人間牧場

〇どうして「人間牧場と名前を付けたの」
 人間牧場を造って20年になります。案内看板もなくましてやカーナビにも出ない標高130mの高台にある人間牧場に多い年には年間1000人もの人がやって来ます。「1000人とは凄い」と自分でも思いますが、1ヶ月に100人来れば×12ヶ月で1200人ですからそれほど胸を張る人数ではありません。

 「人間牧場は何するところ」とその奇妙な名前ゆえよく聞かれることがありますが、今から35年前ひょんなことから東京市ヶ谷にあった市町村役場ロマン亭という居酒屋の主人鈴木繁夫さんと知り合いました。鈴木さんは「かがり火」という情報誌も出版をしていましたが、その後足繁く出会ったり一緒に全国へ講演に出かけるようになりました。

 30年前に私が塾長を務めていた21世紀えひめニューフロンティアグループが双海町東越えの廃屋を借りて1年に4回、10年で40回の開塾を目指したフロンティア塾にも平成6年5月21日~22日に講師とそて来てくれ熱弁を語ってくれました。その後鈴木さんは不治の病にかかりお見舞いに出かけた東京の病院で、ベッドに伏した鈴木さんから、「私はもう間もなく命が亡くなる。夢だった人間牧場を造りたかったが実現することができない。私の遺志を継いでくれるのはあなたしかいない。やってくれないか」と手を握り涙ながらに頼まれました。

「何が何でもそれだけは」と思いましたが、死ぬ間際の頼みを断ることも出来ず行き掛かり上約束をしてしまいました。その後鈴木さんは天国へ召されましたが、約束を果たさなければと思い、建設に必要な総額1千万を死に物狂いで貯め、20年前教育長を最後に現職を退いたのを機に、母親が作っていたミカン畑を開墾し、「人間牧場は見事に完成」しました。「人間牧場」は「人間を放し飼いにする場所」などとうそぶいて、あれから20年があっという間に過ぎ去りました。鈴木繁夫さんの顔が思い出される今日この頃です。

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