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○大根の首切り

 「首切り」と聞けば物騒な感じや職場でのリストラを思いだしますが、わが家ではこのころになると大根にすが出来るのを防ぐため葉っぱの部分を切り落とし、地下茎だけにする作業をします。この仕事は親父の役目で、少し早いかなあと思いますが、親父は昨日その作業をやったようです。

 外出先から帰って家庭菜園に行くと何やら畑の様子が昨日までと打って変わっていることに気がつきました。見ると青首大根の殆ど全ての首が切り落とされているのです。とっさに春近しを思いましたが、季節はまだ大寒の入りくらいですから、親父のせっかちを少々憂いました。

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 これまで畑は緑のジュータンを敷き詰めたようでしたが、首を切られた大根畑の土が露出し無残な姿をさらけ出していました。でもこうしておけば、3月いっぱいは美味しい大根が食べられるのですから良しとしなければなりません。首を落とされた大根はこれまでのように葉っぱを持って引き抜くことができないため、収穫は少々難儀をしますが、反時計回りにねじるようにして引き抜くと案外簡単に引きぬけるようです。

 今年は青首大根と聖護院大根の2種類を植えましたが、いずれも秋の好天に恵まれて育ちは順調で大豊作、今年も既に切干大根と沢庵漬けに加工され美味しく食べているのですが、もうそろそろ2度目の沢庵漬けと切干大根を作る作業をしたいと思うのです。


 首切り大根の畑を見ながら、デフレの厳しい社会を思い浮かべました。すっかり正月の恒例となった派遣村も先日閉鎖されたようですが、依然として失業率は高く、就職内定率も昨年度より悪い数字が示され、この春卒業する若者にとっては、悪い星の巡り合わせに失望しているのではないかと思われるのです。

 デフレはものが安くなるメリットもありますが、安さが労働賃金に跳ね返って低賃金を誘発したり、失業やリストラなどの悪循環を生み、社会全体の経済を冷え込ませているのです。政府は景気対策として様々な手を打っているようですが、ない袖を振る一見国民の機嫌取りのようにも見える愚策は、効果のないまま国債発行による借金行政で益々首を回らなくしているようです。

 こうなったら聖域である国会議員の数を減らしリストラして欲しいと大根の首切りを見て思いましたが、自分のこととなると何ら策を打たず、むしろ政治と金の問題をまるで検察庁が仕組んだ人ごとのように、うそぶいている民主党には、少々あきれてものが言えない気持ちです。ああ日本はどこへ行くのでしょう。


  「わが菜園 今年も首切り しましたよ 国会議員も 見習いなさい」

  「生活の 知恵が大根 首を切る これで春まで 大根美味い」

  「美味いねえ 殆ど毎日 食べてます 大根役者 芸名大根」

  「ジャスターゼ 見たこともない 栄養だ 体内巡り 至って健康」 

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○食卓を飾る電子レンジ利用の温野菜料理

 年末に20年間も壊れず使っている古くなった電子レンジを買い換えることになりました。何せまだ電子レンジが珍しいころの遺物なので、中に入れた温め物がグルグル回る旧式です。わが家の家訓ほどではないものの、ものを大切にする気風はかえって消費電力を使うため、省エネタイプを息子が選んで買ってきたのです。台所の隅の食器置き場の上にでんと座った真新しい電子レンジは、何処となく風格があって一際輝いて見えるのです。

 あれから20日余りが経ちました。これまで電子レンジの使い方は主に温める程度の役割しか使っていませんでしたが、妻は眼鏡と虫眼鏡を使ってカタログを読みながら最近は料理に凝っていて、特に家庭菜園で育っている冬野菜を使った温野菜は、これが飛び切り美味しく私が褒めるものですから、温野菜が一品増えて毎日の食卓が何か違った感じに見えてくるようになりました。

 今はキャベツ、白菜、大根、カブ、ホウレン草、チンゲンサイ、ブロッコリー、カリフラワー、ニンジンなどに加え、保存野菜のタマネギ、ジャガイモ、サツマイモにリンゴが加わって、温野菜のオンパレードなのです。電子レンジ専用の耐熱皿に入れてラップをかけ、数分すると熱々の温野菜が出来上がります。私たちが子どもの頃は、野菜は温めたり煮たりすると栄養価を損なうから生のままで食べる方がいいと指導を受けたものです。しかし最近は野菜も生だと量を摂取できないので、煮たり温めて量を食べた方が得策だという風潮に代わってきました。

