◯ナミ子姉さんの心のうた
私の父親には12人の兄弟姉妹がいました。親父を含め8人は既に他界していますが、まだ4人の叔母が健在です。その中に吉野竹子という叔母がいますが、叔母竹子は愛媛新聞の門欄に時々投稿記事が載りますが、叔母と言いながら私とは年齢が1歳しか違わず、姓も吉野なので、私のおばだと気づく人は少ないようです。
亡くなった叔母に若松ナミ子がいました。ナミ子は昔の事ゆえ学校もロクに行っていないのに、何故か書くことが大好きで、暇さえあれば雑記帳に俳句や短歌、その時々の思いを記録していました。ある日のことナミ子の夫国夫から、「ナミ子がコツコツ書き溜めたものを一冊の本にしてやりたいので手伝って欲しい」と相談がありました。
イチもニもなく引き受けた私は、早速編集に取り掛かり、「発刊に寄せて」と「編集後記」の原稿を書いて、ナミ子さんと国夫さんの所へ持って行き、岡田印刷の見積り書とともに目を通してもらい、了承を得て印刷工程に入りました。出来上がった本を見て夫婦で満足してくれたのは、平成11年の寒い丁度この頃でした。
そのナミ子おばさんも既に2年前に他界してこの世を去っていますが、偶然昨日年賀状の印刷代を支払いに立ち寄った岡田印刷の受付ロビーの本立てで、この本を見つけ、懐かしさの余りに帰ってから、書棚の隅に置いていた「ナミ子姉さんの心のうた」を取り出して読み返し、懐かしみました。
「人死ねば 思い出さえも かき消され そんな運命 私も間もなく」
「記録した ことしか記憶 残らない 偶然ロビー 大いに驚く」
「あああんな こともあったと 二人して ナミ子姉さん 思い出語る」
「生きている 間が花だ そう思い これから先も 楽しく生きよう」