻き込んだため、お互いがお互いのことを理解し合い、時には反感反目しながらもいい親子関係が出来ている今日この頃です。


  「家庭用 サウナに入り いい気分 親子仲良く 会話を交わす」

  「電気代 妻は懐 気にしつつ 親子でサウナ 仲よき嬉し」

  「そういえば 歳とる毎に 汗をかく ことも少なし いかんいかんと」

  「本当は 外汗でなく 中汗を 出すよう運動 したいものです」


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○高島屋で買ってもらった名刺入れ

 私は買物があまり好きではありません。ゆえに一人でデパートやスーパーへ買い物に出かけることは殆どないのです。多分結婚してからこの方、買物は妻と決めているので、その必要がなかったからかも知れないのです。妻にとってショッピングを楽しむことは、毎日を忙しく働らいて気持ちが休まる暇のない暮らしの、息抜きのようなものなのでしょうが、同行する度理解し難いほど無駄な時間をかけるのです。

 昨日は娘から私の誕生日祝いにもらった高島屋の商品券があるので、松山では三越とともに上位ランクされている高島屋へ妻と二人で出かけました。仕事の関係上日ごろは田舎の特産品センターなどしか行かない私にとって高島屋はまるで夢の世界のようで、値札を見る度にゼロの単位が一つ違うのではないか?と見まがうほど高価な商品が、これでもかと並んでいるのです。


 機能や安さ重視の私たちのような庶民にとってデパートはまさに高根の花で、手に取って商品を見ていると、店員さんが気軽に笑顔で声をかけてくれるのです。スーパーなどではそんな暇で余裕のある店員さんはいないため、自分勝手に品定めができるような自分中心の買物癖はここでは通用しないことに気がつきました。

 革製品の店を通りかかりました。自分の名刺入れがくたびれてきたので、そろそろ買い替えの時期なので今後の参考にしようと、陳列品の値踏みをしていたら、店員さんが傍によってきて、「名刺入れをお探しですか?」とさりげなく声をかけてくれました。その店員女性の感じが良かったものですから、ついついその口車に乗って、買う予定もなかったのに、行きがかり上仕方なく品定めとなってしまいました。追い打ちをかけたのは妻です。私の名刺入れを毎日のように見ているものですから、「それなんかどう」と後押しの発言です。結局8千円もする高い高い買い物をしてしまう羽目になってしまいました。

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(右から古い順番の名刺入れ、今使っているのは右から3番目)

 私が今使っている名入れは、21世紀えひめニューフロンティアグループが、コカコーラ環境教育賞をいただいた折、賞金とともに副賞としていただいたものです。それまで安物しか持ち合わせていなかった私にとって、特注の名刺入れは目映いばかりの代物でした。以来田舎者の私には似つかわしくない名刺入れのようでしたが、10年以上にわたって大切に使っているのです。私はこれ以外にも木で出来た名刺入れや革製の名刺入れを代替え用に使っているのですが、コカコーラからいただいた名刺入れは今も私の大切な宝ものなのです。

 リタイアしながらまちづくりなどと深い関係を今も持っている私にとって、名刺入れは大切な商売道具です。減ったとは言いながら1年間で1000枚程度の名刺を使いますが、似顔絵入りの名刺は私を表現する最大で再興の武器なのです。

 新しく買ってもらった名刺入れは年齢からしてもう最後の名刺入れになるのかもしれませんが、妻が娘の商品券で高島屋で買ってくれた名刺入れをこれからもせいぜい活用したいと思っています。それにしても買い物に付き合うのは疲れるものですね。少々疲れました。


  「高島屋 桁が違うと 思いつつ お目目白黒 右往左往す」

  「お探しは こんなのどうと 店員に 声をかけられ ついついその気」

  「誕生日 プレゼントにと 妻娘 シックな色の 名刺入れくれ」

  「くたびれて いるが気に入り 名刺入れ 手放す気には なれなく使う」


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○プロや○○家とは

 私はかつて25歳から60歳までの35年間も双海町役場に勤めました。その間教育委員会、産業課、企画調整室、地域振興課とそんなに多くない3回の人事異動で辞令を貰い、定年前の58歳で教育長に就任するため一度退職辞令と就任辞令をいただいて、平成の市町村合併でその役目を終えたのです。私にとってこの長くも短い35年間は橋梁をいただいて働いたのですからプロなので、給料に見合った以上に働き、自分の評価なので周りの人がどういうかはわかりませんがそれなりの成果を上げてきたように思うのです。