 温野菜にすると野菜の風味はむしろ生より多くなったような気がします。ポン酢やドレッシングで食べるのもいいですが、何もつけずに食べると野菜の香りが楽しめてとても美味しいのです。

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(青虫のがいも殆どなく丈夫に育っているキャベツ)

 これまで冬野菜は家庭菜園で作るけれど、そのうち余って花が咲いたり頭が立ってしまっていましたが、温野菜を作るようになって野菜の消費量が格段に増え、毎日料理が始まる前に畑へ野菜籠を持って採りに行くのが楽しみになってきました。昨晩はサツマイモとチンゲンサイ、ブルっこりーに加えリンゴまで温野菜にする豪華さです。お陰で主食であるご飯の量が幾分か減って野菜と魚中心の食生活になっているようです。

 昨日家庭菜園に行って驚いたのですが、友人の伊予市三谷に住む水口さんから昨年の秋にいただき植えていた苗物が丈夫に育っているのですが、中には見たこともないような色のブロッコリーや未だに何という野菜なのか分らないものまであって、水口さんにどんな名前でどのようにして食べるのか聞いてみようと思っているのです。さて紺屋の食卓の温野菜は何でしょうか。楽しみです。

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(名前が分らない幾何学模様の野菜)

  「新品の 電子レンジが 活躍し 温野菜たち 食卓飾る」

  「そういえば 最近体調 いいようだ 妻のお陰か? 野菜のお陰?」

  「名前さえ 知らない野菜 あちこちに 今年も豊作 菜園楽し」

  「肉嫌い ゆえに肉など 食べてない 指折り数え 記憶をたどる」  

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○身近な場所と身近な人の前では話しにくい

 見ず知らずの場所や人ならどんな話でも出来ますが、自分のことをよく知っている身近な場所や身近な人を前にお話するのは中々骨が折れるものです。昨日はそんな場所と人を前にお話しするよう地元の公民館から頼まれ、昨晩灘町5丁目公民館へ出かけて行きました。夜7時30分からの集会なので役場へ車を置き、公民館の赤石主事さんと二人で歩いて行きました。ものの5分もすれば到着する5丁目の自治公民館は、お地蔵さんのお堂が直ぐ横にあり、若いころ何度もお邪魔してお酒を飲んだ懐かしい場所なのです。

 少し早く行き過ぎて到着した時にはまだ鍵も開いていませんでした。空を見上げ星や月を見ながら雑談しているとそのうち世話人の市役所に勤める大森さんがやって来ましたが、鍵の様子が違って少し慌てたようです。やがて公民館に明かりがつき、私たちも中へ入れてもらいました。

 「今晩はどのくらいの人数が来るかな?」と赤石主事さんと話していましたが、最終的には20人を超えこの寒い時期ゆえに大盛況でした。

 この日の講演会を仕組んだ大森さんからは、「双海町の公民館活動」というテーマをいただいていましたが、之を話すと参加した人には余り面白くないようなので、公民館のことを織り交ぜながら少し楽しい話にシフトさせながら90分の話を終えました。

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 双海町の公民館活動も、かつては自治公民館活動でその名をとどろかせ活発に行われていましたが、過疎や高齢化の影響をもろに受け、自治公民館活動はそれなりに行っているものの、それらを集めた文化祭や体育祭、スポーツ行事などは不参加が相次ぎ、このままではいけないといいつつ妙案もなく、深い悩みの淵に入っているようです。

 私が住んでいる比較的人口の多い灘町さえも高齢化や空洞化が目立って、もう公民館活動どころではないという言葉がささやかれています。でも昨日のように小さな集会を企画するリーダーがいれば結構人が集まり、それなりの学習が組み立てれるのですから、頑張らなければなりません。

 人間は学習する動物といわれているように、学びによって「無智によって生ずる不幸は知ることによって避けられる」のですから、学んで進化しなければなりません。現代の情報手段といわれるパソコンさえも使えない、むしろテレビが唯一の情報手段の人たちに、身近な正しい情報を正しく教えなければいい生き方は出来ないのです。

