shin-1さんの日記

○今年もサツマイモは豊作でした

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 町内や近所の農家では、サツマイモの作付をしたものの、イノシシの被害に遭って収穫ゼロといったお手上げの声を耳にしてきました。人間牧場は頑丈な魚網と沢山のイノシシ脅しに守られて今日まで持ちこたえてきました。昨日の段階では直ぐ横の畑や道をイノシシが荒した後が生々しく残っていただけに、間一髪被害を免れた感じがしました。

 昨日は人間牧場で芋掘りと収穫祭を行いました。あいにくの曇り空で少しの雨が心配される天気予報でしたが、少し肌寒い感じはしたものの風もなく穏やかな一日でした。8時30分総合支所前に集合した子どもたちはいつもの通り車に乗って元気にやってきました。宮栄館長さんのあいさつの後私が、サツマイモの思い出、人間進化論、季節の話などについて少しだけ講話をした後早速芋畑に出て芋掘りに挑戦です。

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(まず周りに張り巡らせていた囲い網を取り外しました)

 5月23日、マルチ栽培と稲ワラ栽培を比較するため植えたサツマイモはその後ツルを茂らせ、水やりや除草、それに草刈りなど言い訳程度の肥培管理を公民館職員と私が行って育ててきました。まず周りを囲っていた網を取り払いツルを切りましたが、待ちきれない子どもたちは早々と畑に入り芋を掘っていました。

 今年は沖合に浮かぶ宮本常一ゆかりの山口県周防大島から種イモを取り寄せ、苗床に伏せて大事に育ててきたのです。試し掘りもしないままいきなり収穫作業をしましたが、マルチ栽培と稲ワラ栽培の収穫量はそれほど変わらないようでした。子どもたちは土の中かにサツマイモを見つける度に歓声を上げながら一時間ほど作業をして、約60キロのサツマイモを収穫しました。

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(ころ合いなサツマイモが沢山収穫できました)

 早速採れたばかりのサツマイモを水洗いして芋料理に挑戦しました。今年のメニューは新調なったかまどでサツマイモご飯を炊き、サツマイモの天ぷらと、野草の天ぷらを作るのです。人間牧場の敷地内で採れる野草を私が前もって見本に採集して子どもたちに見せました。後は子どもたちが採集ウォッチングするのです。ノビル、サツマイモの茎、クローバー、ヨモギ、オオバコ、フキ、イタドリ・カズラの芽、タンポポなどなど切りがないほど採れるのです。変わったものではツワブキの花や牧場内にある柿もチップスにするととても美味しいのです。子どもたちは「えっ、こんなものが食べれるの?」と半信半疑でしたが、早速調理し弁当風に盛りつけたパックを一個ずついただきながら「美味しい美味しい」を連発していました。

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(子どもたちも料理に挑戦しました)
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(野草やサツマイモの天ぷら料理風景)
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(出来上がった弁当)

 ウッドデッキの上に敷いたビニールシートの上での昼食には、今年取り組んだハチミツも振る舞いました。サツマイモのケンピ風な料理の上にハチミツを垂らして食べるとまるで大学芋のような味がしました。子どもたちには大好評でした。早速貴重なハチミツを一瓶を商品にしてじゃんけんゲームをしましたが、最後まで残ったのはボランティアで参加した婦人会の前野さんでした。

 かくして今年も多くの人に支えられ、何かと話題の多いプログラムは全て無事終了しましたが、人間牧場の活動も5年目に入り、ある意味実験は成功したように思います。これからは人間牧場で育てた作物を使って色々な料理に挑戦するのも一考です。梅ジュースや梅ジャム、コンニャクづくりなど、昨日の野草の天ぷらと同じようにバリエーションは広がるのです。これからも大人や子どがみんなで楽しい思い出を作りたいと思っています。

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  「芋飯を かまどで炊いて 食べました 美味しい連発 破顔一笑」

  「カマキリも 途中飛び入り デッキにて 収穫祝う 秋の深まり」

  「こんなもの 食べれるかしら 首かしげ 野草天ぷら 美味いうまいと」

  「


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○隣のおじさんとおばさん

 私の家の隣のおじさんが高齢を理由に免許証を返納し、車に乗らなくなって一年が経ちました。このおじさんは信心深い人である宗教に入信しているため80歳を超えても、宗教本部のある高知県まで一カ月に一度国道33号線を走ってお参りに行っていたのですが、さすがによる年波には勝てず、同居している息子さんが事故があってからでは遅いと、車に乗ることを止めさせたそうですが、これまで何かにつけ車で済ませていた町外への買物や通院、それに用事も出来なくなる、公共交通機関を使い、近い所は歩いていかなければならなくなって、どこか元気がなく、一辺に歳をとって老け込んだような感じがするのです。