 プロとアマとはどこが違うかと聞かれたたら、皆さんはどう答えるでしょう。その仕事で飯を食べてる人をプロと言うのならば、世間の殆どの人がプロなのでしょうが、世間一般ではプロ野球選手、プロゴルファー、プロレスラーなどはその呼び名からして一目瞭然で、契約金も年俸も私たち庶民とはケタが外れた破格のお金を手にしているのです。大相撲の関取りもプロと言う枕詞がついていなくても相撲で飯を食べているのでプロなのです。聞くところによると大相撲の世界では給料をもらうのは関取りと呼ばれる十両以上で、その下は部屋に囲われて食事を提供してもらい、親方から来ず会を貰って生活しているのだそうです。大相撲にはまるでプロとアマが同居しているようなものなのです。

 さて私たちの周りには余りいませんが、東京などに行くと作家、音楽家、画家、噺家、陶芸家など芸術家と言われる人がたくさんいて、それで飯を食べています。俳優や歌手などの呼び名の下には家という字かないものの、こちらも高額なお金を稼いで、セレブと呼ぶにふさわしい人もうらやむ暮らしをしている人もいるのです。

 「○○家」と呼ばれる人たちは、その仕事で家が立てられる人を言うのだそうですが、画家や音楽家がその道一本で飯を食べることは容易なことではなく、その道一筋で飯を食べている人は少ないようです。駆け出しの画家や作家が色々な職種を転々として細々稼ぎ、やがて大成してゆく話はテレビで度々目にする光景なのです。

 今日ゴルフの全日本選手権をテレビで見ていたら、石川遼選手が優勝争いをしていました。高校生なのに早くも頭角を現して賞金ランキングのトップを行く彼の姿は目にまばゆいばかりの活躍で、日本中の大きな話題をさらっていますが、彼もプログルファーなのです。年齢と努力がその道の奥儀を極めると思っていた世間の常識やジンクスをはねのけて活躍する彼は生まれながらの天才なのかもしれません。でも人知れず努力したからこそ花開いたのであれば、彼こそプロ野球選手イチローと同じく努力する天才なのかもしれません。

 そんなことを考えると、税金の中から給料を貰って暮らしている公務員はもっとプロに徹してもらわなければならないと、次回の念を込めて思うのです。先日市役所女性ながら部長職で退職したMさんの話を聞きました。彼女は持ち前の行動力で福祉の分野で大きな功績を残しました。私から見れば彼女こそプロだった思うのです。彼女が合併した大きな市の市役所職員になって思ったことは、挨拶もしないし、仕事に情熱を燃やしていない職員が多くいたそうです。これはプロとかアマとか論じる以前の人間性の問題で、市民らしくない職員の存在はわが住む街の将来に暗い不安を投げかけているようです。

 ある雑誌で平田さんという方が、「自分をプロだと思う者はプロである」と述べています。同感ですがプロと思って欲しい人がプロと思わないのも何だか寂しい気がするのです。


  「プロ意識 持って欲しいが 持たぬ人 何とかせねば この国滅ぶ」

  「ハーモニカ 吹くよになって 早五年 変換間違い ハーモニ家となる」

  「天才と 言われる人の 人知れぬ 努力している 姿感激」

  「曖昧な プロと素人 境界線 プロと思えば プロと言えるが」

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shin-1さんの日記

○かまど小屋完成とかまどの火入れ

 今年の8月2日に着工していた人間牧場のかまど小屋とかまどがこのほどやっと完成し、昨日お世話になった左官さんのご家族を招いて簡単な火入れ式を行いました。「お父さん、かまどは大事だから神様のお祓いを受けておかないと」という妻の助言を元に、氏神様である天一稲荷神社の宮司さんに拝んでもらい、授かったお札を窓辺に供え、更には75歳の左官さんが塩とお神酒を供え、みんなで敬虔な祈りをしていよいよ初釜です。

