人間牧場

〇麦わら帽子が役に立つシーズンがやって来ました
 心地よい春の季節がやって来ましたが、日中は気温が20度以上に上がり、戸外で草刈りなどの農作業をすると暑いくらいになりました。もうこの歳ですから別に日焼けなどきぬする必要はありませんが、熱中症には気をつけなければならず、日よけのための帽子と水分補給用の水筒は必需品となりました。

 毎年この時期になると、妻が私のためにツバの広い麦わら帽子を買ってくれますが、雨の日に被ると雨に濡れて麦わらが黒く劣化するので、雨の日には少し見素ぼらしい雨専用の麦わら帽子を被って作業をしています。麦わら帽子は千円以下で安いと思って帽子に着いたタグをよく見ると中国や東南アジア製が多く、メイドインジャパンではないようで、納得して使っています。

 この歳になると、帽子をどこででも脱ぐ癖があって、次に被る時はて麦わら帽子は何処?と探すことから始める始末です。昨日も草刈りが終わって一休みした畑の隅に置き忘れ、帰り際そのことを思い出し引き揚げた100m下の畑へ戻って見つけ事なきを得ました。麦わら帽子に地下足袋、それに水筒と草刈り機に混合油タンク、それに剪定ばさみと剪定鋸、いやはや小道具が多くて困ります。

「日中は 夏日になって 農作業 汗かきフーフー 言いつ頑張る」
「美容より 熱中症に 気を付ける 麦わら帽子 それに水筒」
「帽子何処? そうだあそこで 脱いだっけ 思い出すのが 遅過ぎ戻る」
「間もなくに 蚊取り線香 ぶら提げて やぶ蚊と格闘 夏の風物」

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人間牧場

〇孫娘花菜の入学式
 私たち夫婦が歳をとるはずです。早いもので、今年度は松山市に住む次男の娘花菜が入学式を迎えました。愛媛県内には音読みすると同じ名前の小学校が3校あって、色の「緑」は愛南町、翡翠の「翠」は伊予市双海町、花菜の入学した学校は松山市のがなのひら「みどり」です。

 昨年早々とランドセルをプレゼントしていましたが、制服を着てランドセルを背負って先日登校して入学式が行われ、次男夫婦も揃って入学しに参列したようで、LINEで写真が送られてきました。これから小学校6年間、中学校3年間合計9年間の義務教育が始まります。さらに高校3年間、大学4年間となると気が遠くなるような年月で、元気で最後まで見届けることが出来るかどうか?、少々疑問です。

それでも孫娘の成長を見届けながら、私たち夫婦も頑張らなければなりません。

 

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〇天草の晒し作業
 このところ気温が上がり季節は春から初夏へと移ろうとしています。わが家では夏になると妻が天草でフルーツゼリーを作って食べさせてくれます。その原料となる天草の採集は一年中で一番干満の差が大きいこの時期ですが、春は雨が降ったり波が荒かったり、また種々の総会などが目白押しで、中々磯に行く機会がありません。

 たまたま先日ワカメを取りに出かけた折、少し沖合の岩場に天草があったので、手持ちの採果カゴに入れて少しだけ持ち帰り、ポリ容器に水を張って天草を水洗いしてサナに広げて干す作業を始めました。天草は厄介な晒し作業をしなければなりません。あのまるで白髪のように晒して、ゼリー作りに使うようにするためには、水洗い+天日干し+水洗い+天日干しを何度も繰り返し、その過程で天草についたフジツボなどを取り除いて行くのです。

 最初は茶褐色の天草も晒し作業によって徐々に脱色して行きますが、他の天日干しと違い雨に濡れても平気なのでその点は大助かりなのです。一昨日始めたばかりなので、恐らく約1ヶ月はかかるものと思われますが、わが家には毎年ストックしている天草もまだ沢山保存しているので、今年から仕事も辞めて家にいる妻に頼んでフルーツゼリーを作ってもらい冷蔵庫で冷やして食べたいと思っています。

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〇桜吹雪
 季節の移り変わりは早く、先日桜が咲いたと思えば、もう散り始めています。例年だと入学式はさあ倉が散っているのに、今年は今も菜氷の桜が残っています。

 4月8日の由並小学校の入学式は満開の桜でした。ところが4月8日の夜から9日の朝にかけてかなり強い風雨があり、桜の花が一気に吹き飛んで、桜吹雪が舞う花冷えの双海中学校の入学式でした。

 たった一日で散る桜も少し残念にも思いましたが、桜の木の下には散り初めし桜の花びらが道に積もって、それはそれとして風情がありました。

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〇野菜の残材片づけ
  夏野菜の植え付け時期が近づいて、どこか背中を押されるような気焦らしい気になってきました。野菜を植えるには、まず冬野菜の残材を引き抜いたり、雑草を取ったりすることから始めなければなりせん。

 大根は既に引き抜いていますが、白菜やブロッコリー、カリフラワーなどは、食品ロスになるので極力残らないようにしていますが、今年も大量に残って、それらには「もう食べられません」と言わんばかりに、トウが立って黄色や白い菜の花が咲いているのです。

 鍬で掘り上げ、根に着いた土を鍬のセンゴで定年依土を叩きとした後、一輪車に積んで、残材置き場まで運んで処理しますが、これが中々の力仕事で、削った草も大量で、置き場に山積みした場所はうず高く積まれ、満杯のようでした。

 今日で半分は片付きましたが、あとの半分は明日もこう天気に恵まれる予定なので明日にでも処分をしたいと思っています。それが終われば牛糞や石灰を撒いて耕運機で中耕したり、畝を立てて夏野菜の苗を植える予定です。

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〇振り返ると小焼け
 前日は雨を伴った日便りの強い風が吹きました。今年は例年より遅れて咲いた桜も散ってしまったと思っていましたが、そこここの桜はまだ満開のまま咲いていて内心ホッとしました。

