〇今日は親類の多さに驚きながら家を守り続けてくれている妻の誕生日
97歳で8年前に生涯を閉じた私の親父は、12人兄弟の長男に生まれています。大正7年生まれでしたから生きていたら100歳を超えていますが、気がつけば親父の兄弟姉妹も一人減り2人減りして、4人の妹が残るのみとなりました。一方母は80歳で亡くなりましたが6人兄弟姉妹はみんなあの世へ旅立ちました。
昔は殆どの兄弟姉妹が町内に分家したり、近隣に嫁いでいたためやたらと親類が多く、盆正月や冠婚葬祭ともなると家の中がごった返すほどの親類が集まりそれは賑やかでした。その本家の長男に生まれた私と嫁いで来た妻と2人でささやかながら「若松家」という家を守り続けてきましたが、いつの間にか「つき合い倒れ」と思える冠婚葬祭も少しずつ減り、何とか峠を越しました。
私はこの家の長男として生まれたのでそれなりに納得していますが、倒すこともなこともなくこの家を守り続けて来てくれたのは、八幡浜から見合いで嫁いで来た妻なのです。文句も言わずただ黙々と今も働き続けてくれている妻には感謝してもしきれない大恩があると、口では言わにものの心に深く刻んでいますが、その妻が今日78歳の誕生日をめでたく迎えました。
大した病気やケガもなく、今も近所の歯科医院でパートとして働いていますが、そろそろ31年務めた職場を辞めようと決めているようです。今日は女・妻・母・主婦・勤務と一人5役も6役もこなし働き続けている妻の肩でも揉んでやろうかと、内心思っています。78歳の過去年齢に比べれば、100歳まで生きるとして後23歳の未来年齢しかありません。色々考えさせられる妻の誕生日です。
一柳さん、親戚づきあいも少なくなりました。葬儀でも家族葬とかで連絡がないくらいです。せめて近所付き合いでもと思うのですが、余り立ち入ったつき合いは少ないようです。
身につまされるお話です。
一課の長がしっかりとしていたとき、たしかに親戚は数十人以上集まりました(笑) 今は墓も参る親戚もいないくらいですね。 世の中どうなっているのかと思うのですが 親戚こそ 墓の下になりましたが 近隣とはもっと仲良くしようかと思う今日この頃です。