〇私設公民館煙会所の大掃除
仲間が呑みに来るというので、昨日は久しぶりに家の敷地内にある私設公民館煙会所の大掃除をしました。煙会所を造ったのは今から42年前の昭和51年でした。青年の船に乗って太平洋を渡り、建国200年のアメリカへ行ったカルチャーショックが、青年のたまり場を造りたいという夢に代わり、自宅横に青年仲間の力を借りて粗末ながら手造りしました。
何かにつけて理解があり器用だった親父の絶大な協力を得て造ったたまり場は、僅か4畳半の囲炉裏を切った部屋ながら、その後県内外や時には外国からも、多くの来訪者を得て今日に至っていますが、もしも私が煙会所を造っていなかったら、これほどあらゆるジャンルの人と繋がって、いい人生は送れなかったに違いないと、あらためてその存在の大きさに気づくのです。
四畳半の畳に雑巾をかけ、トイレやトイレに通じる縁側もただ一人黙々と掃除をしました。また囲炉裏の灰もゴミを取って均し、火を入れると薪の煙が部屋中に充満し、まるで燻製室のようでした。天井一面に保存している、私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループが20年間にわたって実施した、無人島に挑む少年のつどいなどの看板が目に留まりましたが、これらの活動も、また夕日によるまちづくりも煙会所での語らいから生まれたので、懐かしく物思いにふけりました。
「そんなにも 経ったのだろうか 42年 あの日あの時 思い出しつつ」
「大掃除 する手時々 休めては 道具小道具 書画骨董」
「30人 食を賄う 南部鉄 大鍋つつき 大酒呑んだ」
「この部屋で どれほどの夢 板間書き 実現したか 懐かしき日々」