 数日前このおじさんがわが家の入口にあるお地蔵さんの月縁日にお供えをしにやってきました。信心熱心な方だけあって、毎月縁日にはお菓子を供えることを年中欠かさないのです。そして夕方になるとその供えたお菓子をわが家と親父の隠居にに持参してくれるのです。隣といいながら毎日忙しく振舞う私のことですから、このおじさんとも中々出会わず、久しぶりの面談となりました。

 聞けば、免許証を返納して車に乗れなくなると、色々なことに不便だそうですが、それ以上に自分の行動範囲が狭くなって、入る情報が極端に少なくなったそうです。見るもの聞くもの大体理解できたのに、僅か一年の暮らしの変容で時代に取り残されたような焦燥感を感じるのだそうです。

 一番困るのは病院への通院で、その病院も交通不便なところだと行くに行けないので、駅から近いところに変えたそうです。しかも通院の日は朝早く出かけ夕方帰ってくる一日がかりになってしまうこともあるそうです。ゆえに通院の前日などは気が重く、また当日は病院の診察を終えて家に帰るとクタクタで、まるで病気になりに病院へ行くようだと述懐していました。なるほどなるほどと相槌を打ちながらやがて来るであろう自分の将来を不安な気持ちで見通すのです。

 隣のおじさんの奥さんもつい最近、少し生活ぶりが変わったようです。80歳そこそこながら一日の殆どを家の玄関先に椅子を持ち出して日向ぼっこをするのが日課になっているのです。この夏は残暑もかなり厳しかったようですが、その暑さを気にせず日向ぼっこをしたため、かなり日焼けをして、かえって見ているこちらの方が「暑気は大丈夫かしら?」「ひょっとしたら認知症では?」と心配したりするのです。

 隣は息子さん夫婦と子どもや孫が同じ敷地内に住んでいて、高齢化が進んでも心配はないようですが、次第に老いていく行く隣人の姿を見ながら考えさせられることが多くなる今日この頃です。他人事や隣のことばかりでなく、わが家にも92歳の年老いた親父がいますし、私も妻も高齢者の仲間入りをしつつあります。老いてもまだ元気なわが親父や私たち夫婦と比較すると、親父に比べ10歳も年下の隣のおじさんやおばさんの方がどこか元気がないようで心配しています。

 私たち夫婦にも老いは手の届くすぐそこまでやってきています。しっかりと生きて行きたいものです。


  「免許証 返納おじさん ゆっくりと 歩いているが どこか寂しく」

  「病院に 行って病気に なるという 一日がかり 疲れがどっと」

  「日向ぼこ する姿見て 認知症 心配よそに 日焼けて元気」

  「もし明日 車運転 出来ずんば 考えただけ ぞっとしますね」


 

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○穏やかな秋祭りの一日

 昨日は私の町の地方祭、つまり秋祭りでした。祭りといっても神輿と獅子舞が出る程度で、太鼓台の新居浜やだんじりの西条のような山車が出る訳でもなく、取り立てて特徴のない普通の落ち着いたお祭りなのです。それでも昨日から町内のあちこちでは保育園の花神輿や子ども神輿が繰り出して、若いお母さんたちが可愛い息子や娘の晴れ姿をカメラに収めようと一緒について歩く姿が見えました。

 大人神輿は地区ごとに区長さんの世話でお旅所という場所が設定されていて、四方笹をしめ飾りで囲った聖域にお神酒や五穀、それに祝儀を供えて神輿が来るのを待つのです。神輿には酒がつきもので、酒に酔ったかき夫が悪ふざけをしたり、一緒に歩く厄年男性が扮している大番が面白おかしくするものですから、運行時間が大幅に遅れたりして神輿を待つ人をやきもきさせるのです。

 子ども神輿は少子化の影響で子どもの数が揃わない地区では最近女の子も入れて運行しています。昔は神輿や亥の子などにはけがらわしいなどと、根も葉もない理由をつけて女性を拒み続けてきましたが、少子化は思わぬ女性への解放につながったのですから面白いものです。