 「いかに豊かな心で生きれるか」、これは私たちの大きなテーマだと思うのです。私の話がその問いかけになればと思っています。


  「知り人の 前で話すは 照れくさい いつもと違う 雰囲気呑まれ」

  「この町も 次第に馬力 下降気味 どうにかしたい 気持ちはあるが」

  「どう生きる ただ漫然と 生きるより ましな生き方 学んで見つけ」

  「面白き 事もなき世と 思えば終わり もっと楽しく 思えば楽し」

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○地域づくり人養成講座

 一年間に6回の学習をする、えひめ地域政策研究センター主催の「地域づくり人養成講座」の最終第6回学習会が一昨日開かれました。毎年のことながら地域づくり人を目指すこの会に招かれ、今回は発表に対するコメントと対談を行いました。それにしても昼食を挟んでの発表や対談それに閉講式と、午前10時から午後5時まで、延々7時間も続くかなりハードなスケージュールには、会議に慣れている私でも多少疲れてしました。

 今年の受講生は21人ですが、大学生あり、女性あり、多少お年を召した方ありでバラエティに富んでいましたが、地域づくりは年齢でするものではないのでみんな熱心に取り組んでいました。この日のために皆さん研究レポートを書いていて、カラーでい印刷されたレポート集は一人2ページ程度のいずれも力作ぞろいでした。

 地域づくり人に求められるのは読む、聞く、見るという学習によって得た受動的知識を、書く、喋る、実践するという能動的知恵の発露で表現しなければならないのです。正直いってレポートの書き方も、枚数の指定はあるものの書くことの指導は余り行われていないため、不出来と思いました。ましてやレポートを元に発表する発表の仕方も、何人かを覗けば素人に少し毛が生えた程度で、満足いく物ではありませんでした。でもこうしてレポートを書いたり発表をするプロセスを経て成長するのですから、むしろこれは修行と思えばむしろ立派過ぎるほど立派な成果でした。

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 レポートを見ながら発表を聞き、それらに対し意見を述べる仕事も容易ではありません。仕事の都合でやむなく欠席した人を覗いても17人が入れ替わり立ち替わり一人10分ずつ話すのですから、聞く方も真剣なのです。発表ごとのショートコメントはNPO法人まちづくり支援えひめ代表理事の前田眞さんに委ね、時間の都合で私は最後にまとめて話をさせてもらいました。

 前田さんとの対談は「これからの地域づくり人とは」がテーマでした。対談といいながら前田さんが司会をし、私が前田さんの質問に受け答えするするような形で進行しました。1時間30分の予定でしたが、発表の時間が押して結局1時間になってしまいました。前田さんも私もそこら辺は慣れているので、何の事前打ち合わせもなく適当に喋りましたが、テーマの本質だけは外さず、あえて点数をつけるならまあ70点の出来くらいで終わりました。ポール・J・マイヤーの言葉に「鮮やかに想像し、熱烈に望み、心から信じ、魂を込めた熱意を持って行動すれば、何事もついには実現する」という言葉を引用して締めくくりましたが、この学びを自分づくり、地域づくりに是非役立てて欲しいと願っています。

 閉講式終了後、市駅前の「庄や」という居酒屋へくり出し、30人の大宴会が持たれました。会費4千円2時間限定飲み放題でした。最近はこうした安い店が多くなりました。先日東京へ行った地域政策研究センターの松本さんの話によれば東京では、6千円6時間飲み放題という店もあるそうです。それで儲けるのだろうか?、そんな長い時間体力が持ちのだろうか?と考えさせられましたが、デフレ気味の世相を反映して、安売り、安呑み現象は当分続くのかも知れません。

 酒を呑まない私にとっては、ウーロン茶一辺倒のこうした飲み会は元も取れませんが、それでもウーロン茶で酔ったような雰囲気になりながら受講生と楽しく話をさせてもらいました。

 今年の受講生は概して理論型知識人が多いような印象を受けました。既に社会人、地域づくり人としての人格形成が出来ているのです。しかし違う側面から見れば多少理屈っぽく、変化しにくいようにも思えました。