 前もっておかまの中の広さと深さを測って薪を割り、焚きつけに杉葉を拾うなどして用意周到に準備をしました。何せ初釜ですから、失敗せずマッチ一本で着火するようにと心がけました。みんなの見守る中私が火をつけ、火は次第に大きな災となってクドの中で赤々と燃え始めました。かまどは二連式なので同じようにもう一方にも火を入れましたが、火の引き具合、煙の出具合など、何度もあちこちを点検しながら左官さんとかまどのでき具合を調べました。

 お釜はアルミ製で息子が購入してきた説明書には最初米の研ぎ汁を入れてお湯を沸かしてから使うようにと書いていたので、その通りにしました。

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(慎重に薪を入れ始めました)
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(孫希心の見守る中いよいよ火入れです)
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(最初は米の研ぎ汁で空炊きです)

 この日の朝、四万十市西土佐の親友和田修三さんがわざわざ130キロの道のりを、奥屋内の篠田幹彦さんが手塩にかけて育てた新米を一袋持参してくれました。和田さんとは20年来の付き合いで、今年の春には草刈り十字軍として人間牧場の草刈り作業にも参加してくれていますし、年輪塾ネットのメンバーでもあるので、ネット上で私がかまど小屋を造っていることを知っていたのです。何はともあれ友人の心温まる差し入れに感激しました。

 この米を取り出して息子は米を研ぎました。そして湯釜のお湯を捨てて早速飯炊きです。水加減は左官さんの奥さんと娘さん、火加減は左官さんが担当してくれました。ご飯は僅か20分ほどで焚き上がりました。火蒸しをしたお釜の蓋を開けると何とも言えないほのかなご飯の香りがかまど小屋の中に広がり、どこか子どもの頃の懐かしい思い出が蘇ってきました。

 本当は茶碗でご飯を食べたかったのですが間に合わず、息子は用意した紙のお皿にご飯を注ぎ分け、早速みんなで試食会です。味噌汁も漬物もない、ご飯だけのシンプルな試食ながら、ご飯の美味しさは格別で、夜勤で少し遅くなった次男を含めた7人でご飯はあっという間に底をついてしまいました。特に孫希心は美味しかったのか沢山食べて満足そうでした。

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(美味しく炊きあがったご飯)
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(愛大病院に勤める本田左官さんの娘さんも駆けつけてくれました)
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(ウッドデッキで炊きたてのご飯を食べました)

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(焚きたてのご飯を美味しそうに食べる孫希心)

 わが家は私で4代目ですが、5代目の長男息子一心と6代目の長男息子孫希心の三代が見守る中での火入れでした。五年計画で進めてきた人間牧場の整備もこれでやっと最終章です。設計を手掛けた息子のこだわりもあって、今回のかまど小屋およびかまどの築炉には思わぬ予想い以上の出費となりました。最後は少し妻の援助をいただいてしまいましたが、幸い21世紀えひめニューフロンティアグループの絶大なる援助を得て完成することができました。

 リタイアして5年目の秋を迎え、65歳という私の人生にとって区切りとも思えるこの時期に、夢が一通り実現したことは大きな喜びです。先日ある人から「あなたの次の夢は何ですか」と、唐突に尋ねられました。65歳の今日まで夢に描いていた夢をことごとく手に入れてきましたが、当面は自分が85歳まで心も体も健康に生きること、人間牧場を使って家族や社会に恩返しすること、思いつきで始めた落語ならぬ落伍の小話を150話作りながら夕日徒然草火の書・風の書・空の書を出版公演すること、4年間続いているブログ「shin-1さんの日記」を10年間書くことなどなど、平凡と思えることを毎日続けながら非凡に変えて生きて行きたいと思っています。

  「二ヶ月半 やっとの思い 完成す かまど火を入れ 命吹き込む」

  「四万十の 里で育ちし 新米を わざわざ持参 友に感謝し」

  「息子・孫 私含めて 三代が 見守る果報 大事にしたい」

  「飯を炊く 湯気の匂いに 亡き母の 顔が浮かんで 少ししんみり」

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shin-1さんの日記

○双海町のグルーンツーリズムは楽しいです

 双海町も色々な人の思いが入り混じって、最近沢山の人が訪ねて来るようになってきています。昨日もえひめ地域政策研究センターが主催する地域づくり人養成講座のメンバーがバス一台を仕立ててやってきました。伊予市から出向している松本研究員の配慮によるものですが、せっかく双海町に来るのだから顔をのぞかせようと思い、ピザ釜まで出かけて行きました。

