人間牧場

〇100円ショップでやっと手に入ったビー玉とおはじき
 108体の人形が語る漁村の昔の暮らしの中でも、子ども時代の遊びにはまだ沢山の遊びに手を付けていないので、何とかしたいと思っていてけん玉やメンコ、駒などは現物が残っているのですが、ビー玉とおはじきがどこを探しても見当たりませんでした。

大小のビー玉とおはじき

 ところが今日、妻の買い物につき合わされ100円ショップのダイソーへ使い捨てする程度でいい物を買いに出かけました。私は別に買うものもなかったので、店内を一巡していると、子どものおもちゃのコーナーに、ビー玉とおはじきが並んで売っていました。

早速妻の買い物かごに入れて、レジで精算して買ってもらい持ち帰りました。子どもの頃だったら大喜びしたであろうと昔を懐かしみましたが、早速袋に入れ替えたので、明日にでも子どもの遊びコーナーに収納する予定です。また一つ宝物が増えました。

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人間牧場

〇誰が出したか分からない年賀状が届きました
 私もあったことなので人様のことは言えませんが、今年も私宛に届いた約400枚の年賀状の中に、裏が真っ白で表書きも私の住所と名前以外書いていない年賀状が何と2枚も入っていました。察するにプリンターでプリントアウトする時、新しい年賀状を重ねて入れると、2枚がくっついて出てくることがあるのです。

 年賀状は消印スタンプが押してないので、誤植で出さなかったといえば、郵便局でいくらかお金を出せば普通ハガキに替えてくれるはずです。まあそんな悪ふざけはしませんが、お年玉付き年賀状の場合は、切手シートが当たれば上々なので、当選番号発表まで大事に取っておきたいと思っています。

 今年もいただいた年賀状の中に、「今年で年賀状を出すのは止めます。ご理解ください」と書かれたハガキが10枚以上ありました。年賀状の形骸化と、デジタルメールの普及で、年賀状の発行枚数は年々減りつつあり、追い打ちをかけるように郵便料金が値上がりするので、年金暮らしの私たちには痛手です。でもやっぱり年賀状はいいものです。

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人間牧場

〇能登半島地震の影で
正月元旦は夕方から能登半島地震に関するニュース以外ニュースらしいニュースは放映されませんでした。マグニチュード7以上の大地震による壊滅的な被害の甚大さを思えば当然で、楽しみにしていた新春恒例の箱根駅伝など夜のニュースにも取り上げられませんでした。

そんな中で羽田空港で起こった日本航空機と海上保安庁の航空機が滑走路で衝突し、70台以上の消防車が出動して消火に当たったもののなすすべもなく炎上全焼する姿にも大きなショックを受けました。幸い乗客全員は脱出して無事だったものの、能登半島地震被災地へ物資を運ぶ予定だった海上保安庁の飛行機の搭乗者5人が犠牲となる悲しい事故となりました。

 正月元旦のこの2つの悲しみの出来事は、忘れてはならない教訓として語り継がれることでしょう。能登半島地震の余震は今も群発し、人命救助に当たる多くの人たちが二次災害に遭わないよう祈るばかりです。死者の数も増え続けていて、生存率が下がるといわれる72時間が間もなくやって来ます。「生きていて欲しい」と祈る人々の悲痛な叫び声が聞こえるようで他人事なら悲しいです。

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人間牧場

〇能登半島地震
 2024年1月1日午後4時10分頃、能登半島の石川県志賀町で震度7の地震が発生し、日本列島の日本海側ほぼ全域に大津波警報が出ました。建物倒壊や火災が相次ぎ、石川県では57人が死亡したほか、押し寄せた津波や土砂崩れ、土地の隆起や液状化など、分かっているだけでも災害史上に残る大災害となっているようです。

 正月元日のしかも夕暮れ時の惨状ゆえ、冬季の早い夕暮れも重なって、身動きが取れなかったゆえ被害の状況確認や対応に手間取ったことは否めない事実ですが、昨日は一日中NHKテレビは災害に関する放送放映をしていました。いつの間にか死者数も増え、今朝の新聞では中心地となった石川県では死者が57人になったそうです。