 子ども神輿は家々を回ります。神主や大番がいないので、運行はその地域の世話人がついて歩きます。私も2年前までこの地域の区長をしていたので、一緒に二日間歩きましたが、これも結構きつい仕事なのです。子ども神輿には年長さんが大将と会計と先約が決められています。大将と会計が一番偉く、先約が前もって家の軒先を回って神輿を家に入れさせてもらうようお願いして回るのです。了解が得られれば玄関先に着くと大きな声でワッショイワッショイと大きな声で掛け声をかけて家の玄関先へ神輿を入れるのです。玄関先で家族が出て神輿にお祈りし柏手を打てば終了で、祝儀袋に入ったご祝儀を会計がいただき、大きな声で「ありがとうございました」とお礼を言って次の家に向かうのです。世話役のご指導がいいので人数が少なく多少元気は欠けますが、みんな早朝から歩いて疲れているのでしょうが疲れも見せず神輿を運行するのです。

 子どもたちの一番の楽しみは神輿守が終われば集会所に集まって大人が見守る中、祝儀開きが始まります。一軒当たり五百円から二千円程度の祝儀でも沢山の家を回るため二日間で十万円を超える金額が集まります。大将から順番に分配金額を決めて行きますが、その金額への期待感が子どもたちの心を微妙に揺さぶるのです。最近は少しですがやがて神輿を新調するための費用積み立ても行っていて、子ども社会の形成に一役買っているのです。

 昔はお祭りといえば一年に一度のハレの日で、前の日から沢山のご馳走を作り、親類縁者が大勢押し掛けて来て夜遅くまで酒盛りをしていました。また神社の境内には出店も沢山出て活気がありました。漁師をしていたわが家でもそうわ台という黒漆器塗りの台の上に錦絵のお皿を置き鯛の活造りや皿鉢料理が座敷の襖を外した宴会場に所狭しと並べられていましたが、日常生活との落差が大きかっただけに、とてつもないハレの一日として脳裏に焼き付いているのです。

 今は祭りも町内統一の日となって交流も殆どなく、祭りといって特別なおご馳走を作るでもないので、まあ骨休めの一日のような穏やかなものなのです。でも祭りが来るとどこか心がときめくのはやはり日本人ならではのDNAなのかも知れません。

 かくして絶好の祭り日和に恵まれた今年の秋祭りも無事終わり、瀬戸内に面したわが町にも遅い秋がやってきて、一気に寒さが増し、伊予灘の海もざわめき始めるのです。


  「ふるさとの 幟はためく 秋祭り 遠く近くで ワッショイ掛け声」

  「獅子舞の 太鼓の音を 聞きながら 親父と二人 みかん取り入れ」

  「近頃は 女交じって 神輿守 少子化ゆえに 止むにやまれず」

  「ご馳走を 作るでもなし 秋祭り 懐かしみつつ 妻と二人で」

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○「サプリメントはいかがですか」との電話勧誘

 どこでどう調べてくるのか分りませんが、つい最近時々私の元へ色々な電話がかかってきます。振り込め詐欺の類ではないので気にも留めていませんが、どうやらサプリメントを飲んで元気にならないかという勧誘のようなのです。今日もその電話が午前中かかってきました。中年の女性が美しい声で言葉巧みに言うものですから田舎者で助べな私などは、ついつい電話の話しに引き込まれて、聞かれるまま話し込んでしまうのです。65歳になった初老の私に勧めるものといえば、青汁、黒酢、くらいなものでしょうが、今日はヒアルロンサン、コラーゲン、コンドロイチンを配合した今話題のサプリメントだそうです。しかも150パーセント増量、今なら半額でご提供、もし効果がなければ返品可能、有名な○○さんも常飲ンして効果があったなどと、まあいいことずくめ宣伝文句を並べ立てて勧誘するのです。しかも「このサプリメントは厚生省のお墨付きを頂いている安心安全なものなので・・・」と続けば誰だって「買ってみようかな」と思うのは当然のことかも知れないのです。


 私たちの日々の食生活は余程注意をして生活しないと確かに偏ってしまうのです。胆のう摘出手術をした病歴のある私のために妻は毎日手作りでバランスの取れた食事を作ってくれていますが、それでも野菜不足は否めずこの2~3日を振り返っただけでも緑黄野菜などは少ない感じがします。宣伝文句が本当ならばこんな場合青汁を飲んで栄養補助すれば、元気モリモリになるはずなのです。

 私が一番気になるのは、医薬品を含めお客様の健康を守るはずのドラッグストアーで、「はてこんなもの本当に体にいいのだろうか」と疑うような安売りの菓子類や食品類が置かれているのを見るからです。妻と一緒に時々ドラッグストアーに行くことがありますが、最近は安売りの豆腐なども置かれていて、それがかなり売れているのですから消費者は何を基準に買物をしているのか疑いたくなるのです。