 県内各地からやってきた参加者はピザ焼きに挑戦中でしたが、請われるままに私も参加して生地をこね焼き上がったピザのご相伴にあずかりました。昨日は研修会ということで、市役所もグルーンツーリズムのメンバーも沢山集まり、それはにぎやかな研修会となったようです。

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 グリーンツーリズム活動も関係者のひたむきな努力と、施設なども一つ一つ手造りで増えてゆき、今では観光バスもやってくるようなすっかり有名な場所に変身して、年間3000人を超えて観光客が来ているようで、喜ばしい限りで、20年前に私たちは始めた草創期を思うと隔世の感がするのです。特に先進的に取り組んできた漁協女性部の皆さんたちはこの日も、魚食を入れたピザの新しいメニューをツーリズムの皆さんと試作するなど、何かと協力的で頭が下がるのです。

 この日は4基の窯全てがフル稼働で、翠小学校の見学会やほたるの里加工場で西岡さん夫婦指導によるコンニャクづくりも体験したようで、皆さん満足したようです。


 考えてみれば双海町といえば何にもない地域です。ゆえに20年前までは誰もが何にもないと嘆いていました。まさに田舎嘆きの10カ条でした。それが夕日や花やホタルがきっかけで情報発信し始め、合併で双海町の歴史を閉じるころには県下でも屈指の話題の多い地域になっていたのです。その後もグルーンツーリズムが加わり、「何にもないことは何でもできる」と言わんばかりに発展を遂げているのです。

 やはり地域づくりは人の善し悪しだとしみじみ思うのです。ある意味黎明期は行政が誘導してきましたが、むしろ合併を機に自主独立の道を歩む好ましい方向に向かっているようにも思えるのです。地域自立は「私にできることを私がやる」、そんなこの指とまれ型の人を沢山作って、みんなが楽しんでやることですから、理想に近づきつつあります。もうひと押し、そしてこれを参考にみんなが目覚めて新しい生き方をすればもっともっとこの町はよくなると思っています。私も私にできることを私がやろうと今日も張り切っています。


  「ピザ釜を 作ったところ 大人気 ワイワイ粉こね ガヤガヤ食べる」

  「日本の子 ご飯食べずに ピザが好き まるで外国 理解苦しむ」

  「ツーリズム 自分にできる ことをする コンニャクだって メニューのひとつ」

  「手搾った みかんジュースを 試飲する これは美味いと 下鼓み打つ」 

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shin-1さんの日記

○虫の食べる野菜は健康です

 昨日サワラ流し網に大量のハマチがかかって港に水揚げされたと連絡があり、近隣の友人に差し上げるためおすそ分けをしてもらいました。昨日のハマチは少々小降りでしたが、海水温度が下がり始めたのか身も引き締まっているように見えました。最近は発泡スチロールのトロ箱が出回り、魚を冷やすために入れた氷もちょっとやそっとでは解けず、水分も外に出ないため持ち運びも便利で重宝しています。普通は近所のコンビニで1キロ200円の氷を買うのですが、昨日は港で少しいただいたのと、わが家の冷蔵庫製氷を使いました。

 わが愛車はまだ新品なので、さすがにトランクにトロ箱を積み込む勇気もなく、昨日は軽四トラックの荷台に積んで走りました。伊予市水口農園の水口まり子さんの所へ行きました。まり子さんとは更生保護女性会の研修会で知り合ってから何かと気が合い、つかず離れずの交流をしていますが、年末には葉ボタンの寄せ植えをいただいたり、季節外れのトマトやキューリをいただいています。またつい先日黒豆の枝豆が宅配便で届けられましたが、これがまたとても美味しく、ビールを飲まなくなったことを悔やんでいるのです。