 

  能登半島地方ではこれまでにも地震が相次ぎ、地震と津波への対応が指摘されていましたが、いつ来るか分からない地震や津波への対応には限界があることも正直なところです。阪神淡路大震災や東日本大震災など日本はこれまで多くの地震や津波に遭いその都度、復興・復旧の名のもとに逞しく乗り越えて来ました。

 私たちの住んでいる四国もそれらの先例を教訓として、やがて来ると想定している海トラフ地震に備えようとしています。予防には金もかかるし好き易す飽き易すな住民への意識啓発も中々前に進まない現状です。「備えあれば憂いなし」でしょうが、まずは今回の地震を教訓に、まずは自分から始める防災をしっかりやりたいと思いました。

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〇山道から見える双海町の中心地から見る景色
昨日は正月元旦でした。宇和島に勤務する警察官をしている息子が久しぶりに大みそかから帰省し、加えて松山に住む看護師の次男家族も加わり、賑やかなお正月となりました。

 私も時々正月のあいさつにやって来る親類の人の対応も午前中で一通り目鼻がついたので、久しぶりに潮風ふれあい公園までウォーキングに出けました、道沿いの畑などは作り手がいなくなり雑草とカズラが生い茂り、寂しい風景が目につきました。

 少し坂を上ると上灘川に架かる長い鉄橋の見える場所に出ました。かつては特急宇和海が走っていましたが、今はマッチ箱のような位置力の列車が走る寂しい線路となりました。時折走る3両仕立ての観光列車伊予灘ものがたりが走る姿を、プロのカメラマンが撮影する絶好のフォトスポットを、私もスマホで2~3枚撮りました。

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〇メールにて新年のごあいさつ
 年賀状を400枚ほど出しましたが、音信が途絶え気味の方に届かず、「配達準備中に宛先に尋ね当たらない」とか、しっかり確認したつもりでも「既に昨年亡くなっている人」もいて、ご家族から電話にて丁寧なごあいさつをいただいたりもしました。

 そんな中Facebookの私の文章に深淵のあいさつを兼ねたコメントに懐かしい写真を添えてくれた人が2人もいました。一人は熊日新聞に勤めていた頃、私の取材に人間牧場へ見えられた平野有益さんががいました。日付は平成18年7月18日ですから今から17年も前の出来事で、よくもまあ保存していたものだと感心しました。

もう一人の肩は島根県益田市のkaneo Shimakawaさんで、私が頼まれて講演に出かけた折の写真のようでした。「夢を追いかける人がいて村はかがやく」という、当時私が好んで使っていた演題のようでした。

 平野さんも島川さんも尊敬する方で、時を経てはいますが、「もう一度逢いたい人のリストに入っています。「写真は嘘をつかず」と言う通り、「あの頃私は若かった」と2枚の写真を見て思いました。

「年賀状 届かず手元に 戻り来る 余計気になり どうしたものか」
「年賀状 亡くなったこと 知らなんで 失礼の段 お許しください」
「メール添え 若かりし頃の 記事写真 届いて嬉しい 記念に残そう」

 

 

 

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〇今日から来年5日まで人間牧場は冬休み
 自然とは偉いもので、昨日までは動けば少し汗が出るほどの陽気だったのに、今日は雨を伴ったかなり強い北西の風が吹き海は大荒れです。あの穏やかな海が荒れ狂うには気圧の変化によるえなるぎーが必要ですが、まるで風神様が起こっているようにも見えました。

 明日は新しい年の始まりなので、昼過ぎ人間牧場へ出かけ、用意した注連縄と鏡餅を神棚に供え、これまでの一年間への感謝と、これからの一年間の無事を祈りました。早いもので人間牧場を造って19年になります。来年はいよいよ20周年を迎える予定です。

 年輪塾の仲間たちと20周年事業の企画を練っていますが、10周年をやった時とは違い、私を含めみんな10歳年齢を重ねました。今日で今年の活動を終え、来年と言っても来月5日から活動を開始する予定です。さあもうひと踏ん張り頑張りましょうか。