 最初に発表した鍋井さんの名前を借りれば、地域づくりは鍋とかまどと火によって構成されます。地域というかまどに鍋というきっかけを乗せます。その鍋の中に事や情報を入れて味付けをするのですが、それらを温める火となるのは自分や地域の人たちなのです。火にも色々あって炭火もあれば薪を燃やすことだってあります。この日の受講生は人の作った炭のような感じがしました。赤く燃えるものの所詮は人の作った炭なのです。初々しい受講生には是非薪になって燃えにくいながらも煙を出して欲しいのです。煙は時に目に涙を誘発するかも知れません。またこの煙は狼煙となって情報発信をするかも知れないのです。でも煙が上がること、やがて燃え始めることの意味をしっかりと覚えて欲しいと思いました。


  「今年また 新たな種が ばら撒かれ それぞれの地に 根付き芽を出す」

  「文章も 発表さえも 下手くそだ けれどもこれが  こやしになりて」

  「小理屈を 言う人なるな 手と足を 更にはハート 動かす人に」

  「おっ、やるな そんな人にも 巡り合い 今年も無事に 修了証書」

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○岡山県公民館連合会の研修会に招かれました

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 岡山県公民館連合会が主催する研修会に招かれ、一泊二日の日程で会場となった総社市山手公民館へ行って来ました。前日の泊りは岡山駅前の東横インだったので、少し早目に起きて散歩がてらのような気持ちで、会場のある東総社駅を目指しました。総社といえば吉備線と伯備線が交わるところですが、東総社は吉備線にあるのです。岡山駅発8時36分、東総社着9時7分の予定でしたが、岡山駅に早く着いてしまったので、岡山発8時9分の列車に乗ってしまいました。この日は放射冷却現象で沿線は霜が降りてまるで雪が降ったように真っ白な霜降りでした。

 駅に降りて何するでもなくそこら辺をぶらぶらしていましたが、迎えの課長さんが早く着いて、せっかくだからと国分寺の五重塔を見に行きました。まさに早起きは三文の得でした。このお寺へは何かのついでだったと思いますが、妻と一緒に訪ねたことがあり、境内の茶店でお茶を飲んだことを思いだしました。

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(国分寺の山門)
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(境内にある見事な枝ぶりのクロマツの庭木)
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(均整のとれた五重塔)
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(五重塔の軒先を飾る十二支の彫刻)

 さて研修会は午前中は鏡野町の山本主事さんが通学合宿について、倉敷市の岡野主任さんが市民講座についてそれぞれ発表しました。私もコメントを求められて、ショートなコメントを話させてもらいました。講演は昼食後午後1時から質疑も含めると2時間をいただきお話ししました。

 私の話は前半はまちづくり、中盤は新しい発想、後半は公民館の問題点について話をしました。立派な会場に100人を超える人が集まって、眠る人もなく楽しくお喋りをさせてもらいました。

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(総社市山手公民館ホールには100人を超える人が参加していました

 この日話した「ないないづくしの公民館10ヶ条」を書いておきます。

 第1条  一山百円で特徴がない公民館

 第2条  子どもと青年と婦人が集まらない公民館

 第3条  職員のやる気が感じられない公民館

 第4条  事業バランスが崩れている公民館

 第5条  金もないし知恵もない公民館

 第6条  公民館運営審議会が機能していない公民館

 第7条  いのちとくらしに役立たない公民館

 第8条  自治能力が向上しない公民館

 第9条  行政に当てにされない公民館

 第10条 未来性がない公民館


  「早起きは 三文の得 国分寺 見上げる空に 五重の塔が 」

  「この寺は 妻と来た寺 境内の 茶店で抹茶 二人味わう」

  「発表を 聞きつつ昔 懐かしく 思い出される やはり歳だな」

  「寝る人も いない会場 張り詰めて 午後と思えぬ 聞く人立派」 


  

 

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○若松進一の主な講演テーマ及びコーディネーター関連ジャンル

 私のホームページhttp://www.yuuhi.jp にアクセスすると、下灘駅の改札口の写真が出てきます。このホームページは、大学に勤める私の娘婿が私のために作ってくれたものです。作ってもらった当時はその意味も分らず使っていましたが、最近になって私のことをよく知っている友人が「若松さんこのホームページはあなたにピッタリですね」と褒めてくれました。そう思ってみれば、このホームページがよく自分を表現してできているとしみじみ思うのです。

 下灘駅のプラットホームが見えるこの写真の下に、夕日のドラマはこの日本一海に近い「下灘駅」から始まった。と書いていますが、まさに私のドラマはここから始まっているのです。

