〇水害被災地を見舞う(その2)
老人施設キネマを出た私たちは、大洲市立肱東中学校を訪ねました。この学校は前年度までの2年間、金融教育指定校だったこともあって、金融広報アドバイザーとして何度も足を運んだことのある学校なので、気になっていました。肱東中学校の近くには水害に遭った菅田地区もあり心配していましたが、子どもたちの中には床上浸水した家もあるものの、みんな元気な様子でした。校長先生は北中学校に転勤していましたが、昨年まで南予教育事務所で指導主事をしていて一緒に金銭教育を担当していた先生が、教頭先生となって赴任していてびっくりしました。
肱東中学校の運動場には自衛隊の災害派遣隊が駐留していて、被災者のための温浴サービスなどを行っているようでした。私たちは肱川に沿って奥へと進みましたが、大雨で流された大成橋を見ながら、土砂崩れのためう回路道となった細い山道を、片側交互通行し、水没し休業している道の駅を横目に見ながら、肱川ダムに着きました。肱川ダムは今も放流を続けていますが、ダム湖面を埋めた大量の流木やゴミに水害のすさまじさを思いました。これらの堆積ゴミはクレーンで救い上げられ、ダンプカーでどこかへ運ばれているようでした。
私たちは野村町横林公民館に立寄りました。あいにく知人の井上館長さんは留守でしたが、職員のご厚意で携帯電話で近況を話すことができました。公民館ロビーに飾られた昔のワイドな写真を見ながら職員さんの説明を受けましたが、新しい鉄橋の下には肱川ダムができる前に使っていた古いコンクリート橋が浮かび上がり、まるで昭和初期にタイムスリップしたような錯覚にとらわれました。この橋もまさに近代化遺産と呼ぶにふさわしいものです。
その後、私たちは城川町経由で野村町の市街へ入りました。同行の浜田さんは1週間前ボランティア支援で野村に来ているし、わが息子も軽四トラック持参でボランティア支援に出かけているので、当時の様子は大まか聞いて知っていましたが、聞くと見るとでは大違いで、うず高く積まれた災害ゴミや、汗水たらして働くボランティアの方々に、「ご苦労様です」と声をかけ、仕事の手を休めて木陰で休憩している住民に、立ち止まって慰めの言葉をかけながら世間話をするなどしました。公民館に知人の清家さんを訪ねましたがあいにく留守でした。清家さん自身も被災していて、その模様はfacebookでよく見ていて、心が痛みました。
「昨年度 何度か訪ねた 中学校 校庭自衛隊 キャンプを張って」
「う回路の 細い山道 縫うように 交互通行 繰り返しつつ」
「肱川の ダムの湖面を 埋め尽くす ゴミの山見て 唖然驚く」
「橋の下 ダムで水没 した橋が 見えて時代の 流れしんみり」