 親父は夕方になるとテレビをつけ水戸黄門などの時代劇を見ることが楽しみな日課になっています。時々そのテレビを見ると、目のかすみ、耳が聞こえにくい、足腰の弱ったと日ごろ嘆いている、水戸黄門を見ているであろう視聴者に向けて、目にはブルーベリー、足腰の痛みにはコラーゲンやヒアルロンサンなどと、これでもかと言わんばかりにコマーシャルが流れているのです。「○○袋突破」とか、「○○箱突破」という数字が本当ならばお年寄りたちは水戸黄門という時代劇に名を借りた商法の餌食になっているのかも知れないのです。

 これらの健康補助食品が本当に体に聞くのであれば、さほど詮索する必要はありません。しかし「本当にそれほど効き目があるの?」と疑ってみるのも大事なことなのです。あるお医者さんが「病気になろうと思えば病院へ行くこと、ファーストフードを食べさせること、サプリメントを食べること」と言っているように、もう一度食生活について考えてみたいものです。

 ちなみに勧誘の電話を切る一番の方法は、「今来客中なので後にして下さい」と言えばいいそうです。


  「サプリどう 電話の向こう 声美人 その気にさせて 定期購入」

  「一番は 妻の手料理 決めている お陰で病気 しなく一年」

  「健康を 守る薬屋 安売りの 食品並べ ちぐはぐ商売」

  「水戸黄門 印篭ならぬ サプリ売る 年寄り信じ 申し込んでる」

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○長野県富士見町から視察研修にやって来ました

 昨日は午前中伊予市いっぷく亭の皆さん、と午後は長野県富士見町の職員さんと、二つの団体を受け入れとても忙しい一日でした。午後の富士見町は職員4名の視察研修で、伊予市役所地域振興課からのご依頼で、事前にいただいた10数項目の質問事項に答える形で、これまでの町づくりの取り組みについて2時間ばかり話しこみました。忘れかけていた記憶を呼び戻し聞きたいという失敗談など交えながら話しました。

 面談した富士見町の職員の方は総務課管財係、建設課生活環境係、住民福祉課社会福祉係、生涯学習課文化財係と、それぞれ幅の広い仕事を担当している若手の集団でした。既に「昇る夕日でまちづくり」や「今やれる青春」という私の自著本を買い求めて熟読しての研修だけに、微細な深く突っ込んだ話になりました。

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 大変失礼な話ですが、私はその町の存在を知りませんでした。富士見町といえば連想するのは日本一の富士山が見えるのだろうと思うのは当たり前の発想です。彼らの話で富士山や八ヶ岳が見えるということを聞いて、大体の場所を想像しながら話をしました。長野県へはこれまでにも飯田市、木曽福島や南牧村などへ出かけて馴染みの深い県なのですが富士見町へはまだ一度も行ったことがないのです。長野県は海のない県なので、人間牧場から見える瀬戸内海の眺望に感激の面持ちでした。

 人間牧場を引き上げた一行はその足でわが家へやってきて「海の資料館「海舟館」、私設公民館「煙会所」を見学し、東屋「夕観所」で私の私的な活動にも触れていただきました。またせっかく西国四国へやってきたのでわが家の家庭菜園の隅にあるみかんの木のみかん狩りをほんのさわりだけ楽しんでいただきました。

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 昨日は夕日が落ちるのが17時27分ころなので夕日を見るため17時前にわが家を去って行きました。帰り際記念にと買い求めていただいている本にサインを求められました。塀の瓦の上で書いたためいい字では書けませんでした。握手をした分厚い手から伝わる力強いやる気のようなものを感じましたが、中堅職員と思しき彼らの今後の活躍に期待したいものです。

 本当は10月8日に来る予定でしたが台風18号の上陸で延期されこの日の視察となりました。受け入れ窓口となった市役所双海事務所地域振興課の川本さんは、かつて私と一緒に仕事をした間柄です。すっかりたくましくなって観光などの仕事をやってくれていますが、やってきた富士見町の皆さんと同じように、これからの地方自治をしっかりと支えて欲しいと願っています。


  「長野より 視察研修 やって来る 内面迫る 話し熱帯び」

  「失敗の 話し山ほど して欲しい 事前のメモに 感心しきり」

  「俺の本 事前に読んで 双海入り これは本物 手助けせねば」

  「若かりし 頃の自分を 思い出す 日本全国 旅して歩く」

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○いっぷく亭の昔の美女連が人間牧場へ

 「私は虫が大嫌いなので虫のいなくなるころにお邪魔したい」とわがままなことを言っていた谷岡さんに連れられて、今日はいっぷく亭の皆さんが人間牧場へやってきました。「虫が嫌い」と言われても自然豊かな人間牧場の虫たちに「虫が嫌いな人が来るので出ないように」ともいえず、ただただ祈るばかりで迎えました。