 普通は社長の奥さんが事務所にいて、まり子さんはハウスの中で忙しく働いていいるため、広い農場なので中々出会わないのです。ですからもう1年近くも顔を見ていないのではないかと思うほどなのです。昨日はたまたま事務所のすぐ近くで枝豆の出荷作業をしていたため、奥さんが呼びに行ってくれました。まり子さんは相変わらずの人懐っこい声で面談してくれました。開口一番「キャベツや白菜は育っている?」でした。約1ヶ月前野菜の苗を沢山いただいて家庭菜園に植えていることを気遣っての言葉なのです。

 「先日の台風18号の吹き戻しの風にやられて倒れましたが、何とか持ち直しています。最近は青虫が食べています。虫がつかない方法はないものでしょうか」と近況報告とお尋ねをしました。即答「若松さん、虫も食わないような野菜は人間も食べれません。健康な野菜の証拠です。虫は丁寧に目と手で取ってください。人間も虫がつかないようではダメですね」と、納得な話しに大笑いをしました。

 「若松さん、枝豆とキューリを持って帰ってください。玄米食と聞いていたのでお米も差し上げます」といって、自宅の倉庫まで二人で車を走らせ、居合わせた社長さんが大きな30キロ袋をトラックの荷台に積んでくれたのですたかが魚くらいでこんなにいただく分けにはいかない」と思いましたが、甘んじていただくことにしました。それにしてもいつものことながら水口まり子さんの太っ腹な生き方にはただただ驚かされてしまいます。そして虫が食べる野菜に人間をなぞらえて、今回もいいお話を聞くことができたのです。こういう自信を持って日々を生きている人に会うと何となく勇気をいただくようでホッとするのです。

 私は色々な機会や場所で色々な人に巡り合い、色々なことを学びます。それは断片的ながら私の心の畑を耕したり種をまいてくれるのです。水口まり子さんも畑を耕してくれたり種をまいてくれる一人なので、これからも大切にしたい友人です。


  「虫喰わぬ 野菜作って 何になる なるほどなるほど 納得納得」

  「差し上げた 重さ数倍 いただいて どこか変だと 首振り帰る」

  「時ならぬ 枝豆食べつ 酒止めた ことを後悔 食卓囲む」

  「ああ今日も 人生学校 また一つ 教えいただき 少し利口に」  

 

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shin-1さんの日記

○浅い眠りと深い眠り

 今朝親父の隠居に行くと「近頃夜が眠れない。昨晩は眠りが浅かった」と私に言うのです。そして「○○の夢を見た」とか「○○が気になる」などと寝れない原因を並べるのです。普通は気丈な人間でこれまで余り言わなかったのですが、さすがに寄る歳波には勝てないのか、少しずつ弱音を吐くのです。妻も私も日中は殆ど家におらず、自分ひとりが留守番をしていると、ついつい考える事が多くなるのでしょが、息子の私にしか吐露できないために話しているのだと思って、もっぱら聞き役に回るのです。

 親父の話しによると最近夢に10年前亡くなった母が出てくるというのです。92歳の高齢になると死への不安とこれからの生き方、この家の将来のことを色々考えるのも無理からぬことなのです。

 親父の一日は午前5時に始まります。起床するとまず顔を洗って神棚と仏様にお祈りをします。そして特老付近まで片道1キロ程度、往復2キロの散歩をします。近所の人の話では92歳とは思えないしっかりとした足取りで歩いているそうです。帰るとパンをトースターで温めてハチミツを塗り2枚食べます。食事が終わると午前中は天気が良ければ殆ど毎日畑に出て仕事をするのです。お昼になると近所に住んでいる姉や叔母が色々な物を持ってきてくれて昼食を済ませ、午睡をⅠ時間ほど取り、午後は主に自分の趣味である骨董品の手入れや大工仕事をしているようです。午後4時になるとご存知時代劇の水戸黄門を見て夕方まで過ごすのです。

 夕食はご飯以外は妻が運びます。私と同じように肉は余り食べないので魚と野菜が中心で、刺身は好物なのでほぼ毎日盛って行きます。こうして一日を終え、風呂に入って午後7時過ぎには床に就くのです。眠りに着く時間が早いので朝5時の起床まで有に9時間は寝ていて、午睡昼寝の1時間を加えると10時間は寝ている計算になるのです。これでは眠りが浅いはずなので、言われても余り心配はしていないのです。