 夕暮れ時、茹でたワカメを、いつものように知人や友人におそそ分けするため、翠地区周辺に向かって軽四トラックを走らせました。夕日の時刻表によると今日4月10日の日没時間は18時36分だと記憶していたので、バックミラーに写る西の空を見ながら走りました。

 翠地区は帆が師と西側に山がそびえる谷にありますが、小焼けの空が何ともいえない美しさでした。若し今頃シーサイド公園やJR下灘駅からは綺麗な夕焼けが見えるに違いないと思いましたが、こんな小焼けもいいものだと思いました。

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〇叔父の決意
 私の家は代々漁師でした。漁師の長男に生まれた私も漁師になるため宇和島水産高校に進学し、親父がガンになったため大学進学を諦め地元に帰って7年間漁師をしました。しかし25歳の時体調を崩し漁師が出来なくなり、地元の役場に勤め60歳まで務めました。

 親父は12人兄弟姉妹の長男に生まれました。殆どの兄弟姉妹が町内の住んでいますが、親父や叔父叔母も他界したり高齢になっています。叔母の義理の夫が最後まで漁師を続けていましたが、海難事故で2人の息子を亡くし、叔母も亡くなったため97歳ながら下灘下浜で一人暮らしていましたが、最近脳腫瘍を発症し入院しました。

 昨日退院したという知らせを受け自宅へお見舞いに行きました。愛知県で暮らす息子夫婦が帰郷していました。聞けば高齢ゆえ一人暮らしは無理と判断し、本人を説得納得させ、70歳の息子夫婦が一緒に愛知県へ連れて帰るとのことでした。

 叔父にしてみれば老い先もそんなに長くないので、生まれ育った下灘下浜を離れる決断は本意ではないと切々と私に話してくれました。それでも今月の17日慣れない土地へ旅立とうとする叔父の姿に少ししんみりしました。この叔父がいなくなると私の親類で漁師はゼロになります。何とかしたいけれど何もできない寂しい時代の流れです。

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〇教育談議
 先日児童数20人ほどの小さな地元の小学校から、松山市内の児童数の多い大きな学校へ校長先生が転勤になりました。みんなは口々に「ご栄転でおめでとうございます」と祝意を述べられていました。

 小さな学校から大きな学校へ辞令一本で異動を命じられると、「栄転」だと思う人が殆どでしょうが、逆に大きな学校から小さな学校へ異動した場合は「何か不都合なことがあったのか・」と邪推したり口では言わなくても心の中で「左遷?」かもと勘ぐる人もいるようです。

 本来学校には上下の区別などなく、大きいと子どもの名前を全員覚えることも出来ず、むしろ小さいとみんなの顔や名前を全部覚えれるのですからこれほどいい教育環境はありません。教育に限って言えば小さいことの方がメリットは沢山あるのです。

 500人の大きな学校から、20人ほどの小さな学校へ転校してきた子どもが、私の子ども体験塾に来ています。そのお母さんと話したのですが、「前の学校は500分の1でした。今の学校は20分の1です。500回に1回だった出番も20回に1回になり、子どもも『毎日学校へ行くのが楽しい』と言ってくれます。小さい学校は子どもが主役です。転向させて良かったと思います」と、言ってくれています。教育の本質を語る嬉しい言葉です。

「ご栄転 みんな口々 言うけれど 大きいことより 小さなことも」
「500より 20がいいと 胸を張る 名前と顔を みんな覚えて」

 

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〇生き場所がここにもあった屋根の草
 私の家は日本建築で築50年近く経っています。家も50年近くが経つとあちこちが朽ちてくるもので、注意をしないとトイが詰まったり、雨漏りがしたりします。その度に自分でできることは自分で、叶わない時は大工さんや左官さんの力を借りて修理をしています。

 今日何気なく庭に造っている長~い日本瓦葺きの塀を見ていると、あちらこちらに草が生えているのを見つけました。早速脚立を立て登って草を引きました。あんな屋根の上の過酷な条件なのに、種も蒔かず植えもしないのに、草が沢山生えていました。

 お寺の山門の掲示黒板に「生き場所がここにもあった屋根の草」というのを覚えていますが、自然とは偉いもんだとしみじみ思いました。脚立に登ったり降りたりしてすっかり奇麗になりましたが、屋根の草を見ても学ぶことが多くあるようです。

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○フキ泥棒は泥棒にあらずか?
 昨日の昼頃港の見える丘の山仕事が一段落したので、500m上の人間牧場へ上がりました。スモモの花も散り地面のそこここには雑草が勢いよく伸び始めていました。人間牧場の梅林には植えた訳でもないのにフキが辺り一面繁茂しています。ところが柔らかい緑色の葉っぱの一部の葉っぱが刈り取られ無残に葉っぱだけが落ち踏み潰されていました。

 これまでのことを思い起こすと確実に誰かがフキを切取り持ち帰ったようでした。田舎の人はしませんが、都会の人はワラビやツワブキなどの山菜は自然に生えていて、誰でも取っていいと勘違いをしてるようで、「これは作っているの取るな」と注意をすると、「どこに書いている」と逆ギレし胸ぐらをつかんで喧嘩になったこともあるようです。

 何年か前5人ばかりのスカートをはいた女性がやって来て、同じような出来事があり、注意をしてすったもんだをしたことを思い出しましたが、今回は留守中の出来事だけにやれやれでした。せっかく植えている菜の花も蕾を食用に持ち帰る人も後を絶ちません「フキ泥棒は泥棒にあらず」ではなく、フキ泥棒は泥棒です。ご用心ください。帰り際フキを4束ほど収穫し持ち帰りお裾分けして喜ばれました。

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