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  もしこの下灘駅でNHK「明るい農村」のテレビ番組を取材に来た人に、美しい夕日の存在を言ってもらわなかったら、また山田洋次監督がフーテンの寅さんシリーズ「寅二郎と殿様」をこの駅で撮影していなかったら、はたまたこの駅を舞台に私が「夕焼けプラットホームコンサートをしていなかったら、今の自分もなかったであろうと思うと、日本一海に近いと形容された下灘駅の存在はとてつもなく大きいのです。

 私のホームページにはコンテンツに書かれている通り、夕日の観覧席、プロフィール、講演活動、ブログ、リンクと5つの項目が索引できます。その中でアクセスが圧倒的に多いのはプロフィールでしょうが、次のページの講演活動もかなり多いようです。ページを開くと「若松進一「主な講演テーマおよびコーディネーター関連ジャンル」という項目が出てきます。


 まちづくり部門

  ・まちづくり活動の進め方

  ・地域の活性化

  ・イベントによるまちづくり

  ・特産品開発

  ・地域間交流

  ・ツーリズム

  ・市町村合併と自治活動

  ・観光事業の組み立て方

  ・道の駅など第三セクター施設の運営と経営

  ・人づくり

 青少年問題部門

  ・子育て講座

  ・青少年の健全育成

  ・青少年団体活動の組織と運営

  ・無人島体験などの野外活動

  ・PTA活動

  ・金銭・金融教育

 女性活動部門

  ・女性の企業家育成

  ・男女共同参画社会

  ・女性団体の組織育成

 高齢者問題

  ・高齢者の生きがいづくり

  ・ニコピンコロの人生設計

 生涯学習部門

  ・公民館活動の活性化

  ・生涯学習とまちづくり

 その他の部門

  ・人生の生活設計

  ・人間牧場構想

  ・人生論

  ・遊び心の創造

  ・自分史づくり

  ・マネージメント


  これはこれまで私のオファーがあった講演の内容を分類したまでなのですが、よくもまあこんなに広いジャンルをこなしているなあと、自分で驚いているのです。昨日もこのホームページを見て、「ニコピンコロの人生設計」というタイトルで、ある県外の市町から講演の依頼がメールでありました。有り難いと思いつつ今日も木になるカバンを提げていざ出発です。


  「娘婿 ホームページを プレゼント 今は私の 顔となりぬる」

  「わがドラマ 下灘駅から 始まった キャプション読めば 一目瞭然」

  「講演を 頼む人あり 演題は ホームページの ニコピンコロと」

  「情報化 俺にゃ無縁と 思ったが 最後尾つけ ノロノロ歩く」 

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○後楽園から岡山城へ②

 後楽園は水戸の偕楽園、金沢の兼六園とともに日本三名園の一つに数えられる名庭園です。岡山藩主池田綱政公が家臣の津田永忠に命じて貞享4年に着工、元禄13年に完成しています。明治17年に岡山県に譲渡され一般公開されています。園内は広い芝生地や池、築山、茶室が園路や水路で結ばれ、歩きながら移り変わる景色を眺めることができるように工夫された回遊式庭園です。

延養亭、能舞台、二色が岡、花葉の池、馬場・弓場、地蔵堂、御船入り跡、茶畑、慈眼堂、沢の池、簾池軒、唯心山、千入の森、井田ハス園、流店、八橋、花交の池、茶祖堂、梅林、桜・紅葉林など、見ても飽きない工夫が随所にちりばめられて、何時間でも飽きない程の美しさで名園の名を欲しいままにしているのです。

 名園後楽園の散策を楽しみながら川面を見ていると、何やら騒々しい人たちに出会いました。見れば池面にはたくさんのカモメが羽を休めていました。また池の中には沢山の錦鯉が悠然と泳いでいました。茶屋の店先には「鯉の餌あります」と書いていました。その餌を買って鯉に餌をやろうとするのですが、目敏いカモメは鯉の上前をはねて餌を食べてしまうのです。餌やりに講じているのは、言葉尻からするとどうも韓国人の観光客のようでした。まあ楽しいずっこけぶりで、見ているこちらが楽しくなるような雰囲気でした。