 私の場合など12時に寝て、午前4時に起きるのですから一日の睡眠は僅か4時間です。したがって床について眠るまでは余程のことがない限り5分以内です。でも親父の浅くて長いダラダラ眠りではなく、深くて短いぐっすり睡眠なので、別に寝不足と感じたことはないのです。

 親父に「寝不足で死んだ人はいない」と、よく冗談交じりに話します。拷問などで寝させない話を聞きますが、人間は眠たくなったら脳も体も寝てしまうのですから別に心配はないのですが、重要なのは脳を悩ます心配ごとです。親父の話では私の息子、つまり「この家の跡取りが親と同居しない現状だと、今にこの家は潰れる」という心配もあるようです。また自分の老骨も忘れて私の体のことも気がかりのようです。まあ悩みの種は尽きないようで、そんな煩悩に悩まされるのは生きている証拠ですから、孤独にならぬよう出来る限り隠居へ足を運び、話し相手になるよう心がけたいと思っています。浅い眠りの親父と深い眠りの息子は今日も同じ敷地内で生きています。

 

  「寝れないと 言ってる割には よく寝てる 親父の日課 太陽と同じ」

  「浅いとか 深いとかいう 眠りだが 人それぞれに 違うものなり」

  「歳とると 何かにつけて 気がかりで 自分さておき 息子気遣う」

  「ああ歳は とりたくないと 嘆くけど 歳はとるもの 百パーセント」 

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shin-1さんの日記

○当然と必然、それに偶然を思う

 私は常々と当然と必然、それに偶然を思うことがあります。私の浅はかな知恵で、当然は当り前、必然は必ずそうなること、偶然は予期せぬことに出会うことくらいの意味しか浮かびません。当然と必然は毎日起こっていることなので別に気にも留めずやり過ごしていますが、これが偶然となるとその偶然に驚いたり、時には忘れられない思い出となったりするのです。

 

 昨日人間牧場の畑でお茶の木に無数の花が咲いていることに気がつきました。顔を近づけ花で匂いを嗅ぎましたが、お茶の花らしく控えめな香りに、何ともいえない癒された気持ちになりました。その花を見ながら「この花は秋になると毎年季節を告げるように咲くのに、私を含め誰ひとりとして見ることもなく、香りを感じることもなく咲いては散っていくのです。昨日あの時、たまたま私が見た偶然はこの花と私の関係において地球上で起こった凄い数の確率の偶然なのです。

 今朝当然的に4時に起き、いつものように自分の書斎に入って電気をつけ、パソコンスイッチを入れて毎日やっているようにまずGメールを開けて読み始めました。昨晩全てを読み終わり必要なものは処理して寝たので、未読メールの数はそんなに多くありませんでしたが、その中に知人からのコメントがありました。その友人は偶然なのか必然なのか分りませんが、私のブログを読んで感想を書き込んでくれていました。察するに時々私のぶる具を読んでいるものと思われますが、これも私や友人にとっては偶然な出来事なのです。


 数日前の日曜日、私は妻と二人で松山市内の温泉に行きました。妻と私は混浴でないため時間を打ち合わせ、男女それぞれの暖簾をくぐって温泉に入ろうとすると、「若松さんではありませんか?」とた声をかけられました。私はとっさのことゆえ失礼ながらその人の顔も名前も忘れていましたが、自己紹介をされた言葉で私の脳のカンピューター回路が動き始め、名前と顔が一致して「はい覚えていますが、こんなところで会うとは珍しいですね」と昔を懐かしんだのです。こんな偶然はしょっちゅうで偶然と言えるかどうかわかりませんが、私とこの人の関係においては凄い確率の偶然なのです。

 ある人から頼まれて私がにわか思いつきで書いた文章が、先週佳作程度の入賞を果たしたと主催者から連絡がありました。私はこれまでにもNHK青年の主張の原稿審査もパスして県代表になった経験があります。また海外派遣30周年記念論文募集では総務庁長官賞もいただきました。これも私が応募する当然も必然もないのですが、書くという作業によってのみ与えられた偶然と言えば偶然なのです。駄作ゆえ人に読んでもらうほどの文章ではなく、東京での表彰式には出ないことを決めていますが、もしあの友人の言葉を真に受けず書かなかったらと思うと、今回の受賞も偶然なのかも知れません。