 今日は多少ガスが入って遠望は効かなかったものの穏やかで風もなく、暑からず寒からずといったまずまずの天気に恵まれました。9時30分、下灘コミュニティセンター前で待ち合わせをし、自称田舎のオープンカーである私の軽四トラックの先導で、2台の車は山道を登って行きました。車の中では賑やかなおばちゃんたちの会話が聞こえそうな雰囲気が、バックミラーに写っていましたが、多分「えっ、こんな田舎なの?」「果たして私たち美女連を何処へ連れて行くのかしら?」なんて悪口を言っているように見えました。

 
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 人間牧場入り口の山道からは小型バスが入らないため歩いて貰いました。伊予市商業協同組合の徳本理事長さんが「人間牧場は山の中をかなり歩かなければならない」「茅や刺で怪我するかもしれない」と参加者を脅していたので、みんな恐る恐る下ってきましたが、脅しほどではなかったとみんな安心して到着しました。

 私は早速風呂にお湯を張り足湯の準備をしました。何せ上品なお町の奥さん族ですから、丁寧に扱わないと請われてしまうかもしれないと相当気を使ったつもりです。最初は半信半疑だったロケーション風呂の足湯も予想以上に長い時間楽しんでいただき、少なからず満足していただいたようでホッとひと安心しました。

 その後徳本理事長さんから「お話をしてあげてください」と頼まれていたので、1時間ばかり私がお話をして、持参した弁当を食べながら楽しい楽しいおしゃべりをしました。空には秋らしいうろこ雲が浮かび、みんな思い思いにウッドデッキの上に寝転んだりしながらひと時をのんびり過ごしました。

 毎日来るか来ないか分らないお客を待ちながら商売を続けている商店街の奥さん連中にとって、日々の生活はストレスも多いものと思われます。ましてや商店街も昔のような勢いもなく不安が多いのではないかと推察しますが、それでもみんな「今日は久しぶりにリラックスした」と喜んで1時に迎えの車に乗り込んで帰って行きました。私はその後視察を受け入れていたので、車まで歩いて見送り、再び人間牧場へ帰って次のお客さんを待ちました。

 今日は嬉しいことに落伍のネタ本である「夕日徒然草」が15冊も売れました。売り上げの半分は人間牧場の運営資金に、また半分は来年に予定されている「夕日徒然草・火の書」の出版資金として大切に使わせていただきます。今日は私のへたくそなハーモニカに合わせて鼻歌交じりに歌ってくれる人もいて気分は最高でした。季節が変われば気持ちも変わります。時間は冬か、それとも夏か春かにまた来てほしいと願っています。今度は思いきり藪蚊を集めておきますので覚悟して来てください。


  「楽しいね 気心知れた 仲間たち 気がねもなしに 笑い転げる」

  「そう言えば この人たちも 伊予市民 私と同じ 街に住んでる」

  「なんぼまで 生きるの聞かれ 死ぬまでと 答えて笑う それでいいのだ」

  「若くない でもお化粧は 若造り しわ(4×8=)がなければ 三十二歳」  

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○直売所が危ないと思う今日この頃

 日本全国の市や町や村のあちこちに直売所が出来始めたのは今から20年も前のことでした。それまで野菜は八百屋、魚は魚屋と決まっていました。それまでは野菜や魚は農協や漁協や業者が直接消費地に運んで、私作る人、私運ぶ人、私食べる人というすみ分けができていて、生産地へ行っても見ることも買うこともできなかったのですから、特売所ができるということは当然の成り行きだったのです。生産者や農協や漁協ならいざ知らず近年は行政までもが道の駅や町の駅などを造ってこのような取り組みを始めたものですから、直売所乱立競争月下の時代になって、ひどいところは市町村どころか県までもが、格好いいアンテナショップなどという名称の直売所を設けて商売に乗り出しているのです。

 それらの殆どは地産地消という名のもとに産品をこれでもかと並べ立てていますが、野菜や魚を除けばそのほとんどがお土産物屋が作ったものを特徴もなく並べているのです。そして野菜や魚のいらぬ低価格競争をあおって価格破壊に一役買っているのです。