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 後楽園は池田公の庭園なので傍にある岡山城が何処からでも一望できるのです。私も芸術家ぶって、休憩所の格子窓から見える講演とお城を、少しリアルなタッチで撮ってみました。じぶんながら言いアングルで、正月早々お墓参りの際に壊れたカメラとは思えない出来栄えに思わずにんまりしました。

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 後楽園を出た私は別の門を出て、岡山城へと続鉄の橋を渡りました。黒金の廊下門をくぐって鉄砲弓矢の穴のあいた土塀を伝うようい坂を上がると、いきなりド迫力な本丸城が目の前に姿を現しました。別名烏城ともいわれるこの城はその名前の通り一面黒く見えるのです。でも威風堂堂とした姿は、やはり岡山市のシンボルとして県民・市民愛されているようでした。残念ながら御城の中へは時間切れで入りませんでしたが、のんびりと別の門から出て、再び歩いて岡山駅を目指して歩きました。

 私の日ごろ鍛えた健脚も相当なもので、携帯電話についている万歩計を見るとこの日の歩数は一万八千歩を超えていましたが、足が痛くなることもなく岡山市内の散策を終えました。

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  「のんびりと  後楽園から烏城 冬の夕暮れ 一人で歩く」

  「名の知れた 天下の公園 さすがなり 冬には冬の 趣ありて」

  「一年中  日本国中  旅をして しみじみ思う  いい国生まれ」

  「今回も 荷物にならぬ 思い出を 沢山持ちて 我が家帰りぬ」 

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○日本三大名園後楽園を訪ねる①

 私の講演旅行の機会も加齢とともに、体力的な限界が近付きつつあります。退職してからこの5年間、ほぼコンスタントに毎年120回くらいな講演をこなしていましたが、さすがに少し疲れるようです。そのため今年からは毎月約1週間は連続して休むよう心がけています。それは気力と体力、それに知力がうまくマッチしないと、講演先の相手に失礼なからなのです。そんな思いもあって出かける時はこれまで以上に少しのんびりしようと心がけています。

 今回の岡山での講演も、本来なら総社市で朝10時からですから早朝5時に家を車で出れば、瀬戸大橋を渡って何とか日帰り出来ると思ったのですが、相手から前日の宿泊を、そして妻から公共交通機関を利用を勧められたのをいいことに、一泊二日の旅と相成りました。


 岡山といえば何度も足を運んでいる場所だし、街中も相当歩いているのですが、それでも冬の芝生の枯れた後楽園を見たいと思い、一便早い特急しおかぜに乗ったのです。岡山駅に着くと直ぐに相手先の先生が手配をしてくれた宿舎である東横インに向かい、まず荷物を預けてカメラ片手の身軽な格好で歩き始めました。ホテルは西口、後楽園は東口の反対側なので、かなり歩かなければなりませんでしたが、それも承知の上で体力づくりだと思い歩きました。

 川に架かった長くて太い橋の向こうにこんもりとした後楽園公園が見えてきました。箒を逆さにしたような大きな欅の木はすっかり葉を落とし、冬の風情で私を迎えてくれました。チケットを買い求め講演の中に入りましたが、シーズンオフの夕暮れ時とあって人影もまばらで、イメージした通り芝生は冬枯れして真っ青な空の青とマッチして美しい光景を見せていました。

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 水辺に写る空の色も格別美しく、水面に写る空の色も周辺の松の緑もまさに絵になる光景で癒される思いがしました。公園は平地にあるものの築山の妙とでもいうのでしょうか、公園のほぼ中央にこんもりとした小山があって、公園内の日とん度を見あ渡せるようになっているのです。築山には茅葺の東屋があって心憎いばかりの見事な設えです。この日は乾燥注意報が出るほど空気が澄んでいて、歩く足元は歩く度に土煙るがたち靴もズボンも土埃だらけになってしまいましたが、そんなことも気にせず園内を楽しく散歩して歩きました。

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 以前妻と来た時は確か燃えるような若草でした。春の梅や桜、夏の菖蒲、秋の紅葉などを連想しながら歩くのもまた一興です。公園の池に浮島のような小さな島があって太鼓橋が架かっていました。またその袂には池に張り出した船隠しの小さな小屋があって、目と足を奪われました。近くの茶屋の赤毛氈を敷いたひろしきに腰をかけ、お茶子さんの差し出す抹茶を飲みながら止まったような時空を楽しみました。