 こうして当然と必然の繰り返しの毎日の中で、時々突発的にやって来る偶然は、加齢とともに数こそ減ったり思い出すことすらできなくなってくるのでしょうが、確率が高いほどその偶然は驚くのです。もし毎年妻がささやかな夢として買っている宝くじに当たって前後賞合わせて3億円を手にすることがあったとすると、これはもう青天の霹靂で、偶然としか言いようがないのです。当然そんな偶然はないと思うのですが分りませんよ・・・。まてよ、妻と出会って結婚したのは当然か必然か、いや偶然かな?。


  「この花を 今の瞬間 見てるのは 世界で私 一人なのです」

  「偶然に 見つけたブログ コメントを 書き込み意見 これも偶然」

  「わが妻と 縁結ばれ 結婚す これは当然 必然偶然」

  「偶然は いいことばかりじゃ ありません 事故に遭うの 偶然ですから」

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shin-1さんの日記

○人間牧場にも秋がやって来ました

 今日はこのところの忙しさですっかりご無沙汰していた人間牧場へ草刈り作業に出かけました。妻に握り飯3個を握ってもらい、少々のおかずを入れて出発しました。途中町内のガソリンスタンドで草刈り機用の混合ガソリンを4リッター仕入れ、また時々魚を貰う親類の漁師さんにトロ箱の返品と、先日掘ったサツマイモを持って行きました。あいにく留守でしたが、分かるだろと勝手口に置きました。

 今日は一日中天気も良く、ましてや北海道では佐呂間町では氷点下の寒さになったと友人からメールが入ったように、日本列島もこの秋一番の冷え込みになったようです。

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 人間牧場は海にせり出すように建っていますが、日向と日影の部分があって、日陰の部分を見つけて草を刈ると暑くもなく丁度よいのです。このところ温度が下がったためか藪蚊もなく快適順調に草刈り作業は進んで行きました。草刈り作業中は戸外ながらエンジン音がかなり高いため、携帯電話の音が聞きとれないので、バイブにしていましたが、午前中に7本、午後に8本、合計15本の電話が入りました。そのいくつかは着信表示で、休憩中に相手を呼び出し連絡を取りましたが、携帯電話で要件は片付くものの作業効率が悪く、その都度エンジンを止めての対応を余儀なくされるのです。作業中故予定表も持っていないのでかなりあやふやな返答をしたものもあるようです。

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 今日は草刈りの度に草刈り機の邪魔になる枯れて地上に横たわっている木々や小枝を広場まで運び野焼きをしました。こうすれば草刈り作業中に焼却処分ができるのです。沢山集めた枯れ木も帰るころには全て燃え尽き灰になっていたようです。

 人間牧場には秋の気配が漂っています。今年の春草刈り十字軍がやってきて草を刈った折、大洲市田処の亀本さんが親株から出ている枯れた茅を刈り取ってくれたものが、遅ればせながら綺麗にススキの穂を出し秋の訪れを告げていました。まるで花瓶に活けた活け花のようで見事でした。

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 また、春の新芽をお茶に加工したお茶の木には無数の花が咲いて、ほのかなお茶の匂いを漂わせていました。真っ白なな花の雌しべは黄色でそのコントラスは秋の青空に見事にマッチしていました。ツワブキの黄色い花も少し花が開いてきたようで、いよいよ秋本番なのです。

 草刈りは午前9時から午後4時まで、一生懸命やったお陰で随分はかどり、前回の草刈りから間がないこともあって背丈も短く凄いスピードで進んで行きました。後少しのところで妻から電話が入り帰りに親類の漁師さん宅へ立ち寄ってお魚をいただいて帰るように伝言されました。

 今週の土曜日にはかまどの火入れ、来週には沢山の人たちが人間牧場へやってきます。綺麗に散髪したように見える人間牧場を楽しんでほしいと持っています。


  「今年また 季節巡りて 秋来たり ススキ茶の花 青空映えて」

  「ほどほどの 涼しさゆえに 藪蚊さえ 何処へ行ったか 姿も見えず」

  「さあこれで 客人来ても 恥かかず 牧場説明 力がこもる」

  「携帯も 便利なようで 手を取られ 都度にエンジン 止めては話す」

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