 私も仕事がら全国あちらこちらの直売所を訪ねますが、20年前のような直売所が珍しい時代はそれなりの儲けもありましたが、今はその経営や運営も四苦八苦といった嘆き節があちこちから聞こえ、行政が委託費と称して援助する費用がなければ経営が立ち入って行かない所もあるようです。また平成の市町村合併で同じ市内に幾つも同じような道の駅や直売所ができ、これまでのような隣町戦争もできず苦悩の色を見せていますが、どこかで身辺整理をしないと、ただでさえ財政事情の厳しい行政の財政をやがて圧迫することになるのではないかと危惧するのです。行政は直売所の他にも、一時流行った温浴施設にも手を出していますが、相次ぐ不況で温浴施設の経営も、当面の目標である年間12万人を割るようだと見直し対象施設のリストに載せなければならないのです。直売所や宿泊所、温浴施設などを巡る環境はこの数年ですっかり様変わりをし始めました。インターネットの出現で、その場に出かけなくても家庭に居ながらにして買い求めたり予約ができるような時代になりました。いち早くそのことに気付いた先進的な農家などは、何かと規制の多い直売所へ持ち運ぶ手間を省いて、インターネットを顔の見える商売に利用して安心と安全を消費者に売っているのです。

 農家離れや漁家離れの直売所は安心と安全が守れなくなるばかりでなく自主運営が出来なくなり、結局は無機質なバーコードなどで機会管理を余儀なくされ、直売所の本当の値打である声かけさえもできない所だってあるのです。まあいつの時代も箱モノの運営は人の善し悪しで決まるのですから、いい人によって運営すれば、物語づくりや特徴ある商売ができて、結果的にはその地域が潤うことになるのです。

 直売所の設置にいささかなりとも加担してきた私にとって、直売所の現状は目を覆ったり心を痛めたくなるようなことがいっぱいあります。また「直売所の自主的運営に任せている」とまことしやかな理由をつけ、見て見ぬふりをして説明責任を果たさない行政の担当者も目にしますが、続けるのであればもっと真剣に今一度創設の原点に戻って基本コンセプトをしっかりと考えないと、大変なことになるかも知れません。

 直売所が危ないと思う今日この頃です。


  「やみ雲に 乱立気味の 直売所 そろそろここら 整理必要」

  「いつの世も 施設は人の 善し悪しで 良くもなったり 悪くもなったり」

  「この頃は インターネットが 普及して 産直取り寄せ 居ながらにして」

  「バーコード 初めて作った その頃に ジーコード作れと 爺さん言った」

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○孫と一緒の休日を楽しむ

 娘やモスこの家を訪問する度に成長している姿を目の当たりにして目を細めるのですが、これまで孫の代名詞のように私の相棒を努めてきた孫朋樹が一年生になったため、そろそろ他の孫とも遊んでやらねばと思っています。息子の次男はやっと寝返りが打てるようになりまだまだですが、娘の次男と息子の長男は2歳になって片言の日本語が喋れるようになったので、仕草にせよ何かと可愛い感じがします。近頃は私がおじいちゃんだと分って安心するのか、帰るときは二人とも「おじいちゃんと一緒に行きた~い」と泣くのです。その都度「今度」と納得させていました。それでも「今度今度」と嘘ばかりついているので、思い切って二人を寄るだけ別々に預かることにしました。とりあえず孫尚樹を預かることにして出かけて行きました。孫は待っていたかのように母親が用意した大きな荷物を持って車に乗り込みました。チャイルドシートを後部座席にセットしていよいよ出発です。見送りに来た娘などそっちのけで「バイバイ」です。

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 車の運転をしながら後部座席に座った孫の姿をバックミラーで確認し、会話をしながら走りました。もうこの年齢になるとお兄ちゃんの言動が乗り移っていて、マクドナルドでハッピーセットを食べたいと片言で言うのです。松前のドライブスルーに立ち寄り二人で420円のハンバーガーセットを購入し、店内で食べさせました。量が多いので私が手助けしましたが、満足の手愛でおまけにいただいたチビまるこちゃんのおもちゃを、「家に帰ってから」と約束して持たせ、歌を歌いながら双海町へ帰ってきました。

 双海町へ来ると決まったように遊びに行く場所はふたみシーサイド公園です。これまでは孫朋樹が腰ぎんちゃくでしたが、尚樹を連れた姿にじゃこ天のおばちゃんや特産品センターのおばちゃんたちも気軽の声をかけてくれ、特産品センターではソフトクリームをご馳走になったり、池の鯉に餌をやる餌までいただき、もう孫尚樹は乗り乗りの上機嫌でした。