「温かい 昨日がまるで 嘘のよう 風神様が 怒り狂って」
「19年 あっという間に 過ぎ去った 想いは若いが 歳相応」
「来年は 20周年 やる予定 一つの区切り フンドシ締めて」
「今日からは 1週間の 冬休み しめ縄飾り 餅を供えて」 

 

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人間牧場

〇妻の仕事
 妻は歩いて行けば5分ほどの近くにある宮田歯科医院にパートで勤めています。31年の長きにわたって勤めていることや年齢が78歳になっているので、4~5年前から退職したいと言っていましたが、一緒に勤めていた少しだけ若い人が娘さんの病気でいち早く止めたため、辞める時機を逸してしまい、後任も見つからぬまま、40代の女性と2人で勤めています。もう一年もう一年とは留意されて今日に至っています。

 私が退職したとき一念発起してカナダ・アメリカへ連れて行きましたが、妻が退職したときはどうしようか目下思案中です。妻の希望は2~3日別府温泉にでも浸かってゆっくりしたいと、妻らしい控え目な希望があるようですが、「今年で辞めたい」と院長先生に申し出たところ「もう少し」と留意されたようです。来年の私の年賀状の家族の近況について「間もなく退職」と書いてしまい、右往左往しています。

 私が60歳で現職をリタイアして念願の自由人人生を選んでから19年が経ちましたが、その代償として妻にはあれこれ面倒をかけていて、大黒柱であるはずの私がこのていたらくゆへ、少し後ろめたい所もありますが、そんなに長くないもう少しお勤めしてもらいましょうか。

 

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〇私は高1の孫のアッシー爺ちゃんです
 中2の孫と高1の孫あがそれぞれ冬休みになりました。4月から松山の中央高校に通っている高1の孫希心の通学パターンは、家からJR上灘駅まで自転車、JR上灘駅からJR北伊予駅までは列車、JR北伊予駅から学校までは約20分自転車通学でそれぞれ往復です。

 カバンやセカンドバッグ、それに部活の荷物があり、特に雨の日には自分と荷物を濡らさないため雨合羽を着なければならず、通学もまるで夜逃げか遠足にでも行くようです。最初は中々慣れず戸惑っていましたが、2学期が終わる今頃はすっかり慣れ、友だちもかなりできて毎日楽しそうです。

 冬休みでも学校でゼミなどがあるため普通と変らず登校していましたが、年末3日間、年始3日間は自由の身になったので、友だちと誘い合ってジムへ行く予定でしたが、昼過ぎの列車ダイヤは何時間も空白で、両親も仕事で留守だったので、私にJ「R北伊予駅まで連れて行って欲しい」と懇願されました。

所用がありましたが、仕方なく私の軽四トラックで乗せていくことになりました。高1なのに183㎝もあり成長著しい孫ですが、私とは日常的に仲が良く色々な話をしてくれるので、片道30分ほどの間色々な話をすることが出来ました。「おじいちゃんありがとう」と言ってJR北伊予駅の駐輪場から自転車を漕いで松山方面へ出かけて行きました。田舎に住む高校生は大変です。

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人間牧場

〇チョイと立ち寄り
 八幡浜でお墓参りを済ませて帰る途中妻が、「お父さん、昨年もそうだったけれどクリスマスは終わっても、長浜町大和地区のイルミネーションはまだ飾っているかも知れないから、遠回りして行って見ない」と誘われました。

 国道378号から沖浦地区の露地道に入り、赤橋のたもとを越えて、肱川西側の道を進み、出石大橋のたもとを右折すると、綺麗にイルミネーションで飾った家々が見えてきました。少し遅い時間だったしクリスマスの喧騒が終わっているので、私たちだけの見学となりました。

 肱川付近は吹きさらしで気温が下がり冷たく感じたので、車の中からの見学となりましたが、見応えのある飾り付けだした。今年は尾道や三原方面へツアーで出かけクリスマスイブのペットボトル5万個の冬ほたるのイルミネーションも見れて、思い出に残る年末でした。

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