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  「せっかくの 機会だからと 欲張って 一便早く 列車に乗りぬ」

  「荷を預け カメラ片手に 冬道を 長閑に歩く これぞ幸せ」

  「冬枯れの 公園風情 これもよし 足にまとわる 土煙り無視」

  「大名が 贅の限りを 尽くしたる 庭園我も  銭を払って」

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○こんばんは少々お疲れモードです

 昨日は自宅を出る前に2本、旅先で2本の計4本のブログを書きました。今晩家に帰って自分のブログを見て驚いた次第です。そんな訳で、今日は少々疲れましたので、この続きは明日にしたいと思います。お休みなさい。

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○Mさんに出会って妻が優しく見えました

 「遠出は危ないから」という妻の忠告を受け入れて、公共交通機関を利用した今回の岡山行き一泊二日の旅も、午後7時半に松山駅へ到着する特急しおかぜ便で無事フィナーレを迎えることができました。わが町はそこから先へ8つものローカル駅を通り越さねばならないのですが、案の定伊予市より向こうへ進むことができず、妻が松山駅へ迎えに来てくれました。

 本当は出張している私が電話をかければいいものを、相変わらずの無精者ゆえ、妻から朝夕定期的に電話がかかって近況を報告してもらっているので、久しぶりの出会いとは思いませんが、それでも列車で巡った旅なので少し懐かしい感じもしました。

 夕食時ゆえ久しぶりに帰り路、馴染みの中華料理店へ立ち寄り、坦々麺と酢豚を注文して大汗をかきながら舌鼓を打ちました。

 自宅に戻ってみると、どっさりの郵便物と、FAX通信、それにメールを開ければこれまた沢山のメールが届いていました。少しため息をつきながら、これらの処理は後にして、とりあえず今日のノルマであるブログを一本書き始めました。

 今日は偶然にも岡山から同じ特急しおかぜに友人のMさんが乗り合わせていました。そのことに気がついたのは、Mさんが今治付近でトイレに立ち、その帰りぎわに新聞を読んでいる私を目敏く見つけてくれたのです。岡山から同じ列車に乗り、同じ松山を目指しながら気がつきませんでした。今治からだと僅か30分足らずしか時間が残っていませんでしたが、お互いが懐かしく話をしました。

 私より2歳年下の彼も私と同じように既にリタイアしていますが、退職離婚というのでしょうか3年前奥さんと別れたそうです。子どもも片付いているので今は気ままなひとり暮らしだそうです。彼の視線の向こうに一見品のある見知らぬ女性を見つけました。見ず知らずの私に軽く会釈するその女性は、聞けば世に言う彼の恋人のようで、今日は岡山の後楽園に日帰り旅行をしたというのです。私は驚きました。私も昨日と今日の日こそ違え、出張のついでに昨日後楽園へ行っていたのです。

 彼の気心を察して私は、昨日一人で後楽園へ行ったことはついに最後まで言えませんでした。彼の彼女は私の妻に比べれば所帯やつれもしていない美しい女性でしたが、私は羨ましいとは思いませんでした。むしろ真実一路私やか家族のために一生懸命働いてくれる私の妻が立派に思えたのです。

 列車は何事もなかったように松山駅に着き、Mさんと彼女は卓氏乗り場へ消えて行きました。私は駅前の車止めに行くと、見覚えのある私の愛車の中に笑顔で手を振る妻を見つけました。「お父さんお帰り。疲れたでしょう」。「うん少し疲れた」。月並みな夫婦の会話でしたが、今晩の妻はどことなく優しく感じました。

 縁あってわが家に嫁いで来てから早くも40年が経ちました。幸せなことに色々な荒波もありましたが、何とか今は二人とも健康にこうして穏やかな老後を迎えているのです。これも妻のお陰と思いながら、これからも二人仲良く生きて行きたいと思った夜でした。


  「別れたが 早くも次の 人連れて 日帰り旅行  楽しむ友あり」

  「俺などは 生涯一人 しかいない 羨ましいと 思わぬほどに」

  「若し別れ 別々な道  歩んだら 私は直ぐに 死んでしまうな」

  「もう少し 感謝を態度 表せと 言う妻だけど これで十分」    


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