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 やがてお腹も満腹なので少し運動をさせようと砂浜に降り、引き潮で引いた広い広い砂浜をキャンバスにして、拾った竹で色々な絵を書いて楽しみました。私が恐竜や漫画を描くと大喜びで、自分も意味不明の文字や絵を書いて、「これはお魚」などとお喋りをしていました。シーサイド公園で約1時間過ごした後家に帰りましたが、「おしっこ」も「ウンコ」も言えるようになっておむつも取れ一安心です。

 妻と三人で夕食を食べたりテレビを見たり、またお風呂に入ったりしながら9時過ぎには私と一緒の床に入って寝ました。私も孫の守で疲れていたのかついウトウトして、11時過ぎまで一緒に眠ってしまいました。孫はいいものです。今度は息子の長男希心の番です。近いうち連れ出して遊んでやろうと思っています。私と同じように孫たちもただ今サンデー毎日ですから・・・・。

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  「相棒が 変わった孫を 連れ出して 半日遊ぶ 秋のふるさと」

  「孫と俺 同じサンデー 毎日だ 楽しく遊び 二人満足」

  「じいシッコ 右往左往し トイレ入る 孫のお守りに 少し疲れて」

  「砂浜を キャンバス見立て 絵を描く 意味の分らぬ 孫の文字絵」  

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○朝フル合唱隊の練習に参加しました

 「朝フル合唱隊」なんて聞きなれない名前の合唱隊が、私の身の回りにいつの間にかできて、楽譜も読めない私もいつの間にか引っ張り込まれ、私の得意としない音楽の分野で、こともあろうかハーモニカながら、楽器で合唱隊の伴奏を担当することになりました。何日か前その震源地と目される年輪塾塾頭の清水さんからCDと楽譜が送られてきました。CDはパソコンで呼び出しスピーカーの音を出すようにセットして聞いたのですが、課題曲である「みかんの花咲く丘」はハーモニカで吹けるし歌も知っていますが、「私の子どもたちへ」という曲は初めて聞くので、どこからどのように始めたらいいのかまさに暗中模索といったお手上げの状態でした。

 一週間後に練習をするからそれまでに吹けるようにと、期限を決められても県外への出張などもあって練習することもできず、結果的にはその日ともう一回練習しただけで10月19日の練習日はあっという間にやってきたのです。

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 練習場は、楽器や声が夜のことゆえ人様の迷惑のかからないような場所をということで、わが家の隅にある煙会所と決められ、6時半の集合時間に遠いところは香川県と高知県と愛媛県の県境に位置する四国中央市新宮に住んでいる大西さんなど、物好きな10人ほどが集まりました。ご飯を食べると声が出ないという清水さんの言葉を信じて、それぞれが弁当持参しているのに、夕食も食べずいきなり練習を始めました。伴奏を担当する清水さんと大西さんは一見高そうに見えるギターを取り出してセットに余念がありません。私はハーモニカだけなのでセットする必要もなく、勝手に課題曲を吹いてみましたが、3日前から吹いていないので頓珍漢な音が出て手厳しい指導に遭いました。

 他の6人は浜田さんが指揮者になり、清水さんの指導で発声練習などを繰り返していました。隣近所が遠い位置にあるわが家の、しかも離れですから隣への心配は直ぐ横の親父の隠居くらいなものですが、幸せなことに親父は92歳で耳が遠いので、みんなの声や楽器の音は蚊帳の外の出来事なのです。耳が遠いことが幸いするなんて聞いたことのない良い環境での練習となりました。

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 何度か練習をして、2時間ほどで切り上げました。要はこれ以上練習しても上達しないと清水さんは思ったのでしょう。練習の途中で妻が温かいお茶を差し入れてくれましたが、妻はロートルな私や鎌田さん、大河内さんを見て(失礼)、私と同じ65歳の年齢な高齢者なので、「私の主人もいよいよ新興宗教のご詠歌に心酔したのではないか?と、見紛う光景に思わず噴き出しそうになったと、後で笑いながら述懐していました。

 その後持ち寄った大河内さんのいなり寿司、鎌田さんの梅干しなど、弁当を広げて少しの時間話しこみました。他の人は別として合唱隊など後にも先にも参加したことのない私は、友人の玉井さんがコーラス部に入り口パクしている話しを聞いて、いつも笑っていましたが、いざ自分がやってみるとこれが案外癖になりそうなのです。私はハーモニカなので自慢の美声は封印していますが、思いつきで5年前に始めたハーモニカがこんな所で生かされるなんて思ってもみませんでした。私はハーモニカを吹き始めて気がついたことは音楽は楽しいということです。「音を楽しむ」と書いて音楽という意味が少し分りました。楽譜は共通の約束事ですから勉強して楽譜が読めるようになりたいとも思いました。まあ65歳の手習いですし、そのことを言い訳にはしたくありませんが、余り肩ひじ張らず少しだけ音楽を楽しみたいと思っています。本番は11月7日なのです。


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  「いつの間に 合唱隊に 入隊し 得意楽器で 伴奏してる」

  「これまでは 独奏気まま ハーモニカ 今度は人の 声に合わせて」

  「この歳に なって合唱 するなんて 思わず吹き出す 含み笑いで」

  「これは何 まるでご詠歌 集団か? 見紛う妻も 笑いを止めて」 

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○知らぬ土地を訪ねたら高い場所に上がって見るべし

 名著「忘れられた日本人」の著者で知られる民俗学者宮本常一について書かれた、ノンフィクション作家佐野眞一のこれまた名著「旅する巨人」の中に、宮本常一の父親が言った言葉が紹介されています。あいにくその本は来訪者の供覧のため、人間牧場・水平線の家の書棚に並べられ手元にはありませんが、宮本常一の父親が「旅をしたら訪れた町を必ず高い場所に登って見ればその土地のことが良く分かる」というくだりがあったように思うのです。その話に同調し旅のつれづれにその街の高台に登ってみると、納得することが多くあるのです。

 昨日は大洲へ行きました。公民館に勤めていた若いころには、当時師と仰ぐ松田寿雄先生が大洲市大洲、つまり大洲のど真ん中に住んでいて、折に触れて自宅を訪問し、時には破天荒な先生と大洲の街中を荒すがごとく飲み歩き、大洲の町を知り尽くしたような錯覚を持っていました。その恩師も今は亡く、国立大洲青少年交流の家や町の駅、それに大洲商工会議所に行く程度の出会いになっていることに気づき、少し早目に出て意味もなく臥龍の淵を訪ね、とっさの思いつきで大洲の街が一望できる冨士山へ宮本常一ばりに登ってみました。

若松進一ブログ
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 建築物に詳しい友人である岡崎直司さんから聞いたうろ覚えの知識ゆえ記憶は定かではないのですが、大洲の名勝臥龍の淵にかかる沈下橋辺りから臥龍山荘を見ました。ここは大洲藩主加藤家の庭園だった場所です。明治の貿易商河内寅次郎が構想10年、工期4年をかけて造ったという建物が川面に映えて建っていました。私の2~3度訪ねたことがありますが、臥龍院、不老庵、知止庵の建築物は数寄をこらした匠の技ぞろいで、見る人をうならせるのです。見ながらふと宮本常一のことを思い出し、山道を冨士山に向かって走りました。

 つつじの咲く春五月は多くの人で賑わう冨士山も、シーズンオフの今は散閑として僅かに2~3台の車が登っている程度で、夏の名残の草刈りをしている作業員が草刈り機のエンジン音を響かせながら長閑に作業をしていました。一面つつじの山頂は花もなくゆっくり散策しながら歩く園内は緑のみが目立ちましたが、つつじの木々も老木老域に達してどこか元気がないようにも思えました。

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 展望台から見る臥龍辺りや市街地の眺望は澄み切った秋空がそうさせるのか絶景で、深まりゆく秋を気づかせるようにハゼもみじが赤く色を染め始めていました。180度の大パノラマに目を奪われながら見飽きぬ風景を眺めましたが、視線の向こうに大洲市柳沢一二三会(ひふみかい)の平谷さんたちが造った雲海展望台が見えました。間もなく雲海の季節かと思いつつ一度訪ねて欲しいと先日平谷さんから電話があったことを思い出しました。

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 僅か1時間ほどの短い時間でしたが、久しぶりにリラックスし目と心の保養をすることができました。華やいだつつじ咲く頃の冨士山もいいですが、この時期のひっそりした季節をたったひとり歩いたり見たりするのも悪くはないものです。知ったつもりの大洲でも知らない場所や見所が沢山あると、展望台の掲示板に張られたポスターの数々をみて再認識しました。肱川町や河辺村、それに長浜町と広域合併した大洲には、鵜飼、シャクナゲ、屋根付き橋、長浜大橋、金山出石寺、稲荷山、白滝、矢落川のホタルなどなど、見所満載なのです。


  「常一の 親父の教え そのままに 冨士に登り 一人散策」

  「雲もなく 秋空青き パノラマを 独り占めする 冨士の眺め」

  「あの辺り 暖簾くぐりて 酒を飲む 若かりし頃 思い出しつつ」

  「工場が 不況あおりで 去るという 眼下で起こる 悲喜はこもごも」 

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